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2008年04月16日
不当逮捕・拘留された婦人講員2名の手記
「あまりに勿体なくて、有り難くて」
伊藤奈津美さん
前触れなしの突然の逮捕
まったく事実無根の嫌疑!
先月十九日、出勤する主人を送り出し、朝の勤行をしようと、ローソクに灯をつけた時のことでした。家のブザーが鳴りました。ドア越しに「どなたですか?」と尋(たず)ねると、「野方警察です」という返事が返ってきました。
私はその瞬間、「また学会員が嫌がらせに来たのか」と思いましたが、警察だというので、一応、疑いながらもドアを開けました。
すると、開けるや否や、起きがけの私の顔を、断わりもなくパシャパシャと撮影しはじめたのです。驚いてドアを閉めようとしたところ、それを押し戻して、四人の刑事達が強引に家の中に入ってきました。「中に入るのは困ります」と必至で通せんぼしたのですが、女ひとりの力ではかなうはずがありません。
私は大変な事になった≠ニ思い、すぐに電話をかけようとしました。すると体をつかんで妨害してきたのです。そこで、携帯電話でかけようとして取り出したところ、今度は奪(うば)い取られてしまいました。必死に電話をかけようとする私に対し、刑事が何か文章を読んで聞かせようとするのですが、私の方は聞くどころではありません。やがて刑事は読むのを止めて、大声で「あなたを逮捕してもいいと裁判所から言われているのっ!」と言ってきました。
その後、刑事達が家の中をさんざん物色したあと、私は手錠をかけられ、腰にロープを結ばれて、外に停まっている車に乗せられました。
車に乗る頃には、どういう容疑で刑事達が来たのかわかってきたので、私は、ニセ本尊を破却(はきゃく)したのは本人の意志だった事を証明する証拠として、破却の確認書がある事を話しました。すると、再び家にとって返し、確認書を手にした刑事達は、「これだっ!」と言って大喜びしたのです。
要するに警察は、私達が相手の学会員に接触した証拠すらないまま、逮捕に踏み切ったのです。それも、昨年の十月に学会員宅を訪問して折伏したとき以来、相手側の弁護士から何か言ってきたわけでもなければ、警察から何かの注意や連絡があったわけでもなく、まして一回の事情聴取もないまま、いきなり逮捕されたのです。
ほどなくして野方警察署に着くと、手錠をはめられ、ロープにつながれたまま警察署の中を歩きました。
ショックだったのは、トイレさえも一人では使わせてもらえなかったことでした。婦人警官がロープを持って、つながれたままの状態でトイレに入るのです。そのため、ドアを完全に閉めることができず、婦人警官が足でドアを押さえていました。私は、容疑者はこういう風に扱われるのか、女同士だからしょうがないか、と諦(あきら)めるしかありませんでした。
それから取り調べが始まりました。そして、その時はじめて、相手の学会員の言い分を知ることができたのです。私達が「宅急便だ」と言って騙(だま)してドアを開けさせ、強引に家に上がり込み、相手の手を押さえつけて勧戒願いに無理やり署名させ、同じようにしてニセ本尊も力ずくで切断させた、と言って訴えてきたというのです。
それは全く事実と違っています。私達は了解があって家に上げてもらったのですし、相手は、私達の話に納得して、少し不自由ながらも自分の手で勧戒願いに署名し、ニセ本尊もハサミを出してきて自分の手で切断したのです。私は、そのように話しました。
その後、刑事が、好きな食べ物や嫌いな食べ物について聞いてきたので、なぜ、そんな事を聞くのか尋ねたところ、「嫌いな食べ物を聞いておけば、これから留置所に入ったときに役に立つじゃないか」と言うのです。
この時、予想はしていたものの、やっぱり留置所に入れられるんだと思いました。
驚きはしましたが、折伏をしたことで刑務所に入れられる場合もありうる、それが法難なのだと、講中での勉強会などで聞いてきたので、「これは法難なのだ」と受けとめることができました。
残念だったのは、この日が、楽しみにしていた折伏指導会が行なわれる日だった事でした。私は留置所に入れられるにしても、折伏指導会だけでも何とか参加させてもらえないだろうかと思って、反抗的な態度はとらないようにしたのですが、やはり無理な相談でした。
その後、留置所に移されました。留置所では一部屋を四人で使うようになっていました。トイレは各部屋にありましたが、大きな窓が付いていて入っている姿が外から見えるようになっています。自殺防止のために、そうなっているという事でしたが、プライバシーも何もあったものではありません。
やがて就寝時間が近づいた時、婦人警官が、「あとで、あなたの弁護士さんが来るからね」と言ってきました。
私は弁護士さんをお願いするすべも知らなかったので、本当に弁護士さんが来てくれるのだろうか、誰かと間違えているのではないか、と思ったのですが、もし本当であれば、少し明るい光が差した感じがしました。
それというのも、私が逮捕されたことを主人は知らないのではないか、刑事がちゃんと伝えてくれたのか、わからなかったからです。
しばらくして、やって来られた弁護士さんから、「妙観講から聞いてまいりました」という言葉を聞いた時、私の事が主人に、そして講中の先輩方に伝わったのだ、と一気に不安がふきとんだ事が、今でも鮮明に思い起こされてきます。
その日から二十一日に及んだ勾留の期間中、弁護士さんは何度も足を運んでくださいました。その中で、「伊藤奈津美さんへ」と書かれた講頭からの励ましのメッセージを見せていただきました。また、猊下様が私の逮捕について御心配くださっていると伺(うかが)ったときには、あまりに勿体(もったい)なくて、信じがたくて、聞き返してしまいました。有り難くて有り難くて、泣き出しそうなのをこらえるのがやっとでした。
そして、自分ごときが、このような形で罪障消滅させていただけるなんて、本当に有り難いことだと思いました。その思いで二十一日間にわたる勾留期間を乗り切り、八日に戻ってくることができました。
今後は、猊下様のお心を悩ませる大謗法の創価学会を崩壊させるまで、二十倍返しの想いで折伏に精進してまいります。
「勤行・唱題・書籍研鑽に励みました」
生田和子さん
出頭したのを無視して突然逮捕
『慧妙』で読んだ状況が現実に!?
