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2009年06月02日
私が見た創価学会 5
前編 マインドコントロールに翻弄された日々
そして、「センセー絶対」の想いは崩れた
宣徳寺信徒 古谷球子
(元・創価学会県女子部長・総合女子部長)
昭和三十三年九月、両親が創価学会員として日蓮正宗に入信し、我が家に御本尊様をお迎えしました。私が御授戒を受けたのは、その一年後の昭和三十四年十月、当時十歳の小学生でした。
入信当時、我が家の経済的状況は苦しいものでした。高校時代は、月謝が遅れることも度々で、三年生の修学旅行には参加費がなく参加できなかったほどです。
しかし、御本尊様の功徳により、高校卒業後、航空会社に就職することができ、経済的に安定していきました。
池田への傾倒が始まった瞬間
昭和四十一年一月、各県の中高生の代表三〇〇〇名が総本山に集いました。
その時、十六歳の高校生だった私は、「皆さんは、未来を担う大切な人材です。この中からたった一人でもいい、一〇年後、二〇年後、広宣流布を担う人材に育ってほしい!」との池田大作の一言ひとことを、会場の最後部で聞いていました。
中高生の私達に対してこんなに期待してくれる大人に出会ったのは、初めてのことで、それだけで私は大感激しておりました。
そして、その後の数回に分かれての記念撮影では、私は池田の真後ろで撮影を終えた後、「センセー、握手してください!」と叫んでおり、一途な思いで池田センセーと握手しました。こんな私が、池田センセーに握手していただいた!=\―有頂天になるほど、池田に傾倒していったのです。
その記念撮影は、「必ず池田センセーにお応えできる人材に育とう! 池田センセーに自分の人生を捧げても悔いは無い!」と、人生を決めた瞬間であり、池田大作のマインドコントロールに引き込まれた瞬間でもありました。
昭和四十六年、あの当時の中高生が五年ぶりに総本山で再開、池田は私達に「5年会」と命名し、「これから五年ごとにアメリカ、フランス、中国で再会しよう! そして、ロッキー山脈に総本山を作るんだ!」と語っていました。
「ロッキー山脈に総本山」とは何とも突拍子もない話ですが、今にして思えば、この当時から、池田は日蓮正宗から独立することを考えていたのかもしれません。
「財務は御供養」と信じ、奔走した日々
その後の昭和五十二年、私は、鹿児島県女子部長の任命を受け、やがて県総合女子部長として活動するようになりました。
鹿児島県は全国でも有数の広さがあります。組織は、県創価学会のもとに県庁所在地の鹿児島をはじめ、南薩摩、川内、国分、鹿屋、奄美大島の六地域の圏があり、その下に本部、総B(総ブロック)・大B、B(ブロック)となっており、三万数千世帯を支えます。当時のメモによると、八月の座談会では、女子部三,三五六名、男子部三,六八六名を集めています。
私は、自動車の運転免許を取得し、県内を隅々まで回って、女子部会合への出席や家庭訪問等を行ない、また鹿児島には離島が多数存在しているので、飛行機で移動したり、汽船を乗り継いで活動をしていました。
一方、創価学会では、昭和五十六年に、池田大作を支えてきた第四代北條会長が亡くなり、全ての面で池田のわがままが横行し、ブレーキが利かなくなっていました。
昭和五十七年からは狂乱財務が過熱し、池田創価学会は暴走しはじめました。池田大作が「財務部員啓蒙運動」を打ち出し、昭和五十七年度には、財務部員数・七〇%を達成していたのです。
今にして思えば、「必要な費用だけで、余分なお金は集めない」との戸田先生以来の財務路線はあとかたもなく吹っ飛んでいたのですが、「今、財務を頑張る人が、時に叶った信心であり、大功労者であり、大福運をつけます」との言葉に惑わされた私は、その路線の変貌にまったく気がつきませんでした。
昭和五十九年、「財務は御供養だ」と固く信じていた私は、数か月後に財務を控えたある日、御本尊様に向かい、お題目を唱えていました。日蓮正宗創価学会に入信してから二十五年間、これまでどれほど御本尊様に護っていただいたことか……人間として生を受け、御本尊様にめぐり会えたこと、健康で仕事ができること、地涌の菩薩としての使命に燃え充実した青春、なんと有り難いことだろうと、心の底から感謝の思いが溢れてきました。
「御本尊様、今回の財務は精いっぱいさせていただきます。私の汗と涙の結晶のお金を御供養させていただきます」とお誓いし、自分の目標を決めました。
私が手にしたお金を自分のために使うより、御供養として使っていただければ、広宣流布のお役に立てる、御本尊様に恩返しができる、との思いからでした。
その決意をしてから、生活が一変しました。
日々の生活において、缶ジュースや飲み物等の一〇〇円を節約し、お昼は五〇〇円のお弁当がもったいなくて、三五〇円のラーメンにしたり、自分でお弁当を作ったり、洋服の購入を控えたりもしました。
数百万円単位の目標でしたが、広宣流布のお役に立てる!このお金が何倍もの価値となるんだ!財務のためにお金を貯めよう!精いっぱいの御供養をさせていただきたい!≠ニの思いからの節約でしたので、窮屈とか苦しいとかの思いは全くなく、かえって喜びでした。
そして、行く先々の女子部の会合でも、「御本尊様への報恩感謝と広宣流布のために、精いっぱいの財務をさせていただきましょう!」と、その思いを話しました。
財務の期間が終わってから、「今年は女子部が頑張った!」とのことを県幹部から聞きました。百万円単位の財務をした女子部が多くいた、とのことでした。
私は金額のことなど一言も言っていなかったのですが、その時は、「御本尊様への報恩感謝の思いと、広宣流布のお役に立ちたいとの決意が伝わっていたんだ」と思いました。
当時の私は、池田大作を信じており、疑うことなど全くありませんでした。そして、創価学会の財務についても、御本仏日蓮大聖人様の御指南に適(かな)っている、と思い込んでいたのです。まことに愚かなことでした。
今、あの頃のことを振り返り、人間は環境に影響されやすい面がある、ということをつくづく感じます。
とくに、社会の仕組みや全体観が分かっていない中で、しかも信仰のあり方や筋目というものをまったく理解していない高校生の時期から、「この世で民衆を救ってくれるのは、池田センセーしかいない。池田センセーこそ最高の指導者」と、何回も刷り込まれると、素直に信じて邁進していくようになります。
このような状態が、カルト集団によくある「子どもの囲い込み」ということであり、数々の事件を起こして大きな社会問題になったオウム真理教などは、その典型です。
そのオウム真理教よりも何倍も巧妙だ、といわれるのが池田創価学会のマインドコントロールで、そのマインドコントロールにより、正常な判断能力が欠落し、偏った狂信的なエネルギーになっていたのではないか、と思っています。
「財務」の使い途に大ショック!
