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    <title>池田創価学会に組織瓦解の危機!?　矢野元公明党委員長が学会を提訴</title>
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    <published>2008-06-06T05:36:54Z</published>
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    <summary>矢野元委員長の提訴で垣間見える組織の綻び 「大幹部も許すな」「獅子身中の虫と戦え...</summary>
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        <![CDATA[<strong>矢野元委員長の提訴で垣間見える組織の綻び
「大幹部も許すな」「獅子身中の虫と戦え」と叫ぶ池田</strong>

<strong>矢野元委員長が学会を脱会
学会の人権侵害行為を提訴！</strong>

　去る五月十二日、胡錦濤（こきんとう）・池田大作会談という一大イベントの興奮冷めやらぬ創価学会を、心底から震撼（しんかん）させるような出来事が起こった。公明党元委員長の矢野絢也氏が、宗教法人創価学会、杉山保青年部長、谷川佳樹総東京長、弓谷照彦男子部長、森井昌義関西青年部長、長谷川重夫副会長、西口良三副会長、藤原武副会長（いずれも平成十七年当時の役職）を相手に、五千五百万円の損害賠償を求める民事訴訟を起こしたのである。
　訴状によると、被告らは、矢野氏に対して平成十七年頃から、創価学会への謝罪、言論活動の中止、矢野氏が所有する手帳などの個人的資料の提出、莫大（ばくだい）な寄付などを要求したうえ、機関紙などで矢野氏を誹謗（ひぼう）中傷したという。
　そのため矢野氏は、これらの人権侵害行為によって多大な損害が生じたとし、その賠償を求めて提訴するに及んだのである。
　周知のとおり、矢野氏は昭和四十二年に初当選以来、平成五年まで九期にわたって衆議院議員を務めてきた。
　この間、昭和四十二年から昭和六十一年までは公明党の書記長を務め、当時委員長だった竹入義勝氏とのコンビで、言論出版妨害事件など、公明党や創価学会に絡む困難な問題と対峙（たいじ）してきた。
　そして竹入氏が委員長から退任するとその後を継いで委員長に就任。平成元年五月まで委員長職を務め、平成五年に衆議院議員を引退すると同時に政界からも身を引いた。
　矢野氏は政界引退後、それまでの経験を生かして政治評論家として活躍するようになった。そして、平成五年から六年にかけて月刊誌『文藝春秋』に手記を連載。
　だが、その中に「学会と公明党は政教一致といわれても仕方がない部分があった」との記述があったことから創価学会から非難されることとなり、矢野氏は学会に釈明すると共に、単行本化に際してはその部分を訂正し、出版していた。
　その後の矢野氏と創価学会との関係は、険悪なものではなかったようだ。
　だが、十年も経過した平成十七年になって、その状況が一変する。創価学会が突如、すでに解決済みのハズの手記の件を取り上げ、矢野氏を追及しはじめたのである。
　矢野氏の訴状によると、まずは平成十七年四月二十日、創価学会戸田国際会館に呼び出された矢野氏は、西口・藤原の両名から、件の手記に関して「学会青年部が怒っている」「原告を除名せよとの要求が出ている」などと非難された上で、謝罪文の提出を要求された。
　次に五月十四日には、やはり戸田国際会館において、杉山・弓谷・谷川・森井らから、再びの謝罪のほか、政治評論家をやめることなどを要求された。
　そしてその翌日と、それから二週間を経た五月三十日、三名の元公明党議員が矢野氏宅を訪れ、矢野氏が現職政治家だった頃からの、手帳など様々な記録を持ち去ってしまった、という。
　さらに同年六月十五日、矢野氏は、戸田国際会館において西口・長谷川・藤原から、創価学会に法外な寄付をするように迫（せま）られた、というのである。
　そして、こうした経緯の中で行なわれた矢野氏の謝罪や確約は、そのつど『聖教新聞』や『創価新報』で大々的に報じられ、また、『聖教新聞』の紙上には、矢野氏を誹謗する記事が頻繁（ひんぱん）に掲載された。
　加えて、創価学会が矢野氏の行動を掌握（しょうあく）しようとしたことなどもあったという。
　これらにより矢野氏は、政治評論家としての活動を中止させられ、また精神的にも、強い不安、不快感を抱いての日常生活を余儀なくさせられ、甚大な苦痛を感じているとして、五千五百万円の賠償を求めて提訴した、というのである。
　じつは、矢野氏に対しては、先述の手帳持ち去り℃膜盾ﾉ絡んで、矢野氏宅を家宅捜索≠ｵ、手帳などの資料を持ち去ったとされる三人の元公明党議員が、そのことを三人が資料の提出を強要した≠ﾆ報じた『週刊現代』と矢野氏を相手取り、資料の持ち去りは矢野氏との合意の上でのことだった≠ﾆして、平成十七年に名誉毀損で訴えている。
　これに呼応して矢野氏も、持ち去られた資料の返還を要求する訴訟を起こし、訴訟は現在も係争中である。
　このように裁判で争う関係になっても、まだ、創価学会から離れようとしなかった矢野氏だが、今回の提訴にあたって、ついに、子息一家も含む家族全員が五月一日に創価学会に退会届を提出した。自ら退路を完全に断つという、まさに一大決心をして創価学会と対峙した、といえよう。

<strong>矢野氏の裏に大幹部Ａ氏!?
「大幹部」に怯える池田</strong>

　さて、この矢野氏の一大決心の裏側には、じつは元学会最高幹部Ａの後押しがある、との噂が学会内外でささやかれている。
　その根拠となっているのは、もともと矢野氏とＡとの間には強い人間関係があったこと、もう一つは、それを示唆しているかのような池田のスピーチである。
　そのスピーチとは、去る三月二十六日に行なわれた全国代表者会議におけるもので、その中で池田は、今までになく強い調子で大幹部であろうと悪は糾（ただ）せ∞獅子身中の虫に警戒せよ≠ﾆ訓示しているのである。
　少し長くなるが、以下に引用しておこう。
　「万が一にも、師弟をないがしろにし、学会を自分の思う通りにしようというような人間が出たら、皆で戦うことだ。こうした悪人を絶対に許してはならない」
　「どれだけ役職が上の大幹部であろうとも、悪ければ、糾さねばならない。私はこれを実行してきた」
　「仏意仏勅の創価学会は、外からの敵には、びくともしない。
　厳重に注意すべきは、仏法の和合の世界を内側から蝕（むしば）む『獅子身中の虫』である。仏法者の『心』を破壊する増上慢である。
　仏法の因果は厳しい。仏罰は厳然である。
　この『獅子身中の虫』にたぶらかされ、利用され、つけこまれて、最後はみじめな敗北の姿をさらす。そのような愚（おろ）かな人間には絶対になってはならない。
　『仏教というものは、内輪から壊されていくものだ』『増上慢の《獅子身中の虫》と戦え！』と戸田先生も鋭く叫ばれた」
　「信心をたぶらかす悪人は、さも味方のようなふりをして、近寄ってくる。
　ゆえに、敵を敵と見破ることだ。魔を魔と見破っていくことだ。信心の利剣で魔を断ち切っていくのだ」
　「私欲を貪（むさぼ）り、学会を食い物にする人間。
　増上慢になって偉ぶり、崇高（すうこう）な師弟を踏みにじる人間。
　そうした悪人と断じて戦い、師を護（まも）り、同志を護り、学会を護り抜く。その決心で私は生きてきた。
　牧口先生から戸田先生へ、戸田先生から私へと、まっすぐに師弟の心の通う学会をつくってきた。
　世界に燦（さん）たる創価学会を築き上げてきた。
　師を世界に宣揚し、師の構想をすべて実現してきた。
　この師弟の真実の歴史を、若き諸君は、魂に刻み、断じて忘れてはならない」
　「戸田先生は、『学会に派閥を作ったら、その人間は大悪人である』と厳しく言い残された。
　破和合僧は、仏法上の重罪である。学会に対しても、これまで、麗（うるわ）しい団結を破ろうとする輩（やから）が出た。師弟の心を分断し、同志の絆（きずな）を引き裂（さ）こうとする魔性の姿であった。
　仏法者であるならば、師に対しては敬（うやま）い、仕（つか）えるものである。同志は励まし、護るものである。
　師弟を根幹にして、皆が異体同心の団結で進みゆく。それこそが、学会の永遠の大原則である」
　このように、『聖教新聞』の紙面で見るかぎり、池田のスピーチのかなりの部分が大幹部たりとも、悪は許すな∞獅子身中の虫と戦え∞牧口・戸田・池田と続く師弟の歴史を忘れず、師を敬い学会を護れ％凾ﾌ大号令になっている。
　その大号令から一ヶ月あまりで、矢野氏が退会し、正面切って反旗を翻（ひるがえ）した――これまで学会側と裁判で争ってはいても、あくまでも「学会員」という立場を変えなかった矢野氏に思い切った決断をさせたもの、それが、池田が恐れる「獅子身中の虫」「役職が上の大幹部」である可能性は高い。
　また、学会の内部情報によると、先年亡くなった野崎勲副会長の兄で、教学室長を務めていた野崎至亮氏が、現在姿をくらませているという。
　野崎氏はもともと、池田大作は教学的におかしいと考えていて、池田創価学会の在り方にも否定的だったといい、今回の失踪（しっそう）は、ついに池田創価学会に見切りを付けてのものだともいわれている。
　こうした、いつ深刻な内部分裂が起きてもおかしくない状況に、本来が小心者の池田大作はすっかり怯（おび）えてしまい、一時は体調を崩して寝込んだらしい。
　平成二十一年に向かって、いよいよ創価学会崩壊への地鳴りが聞こえ始めた、といえよう――。
『慧妙』平成２０年６月１日号・第３７０号より転載]]>
        
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    <title>発見！これが謀略部隊の正体だ　法華講員を尾行した車が会館脇に</title>
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    <published>2008-06-06T05:32:12Z</published>
    <updated>2008-06-06T05:33:22Z</updated>
    
    <summary>　決起大会の掉尾（とうび）を飾る東日本決起大会まで、残すところあと半月。ここにき...</summary>
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    </author>
            <category term="時局レポート" />
    
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        　決起大会の掉尾（とうび）を飾る東日本決起大会まで、残すところあと半月。ここにきて、創価学会による妨害活動が、各地でいよいよ激しさを増してきている。
　そんな中、福島県いわき市の大華寺の法華講員は、自分を尾行してきた車が創価学会の会館に隣接する駐車場に停まっているのを発見し、写真に収めることに成功した。
　五月二十五日、支部を挙（あ）げての一斉折伏闘争のため、寺院を出発した何組かの法華講員グループのうちの一グループが、途中から怪しい車が付いてくるのに気付いた。運転している男は、見るからに学会員風。
　そこで三人は、コンビニの駐車場に車を入れ、怪しい車をやり過ごすことにした。
　だが、コンビニを出てまた走り出すと、件（くだん）の車が道路端に停車しているではないか。まるで、法華講員の車が走り始めるのを待っていたように――。
　その後も何回かやり過ごすのだが、その車は執拗（しつよう）につきまとってくる。そこで法華講員は、たまたま持ち合わせていたカメラでその車を撮影。
　この調子では、その後の行動にもつきまとわれ、今後の折伏や家庭訪問が妨害されると判断した法華講員は、やむなく活動を中断して寺院に戻ることに。
　その日の活動を終えて、寺院からの帰り道。何気なく創価学会のいわき文化会館の前を通ってみると――なんと、昼間、法華講員につきまとってきた車が会館脇の駐車場に停まっているではないか！
　そこで法華講員は、その車を再び写真に収めた。それが、ここに掲載の写真である。
　今、創価学会は法華講員の一挙手一投足に神経を尖（とが）らせ、また、住所の知れた法華講員宅をローラー作戦よろしく徹底的に訪ねて歩いている。
　大華寺のエリアでも、山間部に至るまで法華講の全家庭を訪問し、アリーナに行かせぬために、悪口を触れ回っている。
　だがそのせいで、逆に学会員に反発して、それまでは「行かない」と言っていた人が参加することになった例も。
　これまで行なわれた三大会はどれも、創価学会による様々な妨害工作を乗り越え、結集目標を大きく上回る参加人員をもって、大成功を収めてきた。
　創価学会としては、せめて最後の東日本大会だけでも結集目標を割り込ませようと、必死なのだろう。二度三度の執拗な戸別訪問は当たり前。中には、あまりのしつこさに警察に通報する事態まで生じている、との報告もある。
　執拗な妨害工作や戸別訪問で根負けさせ、あるいは恐怖感を与えて、参加を断念させようとの魂胆（こんたん）が見え見えであり、そしてそれは、今後さらに激しくなってくるであろうことは、火を見るよりも明らかだ。
　東日本決起大会までの残る日々を、今まで以上に心を引き締め、参加予定者を励ましつつ、さらなる結集に、また万全の準備に全力を傾注（けいちゅう）し、決起大会を大成功させようではないか。
『慧妙』平成２０年６月１日号・第３７０号より転載
        
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    <title>「続・あの頃」 「怨みを晴らす」が池田の行動原理</title>
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    <published>2008-06-06T05:30:24Z</published>
    <updated>2008-06-06T05:32:00Z</updated>
    
    <summary> 池田の心中には怨みが充満 　平成三年十一月二十八日、日蓮正宗は、創価学会を破門...</summary>
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        <![CDATA[
<strong>池田の心中には怨みが充満</strong>

　平成三年十一月二十八日、日蓮正宗は、創価学会を破門に処されました。
　あれからはや、十七年と六ヶ月が過ぎました。
　平成三年に生まれた赤ん坊は、今では高校三年になっています。
　私が、いわゆる第一次紛争≠ﾌなか、「永遠の師」のはずであった池田大作に見切りをつけ、当時の御法主日達上人に随従（ずいじゅう）たてまつってそのお手伝いをさせていただく決意をしたのは、さらに十数年さかのぼって昭和五十二年のことであります。
　その当時生まれた人は、三十歳を過ぎています。
　人の出入りの激しい創価学会では、会員の七割くらいは、私が池田大作に対し、内部告発ののろしを上げたことや、その時の騒ぎは知りません。
　多くの会員にとっては、遠い遠い昔の、歴史の一コマに過ぎないでしょう。
　私も、できれば、そうなって、いつの間にか忘れ去られて、市井（しせい）の片隅で静かな余生を送りたい、と思っていました。
　ところが、いまだに『聖教新聞』では、毎週のように私を「魔王」として憎々しげに書いてくれますし、創価学会関係の訴訟を十四件も抱（かか）えて、毎週のように裁判所に通い、そして、私の家のすぐ側には「見張り所」があって、青年部員が四六時中私を家を見張り、出かけるたびに尾行してくる、という状況が続いています。
　さまざまな嫌がらせが絶えません。
　池田大作にとっての私は、池田の醜怪（しゅうかい）な実像と邪（よこしま）な野望を世間に晒（さら）し、国民一人一人の脳裏（のうり）に刻みつけ、「天下盗り」の夢や「ノーベル賞」への道を閉ざしてしまった、何度殺しても飽き足らない、憎き仇（かたき）なのでしょう。
　同じように、竹入義勝氏や矢野絢也氏は、
　「俺が代議士にしてやったのに、その恩義も忘れて出て行き、生意気にも、俺や学会を批判する小癪（こしゃく）なやつ」
であって、許せない、というわけでしょう。
　そして、誰よりも、第六十七世御法主日顕上人は、日蓮大聖人の再誕≠ｽらんとした池田大作の野望を真っ向から打ち砕き、「池田こそ大聖人と御本尊を冒涜（ぼうとく）する大謗法者」と断定され、鉄槌（てっつい）を下されたお方ですから、いつまでも逆恨（さかうら）みの対象とし続けるのです。
　何しろ、昭和三十五年からすでに五十年近くにわたる間、世間では十数人も総理大臣が替わったというのに、池田大作は創価学会の支配者として君臨（くんりん）し続けているのです。
　その間、創価学会でも、四代会長・北條浩氏は死去し、五代会長・秋谷栄之助氏は引きずり下ろされて蟄居（ちっきょ）中、そして、六代会長に原田稔氏が就任し、公明党委員長の方も、竹入・矢野・石田幸四郎・神崎武法・太田昭宏と、五代替わっています。池田大作一人が居座って、あとは総取り換え≠ﾆいう状態です。
　池田大作にとっては、十七年前の屈辱（くつじょく）も、三十年前の怨（うら）みも、今日のことも、同じレベルの関心事ですから、未だに整理がつかず、「裏切り者を許すな」「仇を討て」との命令を発し続けているのです。

