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2007年10月17日

ついに発覚!!浅井昭衛よ、お前もか! 学会に続き顕正会もニセ本尊だった

本宗に存在しない大幅形木本尊や形木導師本尊
勝手な本尊作成は堕地獄必定の大謗法

 顕正会の会館に安置された、日布上人書写と称する形木本尊は、御法主上人の允可(いんか)も御開眼もない、拝すれば堕地獄必定のニセ本尊だった! しかもその驚くべき事実は、顕正会会長・浅井昭衛自身の発言により裏付けられたのだ。
 顕正会員よ、拝めば堕地獄必定のニセ本尊と訣別(けつべつ)し、一刻も早く正法正師のもとに帰伏すべし!

浅井昭衛が語った本尊入手の真相
やはり無允可・無開眼のニセ本尊!

 顕正会会長・浅井昭衛がついに、顕正会の会館に安置する本尊の正体を自白≠オた。
 去る九月二十六日に行なわれた顕正会九月度総幹部会において、顕正会の会館に安置されている「大幅の日布上人の御形木御本尊」とやらが、無允可・無開眼のニセ本尊であることを明かし、他に「導師曼荼羅(まんだら)の御形木御本尊」なるニセ本尊を六幅所持していることを明かしたのである。
 『顕正新聞』(平成十九年十月五日号)によれば、この日の浅井は、いつもと同じように、安倍政権崩壊や学会の選挙惨敗の話に続き、日蓮正宗に対する誹謗を展開。その中で、顕正会(当時は妙信講)を擁護(ようご)した松本日仁・元住職が擯斥(ひんせき)処分となったことについて日蓮正宗を非難しつつ、松本元住職がいかに顕正会を庇(かば)い、様々な配慮をしてくれたかを語った。
 そして浅井は、
 「松本尊能化が、顕正会の解散処分以来、もっとも心配して下さったのが、御本尊下附のことでした。
 『浅井さん、御本尊がなくては広宣流布を進めるのに困るでしょう』ということを何度も言われ、妙縁寺所蔵の歴代先師上人の直筆御本尊七幅を、私に託して下さった。」
 「(松本元住職は)御形木御本尊の下附についても心配して下さった。
 しかし私はこの時すでに、遙拝(ようはい)勤行で広宣流布を進める決意をしていた。
 だが入信勤行を行う自宅拠点と地方会館には、どうしても御本尊をご安置しなければいけない。そこで私はあえて、日寛上人と日布上人の御形木御本尊を授与して下さるようお願い申し上げたのです。」
 「私は、将来の大規模な広宣流布の戦いに備えて、地方会館に安置し奉る大幅の日布上人の御形木御本尊と、自宅拠点に掛け奉るべき日寛上人の御形木御本尊を、松本尊能化にぜひ用意してくださるよう、あえて願い出て、これを授与していただいたのであります。
 このときさらに松本尊能化は、『葬儀のときに困るでしょう』とおっしゃって、日布上人御書写の『大日蓮華山大石寺』の脇書がある導師曼荼羅の御形木御本尊まで、六幅授与して下さったのであります」などと、顕正会が所持する本尊について語ったのである。
 すなわち浅井は、顕正会が、かつて妙縁寺に所蔵されていた御歴代上人御書写の七幅の御本尊の他に、今後建設を進めていく会館に安置するのに必要かつ充分な数の「大幅の日布上人の御形木御本尊」、そして、「日寛上人の御形木御本尊」多数、さらに「日布上人御書写の『大日蓮華山大石寺』の脇書がある導師曼荼羅の御形木御本尊」六幅を所持していることを明かしたのだ。
 しかるに、今回浅井が明かした松本元住職とのやりとりの内容などからして、顕正会で礼拝している本尊の多くが、御法主上人による開眼も允可も受けていない、学会のニセ本尊と同類の、勝手に作ったニセ本尊であると断言する。
 それは次の理由による。
 まずは、浅井が松本元住職に対し、「大幅の日布上人の御形木御本尊」と、「自宅拠点に賭け奉るべき日寛上人の御形木御本尊」を、松本元住職に「ぜひ用意してくださるよう」願い出た、と述べていること。
 そもそも、顕正会に解散処分が下った後、宗門が松本元住職に対し、顕正会に下附した御本尊の回収を命じていることを、浅井自身、今回の発言の中で語っている。そんな状況下で、顕正会のための新たな御形木御本尊を日蓮正宗宗門が御下附されるはずがない。
 つまり、浅井が松本元住職に願い出て「用意して」いただいた「地方会館に安置し奉る大幅の日布上人の御形木御本尊と、自宅拠点に賭け奉るべき日寛上人の御形木御本尊」は、日蓮正宗の允可がないまま、勝手に作ったニセ本尊なのである。
 さらにいえば、「葬儀のとき」のために授与されたという「日布上人御書写の『大日蓮華山大石寺』の脇書がある導師曼荼羅の御形木御本尊」六幅についても、本来、導師曼荼羅を(それも、わずか六幅)御型木にして印刷する、などということは、本宗においてありえない。
 これまた、勝手に作ったニセ本尊であることは明らかである。

