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      <title>goma</title>
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         <title>「正義顕揚の年」にあたって 石川県白山市　最教寺</title>
         <description><![CDATA[<strong>燃え上がる北陸広布≠ﾌ熱願
師弟相対の祈りで折伏を早期達成！</strong>

　日本の三大名山の白山連峰を背に、眼前には日本海の海原が広がる風光明媚な石川県白山市にある最教寺は、昭和六十年八月に総本山六十七世日顕上人猊下の大導師のもと、落慶入仏法要が奉修されて以来、明年で創立二十五周年を迎える。
　平成二年末の創価学会問題を機に、平成三年七月には法華講最教寺支部が結成され、四〇世帯からスタートした。
　現在の御住職である白井信益御尊師が第三代住職として赴任されたのは、平成十六年七月のこと。白井御尊師は、赴任されるとすぐに、「北陸広布を担える講中作り」をモットーとして新たな体制を構築し、講中組織の強化を図った。そして、僧俗和合で折伏を進めてきた結果、現在、約一三〇世帯の陣容となっている。
　その中でも、昨年と本年は、二年連続で年間の誓願目標を完遂。とくに本年に入ってからは、講中として歴史的な大折伏戦を展開し、年間の折伏誓願目標一〇世帯を、四月二十八日の立宗会(りっしゅうえ)までに早期完遂することができたのである。

<strong>突破口となった昨年末の折伏戦</strong>

　本年の勢いの原動力となったのは、何と言っても昨年末の熾烈な折伏戦であった。
　昨年は、御命題達成に向けての最後の年であることから、世帯数（当時は九十八世帯）の二割以上にあたる二〇世帯≠ﾌ誓願目標を掲げて、年初から折伏戦をスタートさせた。ところが、一時は快調であったものの、到達期日としてきた十月の御会式までの成果は、半数の一〇世帯に止まってしまった。
　それを憂慮された御住職は、自ら、御会式の翌日から折伏目標を完遂する日まで、それまで一日二時間行なってきた唱題を一日五時間≠ﾆすることを決意され、毎日、五時間の唱題行を開始したのである。
　しかし、それから一ヶ月が過ぎようとした十一月下旬になっても、成果は一世帯に止まり、講中には焦(あせ)りの雰囲気が出はじめた。
　そのような中、いつもは平穏な寺院周辺の地域で、殺人事件や強盗事件などの凶悪な事件が相次いで起こった。
　一件は、講頭がたまたま飛び込み折伏した学会員宅で起こった事件。講頭は、その家にニセ本尊が祀られていることを知り、懸命に折伏したが、結局、その学会員はニセ本尊を手放そうとしなかった。その二週間後、まさにその家で、息子(次男)が母親を殺傷する、という事件が起きたのである。
　その他にも、学会員二名がコンビニに強盗に入り逮捕される、という事件や、母親が幼児を殺すなどの事件が相次いだ。
　御住職は、これらの事件直後、臨時に役員を召集し、
　「あの人達を救えなかったのは我々の責任である。この地域の広宣流布、この地域の人々を成仏に導く責任は我々にある。その責任をもっと感じていくべきだ。
　大聖人様は『其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ』と仰せである。我々は折伏に手をこまねいている場合ではない。もっと真剣に唱題し、祈り、折伏すべきだ」
と指導された。
　その指導によって、役員一同の信心は奮い立ち、日々、寺院へ参詣して御住職の唱題行にお供し、「絶対に目標を完遂させる」との強い決意をもって唱題に励んだ。その息吹は、講中全体に広がって、唱題会への参加者も増え、講中一丸となって組織的な大折伏戦が開始された。
　十二月に入ると、新来者がいちだんと増え、折伏は昼夜問わず行なわれて、時には深夜にまで及ぶこともあった。
　唱題会の際に新来者を連れてくることも多くなり、御住職と紹介者が折伏をしている最中、他の講員は折伏成就を祈って唱題を続け、唱題会中に御授戒になる、ということもしばしば。十二月一日からは「二日半に一世帯」の割合で折伏が成就するようになり、誰もが驚嘆した。
　そして、ついに年の瀬の二十六日の午前九時に、最後の御本尊下附が成就し、年間目標の二〇世帯の折伏を達成することができたのである。一ヶ月間に九世帯の折伏を成就した、支部にとっては、これまでにない歴史的な大折伏戦であり、大勝利であった。
　その、最後の御授戒に参加した婦人の目からは涙がこぼれていた。
　この時のことを、ある講中役員は、
　「昨年末の折伏戦を通し、多くの講員が、『法華初心成仏抄』に示された、
　『よき師とよき檀那とよき法と、此の三つ寄り合ひて祈りを成就し、国土の大難をも払ふべき者なり』
との御金言をあらためて実感し、御住職の強き一念のもと、僧俗和合・異体同心で唱題し、行動を起こせば、御本尊の御加護をいただき、必ず祈りを成就できることを確信することができました。同時に、自分たちのこれまでの折伏誓願に対する認識や取り組みの甘さを痛感した闘いでもあり、これが本当の闘う≠ﾆいうことなんだと知って、それまでの自分たちの信心を反省しました」
と、明るい表情で語る。

<strong>「大結集総会までに二倍の折伏を！」</strong>

　そして、折伏達成の歓喜の中、本年、「正義顕揚の年」を迎えた。
　本年の折伏誓願目標は、昨年の十一月に協議され、記念登山の推進もある関係上、世帯数の約一割にあたる一〇世帯≠ﾆ定められた。
　二月に入り、御住職より、
　「大結集は地涌倍増≠ｪあっての大勝利であり、本年の折伏目標一〇世帯は、四月二十八日の立宗会までに完遂しよう」
との指導があった。そしてさらに、「完遂するまで、寺院では一日三時間の唱題行を行なっていく」旨を発表されたのである。
　この唱題会には、昨年末同様、多くの講員が参加した。日によっては、唱題行や折伏が深夜まで四時間、五時間と行なわれたという。
　とにかく寺院へ新来者を連れてくることを一つの目標に、唱題をして折伏し、そしてまた唱題する、という活動の日々であった。その中で、自発的に一日十時間の唱題に取り組み、みごと折伏を成就させた婦人や、約一〇年ぶりに折伏を成就させた壮年の人も現われ、ついに立宗会までに十三世帯の折伏が成就したのである。
　折伏の早期完遂を果たしたことにより、五月には、同じく早期完遂した富山市・妙顕寺支部と共に「合同支部登山会」を開催。その際、御法主上人猊下に御目通りして、折伏誓願達成の御報告を申し上げた。
　御目通り直後、宿坊にて御住職より、
　「七月の大結集総会までに、折伏誓願目標２００％を達成しよう」
との新たな目標が発表され、講中一丸となって取り組んだ結果、七月二十六日までの折伏成果の合計は二〇世帯に達した。
　また、四月から宗門を挙げて始まった「百日間唱題行」が七月九日で終了した後も、最教寺では「三時間唱題行」が続けられ、それは大総会への出発日の直前まで行なわれた。
　その結果、「七万五千名大結集総会」は、参加割り当て六十五名に対して、七十二名が申し込み。一人の欠席者もなく、１１０・８％の達成率をもって大勝利したのである。
　本年、眷属と共に五世帯の折伏を成就している大塚由希子さんは、
　「猊下様にお目通りした際、北陸広布への御期待をひしひしと感じ、『私たちは広布の戦士なのだ。これからもいっそう頑張ろう』と心から決意しました。
　そして、毎日毎日、折伏に励みました。御住職様と目が合えば、『今日は誰？』が合言葉のようになり、お寺へ新来者をお連れし、お話をしていただいた人数は覚えていないほどです。
　今回の活動を通し感じたことは、手続(てつぎ)の師匠である御住職様と僧俗和合して唱えた唱題の祈りは必ず叶う、との確信です。本当に、御住職様にはたくさんの御教示をいただき、たくさんの功徳を積ませていただきました。これからも、新しい御命題に向け、頑張っていきます！」
と力強く語る。
　最後に、講中役員から今後の決意を伺った。
　「現在の勢いをけっして止めることなく、また、現在の折伏成果にけっして満足することなく、さらなる折伏と五〇万総登山の達成、そして新たな御命題の完遂を目指して、御住職の御指導のもと、『もっと唱題を』を合い言葉に、唱題行を根本に講中一丸となって精進していく覚悟です。」
　念仏王国と言われる石川県に、今、正法広布の炎は赤々と燃え上がったのである。
【慧妙平成21年８月16日より転載】]]></description>
         <link>http://www.myokan-ko.net/2009/08/post_114.htm</link>
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         <category>時局レポート</category>
         <pubDate>Tue, 18 Aug 2009 15:00:23 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>7月26日　総本山大石寺に78,423名が大結集</title>
         <description><![CDATA[<strong>平成33年80万法華講に向け勇躍出陣！</strong>

