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2008年05月07日

四月十四日東京地裁 顕正会に司法の鉄槌下る!!

誉毀損で計二百万円の損害賠償命令

法華講員の折伏に醜聞攻撃で対抗
=学会の怪文書を丸呑みにした中傷記事=
判決は「真実と認められぬ」と裁断!

「公共性・公益性も真実性・相当性もなし」
醜態晒したあげく完敗した顕正会

 去る四月十四日、東京地裁において、顕正会(代表者・浅井昭衛)と『顕正新聞』発行人・小峰勝彦に対し、名誉毀損(めいよきそん)による損害賠償金・計二百万円を支払え、との判決が言い渡された。このところ刑事事件で逮捕者続出の顕正会だが、今度は民事訴訟においても全面敗訴。この団体はどこまで転(ころ)げ落ちていくのか――。

 四月十四日の法廷には、被告である顕正会側の弁護士はおろか、顕正会幹部も誰ひとり来ておらず、すでに全面敗訴を予想していた感がある。
 午後一時十分開廷、被告の姿のない法廷で、裁判長が被告顕正会を裁(さば)く判決主文を朗読――。顕正会(代表者・浅井昭衛)と『顕正新聞』発行人・小峰勝彦に対し、名誉毀損による損害賠償金・計二百万円を支払え、との、被告側全面敗訴の判決が言い渡された。
 本件訴訟は、顕正会機関紙『顕正新聞』(平成十七年五月十五日号)が、理境坊所属妙観講々頭・大草一男氏の女性スキャンダルなるものを書き立て、名誉毀損で東京地裁に訴えられていたもの。

追い詰められていた顕正会
教義で勝てず醜聞攻撃へ

 事件の背景として、顕正会は昭和四十九年に日蓮正宗を破門されて以来、激しく日蓮正宗を攻撃し、法華講員や創価学会員を切り崩して勢力拡大を図っていた。
 ところが昭和六十三年に、妙観講の折伏の教線と衝突、双方の代表者である会長と講頭が自ら筆を執って教義論争を繰り広げた結果、顕正会の邪義と誑惑(おうわく)が露呈(ろてい)してしまい、これによって初の大量脱会者を出すに至った。
 以来、顕正会をやめて日蓮正宗に入信した講員達が、インターネットを使い、また自らの縁故をたどって、それぞれ折伏に励んでくる中で、顕正会からの脱会者は後を断たない状況となり、さらに脱会して最寄(もよ)りの寺院に所属した人達からも、顕正会折伏の輪が拡がり、文字どおり、顕正会から日蓮正宗への帰伏者は数えきれぬ程となっていった。
 こうした状況にあった平成十七年春、劣勢に追い込まれた事態を一発逆転しようと企(くわだ)て、顕正会会長・浅井昭衛が、突如として当時の御法主・日顕上人に対し不遜(ふそん)な「対決申し入れ」を送付してきた。
 この「対決申し入れ」についての浅井の意気込みは大変なものであったが、そもそも宗祖大聖人は
 「一丈の堀をこへぬもの十丈二十丈の堀を越ゆべきか」   (御書一〇五八頁)
と仰せである。これまで、在家である妙観講・大草講頭との教義論争に破れ、直接対決を逃げ回ってきた浅井昭衛ごときが、一宗を統率あそばす血脈付法の御法主上人に「対決申し入れ」など、百年早いと言うべきだろう。
 この浅井の思い上がりに憤(いきどお)った妙観講の有志らが、二、三人ずつのチームを組んで各地の顕正会事務所に赴(おもむ)き、そこに集まっている顕正会員達を片っ端から糾弾し、折伏を始めたものだから、顕正会としてはたまったものではなかった。
 苦し紛(まぎ)れに、大勢で取り囲んで恫喝(どうかつ)し、口汚なく罵(ののし)り、暴力的な排除を行なった上に、自ら弱者を装って警察まで呼んだりしたが、妙観講の講員は女性であっても怯(ひる)まない。
 こうして追い詰められた顕正会は、教義で太刀打ちできなければスキャンダル攻撃で、とばかりに、学会怪文書が書き立てていた内容を丸呑みで利用し、あたかも大草講頭に女性スキャンダルがあるかのごとき記事を、『顕正新聞』(平成十七年五月十五日号)に掲載したのであった。