虚言弄してニセ本尊正当化謀る浅井
その論調は学会の論調と全く同一!!

 狡猾にも浅井は、こう指摘されることを予想して、次のような虚言(きょげん)で会員を煙に巻き、顕正会のニセ本尊を正当化しようと画策している。
 「実は御形木御本尊の下附は、昭和二十九年までは宗門で統一することなく、各末寺において、それぞれ縁の深い貫首上人の御形木御本尊を授与していたのです。これが宗門のしきたりであった。
 その例を挙げれば、東京の末寺においては、品川の妙光寺が五十五世・日布上人の御形木御本尊、池袋の法道院が五十六世・日応上人、同じく池袋の常在寺は五十七世・日正上人、そして白山の白蓮院では六十世・日開上人という具合で、それぞれの末寺で有縁の貫首上人の御形木御本尊を授与していた。これは各末寺に許された権限であり、古来からのしきたりであったのです。」
 「ここに私は思う――。
 細井日達・阿部日顕の両管長は、御遺命を破壊せんとした。これは大聖人様に背(そむ)く師敵対である。そのうえ諫(いさ)める顕正会を抹殺せんとし、松本能化の首をも切った。また阿部日顕に至っては御相承も受けていない、『河辺メモ』に見るごとく大謗法の悪言も吐いている、身延の坊主を大石寺に招く謗法与同もしている。
 このように大聖人に背いた二人の貫首に、はたして書写し奉る資格があるのだろうか。
 しかるに顕正会は、これら二代の貫首の本尊に縁することなく、いま清らかに、ご高徳の日寛上人・日布上人の御本尊を心ゆくまで会館において自宅拠点において拝めること、また全員が戒壇の大御本尊を遙拝申し上げて大功徳を頂いていること、何と有難いことかと、しみじみ私は思っております。」
 御形木御本尊の印刷や下附は、末寺の住職が許可すればそれでよい∞日達上人や日顕上人には、御本尊を云々する資格はない=\―これはまさに、近年の創価学会において、脱落僧が占拠する浄圓寺所蔵の日寛上人書写の御本尊を元に、勝手に印刷して販売する際に、自らを正当化した理由付けと全く同一ではないか。本来は犬猿の仲であるはずの顕正会と創価学会が、全く同じように異流義化、謗法化を顕著にしていく姿は、何とも滑稽(こっけい)であり哀れでもある。
 それはさておき、浅井に誑(たぶら)かされて堕地獄の道を歩んでいる顕正会員の目を醒(さ)ますため、浅井の言い訳を破しておこう。
 まず、日蓮大聖人は、『本因妙抄』に
 「此の血脈並に本尊の大事は、日蓮嫡嫡座主伝法の書、塔中相承の稟承(ぼんじょう)・唯授一人の血脈なり」(御書一六八四頁)
と仰せであるが、御本尊の御事はすべて唯授一人の御法主の掌中(しょうちゅう)にあるのであって、他の誰人であれ、時の御法主上人を離れて、勝手に御本尊を作ったり授与したりすることなど、絶対に許されないのである。
 ゆえに、五十九世堀日亨上人も、『化儀抄註解』に
 「曼荼羅書写・本尊授与の事は、宗門第一尊厳の化儀なり。(略)ゆえに宗祖は濫(みだ)りに曼荼羅を授与したまわず、開山は曼荼羅転授についてもこれを丁重になしたまい、尊師は宗門未有の弘通者なれども自ら曼荼羅を書写せず。しかるに余門流の僧侶、不相伝のまま猥(みだ)りに曼荼羅を書き散らして、僭越の逆罪とも思わざるのみならず、雑乱滅裂、全き型式をだに得たるものなし。無法・無慙(むざん)の甚だしきもの、八大地獄は彼れ等のために門を開けり。慎まざるべけんや」
(富要集一巻一一二頁)
と仰せられ、御本尊の御事は、書写のみならず授与についても、本宗の第一尊厳の化儀であり、これを相伝なく濫りに行なう者は、僭越な謗法者にして堕地獄必定である、と断ぜられている。
 浅井は、こうした御金言や御歴代の御指南を無視して昭和二十九年以前は≠ネどと嘯(うそぶ)くが、実際にはその当時も、御本尊に関する一切の権能は御法主上人ただ御一人にあったのである。
 その動かぬ証拠を次に示そう。
「院第二四六号
昭和二十九年四月十六日
宗務院庶務部長 細井精道
宗内寺院教会殿

