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2007年08月31日

浅井昭衛の誑惑の予言に止めを刺す! 見切りつけぬ顕正会員は世を惑わす大悪人

世界大戦・大飢饉・世界恐慌・首都大地震…
40年前に並べ立てた予言は全く実現せず!


 前号では、顕正会会長・浅井昭衛の「核戦争」予言が見事に外(はず)れたことを指摘した。
 だが、浅井が予言したのは核戦争だけではない。第三次世界大戦・世界的飢饉(ききん)・経済恐慌・ソ連(当時)や中国の日本侵攻・首都圏を襲(おそ)う巨大地震等々――数え上げたらキリがないほどの「破局」を予言し続けてきているのである。
 そこで今号では、浅井の大予言≠フ「謀(たばか)り」を暴き、顕正会員に、仏法の正しい道理に則(のっと)った判断を示そう。


昭和40年代初めから言い続けた大予言
今も相変わらず「大闘諍・大地震」と

 浅井昭衛は、昭和四十年代には次のように予言していた。

 「第三次世界大戦の序幕はすでにはじまっている」
    (昭和四十二年)
 「恐るべき自他の二難は刻々と近づき」(昭和四十四年)
 「全世界に暗雲たち込め、まさに前代未聞の大闘諍(だいとうじょう)の兆(きざ)しすら見ゆる」(昭和四十五年)
 「天はすでに警鐘を乱打」
    (昭和四十六年)
 「世界的飢饉をも招かんとしております」(昭和四十七年)
 「次には飢渇(けかち)が来る、日本の経済は必ず崩壊する」(昭和四十八年)
 「次に迫り来る恐るべきものは飢饉であること間違いない。来てはならないと思うが数年以内には起こらんとしている。早ければ来年にも始まる」(昭和四十九年)
 「大飢饉、早ければ来年から、遅くとも七十年代のうちには世界的な規模で、ことに日本において強く現われる」(昭和四十九年)
 「八十年代こそ恐らくは世界大動乱の時代となる」
    (昭和四十九年)

 だが、昭和四十二年に序幕が始まっているはずの第三次世界大戦も、前代未聞の大闘諍も、まったく実現することなく、また数年以内に必ず起きるはずの日本乃至世界の大飢饉も、日本経済の崩壊も、世界大動乱も、何一つ実現しなかったのである。
 だが浅井は、これに懲(こ)りることなく、昭和五十年代から六十年代にかけて、次のような予言を連発する。

 「ソ連は極東での米国への緩衝(かんしょう)地帯として、朝鮮半島と日本列島を狙(ねら)い、なかんずく日本の北海道を当面の目標においていることは疑いなきところ」(昭和五十五年)
 「八十年代は『破局の年代』であります」(昭和五十五年)
 「前々から云うように、八十年代に破局は必ずまいります。破局は一つには天変地夭(てんぺんちよう)による破局。これは大地震であり、異常気象です。もう一つには戦乱による破局であります」(昭和五十五年)
 「まず第一の経済崩壊でありますが、(中略)このままいけば、あと数年で、国家機能そのものが麻痺(まひ)するといわれております。(中略)
 大きな嵐が、いままさに巻き起こらんとしております。すなわち国際金融危機、そして世界大恐慌の嵐であります。(中略)
 世界はたちまち大恐慌に陥(おちい)る。不気味な地鳴りはすでに大きく聞こえております。(中略)
 次に食糧危機でありますが、(中略)日本が食糧危機に襲われるのは、時間の問題と云わざるを得ません。(中略)
 破局の第三は、最も恐るべき世界動乱であります。(中略)いま事の広布の前夜には、ソ連という修羅(しゅら)の大国が全世界に脅威を与え、第三次世界大戦がまさに起こらんとしていることは、御金言の寸分も違わざることに驚きを感ずるものであります。(中略)
 大地震こそ破局の序曲であり、号鐘であります。
 すでにある気象学者は、来年の九月に関東大地震が起こると、年月まで特定して警告しております。これが当たるかどうかは知らない。しかし、仏法の上から考えて、『当らずといえども遠からず』と私は思っております。(中略)すでに昭和六十一年に大彗星(※ハレー彗星)が出現することは確定しておりますが、されば大地震また遠からずと、思わざるを得ないのであります。
 そしてこの大地震を号鐘として、それより日本は破局の坂道をころげ落ちて行く」(昭和五十七年)
 「いまや日本列島はソ連の潜水艦・爆撃機・核基地に取り囲まれ、完全にその勢力権下にあるという状態になっております。(中略) 日本の破局の幕開け・号鐘となるべき巨大地震も、確実に近づいているごとくであります。されば破局が早いか、日本の広宣流布が早いか」(昭和六十一年)

 しかし、日本に他国侵逼(たこくしんぴつ)難をもたらし、全世界を大闘諍に巻き込む「修羅の大国」であると名指しされたソビエト連邦は、御承知のように経済的行き詰まりと民主化の波に飲み込まれて崩壊してしまったし、八十年代(平成二年まで)に必ず起こるとされた「破局の号鐘」首都圏大地震も、はたまた時間の問題であるとされた日本の食糧危機も、世界大恐慌も、結局は起きなかったのであった。
 しかるに浅井は、前号で紹介したごとく、二十五年後(※平成十九年の本年)までに顕正会による広宣流布ができなければ、全人類は核戦争で絶滅する≠ニの妄想のもと、平成に入ってからも、次のような予言を繰り返していく。

