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2008年06月06日
池田創価学会に組織瓦解の危機!? 矢野元公明党委員長が学会を提訴
矢野元委員長の提訴で垣間見える組織の綻び
「大幹部も許すな」「獅子身中の虫と戦え」と叫ぶ池田
矢野元委員長が学会を脱会
学会の人権侵害行為を提訴!
去る五月十二日、胡錦濤(こきんとう)・池田大作会談という一大イベントの興奮冷めやらぬ創価学会を、心底から震撼(しんかん)させるような出来事が起こった。公明党元委員長の矢野絢也氏が、宗教法人創価学会、杉山保青年部長、谷川佳樹総東京長、弓谷照彦男子部長、森井昌義関西青年部長、長谷川重夫副会長、西口良三副会長、藤原武副会長(いずれも平成十七年当時の役職)を相手に、五千五百万円の損害賠償を求める民事訴訟を起こしたのである。
訴状によると、被告らは、矢野氏に対して平成十七年頃から、創価学会への謝罪、言論活動の中止、矢野氏が所有する手帳などの個人的資料の提出、莫大(ばくだい)な寄付などを要求したうえ、機関紙などで矢野氏を誹謗(ひぼう)中傷したという。
そのため矢野氏は、これらの人権侵害行為によって多大な損害が生じたとし、その賠償を求めて提訴するに及んだのである。
周知のとおり、矢野氏は昭和四十二年に初当選以来、平成五年まで九期にわたって衆議院議員を務めてきた。
この間、昭和四十二年から昭和六十一年までは公明党の書記長を務め、当時委員長だった竹入義勝氏とのコンビで、言論出版妨害事件など、公明党や創価学会に絡む困難な問題と対峙(たいじ)してきた。
そして竹入氏が委員長から退任するとその後を継いで委員長に就任。平成元年五月まで委員長職を務め、平成五年に衆議院議員を引退すると同時に政界からも身を引いた。
矢野氏は政界引退後、それまでの経験を生かして政治評論家として活躍するようになった。そして、平成五年から六年にかけて月刊誌『文藝春秋』に手記を連載。
だが、その中に「学会と公明党は政教一致といわれても仕方がない部分があった」との記述があったことから創価学会から非難されることとなり、矢野氏は学会に釈明すると共に、単行本化に際してはその部分を訂正し、出版していた。
その後の矢野氏と創価学会との関係は、険悪なものではなかったようだ。
だが、十年も経過した平成十七年になって、その状況が一変する。創価学会が突如、すでに解決済みのハズの手記の件を取り上げ、矢野氏を追及しはじめたのである。
矢野氏の訴状によると、まずは平成十七年四月二十日、創価学会戸田国際会館に呼び出された矢野氏は、西口・藤原の両名から、件の手記に関して「学会青年部が怒っている」「原告を除名せよとの要求が出ている」などと非難された上で、謝罪文の提出を要求された。
次に五月十四日には、やはり戸田国際会館において、杉山・弓谷・谷川・森井らから、再びの謝罪のほか、政治評論家をやめることなどを要求された。
そしてその翌日と、それから二週間を経た五月三十日、三名の元公明党議員が矢野氏宅を訪れ、矢野氏が現職政治家だった頃からの、手帳など様々な記録を持ち去ってしまった、という。
さらに同年六月十五日、矢野氏は、戸田国際会館において西口・長谷川・藤原から、創価学会に法外な寄付をするように迫(せま)られた、というのである。
そして、こうした経緯の中で行なわれた矢野氏の謝罪や確約は、そのつど『聖教新聞』や『創価新報』で大々的に報じられ、また、『聖教新聞』の紙上には、矢野氏を誹謗する記事が頻繁(ひんぱん)に掲載された。
加えて、創価学会が矢野氏の行動を掌握(しょうあく)しようとしたことなどもあったという。
これらにより矢野氏は、政治評論家としての活動を中止させられ、また精神的にも、強い不安、不快感を抱いての日常生活を余儀なくさせられ、甚大な苦痛を感じているとして、五千五百万円の賠償を求めて提訴した、というのである。
じつは、矢野氏に対しては、先述の手帳持ち去り℃膜盾ノ絡んで、矢野氏宅を家宅捜索≠オ、手帳などの資料を持ち去ったとされる三人の元公明党議員が、そのことを三人が資料の提出を強要した≠ニ報じた『週刊現代』と矢野氏を相手取り、資料の持ち去りは矢野氏との合意の上でのことだった≠ニして、平成十七年に名誉毀損で訴えている。
これに呼応して矢野氏も、持ち去られた資料の返還を要求する訴訟を起こし、訴訟は現在も係争中である。
このように裁判で争う関係になっても、まだ、創価学会から離れようとしなかった矢野氏だが、今回の提訴にあたって、ついに、子息一家も含む家族全員が五月一日に創価学会に退会届を提出した。自ら退路を完全に断つという、まさに一大決心をして創価学会と対峙した、といえよう。
矢野氏の裏に大幹部A氏!?
