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| 余命一ヶ月の宣告! 末期癌から生還した父 »
2006年10月03日
全てを成仏せしめる妙法の大功徳力
私は、三重県の伊勢市で信心に励んでおりますが、本日は、昨年暮れに七十五歳で亡くなった父のことについて、体験発表させていただきます。
私は、昭和五十五年、十九歳の時に日蓮正宗に入信いたしました。
私の実家は、もともと、禅宗の檀家でありながら念仏を唱え、仏壇の中には真言宗の弘法大師の像が本尊として祀ってある、という、邪宗をごちゃ混ぜにした、とんでもない状態でした。
しかも、伊勢市という土地柄、伊勢神宮との関わりも深い上、祖父の代には天理教にも関わっていたそうです。
そのような邪宗まみれの家でしたから、不幸がないはずがありません。
私は三人兄弟の末っ子だったのですが、私が小学五年生になった頃、母が脳血栓で倒れ、四十五歳という若さで亡くなってしまったのです。また、その頃から父も高血圧で悩むようになりました。
やがて、兄と姉は学校を卒業して家を出ていき、私と父の二人暮らしになりましたが、父との間にはほとんど会話もなく、私は私で勝手に生きている、という感じでした。
ところが、十九歳の時に仏法に巡り会って信心を続けてくるうちに、だんだんと、親の恩を感じることができるようになり、父に親孝行したいと心から思える自分に変わってきたのです。
もちろん、最大の親孝行は、父を折伏し、この正しい仏法に入信させることです。しかし、頑固な父は、仏法の話を頭からバカにして、まったく耳を傾けようともしませんでした。
私が結婚してからも、家に呼んでは折伏しようとしましたが、父はそのたびに、「その話をするんだったら、帰る!」と怒りだすのです。
しかし、そうして仏法に背いているうちに、罰は厳然と現われました。
父は、交通事故に遭って、生死をさまようほどの重症を負ったのです。
私は、ここで何としても父の命を助け、入信させなければ、という想いで、御本尊様に父の回復を祈り、また、小川御住職様に当病平癒の御祈念をしていただきました。
すると、父は、三ヶ月は入院しなければならないところを、たった二週間で退院することができたのです。
「御本尊様のおかげで助かった」ということを話すと、父も、そのことを多少なりとも感じたのでしょう、しばらくは私に誘われるまま、一緒に御題目を唱えましたが、しかし、それでも入信することはできませんでした。
そうしたところ、父は、やっと職場に復帰できたと思った途端、今度は、長年勤めた会社を、突然、解雇されてしまったのです。
働くことだけが生き甲斐だった父にとって、それはひどくショックだったようで、父は、すっかり落ち込み、まるで生きる屍のように生気を失ってしまいました。
私は、生まれてからこのかた、そんな父の姿を一度も見たことがなく、心底から罰の恐ろしさを感ぜずにはいられませんでした。
そして、「いまこそ、父を入信させなければ」と思い、必死で折伏していったところ、父は、ようやく入信を決意し、昭和六十一年の二月、御授戒を受けることができたのです。この時、父は五十七歳でした。
御授戒を受けて以来、まじめに勤行を続けるようになり、一ヶ月した頃、父は、以前からひどかった高血圧が安定し、また、新しい仕事も見つかる、という初信の功徳をいただきました。
正法に邪法まじえた果報
第四期の前立腺癌に!