<strong>慚愧に堪えない「山ｱ・八尋報告書」</strong>

　ところで、私は、日蓮正宗から創価学会に送り付けられた「破門通告書」の中にも、名前が載（の）りました。それも、池田大作の忠実な側近であった頃に書いた「報告書」が、池田大作の邪心≠証明するものとして、はなはだ慚愧（ざんき）に堪（た）えない形で、後世に名を残してしまいました。
　すなわち、同「通告書」の「第五・創価学会の宗門に対する背信」という項目には、次のように記載されています。
　「創価学会の昭和五十二年路線における逸脱（いつだつ）・背反（はいはん）の根底にあったものは、池田氏への報告書として記された、『山崎・八尋文書』『北条文書』等の学会内部文書に明らかであります。すなわち、昭和四十九年四月十二日付の『山崎・八尋文書』には、
『本山の問題については、ほぼ全容をつかみましたが、今後どのように処理して行くかについて二とおり考えられます。一つは、本山とはいずれ関係を清算せざるを得ないから、学会に火の粉がふりかからない範囲で、つまり、向う三年間の安全確保をはかり、その間、学会との関係ではいつでも清算できるようにしておくという方法であり、いま一つは、長期にわたる本山管理の仕掛けを今やっておいて背後を固めるという方法です。本山管理に介入することは、火中の栗をひろう結果になりかねない危険が多分にあります。
　しかし、私の考えでは、本山・正宗は、党や大学、あるいは民音以上に、学会にとっては存在価値のある外郭と思われ、これを安定的に引きつけておくことは、広布戦略の上で欠かせない要素ではないかと思われます。こうした観点から、後者の路線ですすむしかないように思われます。そのための布石としては、
（１）本山事務機構（法人事務、経理事務）の実質的支配
（２）財政面の支配（学会依存度を高める）
（３）渉外面の支配
（４）信者に対する統率権の支配（宗制・宗規における法華講総講頭の権限の確立、海外布教権の確立等）
（５）墓地、典礼の執行権の移譲
（６）総代による末寺支配
が必要です。
　これらのことは機会をとらえながら、さりげなく行うことが必要であり、今回のとこは、（１）、（２）、（３）、を確立し更（さら）に（４）まで確立できるチャンスではあります。
　いずれにせよ、先生の高度の判断によって決せられるべきと思いますので、ご裁断をあおぐ次第です。』
と、創価学会首脳が、宗門支配という恐るべき陰謀（いんぼう）を企（くわだ）てていたことが、明記されているのであります。さらに、昭和四十九年六月十八日付の『北条文書』には、『宗門の件』として、
『長期的に見れば、うまくわかれる以外にないと思う。（中略）やる時がきたら、徹底的に斗（たたか）いたいと思います。』
と、宗門から独立せんとする謀計が記されております（※筆者註。この報告書は、『国際センター』により日蓮正宗を支配下に置こうとした池田大作の指示により、私と北條浩氏が日達上人にお目通りし、これを受け容れるよう説得を試みた際、日達上人から厳しくはねつけられたことを逆恨みして、北條氏が池田大作あてに提出したものです）。
　これらの学会内部文書から判（わか）るように、要するに創価学会では、当時『学会が主、宗門が従』という傲慢（ごうまん）な考えから、実際に宗門を公明党や創価大学などと同様の外郭団体として、創価学会の支配下に置くか、それができなければ日蓮正宗から独立しようという、謀略（ぼうりゃく）を廻（めぐ）らしていたのであります。」
　少し引用が長くなりましたが、この「山ｱ・八尋報告書」というのは、私が主に内容を考え、当時私の部下ともいうべき立場にあった、八尋頼雄氏（現副会長、本部事務局長、池田大作秘書等、枢要〈すうよう〉な地位にあり、私が法学委員会で育成した弁護士です）に整理させ、書かせたものです。筆跡は八尋氏の直筆です。
　ちょうど池田大作の訪中期間中に書いたものですが、中国へ出発する前に池田は、当時、宗門問題については学会内で一番のエキスパートとなっていた私に、
　「帰るまでに、宗門対策の現状と今後の方針についてまとめておけ。帰ったらすぐに、皆に指示して具体化していく」
と命じ、私は池田大作の意を汲（く）んで、現状と今後の方針について報告書の形式にまとめたのです。
　そして、八尋氏に内容を確認させ、具体的な事案について、必要な修正を加えてもらい、清書してもらったのです。

宗門併呑の悪計は昭和４７年から

　昭和四十七年十月、「妙信講」の介入によって、きわめて不本意な形で正本堂落慶を迎えざるを得なかった池田大作は、直後から、捲土重来（けんどじゅうらい）を図（はか）って、さまざまな謀略と画策に取りかかりました。その一つは、日達上人に圧力をかけて、
　「正本堂が大聖人御遺命の戒壇堂である」
というお墨付きを無理やり得ることでした。
　それにより池田は、
　「自分は、三大秘法のうち大聖人もなされなかった本門事の戒壇建立∞広宣流布≠成し遂げた、仏法史上画期的な存在である」
との主張を打ち立て、「池田本仏論」の根拠にしようと企（たくら）んだのです。
　しかし、日達上人は頑としてこれに応じられず、それに憤（いきどお）った池田大作は、昭和四十八年に入る頃から日達上人にさまざまな攻撃を仕掛けながら、
　「こうなればもはや、宗門を学会の支配下に収めて、思うがままに動かす体制を作るしかない」
と腹を決め、この報告書のとおりに行動し、既定方針に添（そ）って、宗門を
　「最も存在価値のある外郭」
にしようと、行動を開始したのです。その一方で池田大作は、万が一、宗門支配に失敗したら、その時は、創価学会を「在家教団」として独立させる腹を固めました。そして、両様の構えをとって、準備を整えながら、露骨（ろこつ）に宗門に圧力を加えていったのです。
　これが、その後の宗門と創価学会の紛争の原因であります。
　私の手元には、これを裏付ける当時の極秘資料がたくさん残っています。
　以下、この点に焦点を当てて、事実を回顧（かいこ）していきます。（つづく）
『慧妙』　平成２０年６月１日号・第３７０号より転載]]>
        
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    <title>北海道決起大会にも執拗な妨害活動が！</title>
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    <published>2008-05-21T08:09:08Z</published>
    <updated>2008-05-21T08:11:55Z</updated>
    
    <summary>北海道決起大会　空港で会場で跳梁した謀略部隊 関西の学会員が北海道へも!? 怪文...</summary>
    <author>
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    </author>
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        <![CDATA[<strong>北海道決起大会　空港で会場で跳梁した謀略部隊</strong>

<strong>関西の学会員が北海道へも!?
怪文書作成班とのリアルタイムな連携</strong>

<strong>新千歳空港での騒ぎ≠ﾌ真相
謀略部隊と連携した怪文書の虚報</strong>

　大成功裏（り）に終わった北海道決起大会――。だが、その裏側では、案に違わず謀略部隊が暗躍。それも今回は、謀略部隊が起こした悶着（もんちゃく）が、そのわずか数時間後には怪文書となって発信され、それがインターネット上を賑（にぎ）わすという、異常な状況も。

　去る四月二十八日の午後五時三十分過ぎ、北海道決起大会のため新千歳空港に降り立った御法主上人猊下御一行が到着ロビーへと足を運ばれた時、騒ぎ≠ﾍ起こった――。
　新千歳空港の到着ロビーには、御一行が到着される前から、複数の不審者の姿が確認されていた。
　その中でも、目立つ動きをする男が二人。
　そのうちの一人は、日如上人猊下御一行到着のはるか以前から空港内にいて、不審な行動をとっていた、暴力団員ふうに見えるサングラスの男。そしてもう一人は、サングラスの男に呼び出されたかのように、到着時間が近付いたころロビーに現われ、「久しぶり！」などと言いながら握手を交わした、オレンジ色のシャツの男である。
　二人は、到着ロビーのあちこちにカメラを向け、記念写真≠撮りまくっていた。ところが、撮影対象になりそうなものを全て撮りきってからも、二人は到着ロビーから離れようとしない。
　この不審な動きに、御一行の御到着をお待ちする法華講員も、自然と注意を払う。すると、その視線に気付いたのか、オレンジ色のシャツの男が法華講員に、わざわざ「写真は撮らないから大丈夫だよ」などと声をかけてきた。
　だが、猊下御一行が到着ロビーに姿を現わしたとたん、サングラスの男は、それまでののんびりとした動きから、一転、いきなり短刀か何かを突きつけるような勢いで、猊下御一行にカメラを向けた。それも、すぐにも危害を加ることも可能な至近距離から――。
　そのあまりに悪質な嫌がらせに、随行の御僧侶が思わず声を上げる。
　同時に、動きを察知した法華講員が、間髪を入れず御一行との間に割って入るようにして楯（たて）となり、大騒ぎする二人を御一行から引き離した。
　その様子を御覧になった日如上人は、そんな下劣な輩（やから）に対しても慈悲の笑みを浮かべられつつ、御一行は何事もなかったように、新千歳空港を後にされた。
　これが、今回空港で起こった騒ぎ≠ﾅあったが、呆（あき）れたことに、これが怪文書作成班の手にかかると、次のように改ざんされてしまうのである。

　法華講員の過剰警備が原因で、アントニオ猪木さんの北海道入りを待っていたファンとトラブルが発生。
　猪木さんが乗った飛行機にたまたま乗り合せた日如（上人）一行の随行者が、猪木さんを待っていたファンに向かって「コラ〜ァ！」「写真を撮るな〜ァ！」と怒鳴り、その瞬間、日如（上人）は愚連隊も顔負けの鋭い目付きで猪木さんのファン達を睨（にら）みつけた。
　その後、猪木さんが現われると、そのファンは猪木さんを追いかけながら猪木さんの写真を撮ろうとしたが、警備の法華講員がファンの前に割り込み、写真撮影を妨害したばかりか、「誰を撮っているんだ！」「俺の顔が映っただろう！肖像権の侵害だ！」などと騒ぎ始めた。
　初めはおとなしくしていたファンも、この理不尽な言い掛かりには激しく怒り出して、空港内は一時騒然となった＝i怪文書『京都乃餓鬼新聞・第４３号』要旨）

　なるほど、たしかにアントニオ猪木氏は、猊下御一行が搭乗された飛行機に乗り合わせはていた。
　だが、猪木氏が到着ロビーに姿を現わしたのは、御一行より十分近くも遅れてのこと。その時には、すでに御一行の車列はすでに空港を後にしており、法華講員の緊張も解けていた。
　よって、猪木さんの写真を撮ろうとしたが、警備の法華講員がファンの前に割り込み、写真撮影を妨害した≠ﾆいうのも、初めはおとなしくしていたファンもこの理不尽な言い掛かりには激しく怒り出して、空港内は一時騒然となった≠ﾈどというのも、一切が嘘である。
　まったく、その名のとおり、「餓鬼」の作る怪文書は、デタラメきわまりないもの、といえよう。
　しかも、あろうことか、この怪文書、事件≠ｩら六時間後には、すでにインターネット上に配信されていたのである。この異例の早さは、怪文書を作成した「餓鬼」の一味が、現地取材に来ていたとしか考えられない。
　また、その感情的なまでの愚劣な筆致は、さんざん無い知恵を絞って御一行に嫌がらせを仕掛けたものの、法華講員に阻止されてしまい、日如上人からも憐憫（れんびん）の笑みしか掛けていただけなかったことに対する、悔（くや）しさの表われだったのであろう。

<strong>悪質な挑発を繰り返し警察が
近隣のアパートからカメラが会場狙う</strong>

　さて、翌・決起大会当日――。大会の会場となった真駒内セキスイハイム・アイスアリーナ周辺には、朝から、明らかにそれと分かる謀略部隊の輩が蠢（うごめ）いていた。こうした状況に、護法の念で集った警備担当の法華講員の間にも否応なく緊張感が走る。
　やがて謀略部隊の一人は、警備の法華講員にまとわりつき始め、終始落ち着き無く動き回って法華講員を挑発。その度合いは、開会時間が迫るにつれて執拗（しつよう）になっていった。その様子は、まるで酒にでも酔っているかのようだ。
　しかし、警備の法華講員は微動だにしない。なぜなら、謀略部隊の目的の一つが、騒動を起こして大会を混乱させることにあるのは「自明の理」だったからだ。
　これにしびれを切らしたのか、男の挑発はどんどんエスカレートして、警備業務にも支障を来たしかねないほど露骨な状態となっていき、ついに、警察官が駆け付けるまでに至ったのである。
　警察官の職務質問を受けた男とは、まさに前日、空港で謀略行為を働いたサングラスの男であった（！）。
　そのことを指摘されると、男は空港にいたことは認めたが、「昨日はアントニオ猪木の写真を撮りに行っただけ」とシラを切った。だが、動揺は隠せずシドロモドロに。
　そのため、言葉までは隠せず関西弁丸出しとなる。
　そして、「今日はこの建物の取材に来た」などと、見え透いた言い訳を並べた。
　そうこうしているうちに、あちこちに散らばっていた謀略部隊がゾロゾロと集まり始めた（これ自体が怪しいことを証明したようなもの）。
　警察官は、その中の数人に職務質問をしたが、された側は皆、「自分は関係ない」と謀略行為への関与を否定。
　ところが、その中のには、決起大会が終わって猊下が出発されるのを見届けるまで、大会会場に張り付いていた者もおり、もはや正体は明白であった。
　なお、当日は、こうした嫌がらせ目的の連中とは別に、会場に隣接するアパートの五階の一室のベランダから、大会会場にビデオやカメラを向けている男達の姿も確認された。
　このように、北海道決起大会には、前二回の大会以上に謀略部隊が跳梁（ちょうりょう）したが、それを全て払いのけ、決起大会は滞りなく終了した。もちろん、帰りの新千歳空港でも、羽田空港でも、隙あらば騒ぎを起こそうと謀略部隊が暗躍していたことはいうまでもない。
　さて、今回、現われた謀略部隊の男であるが、後に寄せられた情報で、その人物像がおぼろげながら浮かび上がってきた。
　というのもこの男、かつては東京にある大石寺出張所の周りをうろついており、また、西日本決起大会の時にも会場周辺に現われて、大声で喚（わめ）き散らして妨害しようとした関西在住の学会員なのだ。
　その関西の人間が、今回は、わざわざ飛行機まで使って北海道に乗り込み、現地で合流した仲間と共謀して謀略行為を行ない、かつ、その模様をデタラメに脚色して、関西で作成される怪文書に間髪をおかずに掲載する――こんなことは、巨大な組織が、その組織をあげて行なってこそ、なし得ることである。
　となれば、残る東日本決起大会にもまた、同一の謀略が仕掛けられる可能性は非常に高い、といえよう。
　されば我々は、心して、掉尾を飾る東日本決起大会を大成功に導くべく不断の努力を重ねると共に、明年の、立正安国論正義顕揚七百五十年を祝う本舞台には、今まで以上の魔が襲いかかるであろうことを覚悟して、信心に、さらなる磨きをかけていこうではないか。
【慧妙　５月１６日号　第３６９号より転載】]]>
        
