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2007年11月19日

『新報』無慙極まる事実改竄

事実を歪曲し池田センセーは被害者≠ニ
一方で宗門の正直さにつけ込んで誹謗三昧

 十月十七日付『創価新報』は、「ニューパワー講座仏教ルネッサンスの系譜 創価の正義と日顕宗滅亡の軌跡」との記事を掲載し、その中で平成二年以降の学会問題について、事実を歪曲(わいきょく)し学会に都合の良いように整理している。
 まず、平成二年の池田大作の総講頭罷免(ひめん)は宗門の暴挙である、と非難する。
 しかし、正確には「罷免」ではく、宗規改正による「資格喪失」である。その資格を喪失したのは、池田大作のみに止まらず、学会と法華講すべての大講頭達も資格を喪失した。
 罷免というのは、職務などをやめさせることだが、これは一方的に宗門が池田を罷免したものではなく、あくまでも宗規改正したことによる結果として、総講頭および大講頭全員の地位や立場が喪失したものである。
 ことさらに「罷免」を強調することで、あたかも宗門が一刀両断に池田の総講頭職を罷免したかのように誤解させる報道となっている。
 さらに、記事では「年が明けた一月二日、例年どおり大石寺に向かった会長ら学会首脳は、日顕側の真意をただすべく面会を求めました。ところが、日顕は『お目通りかなわぬ身である』などといって、対話すら拒絶したのです」という。
 しかし、記事にいう会長とは秋谷栄之助のことであり、前年の十一月十六日に御法主上人や宗門を誹謗(ひぼう)するスピーチをなした池田大作本人ではない。
 しかも「日顕(上人)側の真意をただすべく」とは聞いて呆(あき)れる。池田らは、宗門からの池田スピーチに対する「お尋ね」についても、まともに答えることもなければ、何の謝罪もなかった。自らの非を頬被(ほおかむ)りし、池田大作の総講頭資格喪失の理由をただすためにお目通りを願うなど、本末転倒も甚(はなは)だしい、手前勝手な話である。
 さらに、問題発言をした池田大作が自ら登山しお目通りを願うなら道理もあるが、何の関係もない秋谷栄之助ら首脳が何人首をそろえたところで、筋の通る話ではない。
 現在、食品偽装問題が次々と明らかになり、そのたび謝罪会見が行なわれるが、問題を起こした張本人の社長が逃げ回り、その部下が記者会見している場面が多く見られる。責任ある立場にない者がいくら発言しても、会社としての正式な釈明とか深く反省する姿からはかけ離れており、問題の解決にならない。
 いわんや池田大作は、当時、総講頭という日蓮正宗全信徒を代表する立場にありながら、大勢の会員達に向かって御法主上人や宗門を誹謗するなど、前代未聞の大事件を起こした張本人である。その張本人から何の釈明も謝罪もなく、その後、筆舌に尽くせぬ罵詈雑言(ばりぞうごん)を浴びせられ、おびただしい件数の訴訟を提起されたのである。何が「ルネッサンス」何が「創価の正義」か。
 さらに記事は、「これが坊主たちの感覚だったのです。出家が上で信徒は下。封建時代の殿様みたいな気分で、在家の民衆を見下していたわけです」などと述べているが、池田自身、前々から「学会が上で宗門は下」とする本音を述べ、実際に宗門を支配下に置こうとして失敗するや、宗門・御法主上人へのあらん限りの誹謗・中傷をしてきた学会が、何たる言いぐさかと、今更ながら呆れるばかりである。
 さらに記事は、続けて「在家の信徒を心から讃(たた)えて真心を尽くされた日蓮大聖人の精神とは、似ても似つかない邪教の姿ですね」等と、厚顔無恥の姿を露呈(ろてい)している。
 大聖人が心から讃えられた在家の人々とは、大聖人や大聖人のお弟子方を大切にされ、僧俗のけじめをきちんと持たれていた檀越である。血脈否定、三宝破壊、在家偏重(へんちょう)、化儀改変をなす創価学会など、けっして大聖人から讃えられることなどありえない、と知るべきである。
 次に記事は「池田先生のスピーチについても、問題とした部分の自分たちの反訳に誤りがあることを認めざるを得なくなりました。つまり、罷免する理由そのものが早々と総崩れしてしまったのです」と嘯(うそぶ)く。
 十一月十六日の池田のスピーチを聞いて、疑問を感じた会員から何本かのテープが届き、これを宗門において反訳したが、一部聞き取りにくい箇所(池田のなまり言葉がひどくて)等について反訳の誤りがあったので、宗門としてこれを訂正した。しかし、御法主上人や宗門僧侶に対する誹謗・中傷の核心部分については、何ら変わりがなかったのである。
 そこで、宗門としては、そんなに学会が「違う」というのであれば、そのスピーチのオリジナル録音テープを提出するよう学会側に求めたが、届けられることはなかった。
 このように宗門は、学会からの非難を想定しつつも、誤りは誤りであるとして正直に反訳のミスを訂正した。しかし、それでも、池田スピーチの問題点に変わりはなかったのである。
 この一連の過程を見ても、学会というところは、自らに都合の悪いものは絶対に出さないという不正直な団体であることが、よくわかるであろう。そのような体質を持つ邪教創価学会が、いかに美辞麗句(びじれいく)を並べて世間に迎合しようとも、いつまでも民衆をだまし続けることはできないのである。
 正直の上に成り立つ仏法こそ日蓮大聖人の正義である。
(慧妙357号より)