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2006年11月18日

問われる『聖教新聞』の公益性!

倫理観も襟度も皆無の紙上座談会

離反者・反対者に対する激しい悪罵
これが公益法人の発行する新聞か!?

 発行部数五百五十万部を誇り、その規模において三大紙に比肩(ひけん)する『聖教新聞』。しかし、同紙は一般紙と大きく異なり、公益法人の機関紙として、様々な優遇を受けている。
 であれば、その紙面は、しかるべき倫理観と襟度(きんど)を持って編集されるべきであるが、実態はさにあらず。こと、不定期で掲載される、創価学会最高幹部らによる紙上座談会は、離反者・敵対者を口汚なく罵(ののし)る、まったくもって無惨(むざん)極まりないものとなっている。
 そこで、『聖教新聞』の、公益法人の機関紙としての適格性を糾(ただ)す。

一般紙と異なる公益性が必要
こんなに違う税制面での優遇

 三大紙に比肩する発行部数を誇示する『聖教新聞』――。
 同紙の発行所は「聖教新聞社」と記載されているが、「新聞社」と名乗っていても、株式会社等の独立した法人を組織しているわけではなく、それは宗教法人創価学会の収益部門のひとつなのである。この点で、他の新聞社とは、その性格が大いに異なる。
 すなわち、一般の新聞社は営利企業であり、営利企業としての応分の社会的負担(納税)によって社会への貢献が義務付けられている。
 ところが、宗教法人等のいわゆる公益法人になると、その事業自体が、営利を第一の目的とせず、世の中の不特定多数の者の利益を実現することを目指している、と見なされ、税制面では大きく優遇される。
 そして『聖教新聞』は、まさしく、公益法人たる創価学会の中に属する、収益部門の一つなのである。
 ちなみに、インターネットで会計事務所のホームページを閲覧してみたところ、宗教法人は、収益事業に対してのみしか課税されず、その税率も、一般企業が三〇%(※課税所得が八百万円を超えた場合の標準税率)なのに対し、それよりも低い二二%に押さえられている。
 しかも、寄附金の損金算入限度額が、収益事業から生ずる所得の二〇%という高率に設定されており、収益事業部門から非収益部門(※宗教法人本体)への支出は寄附金とみなされ(みなし寄附金)、課税控除の対象にできる、というのである(※寄附金控除は一般法人にも認められているが、様々な制約があるうえ、その率は、最大でも、資本金の〇.二五%+当期所得の二.五%という低率だという)。
 以上をわかりやすく言えば、仮に、百億円の利益があったとして単純計算すると、資本金百億円のマスコミは二十九億一千万円強を納税しなければならないのに対し、聖教新聞社(※創価学会)の場合は、十七億六千万円納税するだけで済むことになるのである。
 これだけ手厚い保護を受けられるのは、ひとえに、公益法人が、積極的に不特定多数の者の利益を実現することを目的として公益事業を行なうもの、とされているからに他ならない。
 であれば、当然のことながら、公益法人たる創価学会の発行する『聖教新聞』には、それだけの特権≠持つにふさわしい公益性と、営利企業である一般マスコミ以上の倫理観がなくてはならないはずだが、果たして『聖教新聞』に、それがあるのだろうか――。

