« 東京地裁が学会青年部上級幹部らを弾劾!悪質な違法ビラ配布で280万円の損害賠償命令 |
メイン
| 学会員のみなさんへC「F取りに功徳なんてありません」 »
2007年05月16日
「地涌倍増を目指して」 福岡県北九州市 法霑寺
闘う法華講≠ネらではの活気
「目標は必ず果たす」の信念で
法霑寺は、前身を八幡教会所といい、明治十九年、九州開導の師・妙寿日成貴尼(佐野広謙尊尼)の発願によって開設された寺院である。
異流義(堅樹派)から帰伏した妙寿日成貴尼は、第五十二世日霑上人の弟子となって、堅樹派の僧俗を次々に改宗せしめるとともに、さらなる折伏弘教を志して京都から九州に渡った。そして、信徒達と共に、福岡県遠賀郡水巻頃末町に八幡教会所を設立したのである。現在地の北九州市八幡東区帆柱町に移転されたのは大正七年のことである。
平成二年十二月には、現御住職・秋山日浄御尊能化が赴任され、当初から法華講員の育成に尽力されると共に、御尊能化自らが陣頭指揮に立って折伏を督励してこられた。それによって、法霑寺の法華講には創価学会からの入講者が後を絶たず、その陣容はいやましに拡大した。また、受け入れる側の法華講の態勢が盤石であったことから、学会からの入講者も、スムースに僧俗和合の信心を身に付けることができ、皆が嬉々として信心に励んでいるのである。
明確な方針のもとで異体同心
講中における毎月の指針は、役員会(「布教会本部会」)で企画して、「布教会」(毎月二十五日。役員および活動者の会合)で発表する。これによって、活動方針が明確にされ、その指針のもとに講中全体で活動をしていくのである。
特に折伏については、二月が「伝統の二月大折伏戦」、四月が「立宗会大折伏戦」、七月が「立正安国論大闘争」と銘打たれ、この三ヶ月の活動は折伏一本で、御住職の指揮のもとに折伏の布陣を敷き、各部隊長(在勤御僧侶と各部長)を中心に明確な目標を立てて、その数を必ず達成するように取り組んでいる。ちなみに、秋山御尊能化が御住職になられてからの十五年間は、毎年、年間の折伏目標を突破している。
副講頭の薙野伸一氏は、
「御尊能化よりは、『闘いで大事なのは、第一が、大将の一念と確信ある闘いであり、第二が、各大隊長(在勤者)・中隊長(正副部長)・小隊長(地区長)の異体同心と情熱・歓喜の闘いです』と御指導いただき、それに従い、折伏強化月間の時は、全地区一丸となって折伏に当たっています。具体的には、毎朝、秋山御尊能化の御導師で勤行唱題をし、終わってから御書を拝読して御指導を受け、その中で折伏の必要性や臨む姿勢を教わり、その後、部隊ごとに分かれて折伏に出て行きます。
期間中、寺院に連れてきた対象者については、御尊能化もしくは在勤御僧侶がいつでも折伏の手伝いをしてくださいます。時には、相手の仕事の関係で連れてくるのが深夜になる、ということもあるのですが、そういう時でも待っていてくださって、折伏が終わったら日付が変わっていた、なんていうこともしばしばです」
と、楽しそうに語る。
法華講員の折伏活動は、県内だけに止まらず、九州一円はもとより、大阪・東京にまで及び、中には北海道まで出向いて折伏を成し遂げた事例もある。
今年四月の折伏戦では、青年部が、「学会突撃訪問」と銘打ち、区内のある地域の団地をくまなく廻り、学会員を折伏した。その際、「日顕宗!」などと、憎悪をむき出しにして罵声を浴びせてくる学会婦人部に対しても、法華講員達は冷静に対応して、堂々と破折。そうした中で、帰伏する学会員も現われている。
このように、眼前の一凶たる創価学会への折伏には特に力を入れており、その一環として、講中では「池田教対策本部」を設置している。その主な目的・活動は、迷える学会員の救出、学会からの嫌がらせ対策、一般世間へ学会の悪の実態を知らしめる活動などである。
この活動について薙野氏は、
「毎月十日に対策座談会を設けていますが、その中で、池田教に対する折伏の在り方等を、質疑応答形式で御尊能化に教えていただき、その御指導の一つひとつが、学会対策の大きな武器になっています。
秋山御尊能化は常日頃から、『信心とは、観念観法ではなく、事行として現わすものでなければならない。身に実践し、体験・証明していくことが大事である』と言われ、どこまでも折伏を中心とした指導育成を進めておられるんですよ」
と、法霑寺の法華講員たる誇りと気概に満ちた表情で語る。
学会員のお粗末な行動
この法霑寺法華講の果敢な折伏戦に、学会は戦々恐々とし、時には怪しげなワゴン車が数台、寺院の周りに駐車し、車内から寺院に出入りする人を監視していることもあるという。
