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2007年08月08日

外れた!! 浅井の人類絶滅≠フ大予言

「発足50周年」でお茶濁す浅井の正体
顕正会員よ、この真実を直視せよ

 公安もマークするカルト狂団・顕正会――。その顕正会にとって、今年は発足五十周年にあたり、この八月には長野県下で記念の幹部会を行なうという。
 ところが、本年が「発足五十周年」にあたる、というのは、じつは全くの「たばかり」。それどころか本年は、浅井昭衛の一世一代の予言≠ェ大ハズレに終わるという、きわめて重大な意義を持つ年であり、とてもではないが「五十周年」などと浮かれている場合ではないのだ!

独立教団℃u向する浅井の謀り
日蓮大聖人をも侮る呆れたA慢

 顕正会会長・浅井昭衛は、本年の「年頭の辞」(『顕正新聞』一月五日号)に、
 「本年八月、顕正会は発足五十周年を迎える。この五十年を振り返れば、まさに御遺命守護の御奉公を貫き通した五十年であった」
と記した。
 が、じつは、これは全くの「たばかり」である。顕正会では、もともとは本年を、「発足」ではなく「再建」五十周年と位置付けていたのである。
 「発足五十周年」とは、普通に読めば、「顕正会」という単独組織がスタートして「五十周年」だと思うだろう。
 しかし、実際には顕正会は、昭和十七年に日蓮正宗妙光寺に所属する法華講支部として、「妙信講」という名で認可を受け、発足した。
 以後、紆余曲折(うよきょくせつ)を経て、浅井らは、妙信講を昭和三十二年に再建した、と称する。そして、この昭和三十二年の自称「再建」から五十周年にあたるのが本年なのであるが、浅井は、いつのまにやら「再建」を「発足」に言い換(か)えてしまったのである。
 この「たばかり」を行なった理由は単純であろう。
 すなわち、「再建」と叫び続ければ、当然のことながら、それ以前について関心がいく。すると、必然的に、顕正会の前身は日蓮正宗の一講中「妙信講」であった、ということが浮き彫りにされるからである。
 この辺の浅井昭衛の心理は、今から二十五年前、「妙信講」を「顕正会」に改称した際の理由を見れば歴然としている。
 すなわち昭和五十七年十月九日、妙信講の第二十三回総会の席上、浅井昭衛は
 「妙信講は、日蓮正宗を代表して、一国に国立戒壇の正義を顕(あら)わす唯一の団体であれば、今、日蓮正宗顕正会と名乗ることが最もふさわしいと、私は深く考えておりますが、皆さんいかがでしょうか」
と述べて総会参加者に同意を求め、
 「では、本日ただ今から、日蓮正宗顕正会と名乗ることに決定いたします」
と宣言した。
 そして、その改称の理由を、浅井は、
 「今後、大聖人の仏法を広く大衆に広めるのに、『講』という名称は必ずしもふさわしいとはいえない。そのゆえは、世間一般の『講』というものに対するイメージは、『観音講』とか『伊勢講』とか『熊野講』とか、およそ古く閉鎖的で特殊な信仰集団、善男善女の集まりというような先入観がある。あるいはまた頼母子講(たのもしこう)とか無尽講(むじんこう)のごときものもある。少しでもこれらと同一視されることは迷惑であり、広宣流布の戦いを進める上に好ましくありません。
 さらに宗門の中を見渡せば、あるいは実修講・本因妙講・妙典講・妙観講、あるいは各寺院ごとに○○寺法華講等と、数百の小さな講中がある。妙信講という名称は、これらの中の一つ、多数の中の一つ、一支部名に過ぎません。
 しかし今や妙信講は法華講の中の一支部ではない。学会も宗門僧侶も国立戒壇を全く云えなくなった今日、対外的に日蓮大聖人の御精神を顕わし戦う団体は、妙信講以外にはない。この意味で、妙信講はまさに日蓮正宗を代表する立場であります」(『顕正新聞』昭和五十七年十月十五日号)
などと述べているのである。
 呆(あき)れさせられるではないか。いったい、「講という名称」が、「大聖人の仏法を広く大衆に広めるのに、ふさわしくない」「広宣流布の戦いを進める上に好ましくない」「迷惑」とは、どういう了見か!
 「法華講」とは、そもそも日蓮大聖人が名付けられた名称である。その証拠に、我々の信心の根幹をなす本門戒壇の大御本尊には、「弥四郎国重 法華講衆等」との願主名が認(したた)められているではないか。
 その、日蓮大聖人が定めたもうた誉(ほま)れある「法華講」の名を卑(いや)しんで、「今や妙信講は法華講の中の一支部ではない」などと言い、「講」という名乗りそのものを、古臭い∞迷惑≠ニいって自ら捨て去るとは、?慢(きょうまん)も甚(はなは)だしい。
 また、「妙信講という名称は、多数の法華講の中の一つ、一支部名に過ぎない」との言い種(ぐさ)からも、浅井が当時から、自分を頂点とする独立教団の立ち上げを目的としていたことが、ハッキリとわかるのである。
 その浅井が、今度はかつて述べてきた「再建」の語を「発足」に改ざんしてしまった。これは浅井が、法華講支部の一つとして許可され活動していた、妙信講の歴史を塗り替え、会員の記憶の中からも薄めようとしている表われ、といえるであろう。
要するに、浅井の中では、これまで以上に顕正会の独立教団化という意識が強くなっているのである。

