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2008年02月08日

誰にでもわかる顕正会の誤り 会長・浅井昭衛の自語相違を糾す

暴行・監禁・脅迫で逮捕者続出の顕正会
その因は顕正会の教義の誤りにある!


 いまや日本の代表的「カルト教団」として、公安からもマークされている顕正会(元・妙信講)は、強引な勧誘(暴行・監禁・脅迫等)が原因で毎年のように逮捕者を出し続けているが、本当に正しい宗教であれば、これほど数多(あまた)の事件が続発するわけがない。これは、やはり顕正会の教義に重大な誤りがあるため、と考えるべきが当然であろう。

全国的に続発する顕正会の事件
「謀略」の一言では済まない異常さ

 顕正会員による悪質な入会強要が、またまた社会を騒がせている。
 去る一月十七日、新潟県警は、宗教法人「顕正会」の会員が、新潟市の男性に対し入会勧誘をする際、自動車の車内に監禁したり暴力をふるうなどして入会を強要したとして、逮捕監禁・強要・傷害の容疑で顕正会男子部隊長ら二名を逮捕し、同日、さいたま市の同会本部と新潟市中央区の同会「新潟会館」など関係先七カ所を、百人態勢で家宅捜索した。
 顕正会の強引な勧誘に関しては、新潟県だけでも、平成十六年には百十件、平成十七年には九十九件、平成十八年には百三件の被害相談が県警に寄せられていたといい、また昨年も、神奈川や群馬で強引な勧誘によって会員が逮捕されるなど、全国的に被害が拡大している。
 この事実を見ただけで、顕正会が日蓮大聖人の仏法を体現していない、誤れる宗教たることが明らかであるといえよう。
 顕正会では、これら顕正会員による事件を「創価学会による謀略(ぼうりゃく)だ」と言って済ませようとしているが、一件や二件の逮捕や報道を不当である≠ニいうなら、いざ知らず、この全国的規模で拡がりつつある夥(おびただ)しい事件を謀略≠フ一言で済ませられないことは、言うまでもない。
 いったい、なぜ顕正会は、このようなカルト教団になってしまったのか――それは、ひとえに同会の教義に重大な誤りがあるからである。
 そのことは、顕正会会長・浅井昭衛の説くところが自語相違だらけであることからも明瞭である。
 以下にそれを検証してみる。

当初は正本堂建立に賛同していた浅井
宗門に背いた真の理由は「怨嫉」

 まず、かつて日蓮正宗の講中の一つであった顕正会(※当時は妙信講)が、日蓮正宗から追放される原因となった正本堂問題について。
 今日の顕正会・浅井昭衛の主張するところによれば、
 日蓮大聖人御遺命の本門戒壇とは、広宣流布が達成された暁(あかつき)に建てられる、国立戒壇でなくてはならない。しかるに日蓮正宗では、未だ広宣流布に程遠い状況であるのに、宗内僧俗の供養をもって勝手に本門戒壇と称する正本堂を建ててしまった。これは御遺命破壊である
という。
 だが、かつての浅井昭衛は、
 「時は昭和四十年二月十六日、正本堂建設委員会において同上人(※六十六世日達上人)は、正本堂が御遺命の戒壇に当る旨(むね)の説法をされた」(『富士』昭和五十二年八月号)
との認識に立って、昭和四十年当時、
 「今回、総本山において御法主上人猊下の御思召(おぼしめし)によりまして、いよいよ意義重大なる正本堂が建立される事になりました。戒旦の大御本尊様が奉安殿よりお出まし遊ばされるのであります。この宗門全体の重大な慶事に、妙信講も宗門の一翼として、講中の全力を挙げ、真心を込めて猊下に御供養をさせて頂く事になりました。(中略)
 その深い意義は凡下(ぼんげ)の我々のみだりに窺(うか)がう所に非ずとはいえ、容易ならぬ事であります。いよいよ大衆の中に人類の中にその御姿を徐々におあらわしになる。私共はこの猊下の御思召に同心し奉ってたとえ微力たりとも赤誠を奉りたい。先生(※浅井の父・甚兵衛)は千載一遇(せんざいいちぐう)のお山への御奉公だと申されております。全講を挙げて歓喜の御供養をさせて頂こうではありませんか。(中略)
 この御供養は、宗門の歴史をつらぬく大事で、猊下を通して戒旦の大御本尊様への御奉公であり、私達の生涯に二度とはない大福運であります」(『富士』昭和四十年七月号)
 「すでに広宣流布の時は来ております。」(『富士』昭和四十年九月号)
等々と述べ、すでに広宣流布達成の時が来ているとして、講員に対し正本堂建立御供養への参加を呼びかけていたのである。
 これでは顕正会の今日の主張は、全くの自語相違ではないか。
 ちなみに、浅井らが正本堂問題で日蓮正宗に異を称えるようになったのは、これより五年ほど後のことであり、その本当の動機は、浅井らの身勝手で独善的な体質のために、次第に宗内で孤立化が進み、妙信講として募(つの)った正本堂御供養も受け付けてもらえなかったこと――等々に対する反発からに他ならない。
 一言で言えば「怨嫉(おんしつ)」である。
 これを御遺命守護の闘い≠ネどと意義付け、多数の人々を巻き添えにしてカルト化への道を暴走したのだから、浅井の罪は甚(はなは)だ重いといえよう。

