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2007年02月14日

埼玉県越谷市 能持寺

週二回の唱題会の後は折伏座談会
「功徳を体現しよう」との指導のもと

 能持寺がある越谷市は、東京から二十三キロ圏内という首都の近郊都市で、首都圏への乗り入れ交通機関も発達していることから、人口は増加の一途をたどり、現在は約三十万人を要する。平成二十一年には、能持寺の近くに「越谷レイクタウン駅」も開設される予定である。
 そのように、近代都市として発展する一方、市のキャッチフレーズが「水と緑と太陽に恵まれた ふれあい豊かな自立都市」ということからも窺(うかが)い知れるように、越谷市は自然環境にも恵まれ、元荒川・古利根川・綾瀬川・新方(にいがた)川・中川の一級河川をはじめ、葛西用水・末田(すえだ)大用水・谷古田(やこた)用水など、多くの河川用水が市内を流れ、古くから「水郷こしがや」と呼ばれてきた。

 能持寺の創立は昭和四十三年十二月で、初代住職には阿部信彰御尊師が着任され、その後、昭和五十五年に、第二代住職として、現在の前田積道御尊師が赴任された。
 平成三年、創価学会が宗門に反逆すると同時に、前田御住職は再折伏の陣頭に立ち、学会員に対して正信を促してきた。その結果、創価学会は、住職追放≠フ呪いの祈念や署名運動を起こしたりしたが、逆に、そうした動きに疑問を感じた多くの学会員が、創価学会を脱会して寺院に帰伏してきた。そして、平成八年九月には、現在地に立派な寺院を建立して移転、第六十七世日顕上人猊下をお迎えして、盛大に新築落慶入仏法要を奉修したのである。現在の能持寺は、二五〇世帯を超える法華講員を要し、中堅寺院となっている。

 寺院の活動としては、毎週二回、唱題会を設けているが、その終了後には、折伏対象者を連れてきて「折伏座談会」を行なっている。その際、前田御住職が気軽に輪に入ってくださるので、「折伏するなら、この時!」とばかりに、講員は積極的に対象者を連れてくるという。
 さらに、講員が集まるたびに、本堂には御住職を中心に輪ができ、ミニ座談会・ミニ勉強会になって、そこでも折伏の話が絶えない。
 前田御住職は、
 「私が赴任して以来、一貫して朝晩の勤行ならびに唱題行の際に祈ってきたことがいくつかありますが、一番大事なこととして広宣流布の御祈念を申しあげています。そして寺運の興隆ということと、次に能持寺に縁のある全ての人々が、妙法蓮華経の功徳をによって本当に幸せになってほしいということであります」
と語る。そして、信徒に対しては、常々、
 「ただ、心で信心が素晴らしい≠ニ感じているだけではなく、仏法の素晴らしさを心と体に表わす、正法の功徳の体現者となってほしい。仏法の正しさを体現している人を周囲の人が見たならば、あの人は人格的にも素晴らしく、幸せな人生を満喫している≠ニ感じ、自ずから仏法を求めてくるようになる人もいるのです。ですから、皆さんには、言葉で信心の大切さを伝えると同時に、妙法の体現者として、心と体に信心する喜びが満ちあふれている姿をもって、折伏を実践していっていただきたい」
と指導されている。
 事実、いつも穏やかで笑顔を絶やさない前田御住職は、講員からの信頼も厚く、それがゆえに、講員達は安心して日々の仏道修行に励んでいるのである。

不幸な姿を現じた学会員

 一方、創価学会の情報操作によって能持寺を呪ってきた学会員の中には、次々と不幸な現証が起こってきた。
 たとえば、かつては能持寺と懇意にしていた学会壮年部のT氏などは、学会から教唆されるままに寺院の悪口を吹聴するようになり、その結果、程なくして、脳の病気で突然死してしまった。
 学会婦人部のOさんも同様のケースで、「頭が痛い」と言って、家人に病院に連れていってもらったが、待合室で帰らぬ人となった。
 その他にも、『聖教新聞』の配達員をしていた婦人部幹部が、配達から帰るなり、「気分が悪い」と言って横になり、そのまま帰らぬ人となったり、家庭内ケンカの絶えない学会員家族があったり等々、この地でも学会員の悲惨な姿は顕著である。
 そうした現証を聞くにつけ、能持寺の法華講員達は、今、正法を信受できる喜びをかみしめながら、温厚な中にも、決めた事は何としても貫き通す≠ニいう情熱をたぎらせる前田御住職のもと、平成二十一年・地涌倍増に向け、着実に折伏を進めている。