いささか旧聞に属する話だが、創価学会問題が勃発した当初の平成三年三月十三日、学会青年部が四、五百名、御講の時間に合わせて法霑寺に乗り込んできたことがある。この時の様子を、その現場にいた法華講員は、
「学会青年部らは、皆、黒い服に黒いネクタイの同じ格好で、後で乱闘事件になったとしても、誰と特定できないようにしていたのでしょう。皆、肩を怒らせ、参詣の信徒を威嚇(いかく)しながら、暴力団の殴り込みのような雰囲気でお寺に入ってきて、そのまま御講の席に座りました。
私達は、いったい、何が始まるのかと思っていたのですが、御住職はまったく意に介さないように御法話を始められました。学会員らは、秋山御尊能化の迫力ある御法話に、なかなかタイミングを掴めなかったようですが(笑)、途中で、一人が力なく手を挙げてヒョロッと立ち上がり、『質問…!』と切り出したのです。そして、例の『時の貫主と雖も…』の日興上人遺誡置文の一説を出して、猊下批判を始めました。それに対し、秋山御尊能化は泰然自若(たいぜんじじゃく)として、時には笑みを浮かべながら、学会員らの難癖(なんくせ)の全てを完膚無きまでに打ち砕かれたのです。
最後には、御住職が『もっと法論をしよう』と言われているのに、学会員らは『もう、けっこうです』と言う始末で、『来る所を間違った』と、来た時とは全く違う、まるで敗残兵のような格好でスゴスゴとお寺から出ていきました」
と、苦笑しながら述懐する。
当時はまだ、御講に参詣する学会員もいた時期であり、まじめな気持ちで参詣していた学会員達は、学会青年部の暴挙を目の当たりにし、「これが学会の真の姿!」と見切りを付けて、一気に脱会に踏み切ったそうである。
この時の苦い経験から現在の創価学会は、法霑寺法華講の折伏に恐れおののきながらも、表立っては手が出せず、地団駄(じだんだ)を踏んでいる、といったところだろうか。
悲惨な学会員の姿に身震い
この地でも、学会員の身に現われた仏罰の現証は枚挙にいとまがない。
大々的なニュースになったところでは、十年ほど前、福岡空港で飛行機が離陸に失敗し、死傷者が出る、という事故が発生した。亡くなった三人の中の一人は学会員で、本来、座るはずでなかった座席に移動したために、不運な結果になった、ということである。
その親を法霑寺の法華講員がよく折伏していたのだが、親は「私は池田先生と地獄に堕ちてもよい」と言っていたという。「もし、素直に話を聴いて脱会していれば、子供さんをこんな不幸な目に合わせずに済んだのに」と、折伏していた講員は大変残念がっている。
その半年ほど前には、女子中学生が、つき合っていた彼氏から路上で刺し殺される事件が起きた。その犯人はシンナー中毒者で、刺し方も表現できないほど残忍なものだったが、地元テレビのニュースでは、学会専門の葬儀社による学会葬の模様が映し出された。
また、学会を脱会して法華講員となったSさんの身近で起こった話だが、Sさんが学会をやめたその日、地元の学会幹部が家に押し掛けてきて、「なぜやめた」「地獄に堕ちるぞ」等と脅してきた。もちろん、Sさんは毅然として取り合わなかった。すると、その日の夜のこと、その押し掛けてきた幹部の家に、運転を誤ったダンプカーが突っ込んで、家がメチャメチャに壊れてしまったのである。それを見て、Sさんは「学会をやめたことは間違いじゃなかった」と確信した、という。
「闘う法華講たれ」の指導のもとで
全国布教師会会長でもある秋山御尊能化は、教区においても常に、
「各講中が、宗開両祖のもとに団結して謗法と闘った弘安の昔・熱原法華講≠フ原点に還り、正法護持のため、不自惜身命で闘う法華講∞活動する法華講支部≠ノならなければならない」
と指導されているが、法霑寺御住職としては、
「その先駆けの使命が、当支部にあるのだ」
と厳しく言われている。そして、特に講中幹部には、「饒舌(じょうぜつ)の徒になるな!」と、つまり、きれい事を言って満足するのではなく、自らが実践をして初めて価値があるのだ、と指導されている。
それを受け、上田宏講頭も、大講中を率いる身として御尊能化の御指導を常に身に体し、師弟相対の信心を前面に出して講中をまとめているが、その上田講頭は、
「平成二十一年を間近に控え、本年は、いよいよ内外の魔が強くなる年と心得て、御法主上人猊下よりの御命題を達成するべく、日々精進しています。掲げた目標については、御尊能化から、『絶対に途中で投げださず、最後まで成し遂げることが大事だ』と教えられてきました。こうした、厳しくも有り難い御指導のもと、今年もその闘いは続いています」
と力強く語っている。まさに闘う法華講≠ネらではの、力強さと結束力を随所に感じさせる講中――それが、法霑寺法華講である。