「大石寺こそ御遺命の戒壇建立の地」
かつての浅井昭衛は正論を堂々と主張

 次に、浅井らの主張する、
 御遺命の本門戒壇を建立すべき勝地は、大石寺の東方四キロに位置する天母山である。それを、大石寺が戒壇建立の地である、という日蓮正宗は誤っている
との説について。
 これについても、日蓮正宗に反発しはじめる以前の浅井昭衛は、
 「下条より約半里ほど離れた北方に大石ヵ原という茫々(ぼうぼう)たる平原がある。後には富士を背負い、前には洋々たる駿河湾をのぞみ、誠に絶景の地であり、日興上人はこの地こそ、本門戒壇建立の地としての最適地と決められ、ここに一宇の道場を建立されたのである。
 かくて、日興上人は弘安二年の戒壇の大御本尊をここに厳護されると共に、広宣流布の根本道場として地名に因(ちな)んで多宝富士大日蓮華山大石寺と号されたのである。これが日蓮正宗富士大石寺の始りである」(『富士』昭和三十九年九月号)
と明言していたのだ。
 富士大石寺こそ未来に本門戒壇の立つべき勝地であること、誰が読んでも明らかではないか。
 浅井は、かつて主張していた正論であっても、怨嫉感情ひとつで、まったく異なる説に変更してしまうのである。

「御遺命守護完結」の一人芝居
認めていた血脈を全面否定へ

 かように白を黒と言いくるめながら、浅井がめざした御遺命守護≠フ完結とは、戒壇に関する浅井の主張が日蓮正宗に受け容(い)れられ、晴れて浅井昭衛その人こそが宗祖御遺命を守護した憂宗護法の士≠ナある、と顕彰されることであったに違いない。そして、その時に実現する事柄として、浅井は次のようなことを会員達に公約していた。
@日蓮正宗信徒に復帰できる
A幹部は常住御本尊が戴(いただ)ける
B一般会員も御形木御本尊が下附される
C浅井甚兵衛(昭衛の父)の遺影を抱きながら登山し、戒壇の大御本尊内拝が許される
D天母山の頂上で浅井甚兵衛の遺影を抱きながら鏡割りをする
E松本日仁(かつての指導教師)の満山供養を御法主上人に願い出る
等々。(『顕正新聞』平成一年六月二十五日付)
 浅井にとって、その願望がようやく果たされる、と思えたのが、平成十年の正本堂解体であった。
 じつは、正本堂解体は浅井の主張とは関係なく行なわれたものだったのだが、勝手な思い込みで一人舞い上がった浅井は、平成十年四月十日、突如として「御遺命守護完結奉告式」なるものを行ない、内外に御遺命守護完結≠宣言してしまったのである。
 その後の浅井が、一日千秋の思いで宗門からのお使い≠ェ到来するのを待ったことは想像に難(かた)くないが、当然のことながら、その浅井の期待が実現することはなかった(ゆえに、御遺命守護完結を宣言しながら、かつての会員達に対する公約が実現することもなかった)。
 すると浅井は、「もはや、これまで」と思ったのであろう、ついに日蓮正宗と完全に絶縁することを決意、在家団体たる顕正会を独自の宗教法人とすると共に、日蓮正宗の唯授一人血脈に対し誹謗(ひぼう)を開始したのである。
 「細井管長(※日達上人)は昭和五十四年七月二十二日、入院していたフジヤマ病院で、臨終思うようにならず急死を遂(と)げた。貫首の立場にある人が、誰もそばにいないとき、一人で急死してしまった。よって御相承をすることができなかったのであります。まさしく御遺命に背(そむ)いたゆえに、細井管長は御相承を『授ける』ことができず、阿部管長(※日顕上人)また御遺命違背の科(とが)によって『受ける』ことができなかった。『授』なく『受』なしであります」。(『顕正新聞』平成十一年四月二十五日付)
 この疑難は、かつて正信会・創価学会が言い出したものだが、それらに対し、当時の浅井が何と言っていたかといえば――
 「ここで、正信会が問題にした阿部管長の相承疑義について触れておく。(中略)非常事態が万一あったとしても、血脈が断絶するようなことは断じてあり得ない。御本仏の下種仏法は金剛不壊(こんごうふえ)である。法体たる戒壇の大御本尊は厳然としてましまし、金口の相承また厳然である。(中略)どうして途中で断絶するような方法をお用いあそばすであろうか。甚深の御仏智に深く信を取らなければならぬ。いかなる事態があろうとも、本宗の血脈はまた不断である。ちなみに現在、正信会に籍を置いているか否かは知らぬが、久保川法章の戒壇の大御本尊と血脈についての所論のごときは、いまだ初学の慢心者が、学会憎しのあまりに血迷って吐いた大謗法の邪説に過ぎない。」(『学会・宗門抗争の根本原因』)
 「阿部管長憎しのあまり、そして池田大作を偉(えら)く見せるために、ついに下種仏法の命脈たる金口の相承までも学会は完全否定してしまったのであります。(中略)これを仏法破壊といわずして、何を仏法破壊というのか。これを大謗法といわずして、何がいったい大謗法でありましょうか。」(『顕正新聞』平成四年六月五日付)
 「何代・代を重ねようとも、また面授の儀式があろうとなかろうと、断絶もせず、色も替わらず、伝わるように出来ているんだ。これが御本仏の御仏智なのです。だから御相承の儀式のあるなしは、本質的には全く問題ない。断絶などはあり得ないのです。」(『顕正新聞』平成五年一月五日付)
 まさにしかり、浅井は以前の自らの言葉をもって、現在の自らの血脈誹謗を破しているのである。「これを仏法破壊といわずして、何を仏法破壊というのか。これを大謗法といわずして、何がいったい大謗法でありましょうか」と。
 自分は難しい教義はわからない、という顕正会員に告ぐ。
 ここに列挙した自語相違だけで、すでに浅井昭衛の誤りは明白である。それを知りながら従う者は、浅井と同じく大謗法者となって、今生には身を滅ぼし後生は無間大城に沈むであろう。
 誤りを改むるに憚(はばか)ることなかれ。
(慧妙362号より)