<strong>結集目標を大きく上回った大結集総会
参加僧俗に広宣流布への決意漲る</strong>

<strong>大結集総会に歴然たる諸天の加護
日如上人の御指南に僧俗奮い立つ</strong>

　真夏の日差しを遮（さえぎ）るかのように、朝のうちは厚い雨雲に覆（おお）われていた空も、大結集総会の開会時刻が近付くと、今度は次第に雲に切れ間が入るようになり、爽（さわ）やかな日差しと涼風が会場を包んだ七月二十六日の総本山大石寺・広布の広場――。
　この日、全国各地から集った法華講員は、目標の七万五千名を大きく超えた七万八千四百二十三名。その目はメインステージに注（そそ）がれていた。
　全ての席が埋まり、定刻の午前十時より五分早く始まった七万五千名大結集総会は、信徒代表・僧侶代表の決意発表と、順調に進行。ここで司会者から、この日の結集人数が七万八千四百二十三名に達したことが告げられると、会場内にはどよめきと大拍手が湧き起こった。
　参加者の興奮がさめやらぬ中、御法主日如上人猊下が登壇。日如上人猊下はまず、平成二年、四万余名の法華講員が結集した法華講連合会第二十七回総会から、今回の大結集総会までの、法華講躍進の歴史を語られた。
　その後、「今日の日本乃至世界の混沌（こんとん）とした現状を見る時、その混乱と不幸と苦悩の原因は、すでに立正安国論をはじめ諸御書に明らかなとおり、全て邪義・邪宗の謗法の害毒にあり、その邪義・邪宗の謗法を破さなければ、真の幸せも平和も訪れてこない」と指摘された日如上人は、我々一人一人が一切衆生救済の誓願に立ち、断固たる決意をもって大折伏戦を展開していくことが肝要であることを、『立正安国論』ならびに『日興遺誡置文』を通して諄々（じゅんじゅん）と説かれた。
　そして、次に目指すべき目標について、十二年後の平成三十三年に、宗祖日蓮大聖人御誕生八百年を迎えること、そしてそのちょうど中間の平成二十七年には、第二祖日興上人の御誕生七百七十年を迎えることを挙（あ）げられ、まず、「日興上人の御誕生七百七十年の平成二十七年までに、全国の全ての法華講衆が、現在の講員数の五〇％増を目指して折伏を実践し、仏祖三宝尊に御報恩謝徳申し上げていくことが肝要」と御指南。
　さらに、「その確実な成果を元に、さらに折伏を重ね、平成三十三年の宗祖日蓮大聖人御誕生八百年までには、御誕生八百年にちなんで法華講員八十万人の体制を築き、大法広布に資していきたい」と仰せられた。
　その上で日如上人は、「七万五千名大結集総会は、御命題にお応えして、法華講の七年間にわたる広布への闘いの成果を示す、重要な意義を持った大総会であると同時に、新たなる闘いに向けての大出陣式であり、その意義をもって、今日参集した一人一人が、広布の戦士として、講中の中核となり、次の目標を目指していよいよ精進されることを心からお祈り申し上げる」と結ばれたのである。
　こうして、日蓮正宗としての次の目標が明らかとなった。近くは平成二十七年の講員数五〇％増、さらに目指すは平成三十三年の、法華講員八十万人の達成である。我々は、この目標の完遂を目指し、勇躍前進を続けるのみである。

<strong>日蓮正宗の躍進に焦る学会
怪文書連発もかえって墓穴</strong>

　こうした、日蓮正宗僧俗の上げ潮ムードに、何としても水を差したい怨嫉（おんしつ）の徒が、他ならぬ創価学会である。
　今回の七万五千名大結集総会の大成功に対しても、さっそく怪文書『フェイク』を用いて難癖（なんくせ）をつけてきた。
　まず七月二十六日付『フェイク』にいわく「諸天の加護なき邪宗の証明！」と。
　これは、七月二十五日、静岡県下に大雨・洪水・雷・濃霧注意報が出されたことを奇貨とし、二十六日早朝に、任務者が会場の濡（ぬ）れたパイプ椅子を拭（ふ）く作業を行なっていたことを指し「拭き終わった頃には再び雨が強く降り始めるといった具合い」「謗法の行事だから諸天善神が加護していない、という何よりの証拠」などと書き殴ってきたもの。
　ところが、実際には強い雨どころか本紙が冒頭で書いたような状況となったものだから大慌て。七月二十七日付『フェイク』では、「会場は蒸し風呂状態、日如（上人）の話は夢物語」なる見出しを打ち、「開会と同時に日差しが強くなり、会場の芝生の上は蒸し風呂状態。一方の舗装された場所は熱したフライパンの上に座らされているような感じであった」などと、今度は晴れたのは諸天の加護なき証拠≠ﾆでも言いたげな駄文を書き並べる、というお粗末。
　しかも、当日の実際の様子は、「蒸し風呂状態」でも「熱したフライパンの上」でもなかったのだから、妄想としか言いようがない。
　日蓮大聖人は『曾谷入道殿御返事』に
　「例せば餓鬼は恒河（ごうが）を火と見る、人は水と見る、天人は甘露（かんろ）と見る。水は一なれど果報に随（したが）って別々なり」（御書七九四頁）
と仰せであるが、地獄界の住人である『フェイク』偏執者には、諸天の加護による天候も、地獄の業火に焼かれる想い≠ﾉ感ぜられたのであろう。呵々（かか）。
　ちなみに『フェイク』は、「本山は信徒をムリに登山させ、供養を集めるだけで食事やお茶の面倒も見ない」（七月二十六日付）などと書いているが、実際には、大結集総会の開会前に、参加者全員にかち割り氷が一袋ずつ配られ、参加者はこれを、思い思いに有効活用していた、ということを付言しておこう。
　ともあれ我々は、こうした魔の蠢動（しゅんどう）に誑（たぶら）かされることなく、御法主上人の御指南に信伏随従し、縦横無尽の大折伏戦を展開して、新たなる御命題を完遂していこうではないか。
【慧妙平成２１年８月１号より転載】]]></description>
         <link>http://www.myokan-ko.net/2009/08/72678423.htm</link>
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         <category>時局レポート</category>
         <pubDate>Tue, 11 Aug 2009 16:46:25 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>七月十六日、正義顕揚七五〇年記念大法要を厳修</title>
         <description><![CDATA[<strong>日如上人猊下、客殿御宝前にて表白文を奉読</strong>

　去る七月十六日、総本山大石寺・客殿において、御法主日如上人猊下大導師のもと、御隠尊日顕上人猊下の御出仕も賜わり、立正安国論正義顕揚七五〇年記念大法要が厳粛に奉修された。
　この記念大法要において、御法主日如上人は御宝前で表白文を奉読された。その中で日如上人は
　「天下一同未だ謗法充満して、邪義邪教愈々（いよいよ）其の数を増す。為に人心は極度に撹乱（こうらん）し、国土は乱れ世情騒然たり。斯（かか）る時刻に当り、我れ等本宗僧俗一同、改めて立正安国論の御聖意を拝し奉り、猶（なお）一層の団結と決意を以（もっ）て一意専心破邪顕正の折伏に励むことこそ肝要なり。
　されば、魔競わずば正法と知るべからずとの御金言に照し、あらゆる障魔が競い起こることは必定なり。
　されど、仮令（たとえ）況滅度後の大難盛んにして、如何なる障魔が競い起きようとも、宗祖大聖人の忍難弘通の御一生を偲（しの）び奉り、その御振舞を亀鏡（ききょう）として我身に移し、大難来たりなば強盛の信心弥々（いよいよ）悦びをなすべしとの御金言を胸に、一歩たりとも退（ひ）くことなく、身軽法重死身弘法の折伏を以て広布達成へ資することこそ、本宗僧俗が爾今（じこん）果たすべき最重要事なり。
　仍（よっ）て我等一同、立正安国論正義顕揚七百五十年の大佳節を迎え、謹みて立正安国論に示された仏国土実現の御理想達成に向けて、愈々の精進を此処に堅く誓うものなり」
と仰せられた。
　見渡せば、世情はまさしく、邪教池田創価学会をはじめとする邪宗邪義の雑乱（ぞうらん）により、混迷の極みに達している。そして邪教の輩（やから）は、我等の正法弘通を阻（はば）むべく、盛んに跳梁（ちょうりょう）する。

　しかし、それに臆（おく）してはならない。なぜならば我々は、日蓮大聖人の仏法を信奉し、御法主上人の御指南に信伏随従し奉る法華講衆だからだ。
　この大慶事を機に、今一度心を引き締めて、広宣流布の大願に向け、精進を誓おうではないか。
【慧妙平成２１年８月１号より転載】]]></description>
         <link>http://www.myokan-ko.net/2009/08/post_113.htm</link>
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         <category>時局レポート</category>
         <pubDate>Tue, 11 Aug 2009 16:43:23 +0900</pubDate>
      </item>
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         <title>野党議員らが矢野絢也氏を再招聘</title>
         <description><![CDATA[<strong>学会・公明の政教一致の実態を聴取</strong>

<strong>「手帖を返還するつもりはない」!?
判決無視を決め込んだ公明党側</strong>

　九月の衆議院任期満了まで、あとわずか。それ以前に解散はあるのか、ないのか!?政治情勢は日ごとに目まぐるしく動いている。
　そのような状況下の七月一日、注目すべき一つの集まりが、参議院議員会館の会議室で開かれた。それは、元公明党委員長・矢野絢也氏を招いての野党有志による「続・矢野絢也さんより話を聞く会」である。

