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2008年05月07日

続・あの頃のこと【その4】

露呈した学会の謀略体質に、今、改めて思う

陥れ≠ヘ創価学会の常套手段

 私が、原島嵩氏、N氏、K氏らと共に、『週刊文春』誌上に「創価学会七人の最高幹部の内部告発」として手記の連載を開始したのは、昭和五十五年六月九日のことでした。
 そして間もなく原島嵩氏が仮面を脱(ぬ)ぎ、名乗りを上げたため、大騒ぎとなり、この月の末に行なわれた衆参同日選挙では、公明党が惨敗しました。
 当時委員長であった竹入義勝氏は、
 「文春≠ノやられた」
と悔(く)やしがっていたそうですが、あれから三十年近く経(た)って、その竹入氏も、今は日蓮正宗信徒となっています。
 池田大作が欲しくても貰(もら)えない「勲一等」の勲章を竹入氏が受けたことで、激怒した池田大作は、竹入氏が『朝日新聞』に回顧録を連載し、日中国交回復の裏話を明らかにした中に、池田大作のことを一言も触れなかったことで、またまた激怒して、『聖教新聞』と公明党による竹入バッシング≠徹底的に行ないました。
 それでも腹の虫が治まらなくて、公明党に
 「竹入氏が、委員長時代に党の金を使って妻に高価な宝石を買った。その金を返せ」
という訴訟を起こさせたようですが、先日、東京地裁で、公明党全面敗訴の判決が下りました。
 作り話をデッチ上げ、子飼いの弁護士達を使って裁判を起こし、大勢で口を揃(そろ)えて証言していたものと思われます。
 こうした訴訟で相手を陥(おとしい)れようとする手法は創価学会の得意とするところであり、破門された後、日蓮正宗に報復するため、全国で墓地訴訟≠起こした時のマグカップ事件=i学会員が、お寺から返させた遺骨を、こっそりマグカップに入れ替え、「正宗寺院は学会員の遺骨をこのように粗末な扱いをしている」として訴えた事件で、裁判でインチキなカラクリが発覚してしまい、正宗寺院が勝訴した事件)など、特に有名です。

「正義」失った学会が見せた醜態

 先日、二人の婦人講員が、不当に逮捕されるという事件がありましたが、これは折伏された学会員が訴えたそうで、まことに奇妙な話です。
 昔は、学会員が他宗の人達を激しく折伏していて、檀家が次々と学会員になっていくのに耐えかねた他宗が、「学会員が無理やり押しかけ、上がり込んだ」「位牌や仏壇を焼かれた」などと訴え、警察の力を借りて檀家を守ろうとしました。
 今ではその創価学会が、公明党の力で警察を動かし、法華講の折伏から会員を守ろう(?)としているのですから、今昔の感≠ェいたします。
 昔の学会の折伏は無敵でした。向かうところ敵無しで、他宗の僧侶は法論を避(さ)けて逃げ回りました。
 今では、その学会が、正宗の法華講の折伏に、戦々恐々として逃げ回っています。
 法華講員が知り合いの学会員の家に折伏に行くと、連絡を受けた青年部員が大勢駆け付け、「不法侵入∞不退去罪≠ナ逮捕させるぞ」と脅(おど)して折伏から会員を守ろうとします。
 牧場で羊を守る番犬のように、おいしい金の成る木≠ナあり、大切な「一票」である会員の囲い込みに必死です。
 昔、創価学会が法論に強かったのは、「日蓮正宗の教学」をもって折伏したからです。「三証論」「五重の相対」「四箇の格言」を振りかざして怒濤(どとう)の進撃を続ける創価学会に、立ち向かえる宗教団体はありませんでした。
 ところが、破門された後の創価学会は、この鬼に鉄棒(かなぼう)≠フ正宗教学を失いました。そして、今や「正宗教学」で理論武装した法華講から折伏を受け、逃げまどっているのです。
 池田大作は、自ら「末法の本仏」になろうという、罰(ばち)当たりな妄想に囚(とら)われて、謗法のかぎりを犯し、創価学会を「破門」へと導いてしまいました。
 信仰の根本としてきた、大石寺の戒壇の大御本尊と「正宗教学」を放棄し、勝手に作ったニセ本尊を拝ませ、さらには「本尊など何でもよい」といって正宗の御本尊を捨て去り、大聖人の尊極の教えに低俗な外道義をゴチャ混ぜにしてもっともらしく述べている「池田教」の信者が、大聖人の正しい教学を学んだ法華講の皆さんの折伏に太刀打ちできるはずがないのです。
 今、宗教の世界から政治の世界へと逃げ込もうとしている創価学会は、国家権力という最大の力を用いて、正しい信仰を持つ人達を弾圧し始めました。
 これからも、そうしたことは増えるでしょう。こうした邪道を信仰の力で破っていく闘いの中から、本当の日蓮正宗の信心の輝きが現われることでしょう。