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    <title>北海道決起大会も大成功！　目標を超える大結集</title>
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    <published>2008-05-21T08:07:24Z</published>
    <updated>2008-05-21T08:09:03Z</updated>
    
    <summary>嬉しい悲鳴！目標を上回り会場を変更 効を奏さなかった学会の執拗な妨害 　四月二十...</summary>
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        <![CDATA[<strong>嬉しい悲鳴！目標を上回り会場を変更
効を奏さなかった学会の執拗な妨害</strong>

　四月二十九日(火)、「地涌倍増大結集推進・北海道決起大会」が、札幌市の真駒内(まこまない)セキスイハイム・アイスアリーナで、六千名を越える参加者をもって盛大に開催された。
　明年の「地涌倍増大結集」に向け、全国四ヶ所で開催される決起大会も、今回で三ヶ所目──。
　初回の「西日本決起大会(二月三日)」、二回目の「九州決起大会(二月二十四日)」が大成功裏に終わっているだけに、「北海道を失敗させるわけにはいかない」との道念と、「御法主日如上人・御隠尊日顕上人の両猊下がお揃いで来道されるこの時に、北海道法華講員の意気盛んな姿を御覧いただこう」との熱意のもと、北海道では、僧俗を挙げて結集に拍車を掛けてきた。
　その結果、三月には、当初の結集目標の三五〇〇名を大きく上回るところとなり、会場に入りきれないということで、一旦は、参加推進をストップしなければならない状況になった。
　そして、急きょ、会場をもっと大きな真駒内アイスアリーナに変更。この時点で、すでに大会は一か月後に迫っていた。
　広い会場を確保できたことで安心した各講中では、指導教師の陣頭指揮のもと、さらに結集推進を展開し、結果、大会は、六〇〇六名の参加者をもって開催されるところとなったのである。じつに、当初の目標の二倍近い結集である。

　結集推進の活動を展開した一月・二月・三月といえば、まさに北海道は厳しい冬の真っ直中──いかに温暖化が叫ばれる昨今といえども、さぞかし、雪や寒さとの闘いに苦労することもあったであろう。しかし、その冬を闘ってきた熱い想いが花咲くかのように、当日の札幌は、桜が満開。今年は例年より二週間も早い開花ということで、参加者達は一様に、「この日に間に合わせて咲いた」と歓びあった。
　春の穏やかな空気の中、道内の各布教区からバスや自家用車を連ねて会場に到着した参加者達の顔には、いずれも、結集目標を大きく上回ってこの日を迎えられた歓喜と感動がみなぎっていたのである。

　定刻の午後十二時五十分、日如上人・日顕上人両猊下の御臨席のもと、第一部が開始された。舞台では、ブラスバンドによる演奏、未来の広布を担う鼓笛隊とポンポン隊のハツラツとした演奏・演技、青年部有志による北海ソーラン・和太鼓、婦人部のコーラスと、パフォーマンスが繰り広げられる。
　支部目標の一五〇％を超える講員と共に参加したという、ある御僧侶は、目を細めながら、
　「我が講中でも、鼓笛隊・ポンポン隊・婦人部コーラスに参加しましたが、その八割が、ここ一年くらいの折伏で入信した人達でした。とくに、婦人部員の中には持病を抱えて入信した人も多く、やり遂げられるか、心配と不安の毎日でしたが、お互いに励まし合いながら何度も練習して臨んだのです。
　後日、寺院にて大会の感想発表会をしたところ、それぞれが、『困難を克服し、最後まで頑張り通して本当に良かった。気がついたら身体の調子も良くなり、日蓮正宗の素晴らしさと、御本尊様の広大無辺の功徳を体験させていただきました』という体験が相次ぎました」
と語る。
　場内に一体感を醸した第一部が終了し、小憩を挟んだ後に第二部が開始された。そこでは、決意発表・激励・挨拶と続き、いよいよ日如上人猊下が御登壇されると、参加者は緊張の面持ちで一斉に居住まいを正す。
　「地球的規模で起こっている現在の悲惨な状況を脱するには、日顕上人猊下から賜わった『地涌倍増と大結集』の御命題を成し遂げる折伏実践に掛かっている」(趣旨)との御指南に、場内の誰もが、明年の『立正安国論』正義顕揚七五〇年に向け、さらなる折伏の実践を心に期したのである。

<strong>徒労に終わった学会員の妨害
全道規模で参加阻止の活動！</strong>

　過去二回の決起大会同様、北海道決起大会に向けても、創価学会員による妨害が相次いだ。
　事前の妨害活動のほとんどは、法華講員の参加を阻止しようとするもので、二、三人の学会員が連れ立って高齢の法華講員宅を訪問し、「アイスアリーナは階段があって危ない。何かあったら大変だから、行かないほうがいいですよ」などと親切ごかしに不参加を促(うなが)したり、あるいは、身内（学会員）に声を掛けさせて、玄関が開いたところで学会幹部や学会僧（離脱僧）が入り込み、宗門の悪口を吹き込もうとしたり、ということが、北海道のあちこちで展開されたのである。
　しかし、そうした学会の行為は、逆に正信の僧俗を奮起させることとなり、いよいよ強固な結束のもと、六〇〇〇名を超える大結集へとつながったのである。
　創価学会は、この北海道決起大会の大成功を妬んだのであろう、怪文書をネタに、口コミであらぬ噂を会内に流していたらしい。折伏に行った法華講員に対し、口々に言うことは、「日如上人が登壇した時、地震が起こった」「開会中は、悪天候の上に風が強く、すごい寒さだった」というもの。
　当然のことながら、これがデマであることは、参加した法華講員なら誰でも知っていることである。
　たしかにこの日、青森で地震があって、札幌でも揺れを感じたが、それは日如上人が御登壇される一時間以上も前のこと。また、この日の札幌は、悪天候でもなければ強い風もない、穏やかな春の一日だったのである。
　もし、その時間に地震や悪天候に見舞われたとすれば、それは、空港から会場周辺に出没していた学会謀略部隊の頭の上にだけ、起きた現象であろう。なお、その謀略部隊の当日の動向については、本紙二面に「北海道決起大会・番外編」として紹介する。
　とにかく、この北海道決起大会の成功にも象徴されるように、日蓮正宗は今、御法主上人猊下の御教導のもと、明年の地涌倍増と大結集、そして広宣流布に向けて進撃を続けているのである。
【慧妙　５月１６日号　第３６９号より転載】
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    <title>続・あの頃のこと【その４】</title>
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    <published>2008-05-07T08:12:23Z</published>
    <updated>2008-05-07T08:15:53Z</updated>
    
    <summary>露呈した学会の謀略体質に、今、改めて思う ??陥れ?≠ﾍ創価学会の常套手段 　私...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.myokan-ko.net/">
        <![CDATA[<strong>露呈した学会の謀略体質に、今、改めて思う</strong>

<strong>陥れ≠ﾍ創価学会の常套手段</strong>

　私が、原島嵩氏、Ｎ氏、Ｋ氏らと共に、『週刊文春』誌上に「創価学会七人の最高幹部の内部告発」として手記の連載を開始したのは、昭和五十五年六月九日のことでした。
　そして間もなく原島嵩氏が仮面を脱（ぬ）ぎ、名乗りを上げたため、大騒ぎとなり、この月の末に行なわれた衆参同日選挙では、公明党が惨敗しました。
　当時委員長であった竹入義勝氏は、
　「文春≠ﾉやられた」
と悔（く）やしがっていたそうですが、あれから三十年近く経（た）って、その竹入氏も、今は日蓮正宗信徒となっています。
　池田大作が欲しくても貰（もら）えない「勲一等」の勲章を竹入氏が受けたことで、激怒した池田大作は、竹入氏が『朝日新聞』に回顧録を連載し、日中国交回復の裏話を明らかにした中に、池田大作のことを一言も触れなかったことで、またまた激怒して、『聖教新聞』と公明党による竹入バッシング≠徹底的に行ないました。
　それでも腹の虫が治まらなくて、公明党に
　「竹入氏が、委員長時代に党の金を使って妻に高価な宝石を買った。その金を返せ」
という訴訟を起こさせたようですが、先日、東京地裁で、公明党全面敗訴の判決が下りました。
　作り話をデッチ上げ、子飼いの弁護士達を使って裁判を起こし、大勢で口を揃（そろ）えて証言していたものと思われます。
　こうした訴訟で相手を陥（おとしい）れようとする手法は創価学会の得意とするところであり、破門された後、日蓮正宗に報復するため、全国で墓地訴訟≠起こした時のマグカップ事件＝i学会員が、お寺から返させた遺骨を、こっそりマグカップに入れ替え、「正宗寺院は学会員の遺骨をこのように粗末な扱いをしている」として訴えた事件で、裁判でインチキなカラクリが発覚してしまい、正宗寺院が勝訴した事件）など、特に有名です。

<strong>「正義」失った学会が見せた醜態</strong>

　先日、二人の婦人講員が、不当に逮捕されるという事件がありましたが、これは折伏された学会員が訴えたそうで、まことに奇妙な話です。
　昔は、学会員が他宗の人達を激しく折伏していて、檀家が次々と学会員になっていくのに耐えかねた他宗が、「学会員が無理やり押しかけ、上がり込んだ」「位牌や仏壇を焼かれた」などと訴え、警察の力を借りて檀家を守ろうとしました。
　今ではその創価学会が、公明党の力で警察を動かし、法華講の折伏から会員を守ろう（？）としているのですから、今昔の感≠ｪいたします。
　昔の学会の折伏は無敵でした。向かうところ敵無しで、他宗の僧侶は法論を避（さ）けて逃げ回りました。
　今では、その学会が、正宗の法華講の折伏に、戦々恐々として逃げ回っています。
　法華講員が知り合いの学会員の家に折伏に行くと、連絡を受けた青年部員が大勢駆け付け、「不法侵入∞不退去罪≠ﾅ逮捕させるぞ」と脅（おど）して折伏から会員を守ろうとします。
　牧場で羊を守る番犬のように、おいしい金の成る木≠ﾅあり、大切な「一票」である会員の囲い込みに必死です。
　昔、創価学会が法論に強かったのは、「日蓮正宗の教学」をもって折伏したからです。「三証論」「五重の相対」「四箇の格言」を振りかざして怒濤（どとう）の進撃を続ける創価学会に、立ち向かえる宗教団体はありませんでした。
　ところが、破門された後の創価学会は、この鬼に鉄棒（かなぼう）≠ﾌ正宗教学を失いました。そして、今や「正宗教学」で理論武装した法華講から折伏を受け、逃げまどっているのです。
　池田大作は、自ら「末法の本仏」になろうという、罰（ばち）当たりな妄想に囚（とら）われて、謗法のかぎりを犯し、創価学会を「破門」へと導いてしまいました。
　信仰の根本としてきた、大石寺の戒壇の大御本尊と「正宗教学」を放棄し、勝手に作ったニセ本尊を拝ませ、さらには「本尊など何でもよい」といって正宗の御本尊を捨て去り、大聖人の尊極の教えに低俗な外道義をゴチャ混ぜにしてもっともらしく述べている「池田教」の信者が、大聖人の正しい教学を学んだ法華講の皆さんの折伏に太刀打ちできるはずがないのです。
　今、宗教の世界から政治の世界へと逃げ込もうとしている創価学会は、国家権力という最大の力を用いて、正しい信仰を持つ人達を弾圧し始めました。
　これからも、そうしたことは増えるでしょう。こうした邪道を信仰の力で破っていく闘いの中から、本当の日蓮正宗の信心の輝きが現われることでしょう。

<strong>今、私が果たすべき責任と義務</strong>

　私の「あの頃のこと」は、今日の創価学会の出発点となった昭和五十二年以後、池田大作の邪な野望が具体化され、八百万会員（実際は五百万そこそこでしょう）もろとも、正宗の信徒団体から「魔の集団」へと変身していった創価学会問題の真相を、元から解明しようと思っています。
　平成三年十一月、宗門が創価学会に送った破門通告書にも、破門の原因を昭和五十二年当時のことに遡（さかのぼ）って指摘されています。
　御隠尊日顕上人猊下も、御説法、御講義の中で、創価学会の誤りを歴史的事実の上から完膚（かんぷ）無きまでに破折しておられますが、私は、これを繰り返し拝させていただき、当時渦中にあった私自身の目で見、耳で聞いた事実をもとに、真実を明らかにしようと思います。
　私は創価学会という巨大組織の頂点に身を置き、この国の様々な仕組みを知ることができました。
　池田大作の尻馬に乗って、大勢の人を従え、良いことにも悪いことにも手を染め、巨大霊園も作りました。
　興隆期から全盛期を迎え、そして「言論事件」を境に滅亡への道を歩み始めた、近代日本で最も奇妙なリーダーが率（ひき）いる、最も奇妙な教団の中枢で、様々な経験をしました。
　まるで救世主か英雄のように振る舞い、表向き清廉潔白（せいれんけっぱく）で、非の打ち所のない修行者を演じながら、裏では、醜（みにく）い野望を剥（む）き出しにした、やりたい放題の私生活を送っている人物を心から敬（うやま）い、仏法を敬い守護するように見せながらじつは破壊し、末法の御本仏を信奉して外護（げご）するふりをしながら、御本仏を突き倒して自ら成り代わり、自分への帰依を要求する人物を助けるために、私は何でもやりました。そうすることが、自身に課せられた仏道修行であると信じ込んで、その悪行をひたすら支え、手伝いました。
　「師匠が地獄に堕（お）ちても、ついていくのが弟子の道だ」
　「私は、戸田先生からあいつを殺せ≠ﾆ言われれば殺す気で、お仕（つか）えしてきた。君は私が『殺せ』と言ったら人を殺せるか」
と言われ、ためらうことなく「ハイ」と答えて弟子に加えられ、「新弟子証」を与えられました。（新弟子≠ﾍ、池田の門下生であり、牧口・戸田氏の門下は、本弟子≠ﾆされました。池田は、日蓮大聖人が「本六・新六」の弟子を定められたのを真似〈まね〉したのです。
　私は、池田大作の言うことを信じ、日蓮正宗を支配下に置こうとする目論（もくろ）みに加担し、重要な役割を担（にな）いました。
　御宗門に対して、様々な謀略を仕掛けました。
　しかし、ある時期から、そうした自身の在（あ）り方の誤りに気付いた私は、がく然とするとともに、自身も含め大勢の学会員が道連れにされ地獄に落とされるのを何とか防がなくてはならないと思い、池田大作の宗門対策に反対するようになりました。そのために、池田大作の怒りと怨（うら）みを一身に受けることになりました。
　昭和五十二年以降、宗門と創価学会の紛争が激化するにつれ、私は池田大作にたてつき、特に日達上人から直々に諭（さと）されてからは、御宗門を守るために日達上人に御奉公し、池田大作の野望を阻止することに協力するようになったのです。
　そのような人生を送った私の体験を語ることは、創価学会と池田大作の破仏法≠ﾌ歴史を赤裸々（せきらら）に明らかにすることになります。
　なお、私は一時、「正信会」と行動を共にし、御法主上人にたてついた時期がありました。
　日顕上人の御相承に疑念を呈した一文を、週刊誌に掲載したこともありました。
　そのことを、いくら悔い、いくら懺悔（さんげ）謝罪しても、罪が消えるものではありませんが、それが多くの人達に及ぼした影響を少しでもぬぐい去る努力を続けることで、償（つぐな）うしかないと考えています。
　その時のことも明らかにしなくてはなるまいと思っています。

