折伏進展と共に新事業の売上が 200 %増!

埼玉県 T さん 男性

正信の在 (あ) り方を知らず――
心のままに所属寺院を変遷 (へんせん)
 

私は、昭和三十二年、小学二年の時に、創価学会を通して日蓮正宗に入信しました。そして、中学三年生の頃から学会の活動にのめり込むようになり、受験の時期も聖教新聞の配達をし、さらに、青年部となってからは、地域の本部幹部となり、また、輸送班員として、十数年間にわたり、任務優先の生活もしました。池田大作が書いたと言われる書物も全て読破しておりました。  
  しかし、昭和六十二年のある時、『聖教新聞』の記事を読んでいるうちに、書物や学会内部で伝えられる池田大作像と、本物の池田大作とは全く違う、ということに気付き、昭和六十三年初頭、創価学会の活動を全て停止しました。 当時は、創価学会が決定的に謗法化してしまう以前でしたので、私は、自分が決断したことが間違いないか、自分なりに調べていきました。ところが、その過程において、仏法上、とんでもない大慢心を起こしてしまったのです。
  それは、「池田と直接会ったこともない私ですら、彼の本性がわかるのに、なぜ猊下様はわからないのだろう、なぜ池田と仲良くしているのだろう」というものでした。
  今にして思えば、猊下様はお気付きになっていなかったのではなく、深い御慈悲の上から創価学会を善導あそばされていたのですが、私は、そんなことにも気付かず、慢心の上から批判の心を懐いてしまったのです。  
  その後、平成三年一月に正式に脱会してお寺に付いたものの、私の生命の底辺に、この大慢心が巣くっていたため、十三年間に三回も所属寺院を移り変わる、という大罪を犯してしまいました。

私を変えた妙観講との出会い  謗法を懺悔し折伏に立つ  

そして、平成十六年九月十二日、勝手に所属寺院を飛び出し、宙に浮く形となってしまっていた私は、家族を伴って大石寺に向かい、吸い込まれるように理境坊を訪ねたのです。  
  そんな私達家族を、小川御住職様は御慈悲の上から受け止めてくださり、ちょうど登山されていた大草講頭に会うよう、手配をしてくださいました。講頭は、初めてお会いするにも拘(かかわ)わらず、私の話の一つひとつを、大きく包容して聞いてくださいました。私は何故(なぜ)か、この方なら間違いない、この方について行けば大丈夫だ、という、言い知れぬ安堵(あんど)感と喜びが湧きあがり、子供のように溢れる涙を押さえることができませんでした。

そして、その翌月から講中の諸会合へ出席させていただくこととなったのですが、支区座談会・本部講習会・定例班長会・本部幹部会・御講登山と参加する中、私と講中幹部の方々との明らかな違いを思い知らされることとなりました。
妙観講の幹部の方々の信仰姿勢は、皆さん愚直(ぐちょく)で純粋、求道心旺盛で、四六時中、身を低くして仏法を求めておられるのです。私は、その姿に我が身を照らして、慢心だらけの今までの生き方・考え方を改め、この講中で正しい信心を身に染めていこう、と心から決意をしました。
  また、昨年七月、本部講習会に参加する中、御書の御文を通して、御僧侶の尊さと重大な存在意義――すなわち、御僧侶がおられなければ仏法は途絶えてしまうこと、御僧侶の批判をすることは、仏法を断絶させ滅ぼそうとする行為であって、謗法になること、を教えていただき、私は、かつての所属寺院で犯してしまった謗法の罪の深さを思い知りました。
 以来、毎日、朝夕の勤行の中で、その犯してしまった謗法を懺悔申し上げ、罪障消滅を願って、よりいっそう折伏に励んできました。  
  折伏については、妙観講に移籍して以来、先輩方に付いて、それなりに行じてきたつもりでしたが、悪業(あくごう)の深さゆえか、一年間は全く入信決定(けつじょう)する人が出なかったのです。
 ところが、昨年七月に班長という大任を拝命し、その二ヶ月後の九月に初めて夏季合宿に参加した頃から、ようやく闇が晴れたように折伏が進みだして、班としても毎月の誓願を達成し続け、この一年間で十八名の折伏が成就いたしました。(拍手)