さて、先述の財務が終って数か月後のこと、私は、九州のある県の女子部方面幹部と話す機会がありました。その時、その女子部方面幹部から、
「まりちゃん、誰にも言えんけどね、新築した会館の壁や絨毯の色が気に入らんとかでね、池田先生がやり直しをさせたんだって。それだけで二億円くらいかかったそうだよ」
と聞かされました。
私は絶句し、頭の中が真っ白になりました。
そんな湯水のような使い方をしているなんて……。広宣流布のために使っていただけると信じていたから、精いっぱい真心の財務をさせていただいたのに……≠ニ、打ちのめされる思いでした。
有り余るお金ではなく、会社ではイヤなことも日常茶飯事、体調の悪い時も頑張って仕事してコツコツと溜めたお金、それは汗と涙の結晶であり、私の命と引き換えにしたと言っても過言ではないようなお金です。もちろん私だけではなく、財務をした多くの学会員も同様でしょう。
池田センセーは庶民の真心を何と思っているのか!「みなさんの幸せをいつも御本尊様に祈ってます」との言葉はウソだったのか!
この時、創価学会に対する、また池田大作に対する疑問が起きてきましたが、どう考えればよいのか、わからないまま、すっきりしない日々が続きました。
そんな時、本部職員で芸術部書記長でもあった現在の夫(古谷博)から、池田の大浪費ぶりを聞きました。それは、池田の公私混同による、気も遠くなるような内容でした。
彼の話によれば――
昭和四十四年、藤原弘達著『創価学会を斬る』に対する言論出版妨害事件≠ェ起こりました。その事件直後、社会から集中砲火を浴びた池田大作は、病気を装って本部に出てこなくなり、約一年間ほど本部の業務は停滞してしまいました。事件≠ヘこうした時に起ったそうです。
新宿信濃町の学会本部は、一階の正面玄関奥に事務総局(経理局・建設局など)があり、二階には組織センターがありました。
ある時、一階・事務総局に所属する建設局のS主事が、非常に立腹していました。それは、どうやら池田に対しての怒りらしいのです。
池田が本部に出てこないので、S主事の担当する施工業務に支障が出ていたとのこと。S主事は、第一庶務を通じて何度も池田に報告書を出しましたが、決裁がなかなか下りなかったので、困り果て、北条理事長(後の第四代会長)に相談したところ、理事長は、これ以上業者を待たせることは良くないと判断し、池田の替わりに、じゅうたんや壁紙等の最終決定を行ない、施工は無事に完了したそうです。
その後、引き篭もっていた池田が、しばらくぶりに本部に顔を見せましたが、猜疑心(さいぎしん)の強い池田は、自分の都合で本部の職場放棄をしているのを棚に上げて、各部局の仕事ぶりを監視するべく廻りはじめました。
そして、前記の施工現場に来て、じゅうたんと壁紙の色が自分の好みでないのに気がつき、「これは何だ! 誰がこうしろと言ったんだ!」と、S主事に対して猛烈に怒りだしました。
S主事が、池田不在のためやむなく北条理事長に決めてもらったことを説明すると、池田はさらに感情を露(あら)わにして、「即刻、じゅうたんと壁紙を変えろ!」と命令を下したのです。
やり直し費用は一億数千万円にもなり、最初の施工費と合せると三億数千万円になりました。S主事の怒りは、そのことに対するものだったのです
このように、池田が感情にまかせてやり直しを命じた会館は、全国に多数、存在しているそうです。
全国の会館や研修道場にあった池田大作専用の豪華施設も、「宗教法人として税法上の優遇措置(無税)を受けた建物に、このような私的な豪華施設があるのは問題だ」とマスコミで追及され、国会で問題にされると、数十億円かけて、いとも簡単に取り壊わされたりしているとのことです。
私はこの話を聞き、真心込めて御供養≠ウせていただいたつもりだっただけに、何だったのか、非常に憤りを覚えました。
県内各地の女子部の会合で「御本尊様への報恩感謝と広宣流布のために、精いっぱいの財務をさせていただきましょう!」と訴えたために、大切なお金を財務に出した多くの女子部員達――私は、彼女達に対する申し訳なさとその責任の重さで、胸が張り裂ける思いでした。
その後、私自身は、創価学会を脱会して法華講員となることができましたが、今でも創価学会に身を置き、池田を信じて疑わない人々のことを思うと、一日も早く池田大作のマインドコントロールから解き放たれることを願わずにはおられません。
【慧妙平成21年6月1日号より転載】