<strong>改めて私の「来し方」を振り返る</strong>

　私は、二十歳の時、京都大学法学部二年の時腎炎に冒（おか）され、郷里岡山で三年の間、入院と自宅療養を繰り返しました。
　昭和三十四年四月のことです。世の中が皇太子御成婚で沸（わ）き立っていた中で、一人だけ、このまま若死にするしかないのかと、挫折と絶望を味わいつつ過ごしていた頃、母や周囲の人達から折伏され、渋々創価学会に入会、岡山市妙霑寺で御授戒を受け、日蓮正宗信徒となりました。
　他にすることがないので、ただ勤行と唱題を続けているうちに、初信の功徳でしょう、病は快方に向かい、生きる気力が戻ってきました。
　文字どおり「更賜寿命（きょうしじゅみょう）」の功徳をいただいた私は、京都大学に復学し、幸いなことに在学中に司法試験に合格し、昭和三十九年に弁護士となりました。
　その頃すでに、学生部幹部として池田大作の直々の講義や指導を受ける立場にあった私は、池田大作の指示のとおり、迷うことなく弁護士になって、学会員の選挙違反や不祥事を処理するようになりました。
　その後、学生部の幹部から首脳への道をまっしぐらに駆け上がり、昭和四十五年の「言論事件」を境に本部中枢に迎えられて、池田大作の側近・首脳として、創価学会の運営に参画しました。
　そして昭和五十二年、池田大作が、宗門を支配下に置こうと考えてきた謀略の仕上げにかかり、僧侶を吊し上げ、寺を経済封鎖した上で、高らかに「創価学会独立路線」「寺院と僧侶の無用論」を宣言したとき、私は池田大作にたてつき、それが原因で中枢から追われた上、「恐喝罪」で告訴され、牢獄も経験しました。
　振り返ってみれば、御本尊に巡り合えたおかげで、私は、普通の人には味わうことのできない、不思議な、波瀾万丈（はらんばんじょう）の人生を送る運命となりました。
　その間、まことに貴重な体験をさせていただきました。
　中学・高校・大学時代の同窓生は大臣になり、最高裁判事になり、あるいは大企業のトップになり、京大教授も何人かいます。
　私は地位も財産もなく、文字どおり、市井（いちい）の片隅で一生を終えるでしょう。
　しかし、大御本尊と日蓮大聖人の教えに身を捧（ささ）げ、魔と闘っていることを、何よりも誇りに思い、最高に満足して生きています。
（つづく）
【慧妙平成20年５月１日・368号より転載】]]>
        
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    <title>四月十四日東京地裁　顕正会に司法の鉄槌下る!!</title>
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    <published>2008-05-07T08:10:10Z</published>
    <updated>2008-05-07T08:12:17Z</updated>
    
    <summary>名誉毀損で計二百万円の損害賠償命令 法華講員の折伏に醜聞攻撃で対抗 ＝学会の怪文...</summary>
    <author>
        <name>myokanko</name>
        
    </author>
            <category term="時局レポート" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.myokan-ko.net/">
        <![CDATA[名<strong>誉毀損で計二百万円の損害賠償命令</strong>

<strong>法華講員の折伏に醜聞攻撃で対抗
＝学会の怪文書を丸呑みにした中傷記事＝
判決は「真実と認められぬ」と裁断！</strong>

<strong>「公共性・公益性も真実性・相当性もなし」
醜態晒したあげく完敗した顕正会</strong>

　去る四月十四日、東京地裁において、顕正会（代表者・浅井昭衛）と『顕正新聞』発行人・小峰勝彦に対し、名誉毀損（めいよきそん）による損害賠償金・計二百万円を支払え、との判決が言い渡された。このところ刑事事件で逮捕者続出の顕正会だが、今度は民事訴訟においても全面敗訴。この団体はどこまで転（ころ）げ落ちていくのか――。

　四月十四日の法廷には、被告である顕正会側の弁護士はおろか、顕正会幹部も誰ひとり来ておらず、すでに全面敗訴を予想していた感がある。
　午後一時十分開廷、被告の姿のない法廷で、裁判長が被告顕正会を裁（さば）く判決主文を朗読――。顕正会（代表者・浅井昭衛）と『顕正新聞』発行人・小峰勝彦に対し、名誉毀損による損害賠償金・計二百万円を支払え、との、被告側全面敗訴の判決が言い渡された。
　本件訴訟は、顕正会機関紙『顕正新聞』（平成十七年五月十五日号）が、理境坊所属妙観講々頭・大草一男氏の女性スキャンダルなるものを書き立て、名誉毀損で東京地裁に訴えられていたもの。

<strong>追い詰められていた顕正会
教義で勝てず醜聞攻撃へ</strong>

　事件の背景として、顕正会は昭和四十九年に日蓮正宗を破門されて以来、激しく日蓮正宗を攻撃し、法華講員や創価学会員を切り崩して勢力拡大を図っていた。
　ところが昭和六十三年に、妙観講の折伏の教線と衝突、双方の代表者である会長と講頭が自ら筆を執って教義論争を繰り広げた結果、顕正会の邪義と誑惑（おうわく）が露呈（ろてい）してしまい、これによって初の大量脱会者を出すに至った。
　以来、顕正会をやめて日蓮正宗に入信した講員達が、インターネットを使い、また自らの縁故をたどって、それぞれ折伏に励んでくる中で、顕正会からの脱会者は後を断たない状況となり、さらに脱会して最寄（もよ）りの寺院に所属した人達からも、顕正会折伏の輪が拡がり、文字どおり、顕正会から日蓮正宗への帰伏者は数えきれぬ程となっていった。
　こうした状況にあった平成十七年春、劣勢に追い込まれた事態を一発逆転しようと企（くわだ）て、顕正会会長・浅井昭衛が、突如として当時の御法主・日顕上人に対し不遜（ふそん）な「対決申し入れ」を送付してきた。
　この「対決申し入れ」についての浅井の意気込みは大変なものであったが、そもそも宗祖大聖人は
　「一丈の堀をこへぬもの十丈二十丈の堀を越ゆべきか」　　　（御書一〇五八頁）
と仰せである。これまで、在家である妙観講・大草講頭との教義論争に破れ、直接対決を逃げ回ってきた浅井昭衛ごときが、一宗を統率あそばす血脈付法の御法主上人に「対決申し入れ」など、百年早いと言うべきだろう。
　この浅井の思い上がりに憤（いきどお）った妙観講の有志らが、二、三人ずつのチームを組んで各地の顕正会事務所に赴（おもむ）き、そこに集まっている顕正会員達を片っ端から糾弾し、折伏を始めたものだから、顕正会としてはたまったものではなかった。
　苦し紛（まぎ）れに、大勢で取り囲んで恫喝（どうかつ）し、口汚なく罵（ののし）り、暴力的な排除を行なった上に、自ら弱者を装って警察まで呼んだりしたが、妙観講の講員は女性であっても怯（ひる）まない。
　こうして追い詰められた顕正会は、教義で太刀打ちできなければスキャンダル攻撃で、とばかりに、学会怪文書が書き立てていた内容を丸呑みで利用し、あたかも大草講頭に女性スキャンダルがあるかのごとき記事を、『顕正新聞』（平成十七年五月十五日号）に掲載したのであった。

<strong>学会怪文書が書き立てた内容
出処不明の「Ｊ子の日記」騒動</strong>

　ちなみに、この学会怪文書が書き立てていた内容≠ﾆいうのは、「Ｊ子の日記」と称する出処不明の怪しげな文書をもとに、大草講頭が一女性講員を弄（もてあそ）んで捨て、講中からも追放した。その被害女性が綴（つづ）った日記がこれだ％凾ﾆする与太話である。
　もとより、妙観講では、この「日記」なるものは出処不明の捏造（ねつぞう）文書である、として取り合ってこなかったが、これを怪文書『地涌』『勝ち鬨』等で大々的に取り上げた創価学会側では、妙観講との別な法廷闘争の中で、この「日記」が真実であるかのように主張し、「大草講頭が『Ｊ子の日記』に対し法的措置を取らないことが真実である証拠だ」などと言い募（つの）ってきた。
　それに対し妙観講側は、「その『日記』が本当に真実であるというなら、トカゲの尻尾のような怪文書等に書くのではなく、法人としての責任において機関紙に堂々と報道したらどうか。そうしたら正面から受けて立って、即刻、法的措置を取るであろう」と宣言した。
　ところが、これを書いて名誉毀損となることを恐れた学会側は、どうしても堂々と書くことを避け続け、そうこうしているうちに、前述のごとく、妙観講々員らによって追い詰められていた顕正会の方が、この与太話に飛びつき、機関紙『顕正新聞』紙上にそのまま報じてしまったのである。
　これを受けて大草講頭は、顕正会代表・浅井昭衛と『顕正新聞』発行人の二人を相手取り、名誉毀損による損害賠償を求めて提訴に及んだ。――これが今回の判決言い渡しとなった事件の背景と概要である。

<strong>噴飯ものの顕正会の主張
否定された「日記」の真実性</strong>

　さて、この裁判における争点のポイントとなったのは、およそ以下のような点であった。
@当該『顕正新聞』の記事が、原告である大草講頭の名誉を毀損し、社会的評価を低下させるものであるか、どうか。
A当該『顕正新聞』の記事に公共性と公益目的があるか、どうか（もしなければ、記事内容の真実性を論ずるまでもなく、原告個人のプライバシーを侵害するものとして、名誉毀損が成立する）。
B当該『顕正新聞』の記事内容は、真実であると認められるか、どうか。また、真実と思い込んでも仕方のない相当な理由があって、記事を執筆したのか、どうか。
　これらについて顕正会側は、『顕正新聞』の記事を読んでも信ずるような法華講員などいないだろうし、また、そもそも顕正会員は原告を微塵（みじん）も評価していないのだから、当該記事が原告の評価を低下させることはあり得ない≠ｾとか、原告の法華講大講頭の地位は日本の命運を左右するものであり、その原告について書いた記事には公共性がある。また、原告や日蓮正宗がなしている国立戒壇の否定は日本国を滅ぼすことにつながり、その国家の興亡に関わっている原告を批判することは公益目的に当たる≠ﾈどという、開き直りとしか思えない暴論を展開してきた。
　そして、その一方で顕正会は、密（ひそ）かに「Ｊ子の日記」を書いたとされる女性を捜し出し、何とか自らに都合のよい裏付け証言を取り、あわよくば証人として出廷してもらおうと企てたのであった。
　ところが、その女性は、「自分はたしかに二十五年も前に妙観講の活動から離れてしまったが、それは自分がそうしたのであって、大草講頭に弄ばれて捨てられた≠ﾆか講中から追放された≠ﾈどという事実は一切ない。むしろ大草講頭に会ったら、お礼を言いたいと思っている」という真情を述べて、顕正会への協力をキッパリと拒絶。そして、「Ｊ子の日記」の真実性を否定する陳述書まで裁判所に提出したのである。

<strong>顕正会の主張は悉く破綻
二重・三重に完全敗訴</strong>

　事ここに至って、顕正会の主張は悉（ことごと）く破綻（はたん）した。顕正会の醜態（しゅうたい）に、傍聴席の一般傍聴人からも失笑が漏（も）れる中、裁判は結審し、判決言い渡しの四月十四日を迎えた。
　判決は、
@『顕正新聞』記事は明らかに原告の社会的評価を低下させるものである
A原告は妙観講の指導者ではあっても、特別な社会的影響力を有する地位にあるとはいえず、したがって『顕正新聞』の記事には公共性も公益性も認めることはできない
B（右の事実だけで名誉毀損は十分成立するが、念のため、記事の真実性と相当性についても判断を下すと）「Ｊ子の日記」に関する顕正会の主張には裏付けがなく、「日記」の作者とされた女性もこれを否定していること、また、それ以外にも、原告に拘るスキャンダルの実在を認めるに足りるような証拠は一切ないこと――等により、当該『顕正新聞』の記事内容にはまったく真実性がなく、また、それを真実と推測させるような余地（相当性）もない
として、顕正会側の主張を全て斥（しりぞ）け、原告の全面勝訴となったのである。
　正法への根本信と、ギリギリまで引きつけておいて撃つ≠ﾆの胆（きも）の据わった方針が、異流義団体・顕正会の誑惑記事を打ち破ったといえよう。
（慧妙　平成20年５月１日・３６８号より転載）]]>
        
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    <title>不当逮捕・拘留された婦人講員２名の手記</title>
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    <published>2008-04-16T07:09:47Z</published>
    <updated>2008-04-16T07:12:19Z</updated>
    
    <summary>「あまりに勿体なくて、有り難くて」 伊藤奈津美さん 前触れなしの突然の逮捕 まっ...</summary>
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            <category term="時局レポート" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.myokan-ko.net/">
        <![CDATA[<strong>「あまりに勿体なくて、有り難くて」
伊藤奈津美さん</strong>