三月十九日、同志である伊藤奈津美さんが、学会員の折伏をしたことによって、ありもしないことをでっち上げられて不当逮捕されました。折伏に同行した私も、逮捕されることが予想されましたので、自ら警察に行くことにしました。
何ヶ月か前の『慧妙』に、「電車の中で痴漢をしてないのに、周りの、乗車していた人達が学会員で、痴漢をしたと証言されれば、痴漢をしたことにされ、犯罪者になってしまうだろう」という話が掲載されていました。学会が政権をつかんでいる世の中では、いずれ、このような事態が当たり前のように起きる、という内容でした。私は、その時代が、自分の予想よりも早く来てしまった、と思いました。
自らがこの理不尽な法難を受けることになった事に、驚きと共に、「これで大きく罪障消滅できる」と思いました。
そして、三月二十日午後三時、私は自ら野方警察署に行きました。
受付の警官から、今回の伊藤さんの不当逮捕の担当の刑事はS警部補であると聞き、会って話がしたいと話すと、「今は事件で外に出ている」と言われ、「何時に戻るかわかりません」と、取り次いでもらえませんでした。
いったん帰りかけましたが、その時の様子から、どうもS警部補は実際には署内にいるように思えたものですから、思い直した私は、もう一度、野方署に戻りました。
「知人が無実の罪で逮捕され、人権侵害です。何とかしてください。きっと辛(つら)い思いをしている、私も関わっているし」と話すと、受付の警察官は、「 お気持ちはわかりますが、Sは外に出ていて今日は帰りません。上司も祝日で休みです。明日、電話してください」とのことでした。
しばらくたって、三回目、野方署に行き、「自分も伊藤さんと同行しているのだから、私も容疑者です。S警部補と話をさせてください」と伝えると、「容疑者なら、Sには伝えられない」と言われ、「容疑者でなければ伝えてもらえたのですか」と聞くと、無言でした。
「とにかくここでは何もわからないから」と言われましたが、私は、ねばりにねばって、やっと自分の電話番号をS警部補に伝えることを警察官に承諾させ、帰宅しました。
ところが夜八時ごろになっても、S氏から電話がありません。そこで、野方署の刑事課に電話をしました。
Wという方が電話に出て、S氏はいないということでしたので、再度、私の携帯番号を伝えたところ「明日の朝八時半に電話するよう、Sに伝えますから」とのことでした。
ところが、翌朝も警察からの連絡はありませんでした。午後四時、こちらから電話してみると、Mという刑事が電話に出ました。
私が「電話してもらうように伝言したのに、連絡がない」と言って、昨日、野方署に行ってお願いしたことも話すと、M氏は「それは電話する必要がない、ということだ」と、何回も言いました。「S氏がそう言っているのですか」と聞くと、「それは、わからない」と言ってきたので、「無実の罪で知り合いが逮捕され、それについて話を聞いてほしいのです。私も伊藤さんに同行してるのだから同じ罪になると思うし、こちらは、逃げも隠れもしないですよ」と伝えると、あくまでも「連絡する必要がないと思っている」と言うのです。
これではラチが明かないと思い、電話を切りました。
信じられないことですが、このように、何回も警察に行って「事情聴取をしてほしい」と頼(たの)み、警察への協力を申し出ているにも拘(かか)わらず、何の事情も聞かないでおいて、三月二十四日の朝七時五十分頃、野方署の刑事達が突然「見せたいものがある」と言って自宅にやってきました。
「お風呂に入っているから」と、三十分待ってもらい、子供達にも「いよいよその時が来た」と話しました。
やがて、再度インターホンが鳴り、玄関を開けると、六人の私服の警察官が一列に並んでいました。先頭の警察官が家宅捜査の令状を見せ、彼らは家の中に入ってきました。伊藤さんと一緒に行った折伏の件の資料などないのに、いったい何を探しているのかと思い、見ていると、講員名簿を探しているのです。しかし、講員名簿など私の家にはないので、刑事は仕方ないという感じで、日常の折伏の際に使う資料と、私の携帯電話を押収しました。
それが終わると逮捕状を見せられ、住居侵入、強要、器物破損の容疑ということで逮捕となりました(結局、刑事達が最初に「見せたいものがある」と言ったのは、捜査令状と逮捕状だったのです)。
娘に、笑って「行ってくるね」と声をかけ、玄関を出ました。その後、車に乗り野方署に向かったのですが、その後は、まったくの犯罪者扱いで、手錠をかけられ野方署に入りました。
