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2007年05月02日

地涌倍増を目指して・岐阜県美濃市 本玄寺

学会もおののく驚異的な脱会者数
たゆまぬ折伏に諸天の加護も厳然

 本玄寺が在る岐阜県美濃市は、濃尾平野の最北端、日本のほぼ中心部にあり、人口は二万あまりの小さな行政区であるが、近年は特に交通網が発達し、本玄寺は、最寄りの美濃インターを利用すれば県内の九ヶ寺全てに一時間ほどで行ける、大変利便性に富んだ場所に位置している。
 本玄寺は、明治二十七年、総本山第五十八世日正上人を開基として建立された寺院で、百十三年の歴史を持つ。法華講員の数は、平成二年に創価学会問題が起こる以前は、わずか五○世帯であったが、現在は四八○世帯にまで増えている。
 この驚異的な増加は、それだけ創価学会からの帰伏者が多かったことを物語るが、これについて講中役員は、
 「田舎の小さな講中がここまで成長できたのは、御住職・諏訪涼道御尊師のもとに、講中が異体同心し、日々たゆまぬ唱題行の実践と、地道ではありますが、毎月の講中あげての折伏活動、毎月の地区ごとに実施される宅御講、また機関誌『本玄寺だより』(現在二二七号)の発刊を通して御尊師の指導の徹底を図ってきた結果の現われでもある、と思います」
と述懐する。
 唱題行においては、諏訪御尊師自らが、平成十七年の元旦より「立正安国論正義顕揚七百五十年」に向けて一千万遍の唱題を決意され、日々実践されているが、それに続かんと、婦人部のTさんは、五百万遍唱題を決意。その結果、Tさんは御主人の病気をみごとに克服され、法統相続も叶えることができた。
 このTさんの体験を通しての呼び掛けにより、講中には、それぞれ明確な目標を持って唱題し、もって御恩にお応えしようとする機運が確実に高まってきた。

講中挙げて学会員を折伏

 唱題会は、新六万塔建立の年に当たる平成六年より、曜日ごとに担当地区を決め、毎日欠かすことなく実施し今日に至っている。また、毎週日曜日には、午前六時からの早朝勤行に集まり、その後、御書拝読をしている。さらに毎月の勉強会においては、信仰の基本を徹底して学んでいる。
対学会活動としては、講中挙げて月一回、折伏を実施。その日は、午前九時から十時まで諏訪御尊師の導師のもと、しっかりと唱題し、その後、三人を一グループとして班を編制し、折伏推進委員が作成した地図と資料を手にして各班ごとに活動へと出発する。
 農村部であるため自ずと範囲が広くなり、回れる件数には限りはあるが、午後にはそれぞれの班がお寺に戻り、報告をすることになっている。また午後からの空いた時間には、家庭訪問と各自の下種先への折伏活動の時間として活用している。
 このほかにも、婦人部の有志が月曜日から土曜日までの毎日、午前十一時から十二時まで唱題し、その後、折伏活動に回っている。
 創価学会問題が起こった当初は、学会の嫌がらせ部隊が、講頭の車を尾行したり、講中幹部の家の前で待ち伏せては、帰宅したところをつかまえて言い掛かりを付け、なかなか帰らない等、恐怖心を煽る行動を平気で行なっていた。
 時には、寺院の駐車場に停めてあった法華講員の車(二台)のワイパーが、何者かによってネジ曲げられる、という事件もあった。
 その頃は、とくに脱会者が多く出ていたため、学会も焦(あせ)っていたのであろう。
 そうしたなか、学会のある本部長は、自分の地区より脱会者が出たことから、法華講員宅に電話をし、「殺してやる」などと脅迫してきたが、その三ヶ月後に、本部長自身が交通事故で死んでしまった。
 そこまで端的でなくても、会内に罰の現証が蔓延しているせいであろうか、現在の創価学会には、ひと頃のような勢いは全くなくて、とくに美濃市内においては落ちぶれざまがひどく、組織も壊滅的な状態であると聞く。

