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2007年04月04日

学会は根のない桜!


今年も咲き誇る総本山の桜
学会員はその目で確認を!

 今年も桜の時期がやってきた。
 今年は、全国的に例年より早い開花である。今、地球規模で異常気象が起こり日本の暖冬なども例外ではない。これも、現代の一凶たる池田教をはじめ謗法者が蔓延(まんえん)していることに原因があることは、仏語の示すところである。
 総本山大石寺においても、この桜開花の時期はもっとも華やぐ時である。全国の信徒はもちろん、一般人でさえカメラを手に、大石寺全山に咲き誇(ほこ)る桜の花見に酔いしれる。
 また特に、本宗二大法要の一つ、御霊宝虫払法要が桜の花びらの舞い散る中、厳粛に奉修される姿は、宗門七〇〇年の歴史の重みを感じさせられる。いくら創価学会が、巨額な金銭をもって会館などに多くの桜を植えても、歴史ある大石寺の情緒あふれる境内だけはマネできない。
 この桜花爛漫(らんまん)の大石寺を羨(うらや)む創価学会は、この時期になると必ず、本山の桜の木について、「大石寺では、桜を全部切ってしまった!」とか「総本山には桜の春は来ない」などと誹謗(ひぼう)中傷してくる。このデタラメさについては、本紙でも、たびたび破折してきたとおりである(第三二四号参照)。
 さて、三月七日付『聖教新聞』の三面には、珍しく池田が本山内を歩く姿の、昔の写真が掲載されている。一九七一年四月に、批評家小林秀雄氏と列(なら)んで大石寺境内を歩いている写真である。
 記事の内容は「名誉会長アルバム 対話の十字路」と題して、小林氏と池田の交流を綴(つづ)り、桜を愛する池田先生!≠ニ池田を称賛するものとなっている。
 ところが同記事は、「小林秀雄氏と桜を愛(め)でる(一九七一年四月七日、富士宮で)。」とか「小林氏は、桜をこよなく愛する人だった。全国各地への桜行脚(あんぎゃ)を楽しみにしていた。そしてこの年、富士宮の桜を観(み)たいと願った氏が、池田会長のもとを訪ねたのである。会長は文人たちを出迎え、桜並木を愛で歩いた」と、当時の写真を紹介しているものの、大石寺の桜であることは伏せて、ただ富士宮≠ニの表記だけにしているのである。
 今では大石寺の桜を誹謗中傷する池田が、かつては大石寺の桜を自慢気に語っていた姿がそこにあった。それを隠すべく、あえて大石寺の名を伏せる小賢(こざか)しいやり方に、学会の大石寺に対する卑(いや)しい怨嫉(おんしつ)の心が感じられる。
 ところで、以前、池田大作が総本山で主催した『観桜会』で、部下に命じ、数十本のソメイヨシノを切り倒して常来坊に運び込んだことがった。これについて、のちに御隠尊日顕上人猊下は
 「根があればこそ、桜にしろ他の植物にしろ繁茂(はんも)するのであります。根本である根が切れてしまえば、植物としての命もなくなるのです。これは植物のみに限らず、一切のものがそのとおりであります。一時は良いようだけれども、根本を忘れたところには、必ずその結果が、衰消の姿 乃至、滅亡の姿となって現われてくるのであります」(平成十七年九月四日・広布唱題行の砌)
と仰せられたが、桜が根から切られてしまえば枯れてしまうように、信仰の根本である総本山から離れた創価学会には、いっそうの異流義化と破滅の道しか残っていない。
 日蓮大聖人が
 「一閻浮提の一切の草木は此の木の根ざし枝葉華果(けか)の次第に随つて、華果な(成)るなるべし」(御書五二九頁)
と仰せのとおりである。
 ともあれ学会員よ! 学会の″大石寺は桜を全て伐採″の言葉を確かめるためにも、一度、自分の目で確認しに来たらどうか。今年の桜は早いから、急いだ方がよい。