新潟県 N さん 女性
私は、平成七年九月、娘の紹介で日蓮正宗に入信させていただきました。 といいましても、けっして、すんなりと素直に入信できたわけではありません。
当初、平成二年に、二人の娘がそろって日蓮正宗に入信したのですが、その時、私は、「娘たちが得体の知れない新興宗教に入ってしまった!」と思い込み、目の前が真っ暗になりました。そして「今まで平穏無事に暮らしてきた我が家に、なぜこんな大きな災難が降って湧いたのか」と宗教に対する偏見から嘆き悲しみました。娘たちが何度も何度も、熱心に日蓮大聖人様の仏法の話をしてくれましたが、私は全く聞く耳を持たなかったのです。
それでも娘たちは、「邪宗教へ参詣に行くことは大謗法で、本当に不幸になってしまう」と言って、耳をふさぐ私を折伏し続けてくれました。が、私は「そんなバカな事があるものか!」と頭ごなしに否定して、妹たちと神社や寺を回り歩いていました。 しかし、大聖人様の仏法に背き、邪宗に関わっていて、何事もなく、幸せになれるはずがありません。それから四年が経過する頃、共に信心に反対していた主人に大変な事が起こったのです。
主人は突然、大量の下血をし、検査の結果、直腸ガンであることが判りました。リンパ節にも転移している可能性が高く、至急手術が必要であり、また、術後に肺炎を起こしてしまえば、命も危ないという状況でした。
主治医の先生から「この一週間が山です。家族の方も呼んでおいてください」と言われた時には、目の前が真っ暗になり、ただ呆然として、声も出せませんでした。
しかし、「もうダメだ……」と深く沈み込む私とは対照的に、娘たちは全く違いました。二人とも、「何としてもお父さんを助けるんだ」と言って、一生懸命に御本尊様に唱題をして、祈っているのです。また、小川御住職様に、当病平癒の御祈念もお願いしておりました。
すると、どうでしょう。主人の手術は順調に終わり、あんなに恐れていた一週間の山も越え、主治医の先生もびっくりするほどの早さで回復を遂げ、ほどなく退院することができたではありませんか。
私はこの時、日蓮正宗の御本尊様の偉大な御力を目の当たりにして、少しずつ仏法のことを考えるようになり、家の中にあった神札、守り袋等の邪宗謗法を、全部捨てることができました。
そして翌・平成七年の九月、娘の強い誘いで東京に行き、そこでT幹事から、邪宗謗法の恐ろしさと、日蓮正宗こそ本当の正しい仏法であることを話していただき、私もそこでやっと決心がついて、御授戒を受けることができたのです。
入信してからは、勤行に、お登山に、また、会合参加にと励み、また一分ですが、折伏もさせていただくようになりました。すると、そのような中で、御本尊様からいろいろな功徳を頂戴いたしました。
私は長い間、スーパーで経営者同然の仕事をしてきていました。早朝から夜遅くまで、働きずくめでしたので、気がついた時には、腰も頸も、椎間板が減って無くなっており、そのために、ひどい腰痛や肩胛骨の痛みに悩まされ、寝ても起きてもいられないほどの苦しみだったのです。また膝も変型性膝関節症になって、痛みがひどく、正座をする事も、歩く事も困難な程になっていました。
しかし、信心をするようになって三年がたった頃、気が付いてみると、それらはすっかり治ってしまい、短い時間なら正座も、そして走ることもできるようになっていたのです。 本当に御本尊様はすごいと思い、心より御礼申し上げました。
私は、これらの御恩に報いるためにも、もっと折伏させていただこうと思い、真剣に祈って実践に踏みきりました。 それ以来、私は、さらに唱題にも折伏にも、真剣に臨んでいけるようになりました。
また、私の九十歳近い母のことですが、兄の家にいる母は、だいぶ体も弱り、ほとんど寝たきりで、会話もボケてしまっている状態でした。 私は、母の臨終や葬儀の事が心配になり、加藤部長に相談したところ、「まずは、お母さんを折伏して、御授戒を受けさせ、功徳を積ませてあげましょう」と言われました。 そこで私も腹を決め直し、母を兄の家から連れ出して、じっくり、わかりやすく仏法の話をしましたところ、母は、首をたてにふり、無事、御授戒を受けることができました。
母は、話はよく理解できないものの「南無妙法蓮華経はありがたい、ありがたい」と言って、「おばあちゃん、もう終わりだよ」と言っても止まらないほど、喜んでお題目を唱えるようになりました。
すると、どうでしょう。ほとんど寝ていた母が、体調も大変良くなり、どんどん元気を取り戻し、階段の昇り降りまで、できるようになったのです。そして、私が、「今度、皆と一緒に総本山に行こうね」と話すと、とても喜んで、登山を楽しみにするようになりました。