不思議な形で折伏進む

本玄寺の法華講は、今年より新たな講頭が認証され、平成二十一年へ向かっての新体制が整った。出足の一月こそ遅れは取ったものの、一月十二日に静岡市妙盛寺で行なわれた大布教区僧俗指導会に参加したメンバーの一人、Mさんが発心し、二月に入って、長年の知人に対する折伏をみごとに成就させた。
 そのMさんは、講中の中でも折伏頭ともいうべき方で、昨年は三世帯の折伏を成就されており、今年も三世帯の折伏を目標に日々精進されている。このMさんについて、ある講中幹部は、
 「Mさんの素晴らしいところは、とにかく謙虚で、面倒見がよいこと、また細かい事によく気配りをされることです。そして何よりも、御住職様の言われることを素直に実践されていることです。講中一同、このMさんの姿を手本とし、これから先も折伏を進めていき、必ず、御命題である地涌倍増を達成していく決意です」
と語っている。
 また、二月には、新任の講頭自らが学会員を寺院に連れてきて、御住職に折伏を手伝っていただき、無事、帰伏させることができた。
 その日は、学会員に対する折伏活動の日だった。前日から激しい雨が降り続いていて、朝方は非常に肌寒かったが、唱題が始まる頃より雨がやみだし、活動に出かける頃には、二月半ばとは思えないような、暖かい春の日差しが差し始めた。
 実質、この日が、講中としては「行動の年」である今年初めての全体としての活動日であり、前日夜勤の副講頭も職場から直接お寺へ駆けつけるなど、皆の顔にはいつにまして真剣さが漲っていた。
 班の編制を終え、それぞれ各方面へと活動へ向かったのであるが、講頭と副講頭・副婦人部長が一緒の班になった。そして、六軒回る予定で出掛けたところ、一軒目に訪問した家で話をすることができ、その学会員を寺院に連れていくことができたのである。
 その方は、初めて会った人であったにも拘わらず、訪問した皆が一様に、最初から不思議な縁を感じたという。講頭は、
 「一見、いとも簡単に折伏ができたようですが、全ては御本尊様のお力添えであり、皆の心が一つになったことにより、法界が動いた結果だと思います。まさに、異体同心ならば万事を成ずの御金言に添った活動をすることができました」
と喜びを語る。
 三月には、婦人部のHさんが、通院先の病院で知り合った方を折伏し、入信に導くことができた。
 このHさんは、日頃から、婦人部有志で行なっている学会員を折伏する活動に参加している。活動を開始した当初は臆する気持ちが出てきたが、何軒か回っているうちにだんだんと勇気が涌いてきて、今では相手がどんな大幹部であろうと、物怖じすることなく、毎日のように折伏を実践しているという。
 今回Hさんが入信させた人は学会員ではないが、講中では「日頃の折伏活動の功徳で、諸天善神が新たな折伏対象者を連れてきてくれたのだ」と語り合っている。同じような現証は、昨年十二月にも起こり、講中として、じつに五世帯もの人が不思議な縁で折伏成就したのである。こうした現証を通じ、本玄寺の講員達は、
 「唱題をし、たゆまず折伏の実践をしていけば、必ず結果を出させていただけることを、あらためて教えていただいた」
と、「行動の年」の意義を深く心に刻んでいる。
 三月二日には布教区での信徒激励会が開催されたが、これに参加した講中幹部が話の内容を講員に訴え、三月度の折伏活動日には、前月の五〇パーセント増しの参加者が集った。こうしたところにも、折伏の気運の盛り上がりが象徴されているといえよう。
 さらに三月末には連合会総会、四月初めには地方部総会と、間髪入れぬ指導・激励に、講員の折伏に対する志気はいよいよ高まってきている。
 「本年は『行動の年』にふさわしい活動を展開し、必ずや、名実共に地涌倍増を果たすべく、邁進していく決意です」
と力強く語る本玄寺法華講である。