しかし、そのような功徳をいただきながらも、本当に信心が身に染まらなかった父は、あろうことか、三年ほど経過したある日、先祖の位牌を念仏の寺へ持って行き、そこで邪宗の過去帳を作ってしまったのです。
日蓮大聖人は、
「此にものをならぶれば、(中略)わざわひのみなもとなり」(御書一二一九頁)
と仰せられ、正しい仏法の信仰に邪宗教を混ぜれば、かえって災いの源となる、と教えられています。
実家で邪宗の過去帳を発見した私は、たいへん驚き、「それは謗法だから、処分しなければ恐ろしいことになる。処分して、きちんと日蓮正宗の過去帳を作ろう」と説得しました。しかし、父は、「これは、長男にゆずる物だからいいんだ」と言って、頑として聞き入れてくれませんでした。
こうして、せっかく日蓮正宗に入信しておきながら、父の信仰は邪宗に転落してしまったのです。
こんなことをして、ただで済むはずがありません。それから七年後の節目に当たる平成八年、六十八歳の冬のことです。少し前から「時々、めまいがする」と、体の不調を訴えていた父は、検査を受けたところ、前立腺の癌で、それも末期の一歩手前の第四期であり、年齢的にも手術は不可能、と診断されてしまったのです。
この現実は、医師の口から父本人と私に告知されました。
私が、「今までのことを御本尊様にお詫びし、これらはしっかりと信心をやっていこう」と言いますと、父は、ようやく念仏の過去帳を処分し、これからは邪宗への執着を捨てて正しい御本尊様だけを信心していく、と決意してくれました。
そして、有り難くも御秘符を頂戴することができ、その功徳で、癌治療はとても順調に進んで、普段の父は、健康な人とまったく変わらないくらい、普通に過ごせるようになりました。
高齢で一人暮らしの父は、邪宗を捨てたとはいえ、なかなか勤行もおぼつかない状態で、このままでは功徳を積むこともできないと思われましたので、私は、主人の理解を得て、何とか父を私達の家へ引き取ろうと考えました。
しかし、頑固な父はなかなか言うことを聞いてくれず、一人ではやはり勤行もままならないまま、癌の進行は確実に進んでいきました。
死期を悟り、命がけで参詣
渾身の力で折伏も開始
昨年の三月、このまま一人で生活させておくわけにはいかないと感じた私は、父を説き伏せ、ようやく我が家に連れてきました。
我が家に来てからの父は、毎日、一緒に勤行をするようになり、その中で、だんだんと生命力を取り戻していきました。
しかし、すでに父の癌はかなり進んで、体力も落ちており、昨年九月の第二十五回総会は、体力的に参加できるかどうかが危ぶまれるほどの状況でした。
私達の心配をよそに、父は、今まで御本尊様に命を救ってもらった恩を口にし、「絶対、行くから」と言って、準備も全て自分でして、無事、参加することができました。
伊勢から本山までは片道六時間かかり、トイレ休憩の際には、歩くだけでも渾身の力を振り絞らなければならないほどでしたので、行きはかなり大変でした。ところが、総会に参加して下山する時には、嘘のように元気になっていたのです。
しかもその後は、調子のよい時は散歩をしたり、タクシーを呼んで自分で買い物にも出かけられるようになったのです。本当に、御登山の功徳、総会参加の功徳はすごい、と思いました。(拍手)
後でわかったのですが、じつは、総会の前の検査の時点で、癌の転移は肺まで達していて、父にはそれが告知されていたそうです。そして、普通であれば、モルヒネを打たないと痛みを我慢できない程の状態だった、ということです。
しかし、そのことが私達家族には伝わっておらず、また父も痛みを訴えることなく生活しておりましたので、私は全くそれに気付かなかったのです。
振り返って見れば、総会より帰ってからの父は、精いっぱいやるべきことをやって、臨終の準備をしていたように思えてなりません。
父は、十一月初めに行なわれた、長時間にわたる「折伏講習会」にも参加することができ、そこで折伏を実践する決意をしました。
さらに、十一月二十三日の三重決起大会の際の質疑応答では、自ら手をあげ、講頭に、病気のことと、これからの信心のことを質問しました。
私は、「あの父が」と本当に驚きましたが、父は、その時に講頭から教えていただいたとおり、勤行・唱題を長く真剣に行なうようになりました。
また、折伏にも出かけていき、帰ってきてから、私に、「友達を折伏したら、相手は怒っていた」と笑って話してくれました。(拍手)