野方署における取り調べでは、「すべて事実無根であり、そのようなことはない」ということを言い続けました。
その後、女子専用の留置所がある、霞ヶ関の警視庁に移送されました。手錠をかけられ、逃げないように腰に紐(ひも)をつけられ、鉄格子の中に入れられました。
私の部屋は五人部屋で、日本人、韓国人、フィリピン人、中国人がいて、めまぐるしく人が入れ替わっていきました。麻薬、売春、万引き、ブランド商品の偽造、オーバーステイ等で逮捕された人たちでした。
留置所に入る際に身体検査があり、病気のチェック、身体のほくろの位置、アザ、傷のチェックがあり、生活に必要なシャンプー、せっけん、歯ブラシ、ちり紙、ニベア、リップクリーム等を三千円で購入させられました。
留置所での生活について少し述べますと、お風呂は五日に一回しか入れません。朝は六時半起床、夜は九時就寝で、掃除、体操は毎日させられます。食事は、朝・夕はお弁当と白湯で、朝だけ味噌汁がつきました。お昼は、食パンとジュースで、床にゴザを引いて、皆で食べます。
そして、検事、裁判官と接見するときは、専用の待合室があり、朝から夕方まで、そこで手錠をつながれます。トイレは待合室の中にありますが、一枚の木の板で仕切られているだけで、それも便座に座ると、肩から上が見える素通しの状態で、その横で皆が食事をしているのです。
部屋によっては、昼食の際、床に座り、椅子をテーブルがわりにして、手錠をかけたまま食事を食べることになります。
また、留置所にいる間は、運動の時、塀の間の隙間から外の景色が見えることが、とても楽しみでした。
留置所の部屋にいるときは、勤行、唱題、書籍の研鑽(けんさん)に励みました。
取り調べは、刑事が三回、検事が三回でしたが、私は徹底して「罪になることなど一切なかった」という事実を、言い続けました。こちらは、ただ事実を話しているわけですから、それ以上、何もありません。誰が何と言おうと、白は白なのだ、と思いました。
さすがに調べが終わったあとは、全力を使いきった感じで、とても疲れました。
あとから弁護士の先生から聞いた話だと、伊藤さんも大変だったようですが、「一切、違法なことはない」と強く否定したそうで、その甲斐あって、取り調べの状況も好転していきました。
それと同時に、支援する会の皆さんが、警察の不当逮捕に対する厳重抗議や記者会見をしてくださり、ありがたくも、御住職や猊下様にも御心配していただき、講頭をはじめ先輩方、講中の皆さんにもご祈念していただきまして、本当にありがたく思いました。
そして、嬉しくも四月八日、無事、釈放されました。私の場合は十五日間の勾留でした。支援する会の方々、講中の方々が、警視庁の玄関まで迎えに来てくださり、また皆さんと会えたことが嬉しくて、涙が溢(あふ)れ、大泣きしてしまいました。
留置所の中では、体験談が載(の)っている『蒼碧集』や『御観念文の解説』『続・誠心』などをすべて読み、すごく励みになりました。『蒼碧集』は、絶対に大丈夫、御本尊様に守っていただける、との確信がわき、『続・誠心』の「法難の由来と心構え」のところを、よく読み返し、ここで罪障消滅を精一杯させていただこうと、心に言い聞かせました。そして私は、「どんなことがあっても真実を言い続け、御本尊様への信心を貫こう」と心に決めました。
『如説修行抄』に、大聖人の仏法を信仰するようになったその日より、況滅度後(きょうめつどご)の大難の三類が甚(はなは)だしく起きてくることを覚悟しなさい、と仰せであります。この覚悟と、なぜ法難が起きてくるのかという道理を、日頃からよく弁(わきま)えておくことが大切だ、と痛感しました。
今回のことで、大きな確信となったのは、信心を貫いていくときに、必ずや法難を越えることができる、ということです。
先輩より、「この法難を悦びましょう。罪障を大きく絞り出せるチャンスであり、めったにないことに巡りあえたのだから」ということを指導いただきました。
それにつけても、御住職や猊下様より御心配いただき、また、多くの方々のご協力で支援する会まで作っていただき、講中の方々に見守っていただき、弁護士の先生にもめぐまれ、私は、申しわけなく、また本当に幸せです。ありがとうございました。
この御恩に報いるためにも、さらなる折伏を行じ、一凶の創価学会を破して、自らの信行学を堅固なものにし、最後まで闘いぬくことを御本尊様にお誓い申し上げたいと思います。皆様、本当にありがとうございました。
【慧妙4月16日 第367号より転載】