今回宗内に御守本尊と称して『日蓮大聖人御真筆』と脚注せる弘安四年三月の御本尊を写真版にしたるものが配布されていることを発見した。
右は総本山で下附したるものでなく、又法主上人の御允可ありしものでもない。依(よっ)て本宗の本尊として取扱うべきではない。故に現在所持せる者は最寄の寺院教会に納入せられるよう御取り計らい方を依頼する。
『注意』
若し今後かゝるものを信徒に本尊として授与することが発見せられた時は、事本尊に関することであるから『信仰の改変を企つもの』と見なされるであろう。」
 いかがであろうか。昭和二十九年当時においても、御本尊に関する一切の権能は御法主上人にあったことが明白ではないか。
 しかれば、御法主上人の允可もなく勝手に印刷された顕正会所持の本尊は、大謗法のニセ本尊であることがわかろう。
 また、開眼供養について、大聖人は『木絵二像開眼供養之事』に
 「法華を心得たる人、木絵二像を開眼供養せざれば、家に主(あるじ)なきに盗人(ぬすびと)が入り、人の死するに其の身に鬼神入るが如し。(中略)法華を悟れる智者、死骨(しこつ)を供養せば生身即法身なり」(御書六三八頁)
と仰せであるが、この御金言によれば、「法華を悟れる智者」の開眼供養によって、はじめて草木の曼荼羅も仏の御生命と顕われることが明らかである。
 では、「法華を悟れる智者」とは、どなたの御事かといえば、第三十一世日因上人の御教示には、
 「木絵の二像は本(もと)草木にてあり。しかるを生身の妙覚の仏と開眼したもうことは、大事至極の秘曲なり。日蓮聖人乃至日因に至るまで三十一代、累(るい)も乱れず相伝これなり」
とあって、大聖人はもとより、大聖人の悟りを相承される御歴代上人こそが、その御方に当たるのである。
 この大事なる御法主上人による開眼供養のないニセ本尊――しかも、擯斥僧と俗人が共謀して勝手に作っただけでなく、浅井が、日達上人・日顕上人を貶(おとし)めることで正当化を図ったニセ本尊は、むしろ「その身に鬼神入る」札となって、拝む者を地獄へと誘(いざな)う堕獄魔神の働きをなすことは必定であろう。
 顕正会員よ、浅井の謀(たばか)りに惑わされることなく、一刻も早く正法に帰伏し、真正御本尊の真の功徳に浴すべきである。
(慧妙・第355号より)