これぞ折伏の功徳! 考えられぬ売上急増  

そして、それに伴って、仕事上にも大きな変化が現われてきたのです。 私は、平成五年までは、自営で二十六年間にわたって印刷会社を営んでいたのですが、地主の一方的な都合で、借家であった工場付き住宅の立ち退きを迫られ、その裁判が続いておりました。  
  そうした状況下にあった平成五年、御宗門では、元旦から百日間、僧俗挙げて一人が一日二時間・五千遍ずつのお題目を唱える、という方針を打ち出されました。  
  私自身も、真剣にそれに取り組んでいったところ、いつしか私の心に、それまでの力ずくで生きてきた人生に終止符を打ち、とにかく仏道修行を生活の根本にして、仏法の素晴らしさを実証する人生を歩んでいこう、との想いがフツフツと湧きあがってきました。
  すると、ちょうど百日間の唱題行の満願の日を迎えた直後、揉めていた立ち退き問題が、アッという間に私の思いどおりに解決し、幼い子供達と妻を路頭に迷わせずに済みました。 そして、同時に、別の仕事の道が開けてきたのです。  

と言いますのは、当時、私は、趣味が高じて、熱帯魚を育てるための水質の研究に取り組んでおりました。ところが、ちょっとしたきっかけから、アメリカの工業用バクテリアのトップメーカーの方と知り合い、私とそのメーカーが共同で、これらの魚を使って、ある微生物の開発を行なうこととなったのです。  
  当初のうちは何十回という失敗の連続でしたが、唱題をしては、「これは御本尊様からいただいた仕事であり、必ず成功する」と信じて取り組んだ結果、思いもよらなかった、微生物と販売のシステム、そして、水を高度活性化するための原理を、私が手中にすることとなったのです。 私は、そこで知り得た知識を元に、事業を立ち上げました。  
  初めの半年間で、全国の熱帯魚屋さんに電話での営業活動をしたところ、ある程度の顧客も開拓できましたので、その後は、営業や勧誘の活動は一切せず、仕事は夕刻の発送のみとしました。それでも、リピートや口コミで注文がきますので、そこそこ生活できるだけの収入になり、仕事はそれ一本としました。  

そして、平成十六年に妙観講の講員となって、折伏に励んでくるなか、なんと、売り上げが急速に伸び出したのです。昨年は、一昨年と比較して二〇〇%の伸びとなり、私の実質的年収としては千五百万円を超えるまでに至りました。今年度の売り上げは、さらにそれを上回る成長をしております。 私は、事業にはほとんど無頓着なのですが、それでも、御本尊様の功徳によって開発された製品なので、海外にも広めていきたい、まずはアジア方面から広めていきたい、と、おぼろげながら考えていました。
  しかし、目下のところ、折伏や育成に駆け回っていて、そんな時間的余裕もありませんので、放っておいたところ、今年の三月のある日、ある貿易代行会社から「あなたの会社の製品が今、台湾と香港で騒がれているので、ぜひ取り扱いたい」と言ってきたのです。思いもかけなかったことでしたので、これには驚き、本当に御本尊様の御力、折伏の功徳はすごい、と思わずにはいられませんでした。 現在、徐々にではありますが、海外に向けての輸出が始まり、これからも伸びていきそうな手応えを感じております。

法統 (ほっとう) 相続も順調に  

また、家族のことですが、妙観講に入講してからは、妻も子供達も、講中の諸会合を中心にした生活を送るようになり、高校二年の娘の京子は、東川部長の応援を得て、昨年の十二月以降、三名の折伏を成就させていただきました。  
  息子は、入講以来の私の変化を見ていたのでしょう、ある時、私に「お父さん、変わったよね」と言ってきました。その言葉に、私は一瞬、言葉を失いました。かつての私は、子供達にも信仰を威圧的に強いるだけで、何でもかんでも自分の一存で決めるものですから、所属寺院を移り変わった時も辛い想いをさせてしまったと思います。  
  私は息子に、「妙観講では、自分が変わらなければやっていけないんだよ。どの先輩も純粋で、講頭さんを見ればわかるだろ。一番、頭が低くて、一番求道心が強いんじゃないかな」と話しました。 今は、子供達も自ら進んでする信仰に変わってきたことが、本当に嬉しく、また有り難く思います。  
  私は、自分の福徳のなさから、大きな回り道をしてしまいましたが、今、講中の諸先輩との因縁を、命の底から深く感じております。  

これからは、この講中に脈打つ歴史と精神を我が身に染め抜いて、講中の当面の目標である「平成二十一年・講員総数五万名」の達成を目指し、共に折伏を行じ、一分ながらもお役に立ってまいる所存であります。 ありがとうございました。

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