<strong>「話を聞く会」に百人の野党議員
政教一致問題への関心深まる</strong>

　去る七月一日、民主党の菅直人代表代行・国民新党の亀井静香代表代行などが呼びかけ人となり、元公明党委員長・矢野絢也氏を参議院議員会館に招き、「続・矢野絢也さんより話を聞く会」が開催された。
　昨年六月十三日に行なわれた「話を聞く会」から約一年が経つ間に、矢野氏と三人の元公明党国会議員との間で争われていた、矢野氏の黒革の手帖≠めぐる訴訟に、東京高裁が矢野氏側全面勝訴の逆転判決を下すなど（本紙四月十六日号に詳報）、矢野氏を取り巻く状況が大きく変化。そうしたことから、矢野氏からあらためて話を聞き、この事件を看過することなく諸問題に取り組んでいこうと、野党の有志が呼びかけて、「続・話を聞く会」を開催する運びとなったもの。
　これには、民主党・国民新党に所属する国会議員を中心に、なんと約百名の衆参両院議員が参加。また、多数のマスコミ関係者が取材に訪れた。

<strong>池田に忠誠尽くす公明党ＯＢ
黒い手帖にはとんでもない内容が</strong>

　この会合において矢野氏の口から語られたのは、創価学会・公明党の政教一致の実態、なかんずく、池田大作を守ることこそが、創価学会・公明党にとっての実質的な第一義となっている、という事実であった。
　その中で、まず本紙が注目したのは、最大の焦点である「黒革の手帖」の行方に絡んでの話。東京高裁の、仮執行のついた手帖の引き渡し命令に基づき、矢野氏が元公明党議員側に返還を求めたところ、元公明党議員側はこれを拒否してきたというのである。
　矢野氏によれば、双方の弁護士間で二度三度とやりとりをしていたところ、六月下旬、相手側の弁護士から、内容証明郵便にて「返還要求に応ずる意思はない」と回答してきたという。
　これについて矢野氏は
　「返す意思はありませんと、えらく明確におっしゃっておるわけで。判決に反してでも返さん≠ﾆ。
　『返すな』という命令がどこかから出ているのか、どこかへ持っていってしまっているのか、それは僕らには分からないことですが、いずれにしても、法的な手続きによって返してもらうつもりでおります」
と語った。
　しかして、質疑応答の中で、「手帖を返却しようとしない理由は何だと思うか」と問われた矢野氏は、自身の過去を、次のように披瀝。
　「昔、公明党におりましたときに、砂利船事件・リクルート事件に公明党の議員が関わってしまいまして。その時に私は、田代（富士男）君の家、池田克也君の家から、全ての資料を引き上げろ、と指示しました。
　それはなぜかというと、池田（※大作）さんがこう言った、ああ言ったということが、田代さんはまめな人で、それを生き甲斐のようにして（まとめた）池田語録があります。
　池田克也さんもそうだと思うんです。
　したがって、もし家宅捜索が入って持って行かれたらエライことになる、というわけですから、ただちに回収しなくてはならない。」
　その上で、
　「学会がらみの内容が、（私の）手帖には書いてある。（そのことは）学会首脳もよく知っておりますから、これは私の推測ですけれども、学会の指示によって彼らが来た、ある意味では彼らも気の毒な立場にあったと思います」
と分析した。
　矢野氏によれば、約百冊の手帖の中には、言論妨害事件・創価学会と共産党の創共協定・『月刊ペン』訴訟の件・総本山との二度の抗争・山ｱ正友氏が絡んだ富士宮市の百条委員会の件・国税庁の調査の件・一億七千万円入り金庫事件の後始末について等々のほかに、池田大作から受けた天下を取れ∞政権を取れ∞力は正義だ≠ﾈどの指導が書き留めてあるという。
　そのためこんなものを返したら大変だ、ということで、返せない状況なのではないか≠ﾆした上で、「これは推測にすぎませんが」と前置きして、
　「全て三人の責任において、手帖はもう返さないというスタンスで、全部の責任を負うと、そういう覚悟でいるのではないかと思わざるを得ません」
と語ったのである。

<strong>学会守るべく国税に働きかけ
国税の調査から政権への意欲増大</strong>

　本紙が次に注目したのは、平成三年と四年の、国税庁による創価学会に対する税務調査で、創価学会幹部の依頼により国税庁に働きかけた、という件。矢野氏はその際、当時の副会長、さらに、トップの学会弁護士から、ある人物の直筆の、死守すべき四項目≠ﾌ要望を示されたという。
　その第一は学会員の寄付のリスト。矢野氏いわく
　「皆さんご推測がつくと思います。（寄付の一覧を知られることで）出てる金額と入っている金額とが一致するかどうか、という問題になってくるわけでございますから、財務をした人の名簿は絶対に出せない。」
　「国税は手強いといいますか、ちょっとやそっとでは目こぼしなんかしません。しかしまあ、プライバシー、信教の自由、私もいろいろ論陣を張りまして、それはなんとか、その場はご勘弁いただいて、宿題≠ﾉ」
と。
　二番目は美術品の現物調査を認めないこと。
　「これはもう、学会が財産目録を出すか出さないか、という問題に関わってくる。出した場合、当然、美術品、まあそうとう有名な画家の美術品がございました。ですから、それが現実に存在するのか、あるいは、逆にいえば、目録に載っておらない美術品が幻の形で存在するのか、美術品の所在を明らかにせよというのが国税庁の要望でありましたが、これは何となく、半分ぐらいは要望を入れて、半分ぐらいは何となく、と、これも宿題＝B」
　三番目の要望は、池田大作の秘書団・第一庶務の経理に触れさせない、ということ。
　「（学会の）本部会計というのは非課税部門でございますから、非課税のところへなぜ国税が入るんだ、という理屈がこちら側にあるわけで、確かに、非課税の部分には国税も入りにくい、という面がある。
　ところが国税さんもなかなか知恵者でございまして、源泉徴収というのは非課税も課税もないんだと。非課税の本部も、そこの職員の所得税については、これは非課税ではないんだから、源泉徴収を調べる、なんて、こう言い出しまして、入ってこられまして、それをきっかけにして、あれもおかしい、これもおかしい、あれも出せ、これも出せ、というようなことになりましたけれども、かなりの部分は国税に踏み込まれましたが、大事なところは、これまた宿題＝B」
　四番目は、池田大作の個人所得。具体的には公私混同の実態。
　「これはもう必死の防戦をいたしまして、まあ、多少は触れましたけれども、まあ関係はないという話で、言葉の説明で済ませたように私は記憶しております。」
　矢野氏はこの日、
「『おまえがやってきたことは犯罪行為じゃないか』と、ある人から言われましたけれども、まあ犯罪的行為。職権を利用したこともあります。学会のためと思って」
と語っているが、創価学会に対する国税庁の調査に公明党の委員長が口を挟む、というのは、明らかに権力の濫用といえるだろう。
　だが、結果的には、二度の税務調査によって、創価学会の方は、巨大墓園の墓石販売収入など二十三億八千万円の申告漏れを指摘され、一方、池田は、実質的に居宅≠ﾆして利用していた創価学会第二別館の家賃を、滞納分≠ﾜで含めて払わされることとなった。
　「それ（国税庁の調査）を一つの転機として、公明党の政権に入る意欲、池田名誉会長のそれについての強い意志というものが、それを一つの転機として、それまでは公明党は野党ということでやってきたわけですが、にわかに、政権参画意欲が強まったことも、これまた事実でございました」
と、矢野氏は指摘している。

<strong>公明党の原点は池田を守ること
矢野証言で学会の実像が明らかに</strong>

　しかして、矢野氏はこの日、池田大作と公明党議員の関係を次のように語った。
　「公明党の議員、私も含めてそうですけども、池田先生が師匠であると、われわれは弟子であると。
　弟子は師匠のために命を投げ出してでも、仕えなくてはならない。いろいろありますけれども、原点の指導は、この師弟の道、池田先生はお師匠さん、われわれは弟子。
　弟子として師匠のために命がけで戦う、これが、われわれ学会員の原点であり、そしてまた私の時代、今もそうだと思いますが、公明党の原点ということになると思います。」
　矢野氏の推測に間違いがなければ、大川清幸・伏木和雄・黒柳明の三人の元公明党国会議員は、東京高裁の判決をあえて無視してまで、創価学会を、なかんずく池田大作を守ろうとしている。すなわち、国法を軽んじてでも、池田大作に殉じよう、というのだ。
　一方の池田大作はといえば、矢野氏らの、職権の濫用も辞さぬ献身的な擁護だけではまだ飽きたらず、さらなる権力の庇護を求めて公明党に政権へすり寄らせていった、という事実から、自分の保身を最優先する卑屈な俗物でしかない、ということが明らかとなった。
　そんな池田には、大川・伏木・黒柳の献身的な行動≠焉Aうまく事が収まって当たり前、もし、かえって社会の非難を浴びるようなことにでもなれば、三人を徹底的に罵倒した上で詰め腹≠切らせるに違いない。
　三人は、池田の手駒として献身的に働いたつもりでいても、当の池田にとっては、彼らは単なる捨て駒≠ﾉ過ぎないのである。
　その一方で、権力の傘の下に身を寄せた池田は、批判の嵐を直接浴びるような場には一歩も出ようとせず、隠然と政治に影響を与え続けているのだ。
　矢野氏の証言によって、白日の下に晒されていく池田創価学会の実像――。
　学会員諸氏よ、この現実から目をそらせてはならない。あなた方が赤誠を誓った相手は、それに値するような人物ではないのだ。
　一刻も早く目を醒まし、正師を求めて日蓮正宗に帰伏すべし！
【慧妙平成21年7月16日号より転載】]]></description>
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         <category>時局レポート</category>
         <pubDate>Sat, 01 Aug 2009 17:24:36 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>創価学会員の皆さんへ29</title>
         <description><![CDATA[<a href="http://www.myokan-ko.net/395%8AF%82%B3%82%F1%82%D6.pdf">ダウンロードしたファイル</a>
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         <category>時局レポート</category>
         <pubDate>Sat, 01 Aug 2009 17:22:19 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>「公明党」に続いて今度は「幸福実現党」</title>
         <description><![CDATA[<strong>今こそ「宗教法人と政党」の関係にメスを！</strong>