決定的大予言を外した浅井昭衛
邪師たることは、もはや明白

 さて、顕正会にとって今年は、五十周年以上に、重要な意味のある年である。
 すなわち本年は、浅井が昭和五十七年の総会において
 「あと二十五年で広宣流布ができなければ、核戦争によって人類は絶滅する」(第二十三回総会・昭和五十七年十月九日)
と断言してから、まさに二十五年目(正確には、あと二ヶ月で二十五年)という運命の年にあたるのである。
 当時、浅井は、
 「もし今後二十五年に広宣流布が実現しなければ、核戦争により日本も世界も必ず滅亡する」(臨時班長会・昭和五十七年十月十五日)
 「いま顕正会は大聖人の御命令を感じ、あと二十五年で広宣流布が実現せねば日本も人類も亡(ほろ)ぶべしと、敢然と立ち上がっております」(男子部会・昭和五十八年四月十三日)
 「あと二十五年で広宣流布ができなければ、核戦争により日本も世界も破滅することは、一点の疑いもなきところであります」(『顕正新聞』昭和五十八年五月二十五日号)
等々と叫び続けてきた。
 だが二十五年後の現状はどうであろう。顕正会員は、昨年十一月の時点で公称百二十万人弱、実質的な会員数は、この四分の一に達するかどうかも怪しいところだろう。
 当然のことながら、とうてい「広宣流布」などと呼べる状況ではないが、日本も人類も亡んでいないではないか。それとも浅井は、あと二ヶ月で全人類を亡ぼすような核戦争が起こる、とでもいうのか?
 日蓮大聖人は
 「時に当たりて我が為国の為大事なる事を、少しも勘(かんが)へたが(違)へざるが智者にては候なり」(『蒙古使御書』御書九〇九頁)
と仰せられ、国のために重大な予言をなして、それが外れないことをもって「智者」というのだ、と示されている。
 この御金言に照らして、浅井が「智者」などでないことは明らかである。
 浅井よ、「国の為大事なること」全人類にとって大事な予言を大外ししたことにつき、いったい、どう釈明するのか!? 汝(なんじ)に宗教者としての節操があるのなら、頬被(ほおかむ)りを決め込むことなく、しかと答えよ!
 いずれにせよ、浅井の言い訳に拘(かか)わらず、日本と全人類を滅亡させるような核戦争は未(いま)だ起きていないし、間近に起こる兆候もないことは「一点の疑いもなきところ」である。
 さて日蓮大聖人は、
 「設ひ日蓮富楼那(ふるな)の弁を得て目連の通(つう)を現ずとも、勘(かんが)ふる所当たらずんば誰か之を信ぜん」(『顕立正意抄』御書七五〇頁)
と仰せである。
 浅井が、信ずるに足らぬ虚言の輩(やから)、「智者」のフリをした邪師であることは、すでに現証の上からはっきりしたが、それでも浅井に付き従う者は、浅井と共に地獄に堕(だ)すことになる。顕正会員は真実を直視し、邪師を捨てて正法たる日蓮正宗に帰伏すべきである。