<strong>前触れなしの突然の逮捕
まったく事実無根の嫌疑！</strong>

　先月十九日、出勤する主人を送り出し、朝の勤行をしようと、ローソクに灯をつけた時のことでした。家のブザーが鳴りました。ドア越しに「どなたですか？」と尋（たず）ねると、「野方警察です」という返事が返ってきました。
　私はその瞬間、「また学会員が嫌がらせに来たのか」と思いましたが、警察だというので、一応、疑いながらもドアを開けました。
　すると、開けるや否や、起きがけの私の顔を、断わりもなくパシャパシャと撮影しはじめたのです。驚いてドアを閉めようとしたところ、それを押し戻して、四人の刑事達が強引に家の中に入ってきました。「中に入るのは困ります」と必至で通せんぼしたのですが、女ひとりの力ではかなうはずがありません。
　私は大変な事になった≠ﾆ思い、すぐに電話をかけようとしました。すると体をつかんで妨害してきたのです。そこで、携帯電話でかけようとして取り出したところ、今度は奪（うば）い取られてしまいました。必死に電話をかけようとする私に対し、刑事が何か文章を読んで聞かせようとするのですが、私の方は聞くどころではありません。やがて刑事は読むのを止めて、大声で「あなたを逮捕してもいいと裁判所から言われているのっ！」と言ってきました。
　その後、刑事達が家の中をさんざん物色したあと、私は手錠をかけられ、腰にロープを結ばれて、外に停まっている車に乗せられました。
　車に乗る頃には、どういう容疑で刑事達が来たのかわかってきたので、私は、ニセ本尊を破却（はきゃく）したのは本人の意志だった事を証明する証拠として、破却の確認書がある事を話しました。すると、再び家にとって返し、確認書を手にした刑事達は、「これだっ！」と言って大喜びしたのです。
　要するに警察は、私達が相手の学会員に接触した証拠すらないまま、逮捕に踏み切ったのです。それも、昨年の十月に学会員宅を訪問して折伏したとき以来、相手側の弁護士から何か言ってきたわけでもなければ、警察から何かの注意や連絡があったわけでもなく、まして一回の事情聴取もないまま、いきなり逮捕されたのです。
　ほどなくして野方警察署に着くと、手錠をはめられ、ロープにつながれたまま警察署の中を歩きました。
　ショックだったのは、トイレさえも一人では使わせてもらえなかったことでした。婦人警官がロープを持って、つながれたままの状態でトイレに入るのです。そのため、ドアを完全に閉めることができず、婦人警官が足でドアを押さえていました。私は、容疑者はこういう風に扱われるのか、女同士だからしょうがないか、と諦（あきら）めるしかありませんでした。
　それから取り調べが始まりました。そして、その時はじめて、相手の学会員の言い分を知ることができたのです。私達が「宅急便だ」と言って騙（だま）してドアを開けさせ、強引に家に上がり込み、相手の手を押さえつけて勧戒願いに無理やり署名させ、同じようにしてニセ本尊も力ずくで切断させた、と言って訴えてきたというのです。
　それは全く事実と違っています。私達は了解があって家に上げてもらったのですし、相手は、私達の話に納得して、少し不自由ながらも自分の手で勧戒願いに署名し、ニセ本尊もハサミを出してきて自分の手で切断したのです。私は、そのように話しました。
　その後、刑事が、好きな食べ物や嫌いな食べ物について聞いてきたので、なぜ、そんな事を聞くのか尋ねたところ、「嫌いな食べ物を聞いておけば、これから留置所に入ったときに役に立つじゃないか」と言うのです。
　この時、予想はしていたものの、やっぱり留置所に入れられるんだと思いました。
　驚きはしましたが、折伏をしたことで刑務所に入れられる場合もありうる、それが法難なのだと、講中での勉強会などで聞いてきたので、「これは法難なのだ」と受けとめることができました。
　残念だったのは、この日が、楽しみにしていた折伏指導会が行なわれる日だった事でした。私は留置所に入れられるにしても、折伏指導会だけでも何とか参加させてもらえないだろうかと思って、反抗的な態度はとらないようにしたのですが、やはり無理な相談でした。
　その後、留置所に移されました。留置所では一部屋を四人で使うようになっていました。トイレは各部屋にありましたが、大きな窓が付いていて入っている姿が外から見えるようになっています。自殺防止のために、そうなっているという事でしたが、プライバシーも何もあったものではありません。
　やがて就寝時間が近づいた時、婦人警官が、「あとで、あなたの弁護士さんが来るからね」と言ってきました。
　私は弁護士さんをお願いするすべも知らなかったので、本当に弁護士さんが来てくれるのだろうか、誰かと間違えているのではないか、と思ったのですが、もし本当であれば、少し明るい光が差した感じがしました。
　それというのも、私が逮捕されたことを主人は知らないのではないか、刑事がちゃんと伝えてくれたのか、わからなかったからです。
　しばらくして、やって来られた弁護士さんから、「妙観講から聞いてまいりました」という言葉を聞いた時、私の事が主人に、そして講中の先輩方に伝わったのだ、と一気に不安がふきとんだ事が、今でも鮮明に思い起こされてきます。
　その日から二十一日に及んだ勾留の期間中、弁護士さんは何度も足を運んでくださいました。その中で、「伊藤奈津美さんへ」と書かれた講頭からの励ましのメッセージを見せていただきました。また、猊下様が私の逮捕について御心配くださっていると伺（うかが）ったときには、あまりに勿体（もったい）なくて、信じがたくて、聞き返してしまいました。有り難くて有り難くて、泣き出しそうなのをこらえるのがやっとでした。
　そして、自分ごときが、このような形で罪障消滅させていただけるなんて、本当に有り難いことだと思いました。その思いで二十一日間にわたる勾留期間を乗り切り、八日に戻ってくることができました。
　今後は、猊下様のお心を悩ませる大謗法の創価学会を崩壊させるまで、二十倍返しの想いで折伏に精進してまいります。

<strong>「勤行・唱題・書籍研鑽に励みました」
生田和子さん</strong>

<strong>出頭したのを無視して突然逮捕
『慧妙』で読んだ状況が現実に!?</strong>

　三月十九日、同志である伊藤奈津美さんが、学会員の折伏をしたことによって、ありもしないことをでっち上げられて不当逮捕されました。折伏に同行した私も、逮捕されることが予想されましたので、自ら警察に行くことにしました。
　何ヶ月か前の『慧妙』に、「電車の中で痴漢をしてないのに、周りの、乗車していた人達が学会員で、痴漢をしたと証言されれば、痴漢をしたことにされ、犯罪者になってしまうだろう」という話が掲載されていました。学会が政権をつかんでいる世の中では、いずれ、このような事態が当たり前のように起きる、という内容でした。私は、その時代が、自分の予想よりも早く来てしまった、と思いました。
　自らがこの理不尽な法難を受けることになった事に、驚きと共に、「これで大きく罪障消滅できる」と思いました。
　そして、三月二十日午後三時、私は自ら野方警察署に行きました。
　受付の警官から、今回の伊藤さんの不当逮捕の担当の刑事はＳ警部補であると聞き、会って話がしたいと話すと、「今は事件で外に出ている」と言われ、「何時に戻るかわかりません」と、取り次いでもらえませんでした。
　いったん帰りかけましたが、その時の様子から、どうもＳ警部補は実際には署内にいるように思えたものですから、思い直した私は、もう一度、野方署に戻りました。
　「知人が無実の罪で逮捕され、人権侵害です。何とかしてください。きっと辛（つら）い思いをしている、私も関わっているし」と話すと、受付の警察官は、「　お気持ちはわかりますが、Ｓは外に出ていて今日は帰りません。上司も祝日で休みです。明日、電話してください」とのことでした。
　しばらくたって、三回目、野方署に行き、「自分も伊藤さんと同行しているのだから、私も容疑者です。Ｓ警部補と話をさせてください」と伝えると、「容疑者なら、Ｓには伝えられない」と言われ、「容疑者でなければ伝えてもらえたのですか」と聞くと、無言でした。
　「とにかくここでは何もわからないから」と言われましたが、私は、ねばりにねばって、やっと自分の電話番号をＳ警部補に伝えることを警察官に承諾させ、帰宅しました。
　ところが夜八時ごろになっても、Ｓ氏から電話がありません。そこで、野方署の刑事課に電話をしました。
　Ｗという方が電話に出て、Ｓ氏はいないということでしたので、再度、私の携帯番号を伝えたところ｢明日の朝八時半に電話するよう、Ｓに伝えますから」とのことでした。
　ところが、翌朝も警察からの連絡はありませんでした。午後四時、こちらから電話してみると、Ｍという刑事が電話に出ました。
　私が「電話してもらうように伝言したのに、連絡がない」と言って、昨日、野方署に行ってお願いしたことも話すと、Ｍ氏は「それは電話する必要がない、ということだ」と、何回も言いました。「Ｓ氏がそう言っているのですか」と聞くと、「それは、わからない」と言ってきたので、「無実の罪で知り合いが逮捕され、それについて話を聞いてほしいのです。私も伊藤さんに同行してるのだから同じ罪になると思うし、こちらは、逃げも隠れもしないですよ」と伝えると、あくまでも「連絡する必要がないと思っている」と言うのです。
　これではラチが明かないと思い、電話を切りました。
　信じられないことですが、このように、何回も警察に行って「事情聴取をしてほしい」と頼（たの）み、警察への協力を申し出ているにも拘（かか）わらず、何の事情も聞かないでおいて、三月二十四日の朝七時五十分頃、野方署の刑事達が突然「見せたいものがある」と言って自宅にやってきました。
　「お風呂に入っているから」と、三十分待ってもらい、子供達にも「いよいよその時が来た」と話しました。
　やがて、再度インターホンが鳴り、玄関を開けると、六人の私服の警察官が一列に並んでいました。先頭の警察官が家宅捜査の令状を見せ、彼らは家の中に入ってきました。伊藤さんと一緒に行った折伏の件の資料などないのに、いったい何を探しているのかと思い、見ていると、講員名簿を探しているのです。しかし、講員名簿など私の家にはないので、刑事は仕方ないという感じで、日常の折伏の際に使う資料と、私の携帯電話を押収しました。
　それが終わると逮捕状を見せられ、住居侵入、強要、器物破損の容疑ということで逮捕となりました（結局、刑事達が最初に「見せたいものがある」と言ったのは、捜査令状と逮捕状だったのです）。
　娘に、笑って「行ってくるね」と声をかけ、玄関を出ました。その後、車に乗り野方署に向かったのですが、その後は、まったくの犯罪者扱いで、手錠をかけられ野方署に入りました。
　野方署における取り調べでは、「すべて事実無根であり、そのようなことはない」ということを言い続けました。
　その後、女子専用の留置所がある、霞ヶ関の警視庁に移送されました。手錠をかけられ、逃げないように腰に紐（ひも）をつけられ、鉄格子の中に入れられました。
　私の部屋は五人部屋で、日本人、韓国人、フィリピン人、中国人がいて、めまぐるしく人が入れ替わっていきました。麻薬、売春、万引き、ブランド商品の偽造、オーバーステイ等で逮捕された人たちでした。
　留置所に入る際に身体検査があり、病気のチェック、身体のほくろの位置、アザ、傷のチェックがあり、生活に必要なシャンプー、せっけん、歯ブラシ、ちり紙、ニベア、リップクリーム等を三千円で購入させられました。
　留置所での生活について少し述べますと、お風呂は五日に一回しか入れません。朝は六時半起床、夜は九時就寝で、掃除、体操は毎日させられます。食事は、朝・夕はお弁当と白湯で、朝だけ味噌汁がつきました。お昼は、食パンとジュースで、床にゴザを引いて、皆で食べます。
　そして、検事、裁判官と接見するときは、専用の待合室があり、朝から夕方まで、そこで手錠をつながれます。トイレは待合室の中にありますが、一枚の木の板で仕切られているだけで、それも便座に座ると、肩から上が見える素通しの状態で、その横で皆が食事をしているのです。
　部屋によっては、昼食の際、床に座り、椅子をテーブルがわりにして、手錠をかけたまま食事を食べることになります。
　また、留置所にいる間は、運動の時、塀の間の隙間から外の景色が見えることが、とても楽しみでした。
　留置所の部屋にいるときは、勤行、唱題、書籍の研鑽（けんさん）に励みました。
　取り調べは、刑事が三回、検事が三回でしたが、私は徹底して「罪になることなど一切なかった」という事実を、言い続けました。こちらは、ただ事実を話しているわけですから、それ以上、何もありません。誰が何と言おうと、白は白なのだ、と思いました。
　さすがに調べが終わったあとは、全力を使いきった感じで、とても疲れました。
　あとから弁護士の先生から聞いた話だと、伊藤さんも大変だったようですが、「一切、違法なことはない」と強く否定したそうで、その甲斐あって、取り調べの状況も好転していきました。
　それと同時に、支援する会の皆さんが、警察の不当逮捕に対する厳重抗議や記者会見をしてくださり、ありがたくも、御住職や猊下様にも御心配していただき、講頭をはじめ先輩方、講中の皆さんにもご祈念していただきまして、本当にありがたく思いました。
　そして、嬉しくも四月八日、無事、釈放されました。私の場合は十五日間の勾留でした。支援する会の方々、講中の方々が、警視庁の玄関まで迎えに来てくださり、また皆さんと会えたことが嬉しくて、涙が溢（あふ）れ、大泣きしてしまいました。
　留置所の中では、体験談が載（の）っている『蒼碧集』や『御観念文の解説』『続・誠心』などをすべて読み、すごく励みになりました。『蒼碧集』は、絶対に大丈夫、御本尊様に守っていただける、との確信がわき、『続・誠心』の「法難の由来と心構え」のところを、よく読み返し、ここで罪障消滅を精一杯させていただこうと、心に言い聞かせました。そして私は、「どんなことがあっても真実を言い続け、御本尊様への信心を貫こう」と心に決めました。
　『如説修行抄』に、大聖人の仏法を信仰するようになったその日より、況滅度後（きょうめつどご）の大難の三類が甚（はなは）だしく起きてくることを覚悟しなさい、と仰せであります。この覚悟と、なぜ法難が起きてくるのかという道理を、日頃からよく弁（わきま）えておくことが大切だ、と痛感しました。
　今回のことで、大きな確信となったのは、信心を貫いていくときに、必ずや法難を越えることができる、ということです。
　先輩より、「この法難を悦びましょう。罪障を大きく絞り出せるチャンスであり、めったにないことに巡りあえたのだから」ということを指導いただきました。
　それにつけても、御住職や猊下様より御心配いただき、また、多くの方々のご協力で支援する会まで作っていただき、講中の方々に見守っていただき、弁護士の先生にもめぐまれ、私は、申しわけなく、また本当に幸せです。ありがとうございました。
　この御恩に報いるためにも、さらなる折伏を行じ、一凶の創価学会を破して、自らの信行学を堅固なものにし、最後まで闘いぬくことを御本尊様にお誓い申し上げたいと思います。皆様、本当にありがとうございました。
【慧妙４月１６日　第３６７号より転載】]]>
        
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    <title>降りかかった法難に怯まず対峙  支援する会が発足！婦人講員２名は釈放</title>
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    <published>2008-04-16T06:59:49Z</published>
    <updated>2008-04-16T07:02:32Z</updated>
    
    <summary>不当逮捕の裏に有力政治家の影 憲法20条に違反する政教一致・宗教弾圧 逃げの一手...</summary>
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        <![CDATA[<strong>不当逮捕の裏に有力政治家の影
憲法20条に違反する政教一致・宗教弾圧</strong>

<strong>逃げの一手に廻った学会の事情
二名が語った！不当逮捕の模様</strong>

　創価学会員に対する折伏で、いわれなき嫌疑（けんぎ）をかけられ不当に逮捕・勾留されていた二人の婦人講員（前号で既報）は、去る四月八日、ようやく釈放されて自由の身となった。二人に話を聞いてみると、逮捕に際しての異様さが生々しく浮き彫りに。また、今回の逮捕に絡む、極めて重大な事実も浮かび上がってきた。渾身（こんしん）取材の第二弾――。

<strong>支援する会≠ｪスタート
学会は見るな、触れるな</strong>

　去る四月三日午後四時、東京・霞ヶ関の弁護士会館において緊急記者会見が開かれた。
　主催は「不当逮捕された生田さん伊藤さんを支援する会」――本紙前号で報道した、折伏にまつわるいわれなき嫌疑で不当逮捕された生田和子さん（45歳）伊藤奈津美さん（40歳）の二人を支援する会が、記者会見を開いて事件の解決を訴えたのである。
　同会の代表は宣徳寺法華講の古谷球子氏で、生田さん・伊藤さんを冤罪（えんざい）から救うべく、善福寺法華講の有志や、学会の非道に憤（いきどお）る元職員・元議員の方々の協力を得て、支援する会を立ち上げ、この日の記者会見となったもの。
　会見では、古谷代表より、今回の逮捕は学会員Ｉ婦人の虚偽告訴に基づいて強行された不当なものであり、すでに四月一日には、勾留中の二人を告訴人とするＩ婦人への告訴状が弁護士から野方警察署に提出されていること、二日には、支援する会として野方署に厳重抗議を行なったこと――等が発表された。
　さらに、伊藤さんの夫と生田さんの長女が立って、それぞれ
　「警察はなぜ、事前に事情聴取もせず逮捕したのでしょうか。
　妻は、見てのとおり体が小さくて細く、力もあるわけではありません。虫も殺せないほどやさしい性格です。私の母に対しても、生前やさしく接してくれました。
　妻を知る友人・知人も、妻が、他人からいじめられることはあっても、他人をいじめるようなことは絶対ないと知っています。ましてや、高齢の方の手を押さえ、暴行を加え、署名・捺印させるなどということは絶対にない、と言えます。
　今回のこの逮捕は、悪質な冤罪であり、いじめです。妻の両親も本当に心配しておりますので、一日も早く、濡れ衣を晴らしたいと思いますので、皆様のご理解とご協力を、よろしくお願いします」（伊藤）
　「伊藤奈津美さんが逮捕された後、母は納得がいかず、野方警察署に自ら三回も行き、電話も何度もしましたが、『あなたの説明を聞く必要はない』と拒否されました。自ら警察に協力しようとしていたのに、警察では拒否されました。にも拘（かか）わらず、今度はいきなり逮捕です。
　母に連れられ、創価学会の方のお家に、お話をしに行ったことがありますが、無理やり家に上がったりだとか、無理やり相手の手を握って書類に書かせるだとか、そういう姿は一回も見たことはありません。なぜそのようなデッチアゲを警察が信じてしまうのか、本当に許せません。
　母は病弱な体なのですが、それを信仰で何とか乗り越えてきていました。せっかく元気になったのに、こんな不当逮捕で長期間留置され、もしまた再発してしまったら、どうしてくれるんでしょうか。一日も早く母を返してほしいです」（生田）
等と訴えた。
妻を想い母を想う、この二人の切実な訴えは聞く者の胸を衝（つ）いたが、これこそが真実の持つ説得力であろう（※この日の模様は、インターネット上でも動画が公開されており、『自由の砦』ＨＰ――記事末尾にアドレスを表示――や妙観講ＨＰからアクセスして、誰でも見られるようになっている。ただし、学会内では「見てはならない！」との統制が敷かれているそうだが）。