 「日本にとって重大な脅威は、中国の軍拡である。中国は『二十年後の主要敵は日本』と決め、それに基いて核戦力の強化を進めている」(平成六年)
 「小田原地震、おそらく今年、これはもう間違いないでしょう。(中略)私はそれを知るゆえに、昨年十二月から心を休めたことがない」(平成十年)
 「首都圏をゆるがす大地震ののち、自界叛逆(じかいほんぎゃく)・他国侵逼は必ず事相になると。このことを、私は大聖人の御心を拝し奉り、敢(あ)えて云い切らせて頂いた」(平成十二年)

 日本に攻めてくるはずの「ソ連」は、いつのまにか「中国」に変わって、相変わらず日本を主要敵として狙い、平成十年には小田原地震が間違いなく起こる、という浅井の無節操な予言は、案の定、今の今まで実現していない。

御金言に照らせばすでに決着
浅井の予言が終わったことは明らか

 それにしても、ここに挙(あ)げた予言だけを見ても、いったい日本はこれまでに何回、世界大動乱に巻き込まれ、飢饉に襲われ、経済が破綻(はたん)し、首都圏巨大地震に見舞われ、修羅の大国から核を撃ち込まれなければならなかったことか――。あまりの馬鹿馬鹿しさに、開いた口が塞(ふさ)がらない。
 だが、浅井はいっこうに自らを恥じることなく、今に至るも、やれ中国・北朝鮮が攻めてくる≠セの首都圏大地震は間違いなく起こる≠セのと叫び続けているのだ。
 それはなぜか、といえば、大地震や戦争を口にし続けていれば、やがて、それが起こった時に、予言が当たった≠ニ主張できるからである。
 そもそも、戦争については、第二次世界大戦が終わって、すでに六十年以上が経つ。
 鎖国が解けた以降の日本の近代史を見てみると、明治十年の西南戦争(※内乱)、同二十七年に始まった日清戦争、同三十七年に始まった日露戦争、大正三年に始まった第一次世界大戦、昭和六年に始まった満州事変、そして、昭和十二年の慮溝橋(ろこうきょう)事件に端を発した日中戦争と、それに続く第二次世界大戦――、つまり、日本の歴史は、軍事紛争に関わらずに二十年以上過ぎたことがないのである。
 いわんや、今日のように、戦争のない状況が六十年以上も続いた、などということは、ある意味とても考えられないことであって、このような状況下で、日本が軍事紛争に巻き込まれる、との予言≠常に口にしていれば、いつかは当たる℃桙ェきても不思議ではない。
 また、浅井が、戦乱・破局の号鐘であると言い続ける、首都圏大地震についても同じである。
 安政の東海地震からすでに百五十年以上、関東大震災からも八十四年と、周期的に起こる大地震が久しく起きていない東海地域・関東地域では、いつ大地震が起きても不思議でない状況にある、というのは、地震学者の一致した意見である。そして、日本政府もすでに、昭和四十六年五月に「大規模地震対策特別措置法」を制定し、地震に対する注意を喚起し続けてきた。
 ゆえに、浅井が「間もなく起こる」「今年は間違いない」等と期限を延ばしながら首都圏大地震を予言≠オ続けていれば、これまた、いずれは当たる≠フである。
 だが、はたして、このような形で起こった災難を予言が的中した≠ネどと、いえるのだろうか。
 日蓮大聖人は、真言宗の弘法(空海)の祈雨を指して
 「弘法は三七日すぎて雨をふらしたり。此等は雨ふらさぬがごとし。三七二十一日にふらぬ雨やあるべき。設ひふ(降)りたりともなんの不思議かあるべき」(『種々御振舞御書』御書一〇六九頁)
と仰せである。
 すなわち、祈雨というのは「雨を降らせる」と予言≠オておいて祈るものであるが、祈り始めて、七日が過ぎ、二七日(十四日間)が過ぎ、三七日(二十一日間)が過ぎて、ようやく雨が降ったとしても、それは予言が当たった≠ニか祈雨が通じた≠ネどとは言えない、不思議でも何でもない現象である、と喝破(かっぱ)されているのである。
 この御金言からすれば、浅井の予言≠焉Aすでに真言宗の弘法と同一轍(どういつてつ)に陥っていることは明白であろう。
 すなわち、すでに昭和四十二年以来、四十年以上も、「まもなく」「今年こそ」「数年以内には」等々と世界大動乱・世界的飢饉・経済恐慌・首都圏巨大地震を予言し続けていながら、いまだに何一つ実現していない以上、これから先の将来にこれらの災難が起こったとしても(事実、起きるであろうが)、それは浅井の予言とは全く無関係、「何の不思議かあるべき」というべきである。
 ことに、ハッキリと年月を切って断言した核戦争による人類絶滅≠フ大予言が、本年、見事に外れたからには、もはや浅井の予言は全て外れたのであると、見切りをつけるべきが当然であろう。
 いや、むしろ、その見切りをつけないことは、いたずらに世の中の人心を惑(まど)わす悪業に加担することになる。顕正会員は、前の日蓮大聖人の御金言をよくよく拝し、仏法の道理に則って誑惑(おうわく)の邪師・浅井昭衛を捨てるべきである。