しかし、平成十一年の年末、母は突然大量の下血があり、精密検査をすることになりました。医師の話では「腸にポリープができているためだ」とのことで、母も大変心細そうでした。 私が横で唱題をはじめると、母も手を合わせ、頭を下げて、懸命にお願いしております。私は、その姿を見て、とめどなく涙があふれ、大聖人様の仰せである、 「大地はさゝさばはづるゝとも、虚空をつなぐ者はありとも、潮のみちひぬ事はありとも、日は西より出づるとも、法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず」 (御書六三〇頁) との御金言を思って、御本尊様におすがりし、真剣に唱題していきました。
すると、御本尊様はまたしても大功徳力を示してくださいました。 検査の結果は、なんと、「あるはずのポリープが全く見当たらない。今後の生活にも全く支障はない」というではありませんか。あるはずのポリープが消えてしまうなんて、本当に功徳以外、何ものでもないと思い、私は、「御本尊様、本当にありがとうございます」と何度も心中で御礼申し上げました。
そして、平成十二年五月の妙観講第二十二回総会には、兄たちが「こんな年寄りを静岡まで連れて行くなんて無茶だ!何かあったらどうする気だ!」と大反対するのを説得して、母を無事、総会に参加させてあげることができました。
八十九歳という高齢になってから、生まれて初めて戒壇の大御本尊様にお目通りさせていただけ、共に合掌礼拝している母の姿に感激がこみあげ、涙が止まりませんでした。 総会参加後の母は、ますます元気になり、未入信の兄弟たちがびっくりするほどでした。 私は、これらの御恩に報いるためにも、もっと折伏させていただこうと思い、真剣に祈って実践に踏みきりました。
そして、同年七月には、学会員だった近所のWさん一家三人が移籍、九月には、弟の一家三人が入信決定、さらに十月には、住所も名前も知らずにいた昔の知人とバッタリ出会って折伏し、入信することができました。
これらの折伏を通じて、誰もが多くの悩み苦しみを抱えていることがわかり、「本当に正しい仏法を信仰せずに幸せな人は一人もいないのだ」との確信が深まりました。
また十一月からは、支区として佐渡地方の学会員の折伏をしようということになり、私も皆さんと共に、学会員捜しから始めました。 天候の悪い吹雪の日や、多少、体調の悪い日もありましたが、大聖人様が極寒の佐渡で二年半もの間過ごされていたことを思っては、奮い立ちました。 そして、初めて佐渡に渡った日には、身に凍みるほどの大変な寒さでしたが、塚原三昧堂跡地に立って、佐渡御流罪中の大聖人様のお姿を思うと、とめどなく涙があふれ、しっかり折伏させていただこうと決意せずにはいられませんでした。
こうして、十一月、十二月、翌・平成十三年一月、二月と、約千件くらいの電話をかけて学会員を捜し出し、幾度も佐渡へ渡って、お話しした結果、五名の方を移籍に導くことができました。 同年の三月までで、私は、年間を通じて十世帯の折伏を果たさせていただきましたが、その中で、御本尊様からたくさんの功徳を頂戴いたしました。
私は、幼い頃より、寒冷じんま疹でたいへん苦しんできたのですが、それが、なんと全くなくなってしまったのです。また鼻やのどの病気も治って、高血圧もなくなり、毎年一週間くらいは熱を出して寝込んでいた風邪も、全くひかなくなりました。
さらに信心にずっと反対し続けていた主人が、今度は心筋梗塞になり、一時間遅れたら取り返しのつかない事になるところを、またしても御本尊様の偉大な御力で助けていただきました。
そして、それを機に、主人は娘の涙ながらの説得に心を動かし、同三月一日、無事、地元の正宗寺院で御授戒をいただくことができたのです。 お寺の御本尊様の前に、主人と二人で座らせていただいた時、ありがたくて、ありがたくて涙がとめどなく流れました。今まで、どれだけ待ち望んだことでしょう。私は何度も御本尊様に御礼申し上げました。 入信後の主人は、体調も良く、愚痴も言わなくなり、すっかり人が変わってしまったようです。
振り返ってみますと、以前の私は、六十年近くも謗法の罪障を積んできたのに加えて、娘たちの信心をやめさせようとして反対し、大謗法を犯してきていたにもかかわらず、御本尊様は、私を正しく導いてくださり、たくさんの功徳をくださいました。
私は過去に自分の犯してしまった謗法罪が本当に申し訳なく、また、御本尊様がありがたくてなりません。 これらの御恩に報いるためにも、今後とも、精いっぱい仏道修行に励んで御奉公してまいりたいと思います。
どうも、ありがとうございました。