<strong>無視を決め込む創価学会
洩れ伝わった重大情報</strong>

　このように支援体制が築かれていく一方、勾留中の二人の女性講員においても、この降（ふ）りかかった法難をこの上ない罪障消滅の機会≠ﾆ受け止め、留置場の中で唱題に励んでいる様子が、接見した弁護士の話から窺（うかが）われる。
　そして、内と外で呼応するかのような異体同心の闘いが続く中、突然、厚くおおわれた雲に切れ目が生じたかのごとく、重大な情報が洩（も）れ伝わった。
　「今回の逮捕は、有力な元都議（※情報では実名）が野方警察署へ赴（おもむ）き、立件を依頼したことで実現したものだ――」
　この情報の真偽を確かめるべく、本紙関係者が手を尽くして警視庁筋に当たったところ、まさにそのとおりの話を聞くことができた。これがもし事実だとしたら、まさに憲法二十条違反、正法の信行者に対する国家権力を使った弾圧であって、由々しき重大問題である。
　本紙としては、かつての民主党の偽メール事件と同じ轍（てつ）を踏まぬよう、さらに慎重な裏付け調査を始めたが、その矢先、『週刊新潮』が別なルートからこの件の裏付けを取り、元都議にも取材を試みた上で、
　「公明党のドンが警察に圧力をかけた」（四月十七日号）
との見出しで実名報道に及んだのである。
　ここに、今回の不当逮捕は、学会員らによる単なる冤罪事件ではなく、学会・公明党の政教一致、及び国家権力による宗教弾圧、憲法二十条違反という、とんでもない重大事件につながる可能性が見え始めた。
　そして、いつもなら、針小棒大な誹謗（ひぼう）宣伝を繰り広げる学会機関紙や学会怪文書が、この不当逮捕事件については不自然にも、途中から全く無視を決め込んでいる。そこに、彼等にとって絶対に触（ふ）れられてはならない、重大な問題が含まれているからに他なるまい。
　いよいよ今後の進展が期待される。

<strong>逮捕された二人が釈放
この驚くべき状況</strong>

　さて、このような状況にあった四月八日、先に逮捕された伊藤奈津美さんの勾留期限が満了するにあたり、この時までに伊藤さんを起訴することのできなかった検察庁は、処分保留のまま、ついに伊藤さん・生田さんの二人を釈放することに決定。
　そして同日午後五時四十分に生田さんが、六時三十分に伊藤さんが、相次ぎ釈放されたのである。
　折からの雨の中、長期にわたって劣悪な環境の中に留置されてきた二人を、多くの同志が出迎えた。喜びの涙で抱き合う生田さん、法悦の想いを述べる伊藤さん――言いしれぬ感動が人々を押し包んだ。
　釈放された当事者の二人から改めて話を聞いてみると――
　先に三月十九日に逮捕された伊藤さんは、事前に、警察からの連絡も、呼び出しも、むろん事情聴取も一切なく、早朝、いきなり来訪した刑事四人が強引に入室、捜査令状と逮捕状を示して体を押さえつけ、誰にも連絡できぬまま、手錠をかけられて逮捕・連行されたという。
　まるで、殺人か麻薬といった凶悪犯罪の犯人を逮捕する、テレビの刑事番組の一場面だ。だが、これはテレビ番組ではなく、平凡な一婦人信徒に突如として降りかかった、現実の出来事なのである。
　さらに、三月二十四日に逮捕された生田さんは、伊藤さんの逮捕で自分にもいわれなき嫌疑がかけられていることを知り、自ら三度も野方警察署に行き、「自分から事情聴取してほしい」と警察に協力を申し出ていた。つまり、生田さんが逃亡したり証拠を隠滅（いんめつ）するような恐れは皆無であった、にも拘わらず、警察はこの申し出を一切無視した上で、二十四日の早朝、刑事六人で来訪、生田さんに「見せたいものがある」と言ってドアを開けさせ、捜査令状と逮捕状を示して逮捕・連行したのである。
　どう考えても、この逮捕がまともであるとは思えない。非人道的・不当逮捕という以外に、全く言葉がないのである。
　やはり、魔の所為として惹（ひ）き起こされる法難とは、宗祖大聖人の受けられた難が悉（ことごと）くそうであったように、道理に外（はず）れた非道なものなのだ。
　長期の勾留から釈放された伊藤さんはひと回り痩（や）せたように見え、生田さんの手の肌はボロボロに荒れていた。
　だが、二人の信心が格段と強固になっていたことは、出迎えた誰もが、驚きすらもって実感したことである。
　宗祖大聖人は
　「此の経を持たん人は難に値（あ）ふべしと心得て持つなり。（中略）火にたきヾ（薪）を加ふる時はさか（盛）んなり。大風吹けば求羅（ぐら）は倍増するなり。松は万年のよはひ（齢）を持つ故に枝をま（曲）げらる。法華経の行者は火とぐら（求羅）との如し。薪と風とは大難の如し」（御書七七五頁）
と仰せである。この強き信心さえあれば、（少し痩せた体も荒れた肌も、いずれ元に戻るのだから）何の心配もあるまい。これから異体同心の仲間達と共に、この法難に決着がつくまで、油断怠（おこた）りなく精進できることは間違いないであろう。
　ともあれ、二人が釈放されたからといって、いまだ法難が終結したわけではない。
　二人に対して検察の下す処分、虚偽告訴をした（させられた？）学会員Ｉ婦人への告訴の行方（ゆくえ）、不当逮捕の真相究明、そして重大な憲法違反問題の追及――ここまで行かねば全ては終結しないのだ。法難はようやく第一段階を過ぎた処（ところ）にある、というべきだろう。

　被害者家族の記者会見・事件の概要を報じた「自由の砦ブロードバンドニュース」のアドレスは、左記のとおりhttp://toride.org/enzai/
（慧妙４月１６日号　３６７号より転載）]]>
        
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    <title>３月１８日　党資金流用裁判で竹入氏が全面勝訴！ 公明党の主張を全て斥けた東京地裁</title>
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    <published>2008-04-04T05:20:54Z</published>
    <updated>2008-04-04T05:21:57Z</updated>
    
    <summary>　党の資金を私的に流用したとして、元委員長の竹入義勝氏を訴えていた公明党に対し、...</summary>
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        　党の資金を私的に流用したとして、元委員長の竹入義勝氏を訴えていた公明党に対し、東京地裁は十八日、公明党の要求を退（しりぞ）ける判決を下した。
　この裁判は、公明党の内部調査の結果、竹入氏が党の資金五百万円で妻に指輪を購入していたことが判明したとして、竹入氏に対し五百五十万円の賠償を求め、平成十八年七月に訴えていたもの。
　この裁判では、百貨店の女性店員が「昭和六十一年六月か七月に、竹入氏が来店して妻のために五百万円で指輪を買った」と証言していた。
　だが裁判長は、「購入したとされる時期は委員長在任時だが、当時は衆参同日選の最中で、百貨店で妻を伴って買い物をする精神的、時間的余裕があったか疑わしい」と指摘。さらに、「指輪の種類や形が特定されておらず、妻が持っていたと認められる証拠もない。元委員長が購入したと述べた店員の証言も、具体性がなく信用性に疑問がある」などとして、公明党の要求を退けたのである。
　これに対し公明党は、この判決を不服として控訴の意向を示した。
　そもそもこの裁判は、まったく不可解なものである、といってよい。
　事件≠ﾍ、今から二十年以上も前の出来事。しかも、竹入氏が公明党委員長在任中はおろか、引退後も問題は全く表面化することはなかった。
　それが、平成十年、竹入氏が『朝日新聞』に「秘話　五十五年体制のはざまで」と題した手記を発表、公明党と創価学会の裏面史の一端を明かすや、公明党と創価学会は、総掛かりで竹入氏に対する誹謗（ひぼう）を展開。
　この事件≠焉A一連の竹入氏誹謗ネタの一つととして、突然、世に出てきたもの。
　そして、公明党・創価学会はこれまで、この訴訟自体を竹入氏攻撃の格好の材料として、最大限活用してきたのである。
　例えば、提訴した時においては、『公明新聞』が四段見出しで大きく報じたのに加え、『聖教新聞』までが、本来は社会欄、ないしは政治欄に掲載すべき内容であるところ（一般紙は全てそうした扱い）、体験談などが載る四面（熱心な学会員が良く目を通す面）に、三段見出しという大きな扱いで掲載。
　さらにその後、『公明新聞』も『聖教新聞』も、紙上座談会の形で、提訴の件を盛んに取り上げ、竹入氏を徹底的に誹謗してきた。
　ところが、今回の敗訴については『公明新聞』がベタ記事で小さく控訴を報じたのみ。しかもその記事中には、肝心の、何を不当として控訴するのか（つまり、自らの主張する事実関係の正当性）については、何の主張もなかったのである。
　このように、敵を訴えた時は大々的な宣伝報道を繰り返しておいて、敗訴すれば会員に対しその事実を隠してしまう――まさに、これこそが創価学会の卑怯な体質である。
　ともあれ、公明党の控訴によって、この訴訟は今後も継続していくことになった。
　本紙は今後も、その行方に注目していく。
        
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    <title>ついに学会員への折伏を阻む法難が出来！ 謂われなき嫌疑で婦人講員２名が不当逮捕</title>
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    <published>2008-04-04T05:14:14Z</published>
    <updated>2008-04-04T05:16:19Z</updated>
    
    <summary>謀略訴訟がダメなら次は虚偽告訴!? 事情聴取もなく逮捕しＴＶで実名報道 　明年の...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.myokan-ko.net/">
        <![CDATA[<strong>謀略訴訟がダメなら次は虚偽告訴!?
事情聴取もなく逮捕しＴＶで実名報道</strong>


　明年の「立正安国論正義顕揚七五〇年」に向け、大謗法（だいほうぼう）の創価学会への折伏が進む中で、ついに国家権力を発動しての法難が起こった。三月下旬、二人の女性講員が、折伏にまつわるいわれなき嫌疑（けんぎ）で、何の事情聴取もないまま、いきなり警視庁に逮捕・拘留（こうりゅう）されるという、信じ難（がた）い事件が発生したのである。その上、二十五日には、警察発表もないまま、これをフジテレビが実名報道するという事態も――。「諸宗の人法共に折伏して御覧（ごらん）ぜよ。三類の強敵（ごうてき）来たらん事は疑ひ無し」の御金言が胸に迫（せま）る。

<strong>法難発生までの経緯
デタラメ極まる嫌疑</strong>

　去る三月十九日午前七時四十分すぎ、東京都杉並区に住む法華講員・伊藤奈津美さん（40歳）宅に突然、警視庁野方署の刑事達が来訪、伊藤さんを逮捕してしまった。
　この時、伊藤さんの夫はすでに出勤後だったため、夜になるまで、誰も伊藤さんが逮捕されたことに気付く者はなかった。
　警察によれば弁護士以外は接見禁止だというので、依頼を受けた弁護士が夜のうちに出向いて伊藤さんに接見。話を聞いた結果、どのような嫌疑がかけられているか、が判明した――。
　それによると、昨年十月二十九日、伊藤奈津美さんと、講中の先輩である生田和子さん（45歳）とで、都内中野区に住む学会員Ｉ婦人（78歳）の家へ折伏に行った。
　Ｉ婦人には事前に伊藤さんが電話をかけ、すでにＩ婦人が学会活動にも出ていない事を聞いた上で、Ｉ婦人に住所を尋ね、家を訪問した。
　Ｉ婦人は二人を快（こころよ）く家に上げてくれ、折伏となった。
　そして「創価学会はすでに日蓮正宗から破門されていること、学会にいたら不幸になってしまうこと、一日も早く脱会して日蓮正宗に戻るべきこと」等を話したところ、Ｉ婦人はすんなりと納得して脱会することとなり、勧戒願いの用紙に署名・捺印をした。
　次に、仏壇に掛けてあるのが学会製ニセ本尊であることが判ったため、謗法払いすべきことをＩ婦人に説明、納得したＩ婦人は、ニセ本尊を仏壇から外し、家の中からハサミを持ってきて、ニセ本尊を切断した。
　その際、生田さん達は、講中において謗法払いは、本人の謗法への執着心を断ち切る、という意味があるので、必ず本人の手で行なうこと。代行してはいけない≠ﾆ指導されている事を守って、きちんと本人自身の手でニセ本尊を切断してもらった（※現在では、学会製ニセ本尊は返送してしまうことになっている）。
　その後、念のため、Ｉ婦人本人がニセ本尊を破却した≠ﾆいう確認書にサインをもらい、Ｉ婦人からはお茶を勧（すす）められる等の和（なご）やかな雰囲気の中で、伊藤さんが「何かあったら、いつでも連絡してくださいね」と言って、自らの住所・氏名・電話番号・連絡先をメモに書き、持参してきた学会破折の資料と共に渡して帰った。
　ところが、その後、事態に気付いたＩ婦人の周囲の学会男子部から、伊藤さん宛に脅迫（きょうはく）する電話が相次ぎ、Ｉ婦人との間は遮断（しゃだん）され、Ｉ婦人は学会の中に囲い込まれてしまった。
　以上が五ヶ月前の経過であるが、それが今回、次のような全く異なる話にデッチ上げられていたのである。
　伊藤・生田の二人は宅配便の業者であると偽（いつわ）って強引にＩ婦人宅に侵入し、おびえているＩ婦人の手を押さえ付け、無理やりにペンを握（にぎ）らせて、書類に署名・押捺させた。さらに、勝手に仏壇から本尊を外してハサミで切断した
と。そして二人にかけられた嫌疑は、「住居不法侵入」「強要」「器物損壊（そんかい）」だというのである。
　いやはや、こんなふうにデッチ上げるのなら、どんな罪でも作り出すことができてしまう。それに、この内容は、過去に学会員らが虚偽の告訴や提訴をしようとして、繰り返し仕掛けてきた内容と、ほとんど大同である。

<strong>誰の目にも明らかな逮捕の不当さ
悪質な冤罪事件に信心で対決！</strong>

　そもそも、犯罪を犯した者が、わざわざ自分の住所・氏名・連絡先を書いて相手に渡してくる、などということがあろうか。
　さらに、書類に押した印鑑やニセ本尊を切ったハサミは、家の中のどこから持ってきたのか、Ｉ婦人以外に置き場所を知る者はいないではないか。
　少し考えただけでも、おかしな点が次々と出てくるが、しかし警視庁は、Ｉ婦人からの訴えだけを根拠に、全く事情聴取すらせずに、いきなり伊藤奈津美さんの逮捕に踏み切ったのである。
　当然のことながら伊藤さんは嫌疑を全面否定、そして何の動揺もなく、弁護士に「自分はこれを法難と受け止めています。私は大丈夫、と夫にも伝えてください」と伝言した。