<strong>選挙戦で会館をフル活用してきた創価学会
宗教施設での選挙活動は「隠れた補助金」</strong>

　五月二十五日、大川隆法率（ひき）いる新興宗教団体「幸福の科学」が、「幸福実現党」なる政治団体を結成、次期衆院選に大川の妻・きょう子をはじめとする多くの教団幹部を候補者として擁立（ようりつ）する、と表明した。
　これについて、各マスコミがさっそく反応。その中で共同通信社は、「宗教と政治論議再燃か」と題した記事を配信。宗教政党を自認する「幸福実現党」の出現により、「（宗教と）政治とのかかわり方をめぐる論議が再燃しそうだ」とした。
　憲法論議もたしかに重要だが、衆院選が目前に迫（せま）った今、緊急の課題となるのは、宗教団体が行なう選挙活動の正当性であろう。
　そこで本紙は、その視点から「政治と宗教」の問題に斬（き）り込む。

<strong>創価学会と似た「幸福の科学」
「政治力で理想を実現」との考えも</strong>

　「幸福の科学」は、開祖・大川隆法の著書を経典≠ﾆ見立て、それを会員に次々と買わせることで急成長してきた新興宗教団体。その姿は、池田大作を大聖人に勝（まさ）る現代の仏≠ﾆ崇（あが）め、池田の著書である『人間革命』を現代の御書≠ﾆ称し、会員に池田の著書の購入を督励（とくれい）してきた創価学会の姿に重なる。
　また、大川隆法を国師≠ﾆ立てて、その理想を実現せんとする「幸福実現党」の在り方は、創立時の公明党のそれにソックリ。
　そのことをそうとう意識している創価学会関係者もいるようで、共同通信の取材に対し「うち（※学会）の脱会者がいるから、うちをまねている部分がある」と答えたという。
　当然のことながら、両者の選挙戦術も似たようなものになるかもしれない。

<strong>矢野氏が明かす学会の選挙活動の実態
無償で使用する会館が活動の「要」に</strong>

　矢野絢也氏が、著書『黒い手帖』で指摘した創価学会の選挙活動は、
　「選挙になると、学会の会館がフル活用されており、選挙対策用事務所として使用される。それに対して、候補者が対価を支払うことはない。
　学会側はそのような使用状況はないと否定しているが、私自身も過去九回の選挙を戦っており、そのたびにお世話になっていたので、何をかいわんや、である。」
　「学会員の選挙運動は、次の三段階に分けられている。
　第一段階は『全国交流』。個々の学会員が友人知人、親戚縁者を全国を行脚（あんぎゃ）して訪ね、話し込み、比例区の票固めをする。つまり、遠方から地ならししていく作戦で、電話ではなく、直接訪問が原則になっている。そのためにかかる交通費などの諸経費は、すべて学会員の個人負担である。
　第二段階は『地域交流』。地元の都道府県内の重点選挙区を中心に回る。人脈をたどって戸別訪問するのだ。
　さらに第三段階として『地元交流』がある。『地元交流』はいわゆるご近所を回って、党の候補者への投票を依頼する、最も大切な足元を固める活動だ。
　こうして全国、地域、地元と、三段階の活動を、数回、順ぐりに繰り返す。その結果は、上層部に報告され、状況を把握（はあく）した上層部は、動きが悪いと地元幹部を叱咤（しった）する。（中略）
　こうした選挙活動の拠点になっているのは、全国に大小合わせて一〇〇〇ヵ所ほどある学会の会館である。
　各都道府県の中心的な会館には、その地域のトップクラスの幹部が集まり、本部から下りてきた活動方針を確認、その後、都道府県内各地の地域ごとの会館に次のクラスの幹部が招集され、方針が伝達されていく。しかし、机上の空論になっては意味がないので、確実に実践されるよう、『連絡、報告、確認』を合い言葉に方針が徹底される仕組みになっている」
というもの。
　こうした活動が、衆参両院、統一地方選、また、東京都議選など統一外の地方議会選挙等で繰り返し行なわれてきた――。

<strong>宗教施設での選挙活動を見逃すな！
北野教授は「隠れた補助金」と指摘</strong>

　矢野氏が述べた、創価学会のこうした宗教施設利用や選挙活動について、税法学者の北野弘久日本大学名誉教授はかつて、本紙の取材に対し、宗教施設の使用実態や職業幹部の行動を把握しようとせず、免税の適否を判断しないことは、「創価学会に対する隠れた補助金」を出すに等しく、「適用違憲」となる、と指摘し、その理由を次のように語った。
　「固定資産税や都市計画税は、固定資産についての現況課税の租税ですし、地方税法四〇八条は、当該物件に対する課税庁の毎年の実地調査を義務付けていますから、たとえ、それが宗教法人の施設であろうと、利用状況を精査した上で、課税・非課税を決めなければならないはずなのです。」
　「（創価学会の、宗教施設を使っての選挙活動のような）そういう実態があり、これに対して実地調査が行なわれない、当然ながら課税もされない、ということになれば、それは『適用違憲』ということになります。
　つまり、本来なら課税すべきところを課税しないというのは、税額相当分を宗教法人に補助≠ｵたことになる。私はこれを『隠れた補助金』と呼んでいますが、これは宗教法人に対する公金の支出を禁じた、憲法一四条・二〇条・八九条に抵触することになり、非課税規定を適用すべきでないのに、同非課税規定を適用することは『適用違憲』ということになるのです。」
　「（学会職員の）彼らが、学会職員の立場で選挙活動を行なっていたとすれば、これも問題です。専従職員ではなくても、たとえば交通費などを学会から支給されている幹部も同様です。彼らに支給されていた給料や手当の一部は、施設の固定資産税同様、『隠れた補助金』に該当する、といえるでしょう。」
　北野教授は以前から、こうした問題点を指摘し続けてきた。
　だが、これについて、新聞・テレビなどのメディアはほとんど報道しようとしてこなかった。このようなことの裏側には、創価学会が大手新聞社に『聖教新聞』等の印刷を発注したり、新聞の全面広告や、テレビ・ラジオの番組への提供や頻繁（ひんぱん）なスポット広告を行なう、といった創価学会のカネ縛り≠ﾉ遭（あ）っている、と指摘する声（『週刊ダイヤモンド』2004年8月7日号）もある。
　そうした状況のためか、政治もメディアも、創価学会についてはことさら過敏になり、創価学会の選挙活動の実態調査も行なわれぬまま、時間が無為に流れてきてしまった。
　そのような中、「幸福実現党」なる、新たな宗教政党≠ｪ誕生し、創価学会に対すると同じように、「隠れた補助金」を与え、さらに「適用違憲」の状況が増えることが懸念（けねん）される事態になっているのである。

<strong>「会館の使用は適切」と開き直る学会
ならば、国会の場で白黒をつけよ!!</strong>

　ところが、この問題の元来の当事者である創価学会は、政治・メディアの沈黙をいいことに、開き直り≠ﾆもいえるような主張を展開している。
　それは、六月四日付の『聖教新聞』に掲載された、学会最高幹部による紙上座談会――「学会の会館は『安心の灯台』」との大見出しが打たれたその座談会での、元東京都議・龍年光氏（故人）が起こした裁判に関する、次のやりとりである。
　「棚野（男子部長）一方で裁判所は、学会の支援活動における会館の使用実態について社会通念に照らして『もっぱらその本来の用に供している』といえる≠ﾆ明確に認めた。
杉本（婦人部長）要するに学会の会館は、選挙の時期にも、宗教団体の施設として適切に使用されている≠ﾆ認定されたわけですね。当然の判決ですよ。
金沢（総東京長）竜のやつが騒ぎ回った結果、かえって裁判でも、学会の正義が、いっそう明瞭、明確になった（笑い）。
　まさに『墓穴』だ（爆笑）。」
　龍年光氏が学会施設の使用実態を証明しきれなかったことをもって、文字通りの言いたい放題だ。
　だが、学会がこのように胸を張るのであれば、その活動に疑問を呈している矢野絢也氏、元公明党参議院議員の福本潤一氏を国会に招致することに異存はないはずだ。
　というよりも、それによって、公の場で学会の正当性を証明できるのだから、むしろ自ら積極的に招致を働きかけるべきだろう。
　それにも拘（かか）わらず、参議院の審議における再三の招致要請が未だに実現していないのは、いったいどういうことなのか――。
　創価学会よ、姑息な言い逃（のが）れはたいがいにして、いざ国会の場で白黒をつけよ！
【慧妙平成21年6月1日号より転載】]]></description>
         <link>http://www.myokan-ko.net/2009/08/post_111.htm</link>
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         <category>時局レポート</category>
         <pubDate>Sat, 01 Aug 2009 17:10:37 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>矢野氏の招致要求で窮地の学会・公明党　消えない疑惑「政治と宗教と金」</title>
         <description><![CDATA[<strong>民主党、矢野氏の『黒い手帖』に着目
矢野氏の招致と税制議論を求める</strong>