「大幹部」に怯える池田
さて、この矢野氏の一大決心の裏側には、じつは元学会最高幹部Aの後押しがある、との噂が学会内外でささやかれている。
その根拠となっているのは、もともと矢野氏とAとの間には強い人間関係があったこと、もう一つは、それを示唆しているかのような池田のスピーチである。
そのスピーチとは、去る三月二十六日に行なわれた全国代表者会議におけるもので、その中で池田は、今までになく強い調子で大幹部であろうと悪は糾(ただ)せ∞獅子身中の虫に警戒せよ≠ニ訓示しているのである。
少し長くなるが、以下に引用しておこう。
「万が一にも、師弟をないがしろにし、学会を自分の思う通りにしようというような人間が出たら、皆で戦うことだ。こうした悪人を絶対に許してはならない」
「どれだけ役職が上の大幹部であろうとも、悪ければ、糾さねばならない。私はこれを実行してきた」
「仏意仏勅の創価学会は、外からの敵には、びくともしない。
厳重に注意すべきは、仏法の和合の世界を内側から蝕(むしば)む『獅子身中の虫』である。仏法者の『心』を破壊する増上慢である。
仏法の因果は厳しい。仏罰は厳然である。
この『獅子身中の虫』にたぶらかされ、利用され、つけこまれて、最後はみじめな敗北の姿をさらす。そのような愚(おろ)かな人間には絶対になってはならない。
『仏教というものは、内輪から壊されていくものだ』『増上慢の《獅子身中の虫》と戦え!』と戸田先生も鋭く叫ばれた」
「信心をたぶらかす悪人は、さも味方のようなふりをして、近寄ってくる。
ゆえに、敵を敵と見破ることだ。魔を魔と見破っていくことだ。信心の利剣で魔を断ち切っていくのだ」
「私欲を貪(むさぼ)り、学会を食い物にする人間。
増上慢になって偉ぶり、崇高(すうこう)な師弟を踏みにじる人間。
そうした悪人と断じて戦い、師を護(まも)り、同志を護り、学会を護り抜く。その決心で私は生きてきた。
牧口先生から戸田先生へ、戸田先生から私へと、まっすぐに師弟の心の通う学会をつくってきた。
世界に燦(さん)たる創価学会を築き上げてきた。
師を世界に宣揚し、師の構想をすべて実現してきた。
この師弟の真実の歴史を、若き諸君は、魂に刻み、断じて忘れてはならない」
「戸田先生は、『学会に派閥を作ったら、その人間は大悪人である』と厳しく言い残された。
破和合僧は、仏法上の重罪である。学会に対しても、これまで、麗(うるわ)しい団結を破ろうとする輩(やから)が出た。師弟の心を分断し、同志の絆(きずな)を引き裂(さ)こうとする魔性の姿であった。
仏法者であるならば、師に対しては敬(うやま)い、仕(つか)えるものである。同志は励まし、護るものである。
師弟を根幹にして、皆が異体同心の団結で進みゆく。それこそが、学会の永遠の大原則である」
このように、『聖教新聞』の紙面で見るかぎり、池田のスピーチのかなりの部分が大幹部たりとも、悪は許すな∞獅子身中の虫と戦え∞牧口・戸田・池田と続く師弟の歴史を忘れず、師を敬い学会を護れ%凾フ大号令になっている。
その大号令から一ヶ月あまりで、矢野氏が退会し、正面切って反旗を翻(ひるがえ)した――これまで学会側と裁判で争ってはいても、あくまでも「学会員」という立場を変えなかった矢野氏に思い切った決断をさせたもの、それが、池田が恐れる「獅子身中の虫」「役職が上の大幹部」である可能性は高い。
また、学会の内部情報によると、先年亡くなった野崎勲副会長の兄で、教学室長を務めていた野崎至亮氏が、現在姿をくらませているという。
野崎氏はもともと、池田大作は教学的におかしいと考えていて、池田創価学会の在り方にも否定的だったといい、今回の失踪(しっそう)は、ついに池田創価学会に見切りを付けてのものだともいわれている。
こうした、いつ深刻な内部分裂が起きてもおかしくない状況に、本来が小心者の池田大作はすっかり怯(おび)えてしまい、一時は体調を崩して寝込んだらしい。
平成二十一年に向かって、いよいよ創価学会崩壊への地鳴りが聞こえ始めた、といえよう――。
『慧妙』平成20年6月1日号・第370号より転載