<strong>法悦の中で法難に臨む
さらに不当な二人目の逮捕</strong>

　この伊藤さんの逮捕によって、自分にも故なき嫌疑がかけられていることを知った生田和子さんは、その翌日、自ら三度も野方警察署におもむき、「私の友人が不当逮捕されました。私も容疑者らしいので、私からも事情を聞いてください。私は逃げも隠れもしませんから、担当の刑事さんに会わせてください」と繰り返し求めたが、野方署はこれを無視。さらに翌々日にも電話をかけたが「事情を聞く必要はない」等と言って事情聴取に応じない（これでは全く話が逆ではないか）。
　そして、二十四日の朝七時五十分、生田さん宅（西東京市）に野方署の刑事達が来訪し、生田さんもいきなり逮捕されたのである。
　生田さんは、すでにこの法難が自らに降りかかってくることを覚悟し、逮捕の一時間前の六時五十分、自らの心境を綴（つづ）った書面をＦＡＸで講中に送信していた。
　まさに、御金言に示されるごとく、「悪王」と「悪比丘（あくびく）」の結託（けったく）により、国家権力を動かして不当逮捕が強行された、としか言いようのない様相である。
　この異常な事態の中で、今度は翌二十五日の午後、フジテレビが生田さん・伊藤さんの実名を上げ、あたかも嫌疑事実があったかのごとき断定的見出しをつけて報道に及んだのである。
　これに対し、二人の所属する理境坊妙観講がフジテレビに厳重抗議、名誉毀損（めいよきそん）報道として法的措置（そち）も視野に入れる旨（むね）注意をしたところ、報道は止まった（インターネット上のＦＮＮニュースからも直ちに削除された）。
　それにしても、警察発表もされていないのに、フジテレビは何に基づいて、否、いかなる力の働きかけによって、十分な裏付け取材もないまま実名報道に踏み切ったのか。我々日蓮正宗僧俗が折伏せんとする相手の強大さを、まざまざと見せつけられた感がある。
　しかし、時間の経過と共に、報道関係者の中からも「この事件はおかしい」「これは明らかに不当逮捕だ」等々の声が出ている。やはり、
　「道理と申すは主に勝つ物なり」（御書二七九頁）
との御金言どおり、権力による非道など長続きはしないのだ。

<strong>「必ず二人を救い出す！」
虚偽告訴の学会員を告訴へ</strong>

　ともあれ、二人の女性講員はいまだ留置場の中で唱題を続けている身であり、法難が終息（しゅうそく）したわけではない。生田和子さん・伊藤奈津美さんの所属する妙観講では、三月二十六日に緊急決起集会を行ない、唱題と折伏を根本にして、一日も早く二人を救い出す、との方針が確認されたという。同講・広報部では、
　「今回の虚偽告訴による不当逮捕は、創価学会員がデッチ上げた悪質な冤罪（えんざい）事件であると共に、宗教活動に対する国家権力の介入・弾圧です。これに対しては告訴をはじめ、断固たる法的措置を取ってまいります。
　そもそも創価学会では、これまでも、学会員に対する講員の折伏を妨害しようとして、『自宅に不法侵入されてニセ本尊を持ち去られた』『ニセ本尊を勝手に処分された』等、今回と同様の言い掛かりを付けては、不当訴訟を企（くわだ）ててきました。しかし、それは悉（ことごと）く不発に終わり、昨年も一件、謀略的に起こした同種の訴訟が破綻（はたん）し、訴えた側が訴えを取り下げざるをえなくなっています。
　その延長線上に今回の虚偽告訴が行なわれたわけですが、これに踊らされる警察も警察です。このような不当な弾圧に対しては、私達は一歩も引きません」
と語っている。今後の展開から目が離せない。]]>
        
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    <title>東京高裁　違法ビラで学会大幹部らに２８０万円の賠償命令  多数の学会員を使った組織的な犯行と認定！</title>
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    <published>2008-03-14T04:42:55Z</published>
    <updated>2008-03-14T04:44:17Z</updated>
    
    <summary>妙観講を「カルト」「反社会的」等としたのは違法 ??盗聴疑惑?≠烽?らためて「根...</summary>
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        <![CDATA[<strong>妙観講を「カルト」「反社会的」等としたのは違法
盗聴疑惑≠烽らためて「根拠なし」と認定</strong>

　前号で報じたとおり、去る二月十三日、東京高等裁判所は、創価学会青年部の上級幹部ら（事件当時）が、深夜、御隠尊日顕上人ならびに妙観講および同講々頭を誹謗（ひぼう）中傷する違法ビラを全国に大量配布した事件で、一審に続き、学会大幹部らに対し損害賠償金二百八十万円を支払うよう命ずる判決を言い渡した。
　しかも、東京高裁は判決の中で、この違法ビラ配布事件は、学会大幹部らの「個人的活動であるとは、とうてい認め難（がた）い」として、多数の学会員が組織的に行なった犯行であることを認定したのである。

<strong>一審に続き高裁でも賠償命令
三度も「学会員の組織的犯行」と</strong>

　この事件は、平成十三年九月、同十六年二月の二度にわたり、御隠尊日顕上人と妙観講・大草講頭の顔写真をオウム真理教の麻原彰晃の顔写真などと並べ、「狂信的カルト教団『妙観講』の恐怖」「淫祀邪教」「妙観講よ即刻出て行け！」等の大見出しを付けたカラー印刷の誹謗ビラが、深夜、大量配布されたもの。
　平成十三年の時は、東京杉並区のほぼ全域と長野県の一部に、そして平成十六年の時は、杉並区をはじめ宮城県・千葉県・埼玉県・神奈川県・静岡県・三重県・京都府・大阪府・徳島県の十都府県下、三十四市区町に、夥（おびただ）しい枚数のビラが各戸配布され、一部では、電柱や自動販売機、個人宅のベランダの物干し、はては道路標識にまで、ノリで貼（は）り付けられていた。
　いずれも、人目を避（さ）けて深夜に一斉配布されたばかりか、ビラには発行元の住所も連絡先も一切書かれていないため、犯人を特定するのは困難と思われたが、目撃証言を手がかりに実行犯を追い詰め、そのうち三名を特定することができた。
　それは、創価学会の杉並総区副青年部長の高橋浩一、男子部部長の佐渡正浩、静岡（富士正義）県青年部長の山本伸一の三名（役職は事件当時）で、やはり全員が創価学会の青年部幹部だったのである。
　そこで、妙観講と大草講頭が、この実行犯の三名並びに創価学会を相手取り、損害賠償を求める民事訴訟を提起。
　一審東京地裁は、配布されたビラの違法性を明確に認定し、平成十九年五月七日、高橋ら三名に損害賠償金二百八十万円を支払え、との判決を下した。
　そして、二審（控訴審）・東京高裁の判決が、このほど二月十三日に言い渡されたのだが、損害賠償命令については一審判決をそのまま支持した上、その一々の判決理由においては、妙観講側の主張をほぼ全面的に採用し、創価学会員らの組織的犯行であることにまで踏み込んで言及した、きわめて画期的な判決だったのである。
　以下、その主要な点について、概括（がいかつ）して見ていこう。
　まず判決は、本件違法ビラの作成・配布を前出・高橋浩一が「自らの個人的な活動であって、創価学会には無関係」と主張している点について、
　「自らの出費とカンパによって賄（まかな）ったとの高橋の供述部分はにわかに信用し難く、本件各ビラが、ごく短期間に広い範囲にわたって、多数配布されるなどしたことをも総合すると、本件各ビラの作成・配布等が、高橋が友人・知人の協力を得て行なった個人的な活動であるとは、とうてい認め難い」
として、高橋らの虚偽の供述を斥（しりぞ）けた。
　そして、ビラが配布された直後、前出・山本伸一が妙観講々員・佐貫修一氏を学会員だと思って「創価学会の総県幹部、圏幹部、広宣部、男子部の組織を挙（あ）げてビラの配布を行なった」と告白していた事実を挙げて、その告白の「信用性は高い」とし、
　「これらを総合考慮すると、本件各ビラの作成・配布等については、創価学会のいずれかの組織を構成する、そうとう多数の学会員が、その意志を通じて関与していたものと推認することができる」
と認定した。
　判決はこの認定を、なんと三回も繰り返し強調して述べており、創価学会員の組織的犯行であったことを明確に認めたのである。

<strong>「ビラの内容は著しい誇張と歪曲」
「配布の違法性は免れない」と認定</strong>

　次に判決は、本件違法ビラは「妙観講が、オウム真理教と同様の狂信的な宗教団体であり、組織的に違法行為ないし反社会的活動を行なっており、住民の生活の平穏を害する危険性がある旨」を書き立てており、これは妙観講と大草講頭の「社会的評価を著しく低下させるものである」と指摘。
　さらに、本件違法ビラは「連絡先の記載すらない、文責がおよそ明らかでない文書で」、「いずれも未明から早朝にかけて」「あえて人目を避け」配布された、「作成・配布等の責任の所在を明らかにしない無責任極まりないもの」である、と厳しく断じた。
　そして、「これらの事実関係を総合すれば、本件ビラの配布等は、妙観講ひいては日蓮正宗と深刻な対立関係にある、創価学会の会員の一部が、妙観講がオウム真理教等と同類の危険なカルト集団であって、原告大草がオウム真理教の教祖であった麻原彰晃と同じような危険な人物であること≠広く一般に印象付け、これを中傷することを目的としたものである」として、本件違法ビラが作成・配布された背景・目的を指摘し、このようなビラに公益性・公共性などを認めることはできず「配布等の違法性を否定することはできない」と、犯人らの言い訳や正当性の主張を切って捨てたのである。
　判決はさらに、本件違法ビラに記載された具体的内容を一いちに検証し、そこに的確な根拠などないことを明らかにしていく。
　まず、「妙観講が無差別電話による勧誘を行ない、勧誘目的による執拗（しつよう）な尾行・ストーカー行為を行なった」との記載については、妙観講が一般市民に対し、無差別電話や尾行・ストーカー行為までして勧誘した等と「認めるに足りる的確な証拠はない」のであって、ビラは「事実を誇張している」と認定された。
　次に、「妙観講が、顕正会との抗争などにおいて数々の暴力事件を起こした」との記載については、「妙観講の特定の講員が暴行・傷害等を行なったとの具体的な事実を認めるに足りる的確な証拠はない」上、「『血塗られた』などの表現をもって顕正会との抗争を形容している点において、事実を誇張している」ことは否定し難い、と認定された。
　さらに、「妙観講が盗聴行為を行なった」との記載については、これまでに提出されている証拠をあらためて精査した結果として、妙観講の元講員で日蓮正宗からも信徒除名された渡邉茂夫が、調査会社に依頼して「電話の盗聴を行なったことが認められる」ものの、それら「各盗聴が、原告大草の指示の元に行なわれたなど、妙観講がこれに関与していたと認めるに足りる証拠はない」と明確に否定された。
　これに関しては、妙観講が、学会のメディアによって「盗聴を行なった」と書き立てられて名誉を毀損（きそん）された、として創価学会等を訴えている別件訴訟において、あたかも妙観講の盗聴関与が疑われるかのごとき不当判決が出た（平成十九年九月十九日・東京高裁）が、これも踏まえた上で、今回、東京高裁はあらためて証拠調べを行ない、妙観講が盗聴に関与したとの記述には根拠がない≠ﾆの正当な判断を下したのである。
　次に、「妙観講が平成十三年七月の参議院議員選挙において数々の違反を行なった」との記載については、「記録を精査しても、違反行為に妙観講が組織的に関与していた事実」を「認めるに足りる的確な証拠は全くない」のであって、「著しく事実を歪曲（わいきょく）し、誇張するものというほかはない」と断じられた。
　次に、「妙観講内には乱れた男女関係がある」等の記載については、その根拠とされる「『Ｊ子の日記』なる文書やこれを裏付ける『旧姓Ｏさん』の手記なるものがあるが、その作成者を含めた作成経緯やその内容の真偽については」「争いのあることが明らかであり」まったく「断定するに足りる的確な証拠はない。」それにもかかわらず「妙観講内の男女関係が乱れきっている、と述べるなどは、確たる根拠もないのに、著しく誇張した事実を摘示したものというほかはない」と断じられた。
　さらに、本紙『慧妙』が「米国の９・１１テロを仏罰だといって喜んだ」とか御隠尊日顕上人が「イランで五万人が死んだ大地震も我々を批判した罰だと述べた」等の記載については、もとより「上記の記事や発言は、日蓮正宗の教義を前提とするもの」であり、「その意図するところを（違法ビラの記載は）かなり曲解しているものといわざるを得ない」と、まことに正当に認定された。
　また、「妙観講の活動により、地域住民の平穏な生活が脅（おびや）かされている」との記載については、妙観講関係者の折伏によって「一部の創価学会員の平穏な生活が脅かされている、と見る余地はあるとしても」、「妙観講の活動により、一般の地域住民の平穏な生活が脅かされていることを具体的に示す事実」や「証拠はない」と、これも正当な認定がなされた。
　そして、これらの事実認定の積み重ねの上に、判決は、本件違法ビラに記載された内容について「事実を誇張したり、歪曲している点があることは否定でき」ない、として、その悪質さを指摘すると共に、それ（誇張・歪曲した部分）以外の「概（おおむ）ね真実と認めることができる事実のみを前提とした場合」にも、その事実があまりに僅少（きんしょう）であるため「妙観講がオウム真理教等に類する狂信的なカルト教団であり、原告大草はオウム真理教の教祖・麻原彰晃と同じような人物である≠ﾆする意見ないし論評は、合理的な根拠を持つものとは評価することができず」むしろ「事実の基礎を欠く、人身攻撃に当たる意見ないし論評とみる余地すらある」と、厳しく結論付けたのである。
　この判決について妙観講に聞くと、
　「創価学会員らによる組織を使った犯行、というところまで踏み込んで認定されたことは、まさにこれまでの長い間の取り組みが実った、という思いです。また、判決理由もほとんど正当な認定をしていただけたので、概ね満足しています」　（広報部）
との回答が返ってきた。
　今回の判決を通じ、いっそう創価学会の邪悪な正体を見極めて、いよいよ学会員の再折伏に励もうではないか。]]>
        
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    <title>2月24日　於・北九州メディアドーム 西日本に続き、九州決起大会も大成功！</title>
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    <published>2008-03-14T04:39:08Z</published>
    <updated>2008-03-14T04:42:42Z</updated>
    
    <summary>目標超えて一万数百名が大結集 妨害と試練跳ねのけ正義の実証 　二月二十四日(日)...</summary>
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        <![CDATA[<strong>目標超えて一万数百名が大結集
妨害と試練跳ねのけ正義の実証</strong>


　二月二十四日(日)、「地涌倍増大結集推進・九州決起大会」が、北九州市小倉区の北九州メディアドームで挙行された。
　明年の「地涌倍増大結集」に向けた決起大会は、全国四ヶ所で開催されることになっており、今回の九州決起大会は、二月三日に大阪で開催された西日本決起大会に続く第二弾で、福岡・西九州・中九州・宮崎・南九州の約八十ヵ寺の僧俗を対象としたもの。
　会場となったメディアドームのある小倉は、九州開導の師と仰がれる妙寿日成貴尼が最初に九州入りした地である。広布に向かって一大飛躍を期す今、その奇（く）しき因縁の地に、御法主日如上人ならびに御隠尊日顕上人の両猊下をお迎えし、九州全土の僧俗が集って大会が開催されるという意義は大きい。「先駆の九州」の意気漲（みなぎ）る大会にすべく、当該地域の僧俗は、早くから準備を進めてきた。