　五月二十日、参議院予算委員会で質問に立った民主党・峰崎直樹議員は、国の財政が逼迫（ひっぱく）する中で、巨大宗教法人の税の在（あ）り方についても議論すべきだと指摘。集中審議を行ない、そこに、参考人として矢野絢也元公明党委員長を招いてほしい、と主張した。
　峰崎議員が矢野氏の参考人招致を求めるきっかけになったのは、矢野氏が、本年二月に上梓（じょうし）した『黒い手帖』に書いた、創価学会にまつわる「カネ」の問題であった――。

<strong>『黒い手帖』に学会の脱税疑惑が
この際、宗教法人税制を議論せよ！</strong>

　現在開会中の国会においての、最重要の議案といえば、それは間違いなく平成二十一年度・第一次補正予算である。
　自民・公明の賛成多数によって衆議院を通過した同議案は、参議院においては、このままの審議が続けば、民主党その他の野党による反対多数によって否決される、との見方が大勢を占めている。
　この大型補正予算、その使途についての議論と同時に、財源問題もまた、大きな争点となっている。
　そうした中で、五月二十日に行なわれた参議院予算委員会の審議において、質問に立った民主党の峰崎直樹議員は、矢野絢也元公明党委員長が議員時代に記した黒革の手帖≠ﾉついて、次のように言及した。
　「元公明党委員長の矢野絢也さんの『黒い手帖』を読みました。いわゆる、宗教法人の脱税問題についても、そこ（黒い手帖）に書かれている、というんです。」
　「こういう問題が指摘されているということは、やはり日本の政治、これだけ財政がたいへんな時に、何も創価学会だけではなく、巨大宗教法人の税の在り方というのはどうあるべきか、そういったことを、私は議論すべきだと思います。」
　「政治の基本に関わり、税財政の根幹にかかわってくるような問題についての集中審議を要求したいと思いますし、できれば私は、参考人として矢野絢也氏を呼びたいと思います。」
　来年三月末の、国・地方合わせた長期債務残高が八百十六兆円にも上ることになり、景気対策の一方で、消費税の税率アップを含む税制改革の必要性も指摘される中、とかく金≠ﾌ問題が取り沙汰される宗教法人を蚊帳（かや）の外≠ﾉ置くわけにはいかない。峰崎議員はその角度から、創価学会問題に迫（せま）ったのである。

<strong>学会に絡む不透明な金の流れ
「脱税揉み消した」との証言も</strong>

　予算委員会の質疑の中で、峰崎議員が指摘した『黒い手帖』とは、講談社から発行されている矢野絢也氏の著書であり、それには、本紙がかねてから報じてきた、三人の元公明党議員による矢野氏の資料持ち去りに関わる顛末（てんまつ）を中心に、持ち去られた「黒革の手帖」に記された内容の概要と、事件に至る背景や、創価学会と公明党の関係やその体質などについて記されている。
　その中で、手帖の中味そのものについては、ほんのさわり程度にしか書かれていないのだが、それでも、あの「一億七千万円入り金庫投棄事件」に関する次のような記述は、驚愕（きょうがく）に値するだろう。
　「一九八九年六月、横浜市のゴミ処分場に、一億七五〇〇万円の入った古い金庫が捨てられていたとの事件が発覚した。翌月、聖教新聞専務理事で、創価学会の金庫番といわれる中西治雄氏が『持ち主だ』と名乗り出て、記者会見を開き、こう証言する。
　古い金庫に入っていたのは、『昭和四六年（一九七一年）頃から三年間、総本山大石寺境内で金杯≠ﾌ売却で二億円の売り上げがあり、予想外にうまくいき、出た利益。その金はすぐに使うつもりはなかったので金庫に入れておいたが、そのうち忘れてしまった』
　『それに気づいたのが七月一日』
　『金庫は学会の知人から譲（ゆず）り受け、自宅が狭いので聖教新聞の地下倉庫に置いていた』
　『法人登記はせず、個人で商売していたもので、脱税の金』
　この会見を受け、聖教新聞は、中西氏の言い分をほぼ追認し、中西氏個人の犯罪と断罪したが、中西氏の弁明には矛盾（むじゅん）点がいくつかあった。（中略）
　そのため、様々な憶測がとんだ。もちろん、私はこのカネがどういう筋のものか、詳（くわ）しく聞いているのだが……。（中略）
　捨て金庫事件の直後に、中西氏と話したときに、彼の口から出たのも『模刻事件（※池田大作が、日達上人の允可を得ぬまま七体の御本尊を板に模刻した事件）の罪』という言葉だった。
　『模刻事件の罪滅ぼしだと思って、私は今回の一件を引き受ける』と――。」
　矢野氏は同書で、創価学会への税務調査の発端になったルノアール絵画疑惑（創価学会が購入したルノアールの絵画の取り引きに絡む、不可解な金の動き。結局、三億円が行方不明≠ﾉ）などについても言及。そして、
　「こうした社会を騒がせた過去の事件の真相や顛末が、私の黒い手帖には、それに関して喋（しゃべ）った人々の実名と共に記されているのだ」
と記しているのである。
　なお、創価学会の脱税疑惑については、平成五年十一月二十六日、元自民党副総裁の渡辺美智雄氏（故人）が
　「自民党はこれまで、国会で（公明党から）法案への賛成を得るため、創価学会の脱税をもみ消したりした」（『朝日新聞』平成五年十一月二十八日付）
と発言した事実があるが、これについても、矢野氏であれば、その真相を熟知しているであろう。

<strong>池田に贈ったお礼≠ﾌ行方は？
不可解な学会の会計処理の数々</strong>

　こうした疑惑の他にも、学会の収入≠ﾉ関しては様々な問題点があることを、矢野氏は、『黒い手帖』で次のように指摘している。
　「創価学会、公明党の不明瞭なカネの流れは、『政教分離』という観点からもたびたび批判の対象になってきた。
　かくいう私も既（すで）に述べたように、国会議員を辞めたときに、あくまでも感謝の気持ちからお礼として、まとまったおカネを池田大作名誉会長宛てにお届けした。（中略）
　しかし、お届けするとはいえ、おカネを直接、池田氏に渡すわけではない。学会の『第一庶務』という池田氏専用の秘書集団にお願いする。第一庶務は、膨大（ぼうだい）な人数の優秀なメンバーで編成されている。
　そのため、寄付したおカネがその後、どこへ流れたのかは定かではない。池田氏の個人の収入になっているのか、学会本部に入るのかは、学会の経理が決めている。
　いずれにしろ、不明瞭なカネの流れには問題が多い。仮に池田氏個人の収入となっているのなら、申告はしているのだろうか。納税がどうなっているのかという問題が出てくる。
　また、学会本部で処理しているとなると、今では政治家の献金への批判もあって、法律の問題とも絡んでくる。
　宗教団体は非課税であり、『週刊新潮』に掲載された学会広報の話によると、議員や学会員の献金の類（たぐい）はすべて本部会計で処理しているという。そうすると、学会は巨大な非課税資金を得ていることになる。非課税のカネがすべて問題とは思わないが、財務寄付も程度の問題だ。」
　矢野氏はこの他、学会の会館が、選挙になると選挙対策事務所に化（ば）ける問題や、福本潤一氏が指摘する「Ｐ献金」問題などについても、『黒い手帖』に書いているのである。

<strong>矢野氏と共に池田も国会に！
不信払拭のために徹底解明を</strong>

　しかれば、国会は峰崎議員の要請を入れ、まずは多くの事件・疑惑の真相や創価学会の裏事情を知る矢野絢也氏を国会に招き、事実関係を質すべきである。
　しかしそれだけでは、矢野氏の証言だけでは信用しがたい≠るいは矢野氏一人に事情を聞いたのではバランスを欠く≠ﾆいった批判も出てこよう。やはり、もう一方の当事者である創価学会首脳、それも、永遠の指導者≠ﾆして、実質的に絶対権力を握り続けている池田大作も国会に招き、よくよく事情を聞かねばなるまい。
　その上で、こうした事件や疑惑が生じた原因が、もし宗教法人の非課税特権に根ざしているとすれば、それはゆゆしき問題であるから、今後も事件・疑惑の温床になりうる要素を見つけ出し、その部分を徹底的に改正していくべきである。そしてそれこそが、国民の「税」に対する不信感・不公平感を少しでも払拭するために、国会が果たすべき紛（まご）う事なき責務といえよう。
【慧妙平成２１年６月１日号より転載】]]></description>
         <link>http://www.myokan-ko.net/2009/06/post_110.htm</link>
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         <category>時局レポート</category>
         <pubDate>Tue, 02 Jun 2009 14:30:19 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>私が見た創価学会 5</title>
         <description><![CDATA[<strong>前編　マインドコントロールに翻弄された日々 
　　　そして、「センセー絶対」の想いは崩れた
                          宣徳寺信徒　古谷球子　　　　　　　　　　　　　
                                （元・創価学会県女子部長・総合女子部長）</strong>
　昭和三十三年九月、両親が創価学会員として日蓮正宗に入信し、我が家に御本尊様をお迎えしました。私が御授戒を受けたのは、その一年後の昭和三十四年十月、当時十歳の小学生でした。
　入信当時、我が家の経済的状況は苦しいものでした。高校時代は、月謝が遅れることも度々で、三年生の修学旅行には参加費がなく参加できなかったほどです。
　しかし、御本尊様の功徳により、高校卒業後、航空会社に就職することができ、経済的に安定していきました。