その後も、父なりの折伏でしたが、病院で会った人とか、未入信の私の兄や姉にも「自分が病気を乗り越えられたのは、信心のおかげだ」と話していたようです。
そうして十二月の本部講習会には、少し辛そうだったので、私が「しんどかったら無理しないでもいいよ」と声をかけたところ、横になっていた父は、目を開けてしばらく天井を見つめていましたが、「うん、行くわ。大丈夫や」と言って、頑張って参加し、とても喜んで帰ってきました。この日が父にとって最後の会合参加となりました。
医師も驚く安らかな臨終
未入信者も感嘆!成仏の相
十二月の月例御講の前夜、私達と一緒に夕の勤行をした父は、私達が本山に出発するのを笑って見送ってくれました。そして、その日の夜中、父は、自分で救急車を呼び、そのまま入院となってしまいました。
下山後、私が病院に駆けつけた時には、お数珠とお経本がきちんと枕元に置いてありました。
その日一緒に唱題し、そして丑寅の刻に勤行をした後、父は深い眠りに入りました。
担当医からは「このまま、目が覚めないかもしれない。本当だったら、とても痛くて苦しいはずなんだが、こんなに静かに眠っていること自体が信じられない。普通ならこんな状態はありえない」と言われました。
そして、一昼夜眠り続けた父は、十五日の午後四時一分、付き添っていた私の長男・達顕がお題目を唱える中、静かに息を引き取りました。
父の臨終の相は、大聖人様が
「善人は設ひ七尺八尺の女人なれども色黒き者なれども、臨終に色変じて白色となる。又軽き事駕毛の如し、軟らかなる事兜羅綿の如し」(御書一二九〇頁)
と仰せられているとおり、半眼半口のとてもきれいな相で、気持ちよく眠っているという感じで、まるで今生の苦しみは全て取り去ったかのように、本当に幸せそうな顔をしていました。
丸一日が経っても、身体はとても軟らかく、温かみが残っていました。
そして、父自らが兄に、「葬儀は日蓮正宗でしてもらいたい」と伝えてあったため、兄は未入信でしたが、親戚の人達に向かって「親父の意向なので、日蓮正宗で葬儀をしてやりたい」と言ってくれ、誰も口をはさむ余地もなく、正宗で葬儀を出すことができました。(拍手)
兄も姉も、初めて成仏の相を見て、「不思議だ。すごい」と、とても喜んでいました。父は最期に成仏の相をもって、周囲の人達を折伏していったのです。
私はすでに母を亡くしておりますが、この御本尊様に巡り合ったおかげで、父には最高の親孝行を果たさせていただけました。これも、師匠・先輩・同志の方々の祈りがあったからだと、心より感謝しております。
その後、百ヶ日法要を済ませた二週間後のことです。とても不思議なことがありました。
未入信の兄の枕元に、父が、すでに亡くなっている父の兄弟を連れて、お礼を言いに来た、というのです。兄の話によれば、父はとても嬉しそうな顔で、
「お前達兄妹三人が、百ヶ日法要の後、お墓参りに来てくれて、本当に嬉しい。この後、三人に何か困ったことがあったら、ここに来て南無妙法蓮華経を唱えたら、後ろから糸を引いて助けてあげる」
といった話を、十五分もした、ということでした。
また、その際、兄が金縛りになったところ、それに気付いた父が、
「そういう時は南無妙法蓮華経を百回唱えれば解ける」
と言うので、そのとおりにしたところ、本当に金縛りが解けたそうです。
兄は「全て、良い知らせだ」と喜んでおり、「親父から何度も、昭代に礼を言ってくれと頼まれたから、連絡をした」と言っておりました。
私は、兄の話を聞き、父が作った正宗の過去帳に名前のあった、父の兄弟達も皆な成仏しているんだ、と確信すると同時に、父は、心残りであった兄を折伏するために、兄の所に来たんだ、と思わずにはいられませんでした。
私は、今回の体験を通して、御書の中にある「父子一体の成仏」が真実であること、大聖人様の教えの素晴らしさ、御本尊様の偉大さ、そしてこの仏法によってのみ、本当の成仏が獲得できることを実感いたしました。
兄には、一日でも早く入信するよう、促し続けておりますが、残念ながらまだ決定(けつじょう)までは至っておりません。
しかし、父を成仏させてくださった御本尊様の御恩に報いるためにも、兄の折伏はもちろん、今後の講中挙げての折伏戦に一歩もひるむことなく臨み、必ず誓願を果たしていく決意です。どうも、ありがとうございました。 (大拍手)