<strong>困難を乗り越えてこそ強信
試された果ての勝利の実証</strong>

　折しも、断続的な寒波の到来など、異常気象が取り沙汰される昨今、大会前日には冬型の気圧配置が強まり、北海道をはじめ日本海側では大雪で飛行機が欠航となったり、富山では高波による被害が出たり、関東でも暴風が吹き荒れたりと、全国的な悪天候がニュースで報じられた。
　しかし、御書に、
　「雨ふり、かぜふき、人のせいするにこそ心ざしはあらわれ候へ」（御書一二四四頁）
と示されているように、こうした悪天候も物ともせずに仏道修行に励み、広布に邁進してこそ、信心の功徳は弥増(いやま)すのである。
　その道理を心得ているがゆえに、九州の僧俗は、互いに励まし合い、決起大会の大成功を御本尊に祈り、いよいよ気運を盛り上げていった。
　宮崎県から参加したある御僧侶は、
　「当日、九州ではめずらしい吹雪となり、無事に会場に着けるか、少なからずの不安がよぎりつつも、法華講員達と共にバスで会場に向かったのですが、途中、現地から『雪がやんで、日が射してきている』との報告が入りました。それを聞いて、誰もが『やっぱり、この悪天候は我々の信心を試すものだった』と確信したんです」
と、笑顔で語る。
　そして、会場に向かった者は皆、決起大会に間に合うことができ、当初の目標であった一万名を超え、一万数百名の参加をもって九州決起大会が開催されたのである。
　メディアドームの所定の席が法華講員で埋め尽くされた、定刻の午後十二時五十分、日如上人・日顕上人の両猊下の御臨席のもと、第一部が開始された。
　会場に鳴り響く法華講連合会ブラスバンドの迫力ある演奏が、無事にこの日を迎えられた歓びを、弥（いや）が上にも参加者の胸に喚起させる。
　続く九州各地方部音楽隊による演奏の際には、舞台上でパフォーマンスを繰り広げる鼓笛隊メンバーに幼児から壮年までが加わり、本年「躍進の年」にふさわしい、異体同心の姿を現出した。さらに、婦人部有志のコーラスでは、はつらつと明るい歌声で、折伏の決意を歌い上げた。
　このように、各演目にも信心の歓びが満ち、それがまた会場全体を包んで、祝福ムードのうちに第一部を終了。
　小憩をはさんだ決起大会の第二部は、いよいよ本年の折伏出陣に決起する厳粛な空気に包まれて、開会が宣せられた。
　はじめに、司会の鈴木道雅御尊師より、その時点での集計結果として、「一万名の目標に対して、参加者数が一万一三三名」（※ただし、最終的には、これに会場整理や出演者の信徒が数百名が加わる）との発表があり、場内が沸きあがった。
　大会は、藤野眞人・運営副委員長の「開会挨拶」、普遍寺支部・河原としえさんの体験発表と続き、次のリレー宣誓では、少年・青年・婦人・壮年の各部代表、計二十名が、堂々と本年の決意を述べた。
　続いて、柳沢委員長の「激励」、次に総監・八木日照御尊能化より「挨拶」が述べられた後、御法主日如上人猊下より甚深の御指南を賜わった。
　御法主上人猊下は、明年の『立正安国論』正義顕揚七百五十年における「地涌倍増と大結集」の御命題達成の意義を、『立正安国論』の深義から御指南あそばされた。そして、創価学会をはじめとするあらゆる邪義邪宗を折伏することが、謗法の害毒による世相の乱れを解決する方途である≠ﾆ折伏の御指南をくだされ、題目を三唱あそばされた。会場の僧俗一同はこれに唱和し、いよいよ本日からの折伏戦への決起を誓ったのである。
　この後、運営委員長・斉藤善道御尊師より「決意」の発表があり、最後に全員の合唱をもって、大会は閉会した。
　参加者の一人は、「普段の生活の中では右も左も謗法だらけで、ややもすると自分だけが信心しているような気持ちになってしまう。今日は、すれ違う人すべてが法華講員だと思うと、なんだか嬉しくて、勇気が湧いてきた」と、大結集して行なった決起大会の感動を話していた。
　一万人以上が集った大会であったが、会場内では特に混乱はなく、救護班も万全の体制をとっていたが、大きな出番がなかった模様であった。また舞台係や出演者も、本番に最高の力が発揮できたと、大変歓喜していたとのことである。
　かくして、「西日本決起大会」に続き、「九州決起大会」も大成功に終わった。これひとえに、大御本尊の御威光はもとより、御当代・御隠尊両猊下の御慈悲の賜であることはもちろん、僧俗一体となって決起大会に臨んだ赤誠の信心が、諸天の加護を呼んだ結果であろう。

<blockquote><strong>異常さを増した怨嫉と妨害
またしても謗徒らの暗躍が！</strong></blockquote>

　本大会においても、これを妬（ねた）む謗法の徒輩が、種々の妨害行為をしてきた。
　決起大会の日が近づくにつれ、素性を明かさず寺院に上がりこんで、決起大会の啓蒙状況を探ろうとしたり、講員宅を回って、怪文書を根拠に西日本決起大会の批判をし、大会出席をやめさせようとしたり、と露骨な活動を展開。その活動には、創価学会に魂を取られた離脱僧（学会僧）までもが駆り出されていたというから、哀れなものである。
　また、大会少し前の十九日には、宮崎県の僧俗が利用するバス会社の営業所に、何者かからバス爆破を予告する電話があり、警察が出動するともにテレビや新聞で報道される、という異常事態も。
　さらに当日、朝早くから、法華講員の集合場所に複数の学会員が様子うかがいに出没して、不気味なお見送り（？）を受けたところもあった。
　また、両猊下の御身辺を探ろうとする謀略部隊の暗躍も相変わらずで、羽田空港には、視認されただけで五、六名が、手荷物検査場をウロウロ。検査に引っ掛かることを期待していたのであろうが、期待はみごとにハズレ、猊下御一行が無事に搭乗されるや、一斉にその場を立ち去った。
　また、福岡でも、空港からホテル、ホテルから会場と、行く先々に尾行と偵察の要員が何組も待ちかまえていた。
　往路、空港までの高速道路では、六人組の男達が道路脇の草むらから通過する車を必死で撮影。警備の法華講員は、「道路のすぐ脇ですから、ドライバーが人影に驚いてハンドル操作を誤ったりすれば、大事故にもつながりかねない状況で、まさに狂気の沙汰と言うしかない」と、呆れ顔で話す。
　なお、福岡空港では、日顕上人の御一行が到着されるや、それまでロビーで打ち合わせをしたり散らばって様子うかがいをしていた五、六人の面々が、一斉に、異常な勢いで人をかき分けながら御一行に近付く。彼らはことごとく、警備の法華講員にブロックされたが、その中の一人、御一行の背後から突っ込んでいこうとしていた迷彩服姿（！）の男に「学会員か」と訊くと、その男はあっさりと、自分が学会員であることを認めてしまった。しかも、その男は、誰何（すいか）した警備の法華講員（東京在住）の名前まで知っていた様子だったというから、事前の組織的な打ち合わせを窺（うかが）わせるに充分、といえよう。
　学会員は、自分達の信仰が正しいというのなら、なぜコソコソと日蓮正宗の動向を監視し妨害する必要があるのか、一刻も早くこの矛盾に気付くべきであろう。
　ともあれ、我々法華講員は、世の中を真に救うことのできる、富士大石寺の清流に連なることのできた身の福徳を自覚し、自らの尊い使命を果たすべく、明年の御命題達成に向けた本年の大折伏戦を勝利していこうではないか。]]>
        
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    <title>2月13日　東京高裁、学会大幹部らに損害賠償命令！</title>
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    <published>2008-03-14T04:37:57Z</published>
    <updated>2008-03-14T04:38:53Z</updated>
    
    <summary>　去る二月十三日、東京高等裁判所は、創価学会青年部の大幹部ら（事件当時）が、平成...</summary>
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        　去る二月十三日、東京高等裁判所は、創価学会青年部の大幹部ら（事件当時）が、平成十三年九月と十六年二月との二度にわたって、深夜、日蓮正宗・御隠尊日顕上人・妙観講らを誹謗（ひぼう）中傷する違法ビラを大量配布した事件で、一審に続き学会大幹部らに対し妙観講および同講講頭に損害賠償金二百八十万円を支払え、との判決を言い渡した。
　判決理由の中で裁判所は、妙観講をカルト教団と宣伝したことは違法であること、妙観講が電話盗聴をしたとの断定には根拠がないこと、本紙『慧妙』が「9.11テロを仏罰だと書いた」とか日顕上人が「イラン大地震は日蓮正宗を誹謗した罰だと語った」等の宣伝は事実を歪（ゆが）めていること、妙観講の中で男女関係が乱れているなどという記載には根拠がないこと、本件違法ビラは学会の一部組織を使い相当数の学会員によって作成・配布が行なわれたと認められること――等々を認定。
　事実上の妙観講側の大勝利となったのである。
　　　　　　
        
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    <title>２月３日　於・京セラドーム大阪 両猊下御臨席のもと、西日本決起大会を開催</title>
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    <published>2008-03-14T04:35:34Z</published>
    <updated>2008-03-14T04:37:24Z</updated>
    
    <summary>僧俗和合の前進を証し、三万三千余名が結集！ 会場周辺には、正宗の繁栄妬む謗徒らの...</summary>
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        <![CDATA[<strong>僧俗和合の前進を証し、三万三千余名が結集！
会場周辺には、正宗の繁栄妬む謗徒らの蠢き</strong>

　二月三日（日）、大阪市西区の京セラドーム大阪（かつての大阪ドーム）にて、「地涌倍増大結集推進・西日本決起大会」が盛大に挙行された。
　この決起大会は、昨年八月、御法主日如上人猊下の御発案により、目前に迫（せま）った平成二十一年『立正安国論』正義顕揚七百五十年における御命題達成へ向けて、気運を盛り上げ、大折伏戦にいっそうの弾（はず）みをつけるべく、「プレ大会」として全国四カ所で開催されることが決定したものである。
　その皮切りとなる西日本決起大会は、中部・関西・中国・四国の十五布教区・二百五十ヵ寺を対象としており、総本山以外の会場で開催される集会としては、かつてない大規模なものである。
　御法主日如上人ならびに御隠尊日顕上人の両猊下の御臨席（りんせき）を仰（あお）ぐ本大会を、何としても成功させなければならない。運営委員長・高野法雄御尊師を中心に、当該地域の全僧俗が異体同心・一致団結して、昼夜を分かたず、諸準備と参加啓蒙（けいもう）にあたってきた。
　そして迎えた大会当日。この日、日本全国を寒波が襲い、とくに関東地方は全国ニュースになるほどの雪に見舞われたが、幸いにも大阪方面は、未明にぱらついていた雪も雨に変わり、一部地域を除けば交通手段に大きな支障は出なかった。
　雪の影響が最も心配された名神高速道路の関ヶ原付近ですら、難なくクリア。名古屋方面から大阪を目指す団体バスには、運営本部に詰める御僧侶から道中を案ずる電話が入るが、「大丈夫です！　予定どおり向かっています」と答える声に、車内の法華講員も沸きかえる。こうして参加者は、指折り数えて迎えた決起大会に胸を躍らせつつ、続々と京セラドームに集（つど）ったのである。

<strong>大成功だった初回決起大会
御命題達成へ向け飛躍誓う</strong>

　この日の結集は、最終的な集計によると三万三千余名。広いドームの中は、アリーナ席・二階席・三階席と法華講員で埋め尽くされ、定刻の午後十二時五十分、第一部が開始された。
　日如上人・日顕上人の両猊下がお出ましになると、場内は温かな喜びに満ちあふれ、感極まって目頭を押さえる人も。
　第一部では、地元関西の青年部の和太鼓、婦人部のコーラス、法華講連合会ブラスバンドや鼓笛隊の演奏が披露（ひろう）された。この日のために唱題根本に真剣な練習が重ねられてきた各演目は、決起大会の大成功を祝う素晴らしいもので、参加者一同の心に強く焼きついたのであった。
　小憩をはさんで、いよいよ決起大会の第二部。再び両上人がお出ましになり、「躍進」と大書された舞台上にお揃（そろ）いになると、会場全体は厳粛な空気に包まれた。
　第二部は、初めに司会の西岡雄信御尊師によって開会が宣せられ、以下、河原昭太郎・運営副委員長の「開会挨拶」、妙宝寺支部・針尾知子さんの体験発表、少年・青年・婦人・壮年の各部代表による決意発表、柳沢委員長の「激励」と続き、次に総監・八木日照御尊能化より「挨拶」が述べられた。
　そして、御法主日如上人猊下より甚深の御指南を賜（たま）わる。
　御法主上人猊下は、『立正安国論』の深義について懇切に御指南あそばされ、邪智謗法の害毒によって乱れきった世の中と一切衆生を救済すべく大折伏戦を展開し、明年の『立正安国論』正義顕揚七百五十年における「地涌倍増と大結集」の御命題を完遂（かんすい）すべし、と大獅子吼（ししく）の御指南を下された。
　御指南の後、御法主上人猊下大導師のもと御題目を三唱。会場を埋め尽くした三万超の僧俗が唱和した題目は、末法の闇を照らしゆく厳（おごそ）かな妙法の唱えであり、同時に、御指南のまま折伏に挺身（ていしん）する決意の発露（はつろ）であった。
　最後に運営委員長・高野御尊師より力強く「決意」が述べられ、全員で大合唱して、決起大会は歓喜の中に閉会した。
　会場内で救護の任務にあたった方の話によると、当日は急病人や不測の怪我などに備えて、四名の医師（いずれも法華講員）が待機し、救護班も万全の体制を敷いていたのであるが、救護室は、微熱や軽い腹痛、あるいは赤ちゃんの授乳に数名が利用した程度で、ほとんど出番は皆無に等しかったとのこと。メンバーは、「三万人以上も集まったのに、考えられないことだ。本当に護（まも）られている」と、しみじみ話し合ったという。
　かくして、決起大会の初陣（ういじん）「西日本決起大会」は、両上人猊下の御慈悲に包まれて大成功、大勝利を収めることができたのである。

<strong>不発に終わった学会の謀略
哀れな姿に正邪の違い歴然</strong>

　一方、正法正義の興隆を妬（ねた）む創価学会の輩（やから）は、決起大会の日が近づいたころから、いつものように、法華講員宅に怪文書を投げ込んだりの妨害行為や嫌がらせをしかけてきた。また当日の入場券を何とか手に入れようと、「売ってほしい」と法華講員に頼み込んでくる学会員も。
　しかし、当然のことながら、これに動ずる法華講員などいるわけがない。怪文書を投げ込むところを見つかり、法華講員から叱（しか）られてコソコソと逃げ帰ったり、あるいは、法華講員を装って「決起大会は中止です」との電話をかけてきたものの、すぐに学会員と見破られ、「あなた学会員でしょ？」と詰問（きつもん）され、慌（あわ）てて電話を切る始末。
　さらに、日如上人と日顕上人が乗車された新幹線では、停車駅ごとにおびただしい数の学会員が配置され、また、ホテルから会場への移動の際は、数台の車で執拗（しつよう）な尾行を展開。大会の開催中も、会場周辺を偵察して回る多くの学会謀略部隊が、警備の法華講員によって確認されている。警備の法華講員達によれば、「今までにないくらい、多くの謀略部隊が出没していた」そうだが、何の益もない行動にコソコソうごめく学会員らは、自分達の哀れな姿にいいかげん気づくべきであろう。
　いずれにしても、我々法華講員は、混迷の世の中の光となるべく、いよいよ明年の御命題達成に向け、大折伏戦を展開していこうではないか。]]>
        
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