今、私が果たすべき責任と義務

 私の「あの頃のこと」は、今日の創価学会の出発点となった昭和五十二年以後、池田大作の邪な野望が具体化され、八百万会員(実際は五百万そこそこでしょう)もろとも、正宗の信徒団体から「魔の集団」へと変身していった創価学会問題の真相を、元から解明しようと思っています。
 平成三年十一月、宗門が創価学会に送った破門通告書にも、破門の原因を昭和五十二年当時のことに遡(さかのぼ)って指摘されています。
 御隠尊日顕上人猊下も、御説法、御講義の中で、創価学会の誤りを歴史的事実の上から完膚(かんぷ)無きまでに破折しておられますが、私は、これを繰り返し拝させていただき、当時渦中にあった私自身の目で見、耳で聞いた事実をもとに、真実を明らかにしようと思います。
 私は創価学会という巨大組織の頂点に身を置き、この国の様々な仕組みを知ることができました。
 池田大作の尻馬に乗って、大勢の人を従え、良いことにも悪いことにも手を染め、巨大霊園も作りました。
 興隆期から全盛期を迎え、そして「言論事件」を境に滅亡への道を歩み始めた、近代日本で最も奇妙なリーダーが率(ひき)いる、最も奇妙な教団の中枢で、様々な経験をしました。
 まるで救世主か英雄のように振る舞い、表向き清廉潔白(せいれんけっぱく)で、非の打ち所のない修行者を演じながら、裏では、醜(みにく)い野望を剥(む)き出しにした、やりたい放題の私生活を送っている人物を心から敬(うやま)い、仏法を敬い守護するように見せながらじつは破壊し、末法の御本仏を信奉して外護(げご)するふりをしながら、御本仏を突き倒して自ら成り代わり、自分への帰依を要求する人物を助けるために、私は何でもやりました。そうすることが、自身に課せられた仏道修行であると信じ込んで、その悪行をひたすら支え、手伝いました。
 「師匠が地獄に堕(お)ちても、ついていくのが弟子の道だ」
 「私は、戸田先生からあいつを殺せ≠ニ言われれば殺す気で、お仕(つか)えしてきた。君は私が『殺せ』と言ったら人を殺せるか」
と言われ、ためらうことなく「ハイ」と答えて弟子に加えられ、「新弟子証」を与えられました。(新弟子≠ヘ、池田の門下生であり、牧口・戸田氏の門下は、本弟子≠ニされました。池田は、日蓮大聖人が「本六・新六」の弟子を定められたのを真似〈まね〉したのです。
 私は、池田大作の言うことを信じ、日蓮正宗を支配下に置こうとする目論(もくろ)みに加担し、重要な役割を担(にな)いました。
 御宗門に対して、様々な謀略を仕掛けました。
 しかし、ある時期から、そうした自身の在(あ)り方の誤りに気付いた私は、がく然とするとともに、自身も含め大勢の学会員が道連れにされ地獄に落とされるのを何とか防がなくてはならないと思い、池田大作の宗門対策に反対するようになりました。そのために、池田大作の怒りと怨(うら)みを一身に受けることになりました。
 昭和五十二年以降、宗門と創価学会の紛争が激化するにつれ、私は池田大作にたてつき、特に日達上人から直々に諭(さと)されてからは、御宗門を守るために日達上人に御奉公し、池田大作の野望を阻止することに協力するようになったのです。
 そのような人生を送った私の体験を語ることは、創価学会と池田大作の破仏法≠フ歴史を赤裸々(せきらら)に明らかにすることになります。
 なお、私は一時、「正信会」と行動を共にし、御法主上人にたてついた時期がありました。
 日顕上人の御相承に疑念を呈した一文を、週刊誌に掲載したこともありました。
 そのことを、いくら悔い、いくら懺悔(さんげ)謝罪しても、罪が消えるものではありませんが、それが多くの人達に及ぼした影響を少しでもぬぐい去る努力を続けることで、償(つぐな)うしかないと考えています。
 その時のことも明らかにしなくてはなるまいと思っています。

改めて私の「来し方」を振り返る

 私は、二十歳の時、京都大学法学部二年の時腎炎に冒(おか)され、郷里岡山で三年の間、入院と自宅療養を繰り返しました。
 昭和三十四年四月のことです。世の中が皇太子御成婚で沸(わ)き立っていた中で、一人だけ、このまま若死にするしかないのかと、挫折と絶望を味わいつつ過ごしていた頃、母や周囲の人達から折伏され、渋々創価学会に入会、岡山市妙霑寺で御授戒を受け、日蓮正宗信徒となりました。
 他にすることがないので、ただ勤行と唱題を続けているうちに、初信の功徳でしょう、病は快方に向かい、生きる気力が戻ってきました。
 文字どおり「更賜寿命(きょうしじゅみょう)」の功徳をいただいた私は、京都大学に復学し、幸いなことに在学中に司法試験に合格し、昭和三十九年に弁護士となりました。
 その頃すでに、学生部幹部として池田大作の直々の講義や指導を受ける立場にあった私は、池田大作の指示のとおり、迷うことなく弁護士になって、学会員の選挙違反や不祥事を処理するようになりました。
 その後、学生部の幹部から首脳への道をまっしぐらに駆け上がり、昭和四十五年の「言論事件」を境に本部中枢に迎えられて、池田大作の側近・首脳として、創価学会の運営に参画しました。
 そして昭和五十二年、池田大作が、宗門を支配下に置こうと考えてきた謀略の仕上げにかかり、僧侶を吊し上げ、寺を経済封鎖した上で、高らかに「創価学会独立路線」「寺院と僧侶の無用論」を宣言したとき、私は池田大作にたてつき、それが原因で中枢から追われた上、「恐喝罪」で告訴され、牢獄も経験しました。
 振り返ってみれば、御本尊に巡り合えたおかげで、私は、普通の人には味わうことのできない、不思議な、波瀾万丈(はらんばんじょう)の人生を送る運命となりました。
 その間、まことに貴重な体験をさせていただきました。
 中学・高校・大学時代の同窓生は大臣になり、最高裁判事になり、あるいは大企業のトップになり、京大教授も何人かいます。
 私は地位も財産もなく、文字どおり、市井(いちい)の片隅で一生を終えるでしょう。
 しかし、大御本尊と日蓮大聖人の教えに身を捧(ささ)げ、魔と闘っていることを、何よりも誇りに思い、最高に満足して生きています。
(つづく)
【慧妙平成20年5月1日・368号より転載】