学会怪文書が書き立てた内容
出処不明の「J子の日記」騒動

 ちなみに、この学会怪文書が書き立てていた内容≠ニいうのは、「J子の日記」と称する出処不明の怪しげな文書をもとに、大草講頭が一女性講員を弄(もてあそ)んで捨て、講中からも追放した。その被害女性が綴(つづ)った日記がこれだ%凾ニする与太話である。
 もとより、妙観講では、この「日記」なるものは出処不明の捏造(ねつぞう)文書である、として取り合ってこなかったが、これを怪文書『地涌』『勝ち鬨』等で大々的に取り上げた創価学会側では、妙観講との別な法廷闘争の中で、この「日記」が真実であるかのように主張し、「大草講頭が『J子の日記』に対し法的措置を取らないことが真実である証拠だ」などと言い募(つの)ってきた。
 それに対し妙観講側は、「その『日記』が本当に真実であるというなら、トカゲの尻尾のような怪文書等に書くのではなく、法人としての責任において機関紙に堂々と報道したらどうか。そうしたら正面から受けて立って、即刻、法的措置を取るであろう」と宣言した。
 ところが、これを書いて名誉毀損となることを恐れた学会側は、どうしても堂々と書くことを避け続け、そうこうしているうちに、前述のごとく、妙観講々員らによって追い詰められていた顕正会の方が、この与太話に飛びつき、機関紙『顕正新聞』紙上にそのまま報じてしまったのである。
 これを受けて大草講頭は、顕正会代表・浅井昭衛と『顕正新聞』発行人の二人を相手取り、名誉毀損による損害賠償を求めて提訴に及んだ。――これが今回の判決言い渡しとなった事件の背景と概要である。

噴飯ものの顕正会の主張
否定された「日記」の真実性

 さて、この裁判における争点のポイントとなったのは、およそ以下のような点であった。
@当該『顕正新聞』の記事が、原告である大草講頭の名誉を毀損し、社会的評価を低下させるものであるか、どうか。
A当該『顕正新聞』の記事に公共性と公益目的があるか、どうか(もしなければ、記事内容の真実性を論ずるまでもなく、原告個人のプライバシーを侵害するものとして、名誉毀損が成立する)。
B当該『顕正新聞』の記事内容は、真実であると認められるか、どうか。また、真実と思い込んでも仕方のない相当な理由があって、記事を執筆したのか、どうか。
 これらについて顕正会側は、『顕正新聞』の記事を読んでも信ずるような法華講員などいないだろうし、また、そもそも顕正会員は原告を微塵(みじん)も評価していないのだから、当該記事が原告の評価を低下させることはあり得ない≠セとか、原告の法華講大講頭の地位は日本の命運を左右するものであり、その原告について書いた記事には公共性がある。また、原告や日蓮正宗がなしている国立戒壇の否定は日本国を滅ぼすことにつながり、その国家の興亡に関わっている原告を批判することは公益目的に当たる≠ネどという、開き直りとしか思えない暴論を展開してきた。
 そして、その一方で顕正会は、密(ひそ)かに「J子の日記」を書いたとされる女性を捜し出し、何とか自らに都合のよい裏付け証言を取り、あわよくば証人として出廷してもらおうと企てたのであった。
 ところが、その女性は、「自分はたしかに二十五年も前に妙観講の活動から離れてしまったが、それは自分がそうしたのであって、大草講頭に弄ばれて捨てられた≠ニか講中から追放された≠ネどという事実は一切ない。むしろ大草講頭に会ったら、お礼を言いたいと思っている」という真情を述べて、顕正会への協力をキッパリと拒絶。そして、「J子の日記」の真実性を否定する陳述書まで裁判所に提出したのである。

顕正会の主張は悉く破綻
二重・三重に完全敗訴

 事ここに至って、顕正会の主張は悉(ことごと)く破綻(はたん)した。顕正会の醜態(しゅうたい)に、傍聴席の一般傍聴人からも失笑が漏(も)れる中、裁判は結審し、判決言い渡しの四月十四日を迎えた。
 判決は、
@『顕正新聞』記事は明らかに原告の社会的評価を低下させるものである
A原告は妙観講の指導者ではあっても、特別な社会的影響力を有する地位にあるとはいえず、したがって『顕正新聞』の記事には公共性も公益性も認めることはできない
B(右の事実だけで名誉毀損は十分成立するが、念のため、記事の真実性と相当性についても判断を下すと)「J子の日記」に関する顕正会の主張には裏付けがなく、「日記」の作者とされた女性もこれを否定していること、また、それ以外にも、原告に拘るスキャンダルの実在を認めるに足りるような証拠は一切ないこと――等により、当該『顕正新聞』の記事内容にはまったく真実性がなく、また、それを真実と推測させるような余地(相当性)もない
として、顕正会側の主張を全て斥(しりぞ)け、原告の全面勝訴となったのである。
 正法への根本信と、ギリギリまで引きつけておいて撃つ≠ニの胆(きも)の据わった方針が、異流義団体・顕正会の誑惑記事を打ち破ったといえよう。
(慧妙 平成20年5月1日・368号より転載)