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2007年05月15日
新・これが創価学会の正体だ 15
(6)改竄商人と揶揄される池田大作B
池田大作の改竄(かいざん)話を取り上げる以上は、あの有名な「入信神話」のウソにも触れておかなければなりません。
池田大作は、昭和五十年五月に発刊された『私の履歴書』に、次のように記しています。
「二回目の終戦記念日を迎えようとしていた蒸し暑い真夏のある夜である。小学校時代の友だちが訪ねてきて『生命哲学について』の会があるからこないかという。生命の内的自発性を強調したベルグソンの『生の哲学』のことかと、一瞬思って、尋(たず)ねてみたが『そうではない』という。私は興味を持った。約束の八月十四日、読書グループの二人の友人と連れ立って、その『生命哲学』なるものを聞きに向かった。」
「この日、この運命の師と会ったことが、私の生涯を方向づけることになったのであるが、その時は知るべくもなかった。ただ、初対面ながらも不思議に親しみの情がわき上がってくるのを禁じえなかった。講義と質問への応答が一段落すると、戸田先生は微笑しながら『幾つになったね』と尋ねられた。仁丹をかみ、たばこをふかしておられた。十九歳ということを耳にして、ご自身も故郷の北海道から東京へ初めて上京した時もそんな年ごろだったと懐かしげに語られる。
私は教えていただきたい、と質問をした。『正しい人生とは』『本当の愛国者とは』『天皇をどう考えるか』この三点であった。簡明直截(ちょくさい)な、しかも誠実な答えが返ってきた。少しの迷いもなく、理論をもてあそぶようなこともない。『これだ!』と思った。この人のいっていることは本当だ! 私は、この人なら信じられる、と思った。」
「私は、なにかしらうれしかった。その日、自分の所懐を即興の詩に託して誦(しょう)した。
旅人よ
いづこより来り
いづこへ往かんとするか
月はしずみぬ
日は いまだ昇らず
夜明け前の混沌(カオス) に
光 もとめて
われ進みゆく
心の暗雲をはらわんと
嵐に動かぬ大樹を求めて
われ 地より湧き出でん とするか」
「話を聞くと、この戸田先生という人物は、戦争中、あの無謀な戦争に反対し、軍部独裁の国家権力の弾圧にもかかわらず毅然(きぜん)として節を曲げずに、昭和十八年、治安維持法違反ならびに不敬罪で検挙され、投獄されながらも己の信念を貫き通したというではないか。これは決定的な要素であった。二年間の獄中生活に耐え、軍国主義思想と戦った人物には、信念に生きる人間の崇高さと輝きがある。極論すれば、当時の私にとっては『戦争に反対して獄に入ったか否か』ということが、その人間を信用するかしないかを判断する大きな尺度になっていたといっても過言ではない。」
ところがその池田は、かつては次のように述べていたのです。
「学校時代の友人に誘われて創価学会の本部へ行きました。その友だちは哲学のいい話があるがこないか、とさそったのです。私は友人と二人で行ったのですが、三、四十人もいたでしょうか。五時間くらいもそこで締(し)めあげられたのです。南無妙法蓮華経は嫌いだったので、ずいぶん反対したのですが、理論で破れて信仰しなければいけないということになってしまったのです。」
「前の信者さんたちが牢獄へいったということが気になりました。全部の宗教に反対するから必然的に弾圧される。その時はどうしようか、寝ても覚めても考え、やめるなら今のうちがよいと考えました。」(小口偉一編『宗教と信仰の心理学』〈昭和三十一年七月発行〉に載った池田大作発言)
「折伏されたのは、前の本部です。前の本部は会長先生が事業をなさっていらっしゃった二階の八畳と六畳の二間でした。(中略)そこで多くの広宣流布の人材が毎日会長先生の御講義を聞いたんです。私はそこで教学部長から折伏されたんですよ。」
「一応信仰したけれどずい分悩みました。『えらいことをやっちゃったな、一生、南無妙法蓮華経と唱えるのか、みんな気違いだと思うだろうなあ…』などと、ずい分苦しみました。」(『聖教新聞』昭和三十二年十月十八日付)
「ちょうど十五年前に、小平教学部長と、それから矢島尊師に連れられて、ちょうど日淳上人様の勤行ご導師をいただいて、たった三人だけの御授戒でした。それで私は、真ん中にすわらされてしまって、勤行がはじまったけれども、またひじょうに長い勤行で(笑い)、びっくりしてしまいました。それで、日淳上人より御本尊様をお下げ渡しいただくときに、もう足がしびれて、このまま一生信心するのでは、もうたまったものではない(笑い)と、もったいない話ではございますが、そのときは信心は結構でございますから、きょうは御本尊様はいただかないようにします≠ニ、そういうように申し上げたのです。その場所で。」(『聖教新聞』昭和三十七年二月二十日付)
いかがでしょうか。池田大作が「生」で語った、自分自身の入信当時の状況には、小平教学部長(当時)に折伏されたと、再三にわたって語っているのです。池田の入信に関わった人物の名前としては、「戸田先生」の「と」の字さえ出てきません。
しかも、「南無妙法蓮華経」がきらいで、御本尊下附を拒み、大幹部らが投獄されたことに恐れおののいて信心をやめようと思いつめていた池田大作――それが、いつの間にか戸田会長とは不思議な縁で結ばれていたことにしてしまい、「戦争に反対して獄に入ったか否か」を人を信用する基準にしていた、とまで平気で放言してしまうのですから、呆(あき)れて物が言えません。
そうそう、もう一つ言っておきますと、池田が戸田会長の前で詠(よ)んだ即興詩とやらですが、あれはどう見ても戸田会長の「青年訓」のパクリ≠ナあり、後からとってつけたものです。
なぜなら、当時の池田には、そんな文才はさらさらなかったことを証明する、動かぬ証拠があるからです。
次に挙(あ)げる詩は、池田大作がある女性に宛てた「ラブレター」の中に綴(つづ)った詩です。
「体で見たことをゆう。
体で見たことを書く。
体で見たことを行ふ。
目で見て見えるか?
耳で聞いて聞えるか?
体で讀んだものが本当 だ。
体で祈ったものは実現す る。
体で語ることは誰にも聞 える。
体で悟った真理だけが我 がものである。
爾(なんじ)の願いを高 めよ。
爾の願いを潔めよ。
爾の願いを深めよ。
爾の願いを廣めよ。
私欲を離れた願いならば 死ぬまで願いつずけよ。
諦めるから叶わぬ。
應答を信ぜよ。
正しき願いは実現する。」
憧(あこが)れの女性に送った手紙にしたためた詩ですから、おそらくは、推敲(すいこう)に推敲を重ねたものでしょう。
しかし、戸田会長と会ったその場で詠んだ即興詩に較べて、なんと稚拙(ちせつ)なことか。
「勲章お化け」とあだ名される改竄商人も、その化けの皮を剥(は)がしてみれば、どこにでもいる、小心者の見栄っ張りにしか過ぎないのです。