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| 連載 28回 宗創和解の最大の阻害要因 »
2007年01月03日
「総体革命」は実現しえぬ妄想
総体革命など、絶対に成就(じょうじゅ)することはない。池田創価の総体革命の妄想に重大な危惧(きぐ)を覚えつつも、しかし、結論として、筆者はそのように確信する。
当欄第一回で、総体革命とは、社会のあらゆる分野に池田信奉者を潜入させ、創価(池田)が支配する社会を構築することである旨、説明をした。
言い換(か)えると、池田にとっては、現実の社会を池田が支配できればよいのであって、創価学会の教義(に対する信仰)が弘まらなくてもよいのである。むろん、創価のニセ本尊を会員が拝もうと拝むまいと、かまわない。会員がそれを信じようと信じまいと、池田にとってはどうでもよいことなのだ。ゆえに、マンダラを「物体」と言って憚(はばか)らない。
結局、池田は、会員たちが自分(池田)を崇拝(すうはい)しさえすればよい、と考えているのである。
そして、池田崇拝者たちが権力を持ち、抗(あらが)う者たちを屈服せしめ、支配し、その上に自分(池田)が君臨できればよい。教義やマンダラはその手段にすぎない。
だが、これに盲従(もうじゅう)する者は、悪業の因縁を積み、因縁が熟(じゅく)せばその果報を得て、自滅していくことになる。
たとえば最近、政務調査費の不正流用が発覚したことで、偽善の仮面が剥(は)がれた公明党目黒区議らの一件があるが、これも、党全体や創価・池田に累(るい)が及ばないように一斉辞職した、と言われている。
自ら刻んだ悪業の故に、「不正直者・税金泥棒」の汚名を着せられ、どれ程の徳を損(そこ)なったかも計り知れない元議員たち。辞職後は脳天気に学会活動でもしているのだろうか。哀れだ、あまりにも。
また、過日、火事のニュースを見ていたところ、出火した住宅において(脳梗塞〈のうこうそく〉で歩行困難だった男性の死亡が確認された痛ましい事故である)火災現場を映(うつ)し出したカメラの視野には、はっきりと「聖教新聞取扱所」の金属製の看板と公明党のポスターが映し出され、火元の住人が熱心な創価学会員であることを物語っていた。
平成の学会問題が表面化して丸十六年が経過しているが、「聖教新聞取扱所」の住人が、誹謗(ひぼう)正法を重ねていたであろうことは想像に難(かた)くない。
魔に魅入(みい)られた民が、命ぜられるままに悪業の因縁を重ね、脳梗塞に罹(かか)って歩行困難に陥(おちい)ったあげく、生きながら業火に焼かれ、大切な命を落としたのである。
この火事が報じられる前、『聖教』では、同紙代表理事の原田光治が、「年末年始を絶対無事故で」(同紙十二月九日付四面)の見出しのもと、「あわただしいこの時期、健康や交通事故、火災などに注意して」(同)と発言し、さらに池田の「(聖教は)読者に無限の勇気と希望を与え」(同)るのが「聖教新聞の真骨頂である」(同)という発言を紹介している。
その『聖教』の取扱所が業火に包まれて灰燼(かいじん)に帰し、住人も命を失ってしまったというのであるから、「勇気」も「希望」もあったものではない。
その他、『聖教』を無料配布しながら、耐震偽装で犯罪者となった一級建築士、師弟相対≠説き経済面での総体革命の一翼を担(にな)いつつ、没落していったネズミ講等々、奪功徳者の毒牙にかかり、自滅していった創価学会員は、近年だけでも枚挙(まいきょ)に暇(いとま)がない。
彼らの無念を思うだに、憐憫(れんびん)の情を禁じ得ない。
悪業の因縁を重ね、徳を失い、あげくは隣人から蛇蝎(だかつ)のごとく忌(い)み嫌われて、ついには身を滅ぼし、ソータイカクメイなどできるものか。
日蓮大聖人は、
「剰(あまっさ)へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし」
(御書六六六頁)
と仰せである。真の広宣流布は必ず叶(かな)う。そして、それが叶うならば、魔の妄想たる総体革命など、実現しようはずもない。
『如説修行抄』に示される、
「吹く風枝をならさず、雨土くれをくだかず、代はぎのう(義農)の世となりて、今生には不祥の災難を払ひて長生の術を得、人法共に不老不死の理(ことわり)顕はれん時を各々御らんぜよ」(御書六七一頁)
との広布の相は、謗法の輩(やから)が自滅するのを座して待てば、やがてその時が来る、というものではない。
時の御法主上人の御指南を大聖人の御命と心得、「如説修行」の精進を重ねてこそ、それは実現するのである。
総体革命が実現しないことは、広宣流布が必ず叶う、ということの裏返しである。
『行動の年』の年頭に当たり、獅子奮迅(ししふんじん)の「行動」を期してまいりたい。
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