<strong>池田への傾倒が始まった瞬間</strong>

　昭和四十一年一月、各県の中高生の代表三〇〇〇名が総本山に集いました。
　その時、十六歳の高校生だった私は、「皆さんは、未来を担う大切な人材です。この中からたった一人でもいい、一〇年後、二〇年後、広宣流布を担う人材に育ってほしい！」との池田大作の一言ひとことを、会場の最後部で聞いていました。
　中高生の私達に対してこんなに期待してくれる大人に出会ったのは、初めてのことで、それだけで私は大感激しておりました。
　そして、その後の数回に分かれての記念撮影では、私は池田の真後ろで撮影を終えた後、「センセー、握手してください！」と叫んでおり、一途な思いで池田センセーと握手しました。こんな私が、池田センセーに握手していただいた！＝\―有頂天になるほど、池田に傾倒していったのです。
　その記念撮影は、「必ず池田センセーにお応えできる人材に育とう！　池田センセーに自分の人生を捧げても悔いは無い！」と、人生を決めた瞬間であり、池田大作のマインドコントロールに引き込まれた瞬間でもありました。
　昭和四十六年、あの当時の中高生が五年ぶりに総本山で再開、池田は私達に「５年会」と命名し、「これから五年ごとにアメリカ、フランス、中国で再会しよう！　そして、ロッキー山脈に総本山を作るんだ！」と語っていました。
　「ロッキー山脈に総本山」とは何とも突拍子もない話ですが、今にして思えば、この当時から、池田は日蓮正宗から独立することを考えていたのかもしれません。
　
<strong>「財務は御供養」と信じ、奔走した日々</strong>

　その後の昭和五十二年、私は、鹿児島県女子部長の任命を受け、やがて県総合女子部長として活動するようになりました。
　鹿児島県は全国でも有数の広さがあります。組織は、県創価学会のもとに県庁所在地の鹿児島をはじめ、南薩摩、川内、国分、鹿屋、奄美大島の六地域の圏があり、その下に本部、総Ｂ（総ブロック）・大Ｂ、Ｂ（ブロック）となっており、三万数千世帯を支えます。当時のメモによると、八月の座談会では、女子部三，三五六名、男子部三，六八六名を集めています。
　私は、自動車の運転免許を取得し、県内を隅々まで回って、女子部会合への出席や家庭訪問等を行ない、また鹿児島には離島が多数存在しているので、飛行機で移動したり、汽船を乗り継いで活動をしていました。
　一方、創価学会では、昭和五十六年に、池田大作を支えてきた第四代北條会長が亡くなり、全ての面で池田のわがままが横行し、ブレーキが利かなくなっていました。
　昭和五十七年からは狂乱財務が過熱し、池田創価学会は暴走しはじめました。池田大作が「財務部員啓蒙運動」を打ち出し、昭和五十七年度には、財務部員数・七〇％を達成していたのです。
　今にして思えば、「必要な費用だけで、余分なお金は集めない」との戸田先生以来の財務路線はあとかたもなく吹っ飛んでいたのですが、「今、財務を頑張る人が、時に叶った信心であり、大功労者であり、大福運をつけます」との言葉に惑わされた私は、その路線の変貌にまったく気がつきませんでした。
　昭和五十九年、「財務は御供養だ」と固く信じていた私は、数か月後に財務を控えたある日、御本尊様に向かい、お題目を唱えていました。日蓮正宗創価学会に入信してから二十五年間、これまでどれほど御本尊様に護っていただいたことか……人間として生を受け、御本尊様にめぐり会えたこと、健康で仕事ができること、地涌の菩薩としての使命に燃え充実した青春、なんと有り難いことだろうと、心の底から感謝の思いが溢れてきました。
　「御本尊様、今回の財務は精いっぱいさせていただきます。私の汗と涙の結晶のお金を御供養させていただきます」とお誓いし、自分の目標を決めました。
　私が手にしたお金を自分のために使うより、御供養として使っていただければ、広宣流布のお役に立てる、御本尊様に恩返しができる、との思いからでした。
　その決意をしてから、生活が一変しました。
　日々の生活において、缶ジュースや飲み物等の一〇〇円を節約し、お昼は五〇〇円のお弁当がもったいなくて、三五〇円のラーメンにしたり、自分でお弁当を作ったり、洋服の購入を控えたりもしました。
　数百万円単位の目標でしたが、広宣流布のお役に立てる！このお金が何倍もの価値となるんだ！財務のためにお金を貯めよう！精いっぱいの御供養をさせていただきたい！≠ﾆの思いからの節約でしたので、窮屈とか苦しいとかの思いは全くなく、かえって喜びでした。
　そして、行く先々の女子部の会合でも、「御本尊様への報恩感謝と広宣流布のために、精いっぱいの財務をさせていただきましょう！」と、その思いを話しました。
　財務の期間が終わってから、「今年は女子部が頑張った！」とのことを県幹部から聞きました。百万円単位の財務をした女子部が多くいた、とのことでした。
　私は金額のことなど一言も言っていなかったのですが、その時は、「御本尊様への報恩感謝の思いと、広宣流布のお役に立ちたいとの決意が伝わっていたんだ」と思いました。
　当時の私は、池田大作を信じており、疑うことなど全くありませんでした。そして、創価学会の財務についても、御本仏日蓮大聖人様の御指南に適（かな）っている、と思い込んでいたのです。まことに愚かなことでした。
　今、あの頃のことを振り返り、人間は環境に影響されやすい面がある、ということをつくづく感じます。
　とくに、社会の仕組みや全体観が分かっていない中で、しかも信仰のあり方や筋目というものをまったく理解していない高校生の時期から、「この世で民衆を救ってくれるのは、池田センセーしかいない。池田センセーこそ最高の指導者」と、何回も刷り込まれると、素直に信じて邁進していくようになります。
　このような状態が、カルト集団によくある「子どもの囲い込み」ということであり、数々の事件を起こして大きな社会問題になったオウム真理教などは、その典型です。
　そのオウム真理教よりも何倍も巧妙だ、といわれるのが池田創価学会のマインドコントロールで、そのマインドコントロールにより、正常な判断能力が欠落し、偏った狂信的なエネルギーになっていたのではないか、と思っています。

