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2007年05月15日
国主気取りの池田大作に唖然
国賓さえ目下≠ニ見る池田大作の尊大
だが3%の支配≠ヘいずれ必ず崩壊!
四月十二日、来日した中国の温家宝首相が、東京都内のホテルで池田大作と会見したが、この時の池田の言動が物議を醸(かも)している。
池田は、温家宝首相に会うなり、開口一番、
「閣下、光栄です。嬉しいです、感謝してます、政治家だけでなくて、庶民の王者と会ってくださ…。庶民が大事ですよ」
と語り、右手で温首相と握手しながら、空いている方の左手で、温首相の二の腕あたりをポンポンと軽く叩いて、目下の者の労をねぎらう仕草をしたのだ。
これに驚いた人々が出たのは当然である。
まず池田の発言であるが、池田は、自分自身を指して「庶民の王者」だなどと言っている。
この点につき、発音が訛(なま)っていて「庶民の王者と会ってくださ…」の語尾が「ください」なのか「くださって」なのか聞き取りにくいため、創価学会サイドからは「池田は『庶民の王者と会ってください』と温首相に頼んだのであって、自分を指して『王者』と言ったわけではない」との弁明がなされているようだ。
だが、舌の回らない池田が、「会ってください」と発言していたとしても、べつに発言全体の意味が変わったりはしない。文脈上、池田が光栄で、嬉しくて、感謝しているのは、温首相が庶民の王者(すなわち池田自身)と会ってくれたことに対してだ、というのは、誰が聞いても見ても明らかだからである。
もし、そうでなくて、本当に池田が、自分以外の、誰だかわからない「庶民の王者と会ってください」と温首相に頼んだとしたら、この挨拶(あいさつ)は全くの意味不明、支離滅裂で、すでに池田は日本語能力すら失われている恐れがあるが、その心配は無用であろう。
何といっても池田大作は、かつて高瀬広居氏のインタビューに答えて、
「私は、日本の国主であり、大統領であり、精神界の王者であり、思想文化一切の指導者・最高権力者である」
と言い切り、また学会の幹部会の席上でも、
「広宣流布の時には、不開門が開きます。その時は、どういう儀式になるのか。(中略)一義には(不開門を開くのは)天皇という意味もありますが、再往は時の最高権力者であるとされています。すなわち、公明党がどんなに発展しようが、創価学会がどんなに発展しようが、時の法華講の総講頭であり、創価学会の会長がその先頭になることだけは仏法の方程式として言っておきます。(中略)言いたくないことでありますが、将来の、将来のために、私は言っておきます」(『聖教新聞』昭和四十年七月二十六日)
と宣言しているように、自分自身を、日本の国主・王者・最高権力者であると豪語して、恥じない人間なのである。
よって、中国を代表する温家宝首相に会見するにあたっては、池田は当然、我こそ日本国民を代表する王者≠ニの気概(?)をもって臨(のぞ)んだに違いない。これは、池田という男を知ってみれば、不思議でも何でもないことである。
次に、池田が温首相をポンポンとねぎらう仕草をしたことにつき、その、尊大ぶった態度に驚いた人々も多かったようだ。
だが、これとても、平成七年に国賓として来日した、南アフリカ共和国のネルソン・マンデラ大統領と会見した際、池田が大統領の頬(ほお)を撫(な)でて、子供にするように可愛がった(!)ことを知っている者にとっては、想定内の仕草であったといえよう。
このような、他に比肩(ひけん)する者のないほど尊大な池田大作が、自分以外の誰を「王者」と呼ぶというのか。
その発言内容を吟味しても、仕草を見ても、池田大作は、自ら事実上の日本国の国主を気取って、外国首脳と接しているのである。
こうした池田の姿を見て、日本が完全な創価王国と化してしまうことを恐れる向きもあろうが、しかし、そのような事は絶対に実現しない。
何故ならば、池田大作が権力基盤としているのは、政権与党入りした公明党と、これを支える創価学会組織である。
その公明党は、与党とはいえ、自民党・民主党の議席には遠く及ばぬ第三党で、それが連立という形で与党入りしているに過ぎぬし、また、創価学会についても、いくら金と票が集まる巨大組織であるとはいえ、その実質勢力は日本の全人口の三%程度である。
その、わずか三%が九七%を支配する、という構図は、巧みにキャスティングボートを握ることにより、一時的には実現可能であろう(現にそうなりつつある)が、大衆は愚に見えても賢である。そのような状態が永く維持できることなど絶対にありえない。
その分岐点となるのが、裸の王者・池田大作のXデーであろう、と見る向きもある。
いずれにせよ、正法を護持する我々は、権力者・池田大作率(ひき)いる創価学会の横暴・圧迫を恐れることなく、仏の未来記たる一天四海広布を確信して、唱題根本に大謗法の学会を折伏していくべきであろう。
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