これでも公益法人の機関紙?!
竹入氏に浴びせた悪罵の数々

 『聖教新聞』の定番記事のひとつとなっているのが、会長をはじめ、最高幹部が顔を揃(そろ)える紙上座談会である。
 宗教団体が発行する新聞であるから、その紙上座談会は当然、信心の啓発に役立つものであってしかるべきだが、さにあらず。
 御法主上人をはじめ日蓮正宗関係者に対する罵詈雑言(ばりぞうごん)は当たり前で、創価学会に批判的なマスコミや政党・政治家などを次々と俎上(そじょう)に載(の)せ、口汚なく、かつ執拗(しつよう)に罵り続けているのだ。
 その典型例の一つが、元公明党委員長・竹入義勝氏に対する罵詈雑言であろう。
 竹入氏は、昭和四十二年から十九年間にわたって公明党委員長を務め、昭和六十一年に退任。平成二年には政界からも完全に引退した。
 以後、竹入氏は、表舞台には一切出ずにいたが、平成十年、『朝日新聞』に十二回にわたって公明党委員長時代の回顧録を発表。その中で、日中国交回復の舞台裏や、公明党と創価学会との政教一致ぶりなどを公表した。
 すると、創価学会はその直後から、機関紙誌を使って竹入氏攻撃を開始。以後、竹入氏が再び沈黙を続けているにもかかわらず、今日まで攻撃は恒常的に続けられ、というよりも、むしろどんどんエスカレートし、今年五月に連載が開始された最新シリーズ「創立80周年へ前進と勝利の座談会」においては、「竹入」の文字がない回の方が少ないのでは、という状況にある。
「青木(理事長) こんな前代未聞の悪党は、公明党の党首ではなく、『竹入悪党』の党首で死んでいけばいい(大笑い)。」(『聖教』五月二十九日付。幹部の役職は記事掲載当時。以下同)
 「秋谷(会長) まったく何が政教分離だ。第一、政教分離の本義を、あのバカな、無学な竹入が知ってるわけがない(爆笑)。」(同)
 「原田(副理事長) (竹入氏の)女房も経歴詐称(さしょう)。長男にも大学医学部への裏口入学の疑惑。こんな暗い、人を騙(だま)し抜いた一家など、最後は滅亡していくことは間違いないよ。
竹内(青年部長) ざまあみろだ!(爆笑)」(同)
 「秋谷 あの遊び狂いの悪逆な竹入は、一生涯、皆から笑われ、バカにされていくことは当然だ。もう表には、出てこれない。大敗北の地獄の人生が残っているだけだ」(同)
 「秋谷 (竹入氏は)結局、根が卑(いや)しい。人格の根本が卑しい。人の真心が分からない。誠意が分からない。本当に、われわれ支持者は騙された。よくもまあ、皮をかぶって、騙し抜いてきたものだ!」(『聖教』十一月六日付)
 「原田 日蓮大聖人は恩知らずは畜生≠ニ仰せだ。畜生に成り下がった竹入! 忘恩の怪物!絶対に許すな。われわれは断固、攻め抜いていこうじゃないか。」(『聖教』十一月九日付)
 このように、連載開始直後から最近に至るまで八年間にわたり、学会最高幹部らの、竹入氏への悪罵(あくば)は止むことがない。もし、その一々を挙(あ)げていたら、それだけで紙面が埋まってしまうほどだ。
 しかも、悪罵の対象は竹入氏一人に止どまらず、竹入氏の妻子にまで向けられているのである。
 しかも、その言い種(ぐさ)たるや、
 「悪党」「あのバカ」「無学」「暗い、人を騙し抜いた一家」「ざまあみろだ!(爆笑)」「遊び狂い」「悪逆」「もう表には、出てこれない」「地獄の人生が残っているだけ」「根が卑しい」「人格の根本が卑しい」「人の真心が分からない」「誠意が分からない」「皮をかぶって、騙し抜いてきた」「畜生に成り下がった竹入!」「忘恩の怪物!」「絶対に許すな」等々――よくぞここまで人を罵れるもの、と、呆(あき)れるしかないほど下劣な罵倒(ばとう)の数々で、とても正常な精神状態での発言とは思われない。
 ここは一つ、診察することなく診断が下せる精神科医・高山直子センセー(学会員)あたりに、ぜひ一度、学会最高幹部の精神状態を診断していただくしかあるまい。
 ともあれ、この、執拗に繰り返される、品格など微塵(みじん)も感じられない罵詈雑言には、スキャンダルをメシの種≠ノしている、いわゆる業界誌≠ウえ、完全に脱帽しようというもの。仮に、一般のマスコミがこれほどの悪罵を垂(た)れ流し続けたとしたら、社会の非難が集中して、経営さえおぼつかなくなるに違いない。

名誉毀損で断罪された『聖教』
望まれるのは一刻も早い廃刊

 さて、その『聖教新聞』だが、かつて同様の座談会において、個人の人格を全否定するような罵詈雑言を並べた結果、刑事告訴されたり、民事訴訟を起こされて賠償(ばいしょう)金の支払いを命じられた過去がある。
 特に、平成十六年二月十三日付の『聖教新聞』に掲載された座談会では、秋谷ら最高幹部六名が出席し、妙蓮寺塔中・本妙坊住職の樽澤道広尊師を誹謗した。
 これに対し、樽澤尊師が、「記事は事実無根であり、『聖教新聞』の報道により、名誉を著しく毀損(きそん)された」として、平成十六年三月に創価学会と、前記六名を提訴。
 これを受けた東京地裁は本年三月、
 「被告秋谷らが本件各発言をし、被告創価学会が本件記事を新聞紙上に掲載し、同新聞を頒布(はんぷ)した行為は、原告に対する名誉毀損として不法行為を構成する」
として、連帯して八十万円の賠償金を支払うよう命じたのである。
 そもそも「名誉毀損罪」とは、
 「公然と事実(※それが真実か否かは関係なく、人の名誉を毀損するに足る事実)を摘示(てきじ)し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にかかわらず、三年以下の懲役(ちょうえき)若(も)しくは禁錮(きんこ)または五十万円以下の罰金に処する」(刑法第二百三十条)
というもので、『聖教新聞』の紙上座談会がこれに抵触するのは、誰の目にも明らか。刑事告訴されたり、賠償を命じられたりして当然である。
 その他、『聖教新聞』(および『創価新報』)は、理境坊所属妙観講と同講々頭からも訴えられており、こちらの訴訟は明年にも判決が下る見通しとなっている。
 本紙はこれまでも、公益に反する『聖教新聞』の在り方を糾してきたが、いっこうに改まっていないのは周知のとおり。
 公益法人に与えられた特権を最大限に享受(きょうじゅ)していながら、それにふさわしい倫理観を全く持ち合わせていない『聖教新聞』――。業界誌≠煌逡奄ッの、無反省なこの低俗紙は、一刻も早く廃刊されるべきであろう。