<strong>「財務」の使い途に大ショック！</strong>

　さて、先述の財務が終って数か月後のこと、私は、九州のある県の女子部方面幹部と話す機会がありました。その時、その女子部方面幹部から、
　「まりちゃん、誰にも言えんけどね、新築した会館の壁や絨毯の色が気に入らんとかでね、池田先生がやり直しをさせたんだって。それだけで二億円くらいかかったそうだよ」
と聞かされました。
　私は絶句し、頭の中が真っ白になりました。
　そんな湯水のような使い方をしているなんて……。広宣流布のために使っていただけると信じていたから、精いっぱい真心の財務をさせていただいたのに……≠ﾆ、打ちのめされる思いでした。
　有り余るお金ではなく、会社ではイヤなことも日常茶飯事、体調の悪い時も頑張って仕事してコツコツと溜めたお金、それは汗と涙の結晶であり、私の命と引き換えにしたと言っても過言ではないようなお金です。もちろん私だけではなく、財務をした多くの学会員も同様でしょう。
　池田センセーは庶民の真心を何と思っているのか！「みなさんの幸せをいつも御本尊様に祈ってます」との言葉はウソだったのか！
　この時、創価学会に対する、また池田大作に対する疑問が起きてきましたが、どう考えればよいのか、わからないまま、すっきりしない日々が続きました。
　そんな時、本部職員で芸術部書記長でもあった現在の夫（古谷博）から、池田の大浪費ぶりを聞きました。それは、池田の公私混同による、気も遠くなるような内容でした。
　彼の話によれば――
　昭和四十四年、藤原弘達著『創価学会を斬る』に対する言論出版妨害事件≠ｪ起こりました。その事件直後、社会から集中砲火を浴びた池田大作は、病気を装って本部に出てこなくなり、約一年間ほど本部の業務は停滞してしまいました。事件≠ﾍこうした時に起ったそうです。
　新宿信濃町の学会本部は、一階の正面玄関奥に事務総局（経理局･建設局など）があり、二階には組織センターがありました。
　ある時、一階・事務総局に所属する建設局のＳ主事が、非常に立腹していました。それは、どうやら池田に対しての怒りらしいのです。
　池田が本部に出てこないので、Ｓ主事の担当する施工業務に支障が出ていたとのこと。Ｓ主事は、第一庶務を通じて何度も池田に報告書を出しましたが、決裁がなかなか下りなかったので、困り果て、北条理事長（後の第四代会長）に相談したところ、理事長は、これ以上業者を待たせることは良くないと判断し、池田の替わりに、じゅうたんや壁紙等の最終決定を行ない、施工は無事に完了したそうです。
　その後、引き篭もっていた池田が、しばらくぶりに本部に顔を見せましたが、猜疑心（さいぎしん）の強い池田は、自分の都合で本部の職場放棄をしているのを棚に上げて、各部局の仕事ぶりを監視するべく廻りはじめました。
　そして、前記の施工現場に来て、じゅうたんと壁紙の色が自分の好みでないのに気がつき、「これは何だ！　誰がこうしろと言ったんだ！」と、Ｓ主事に対して猛烈に怒りだしました。
　Ｓ主事が、池田不在のためやむなく北条理事長に決めてもらったことを説明すると、池田はさらに感情を露（あら）わにして、「即刻、じゅうたんと壁紙を変えろ！」と命令を下したのです。
　やり直し費用は一億数千万円にもなり、最初の施工費と合せると三億数千万円になりました。Ｓ主事の怒りは、そのことに対するものだったのです
　このように、池田が感情にまかせてやり直しを命じた会館は、全国に多数、存在しているそうです。
　全国の会館や研修道場にあった池田大作専用の豪華施設も、「宗教法人として税法上の優遇措置（無税）を受けた建物に、このような私的な豪華施設があるのは問題だ」とマスコミで追及され、国会で問題にされると、数十億円かけて、いとも簡単に取り壊わされたりしているとのことです。
　私はこの話を聞き、真心込めて御供養≠ｳせていただいたつもりだっただけに、何だったのか、非常に憤りを覚えました。
　県内各地の女子部の会合で「御本尊様への報恩感謝と広宣流布のために、精いっぱいの財務をさせていただきましょう！」と訴えたために、大切なお金を財務に出した多くの女子部員達――私は、彼女達に対する申し訳なさとその責任の重さで、胸が張り裂ける思いでした。
　その後、私自身は、創価学会を脱会して法華講員となることができましたが、今でも創価学会に身を置き、池田を信じて疑わない人々のことを思うと、一日も早く池田大作のマインドコントロールから解き放たれることを願わずにはおられません。
【慧妙平成２１年６月１日号より転載】
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         <category>時局レポート</category>
         <pubDate>Tue, 02 Jun 2009 14:27:31 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>私が見た創価学会　４</title>
         <description><![CDATA[<strong>後編 　信心活動＝選挙活動≠ｾった想い出
　　　　　　ウグイス嬢として活躍したあの頃</strong>

善福寺信徒　大渕清子　　　　　
（元・創価学会女子部本部長）

<strong>四、全て選挙のために費やされた日々</strong>

　昭和五十五年夏の衆・参同時選挙は、一つでさえ大変な国政選挙が二つ重なったために、睡眠を削ってもさばききれないほどの仕事量がありました。
　一番大変なことは、五月十七日から六月二十二日の投票日までを四期に分けて、組織を動かすことです。当時の日程表（※別掲）やメモが残っていましたので、それに基づいて簡単に説明します。

●第一期（5月17日〜5月29日）
「人脈に総当たりする」
　※これは、全活動家が人脈をたどって総当たりし、Ｆ票(＝非学会員の公明支持票)見込み者を開拓し、固める期間です。この活動を徹底させるために、支部長会・大Ｂ長会・大Ｂ協議会・報告会などの会合が、間隙を縫って頻繁に設けられています。（註・大Ｂ＝当時の学会組織の単位）
　また、公示前日(5月29日)の「ポスターの撤去」も、学会員の活動予定に組み込まれています。
●第二期（5月30日〜6月5日）
「公示本番にあたり、Ｆに総当たりする」
　※衆・参、それぞれの公示日(5月30日)に「大Ｂ出陣式」が設けられ、選挙ハガキを「大Ｂまでおろす（振り分ける）」ことになっています。そのハガキについては、衆院選用は、有力なＦにお願いして、まだ公明党支持の固まっていないＦへ出してもらい、参院選用は、内部(学会)の活動者がＦに出す、とされています。
●第三期（6月6日〜6月15日）
「徹底した拡大」
　・6月12日以降は、夜も電話作戦を行なう。
　・選挙日まであと十日に迫った6月13日の「大Ｂ活動者会」で、中盤の選挙情勢分析　　を発表し、その席で、他党から一票をもぎとること≠ﾆ、14、15の土日は票が　　固まる大事な時期だから、中だるみを廃して終盤戦に突入すること≠訴える。
●第四期（6月16日〜6月22日の投票日まで）
「総攻撃」
　・6月16日の「大Ｂ協議会」で総攻撃≠打ち出す。
　・大Ｂ幹部は、18日の「大Ｂ長会」までに、投票日当日の連れ出し態勢≠ﾌ準備を　　完了させる。
　※連れ出し態勢≠ﾆは、学会員がＦを自動車等で投票所に連れていくことで、目的は、公明党候補者の名前を途中でダメ押しするためです。完全な選挙違反ですが、学会の内部では、「これは選挙活動ではなく、投票活動の応援しているのだ、と弁解しなさい」と教育します。
　・6月19日の「大Ｂ活動者会」をもって、最後の三日間の総突撃を敢行する。

　この四期にわたる活動日程に合わせ、個人演説会・立会演説会・遊説・ポスター貼り・ビラ配布等をきめ細かく実行に移していくのです。
　その中で最も力を入れて推進するのが、不在者投票≠ﾅす。不在者投票に連れ出したＦは、八〇パーセントから九〇パーセントが公明候補に投票します。投票所から出てきた後、「ちゃんと○○さんに入れた？」と聞きますので、確実な数字です。これが、学会の見えざる最高戦術で、私もずいぶん、不在者投票に知人を連れ出したものです。

<strong>五、激しい選挙戦に感じた虚しさ</strong>

　前回も述べたように、当時、区の女子部本部長であった私は、この選挙でウグイス嬢の担当幹部を任されていました。
　板橋文化会館の二階では、私達ウグイス嬢に対し、幹部より、本部の意向に基づく指導がありましたが、当時の信心指導のポイントは、広宣流布のために選挙は不可欠の戦いであること∞勝つためには、池田先生の心にギヤを合わせていくことに尽きる≠ﾆいうものです。間違っても、池田会長の辞任（※本紙三月一日号に詳述）によって新会長に就任したはずの北条会長にギヤを合わせる、という指導はありませんでした。
　そして、信心指導が終わると、会議室で、衆議院東京第九区松本候補の遊説コースと街頭演説の場所の確認、参議院東京地方区三木候補および同全国区大川候補の遊説コースを確認し、その手順を打ち合わせます。
　板橋文化会館の会議室には、候補者のポスターやポスター用の証紙、ポスターを貼り付けるベニヤ板、個人ビラとそれに貼る証紙、チラシ、選挙ハガキ等が各本部別に仕分けられていました。それらの全てが、深夜までかけて手際よく搬送され、区内十一ヶ所に設けられた公明党選挙本部に届けられていくのです。
　私は、選挙戦を重ねるうちに、だんだん虚しさを感じてくることもありました。折伏よりも選挙に膨大なエネルギーをつぎ込んでいる学会の活動現場に身を置いていると、「こんなことで広宣流布が本当にできるんだろうか」との疑問が湧いてきたのです。
　ある時、恐る恐るその疑問を、区の選挙対策幹部の一人であった小川頼宣氏（現在は法華講員）にぶつけてみました。ちょうど、内部告発等で池田大作の女性スキャンダルがマスコミをにぎわせている頃でもありました。
　小川さんは、「そうだね、御書には政権をとれ≠ﾆはおっしゃっていない。選挙活動の理論的根拠は、戸田先生の王仏冥合論≠ﾉよるわけだけれど、これはあくまでも試論にすぎない。僕個人としては、選挙を百年やったとしても広宣流布とは関係ないと思う。本音を言うと、じつは選挙に飽き飽きしてるんだ」と、慎重に答えてくれました。その時、私だけじゃなかったのだ、と安堵したことを、今でも覚えています。
　ちなみに、秋谷栄之助副会長（当時）クラスを総指令として、組織の隅々まで選挙態勢で戦った、この昭和五十五年の夏の衆・参同時選挙では、衆議院候補の松本氏は落選してしまいました。

<strong>六、結び</strong>

　この選挙の頃、『週刊文春』では、創価学会の内部告発が盛んに報じられていました。これも、選挙戦の敗因の一つだったのでしょう。
　そして、その直後に内部告発者が覆面をとって、同誌に実名を公表しました。それは、原島嵩教学部長でした。
　隠しようのなくなった学会本部からは、
　「（原島氏については）全ての役職を解任し、除名した。昨年の十一月以来、池田先生はかばっておられたが、重ねての家族の説得も聞かず、家を出てしまった」「六老僧の中で退転した民部日向は学頭職にあったのであり、今でいえば教学部長にあたる。創立五〇周年の節にこのようなことがあるのは、仏法の方程式である」（主旨）などと説明がありました。
　私は、なるほどとは思いましたが、なぜ選挙が終わった後の発表なのだろう、と割り切れないものを感じました。
　前の年には、次期会長レースのトップを走っているとされていた福島源次郎副会長が大牟田事件で失脚していました。続いて原島教学部長が内部告発です。
　この二人は、池田大作の側近中の側近であり、学会内の「師弟不二論」の双壁でした。私は、この二人の指導を聞いて、池田大作を人生の師匠と思い定めて歩いてきたのです。その二人でさえ実践できないような学会の師弟論とは、いったい何なのだろうか、と思い、深いため息をつくばかりでした。
　そして、後年、前編（本紙三月一日号に掲載）でも述べたような経緯で創価学会を脱会し、法華講員となったのですが、今にして思えば、池田大作は日蓮正宗から破門される以前より、大聖人の仏法を利用して天下取り≠狙っていたのであり、学会員はその野望の手駒にされていたにすぎない、ということが、本当によくわかります。
以上
【慧妙平成２１年５月１日号より転載】]]></description>
         <link>http://www.myokan-ko.net/2009/05/post_109.htm</link>
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         <category>時局レポート</category>
         <pubDate>Mon, 25 May 2009 18:45:53 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>私が見た創価学会　３</title>
         <description><![CDATA[<strong>中 編 　池田の「お詫び登山」と「引責辞任」
　　　　　幹部も何も知らされていなかった！</strong>
善福寺信徒　大渕清子　　　　　
（元・創価学会女子部本部長）

<strong>二、昭和五十三年の「お詫び登山」</strong>

　昭和五十三年の十一月、在京の幹部は、突然の招集によって東京都立体育館の前に集められ、そこからバスで総本山の大講堂に連れて行かれました。区の女子部本部長であった私も、その一人でした。
　そして、大講堂に居並ぶ幹部達の前で、池田大作は日達上人に深々と頭を下げてお詫びをしました。
　私は、何のことやら、さっぱり訳がわかりませんでした。私の周りにいた人達も、「あれ！　池田先生が日達上人にお詫びをしているよ。どうして…？」と囁いていました。
　これが、後に「お詫び登山」と称されているもので、創価学会の「第一次教義逸脱問題」（昭和五十二年路線）を御宗門から指摘され、進退きわまった池田が総本山にお詫びして破門を免れようとしたものだった、と私が知ったのは、ずっと後のことでした。外部からは信じ難いことかもしれませんが、その時点では一握りの首脳部以外、学会員は誰一人として、この日の会合の主旨を知らなかったのです。
　そして、それから約五ヶ月後の昭和五十四年四月、池田大作は、突然、創価学会の会長を辞任しました。その時、学会本部では、「後進に道を譲るための勇退だ」とマスコミに鼓吹（こすい）しました。
　しかし、池田大作を日蓮大聖人の生まれ変わりのように信じていた幹部達は、この本部の説明を誰も納得していませんでした。何が何だかわからないまま、ただ、その事態を受け入れるしかなかったのです。
　私が、この辞任の本当の理由――つまり、「お詫び登山」以後も改まらない学会の方向性を御宗門から指弾されて、池田が責任をとっての辞任であった、と知ったのも、学会を離れてからのことです。
　さらに、近年、『懺悔滅罪のために』（暁鐘編集室・平成一九年発行）で、その会長辞任の直後に、池田が何と言っていたかを知り、驚きました。
　そこには、学会の教学部長（当時）であった原島嵩氏が実際に遭遇した話として、
　「池田大作は、まず、首脳や最高幹部を締め上げました。五月三日（※「本部総会」の日）の直後、『創価学会は俺そのものだ。私が創価学会の魂だ。お前達は、私の全財産をただ預かっているに過ぎないのだから、【一時お預かりいたします】という一札を書くべきだ。また、私を永遠の師≠ﾆ仰いでいく、ということも、誓約したらどうだ』と言い、皆から誓約書を取りました。会長を退いたといっても、全てはそのまま、第一庶務も特別室も専用施設も全く変わりません」
と書かれていたのです。
　当時の私達には知るよしもありませんでしたが、裏ではそのようなことがあったのか、と、あらためて池田の権力欲のすさまじさに驚いた次第です。

<strong>三、「政教一致は当たり前」の感覚</strong>

　さて、その頃、『月刊ペン』（昭和五十一年三月号・四月号）のスクープに端を発し、池田大作の女性問題が週刊誌などで大変な騒ぎになっていました。
　私は、初めははタチの悪いヤラセ記事だと思っていましたが、騒ぎは止む気配もありません。そして次第に、本当のことかもしれない、と思いはじめました。それは私ばかりでなく、創価学会の現場は、納得しがたい説明を繰り返す本部に対し、不信感が積み重なっていきました。
　そうした状況の昭和五十五年、学会挙げての総力戦を余儀なくされる参議院選挙の年を迎えました。しかも、直前の衆議院解散により、創価学会にとって一番苦手な、衆・参同時選挙を戦うことになったのです。
　参議院選挙は東京地方区と全国区がありますから、実際はトリプル選挙です。公明党候補者の票を取るためには、投票所で三人の名前を書いてもらわなければなりません。三人の候補者の名前を覚えさせるだけでも、大変な手間ひまが掛かります。
　五月に入ると、六月二十二日の投票日に向けて、学会活動は選挙一色になりました。秋谷副会長（当時）からは、戦いに先立ち、次のような指導がありました。
　「三種類の候補者名をいかに覚えさせるかが鍵だ。Ｆ（＝フレンド票。非学会員の公明党支持者）は、三人も名前を覚えなさいと言われると、三番目あたりでだんだんイヤになるだろう。それでも、なんとか仕上げていってもらいたい。」
　「東京全体で団結して、このトリプル選挙を勝ち取っていこう。衆議院の一区と八区は、辛勝がやっとで、参議院の票まで手が回るかどうかわからない。そこで余力のある選挙区がカバーして、参議院を押し込んでゆく戦いを展開してもらいたい。」
　「池田先生からは、『大変だけれど、北条、秋谷を中心にして、公明党・創価学会は異体同心で戦っていきなさい。お互いに護り、励まして、この戦いを乗り越えていこう』とのお話がありました。最大のチャンスが来たと思って、遮二無二でも突っ込んで、現場の白兵戦で勝利をもぎ取っていきましょう。」（以上、趣旨）
　このことからもわかるように、前年に引責辞任したはずの池田大作は、舌の根も乾かぬうちに隠然たる支配力を発揮し、選挙戦の号令を掛けていたのです。
　板橋区の女子部本部長だった私は、その選挙戦でウグイス嬢の担当幹部を任され、板橋文化会館の二階和室で、選挙カーに乗るウグイス嬢に細かい技術を教えました。
　板橋文化会館の一階会議室では、全国主任部長で第四東京副青年部長の小川頼宣氏（※現在は法華講員）ら、担当の大幹部が詰めて、選挙戦の指揮を執っていました。
　後に、「政教一致問題」の象徴として、非課税の特権を受けた宗教施設が選挙の際の公明党の根城になっていることを他党から追及され、創価学会側は苦しい言い逃れをしましたが、ひとたび選挙ともなれば会館がフル活用されるのは、紛れもない事実であります。
　平成二〇年、矢野元公明党委員長が週刊誌誌上で創価学会を告発した中にも、「会館が選挙のために使われており、政教一致と疑われても仕方がない」というくだりがありましたが、私の経験に即して言えば、これは本当のことであり、私達にとっては当たり前のことでした。
　学会員だった頃の私が所属していた地域では、区議会議員選挙、衆議院議員選挙、参議院議員選挙、都議会議員選挙等を全て、板橋文化会館を中心に選挙活動が行なわれました。
　当時の私は、それに対して何の疑問も感じていませんでした。それどころか使命感に燃え、いそいそと選挙活動に頑張っていたのです。今にして思えば、創価学会という、狭窄（きょうさく）な社会の中でしか物を見ていなかったことを、つくづくと思い知るばかりです。
　次回は、創価学会で経験してきた選挙活動の実態について紹介します。
【平成２１年４月１日号より転載】]]></description>
         <link>http://www.myokan-ko.net/2009/05/post_108.htm</link>
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         <category>時局レポート</category>
         <pubDate>Mon, 25 May 2009 18:43:53 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>私が見た創価学会</title>
         <description><![CDATA[<strong>前 編 　「十一・一六」スピーチは私が録った！
　　　　　今、初めて明かす録音の経緯</strong>

善福寺信徒　大渕清子　　　　　
（元・創価学会女子部本部長）

　創価学会は、平成三年に日蓮正宗から破門され、今では完全に邪教集団となってしまいましたが、破門に至る課程で、日蓮正宗に反逆しようとする池田大作の本音が明るみに出たのは、いわゆる「十一・一六」平成二年十一月十六日の本部幹部会における池田スピーチの録音テープでした。
　ところが、創価学会側は、この録音テープを「出所不明の代（し）ろ物」と切り捨てることによって、池田の問題発言に対する指摘を言い掛かりである≠ﾆ吹聴したのです。
　しかし、あの「十一・一六テープ」は、出所不明などではありません。当時学会の女子部であった私が、会場で生録音したものなのです。
　今、その時の経緯を明らかにしたいと思います。

<strong>学会内部からの改革を決意</strong>

　女子部本部長（当時）だった私が、小川頼宣さん（元・学会本部広報部副部長）に連れられて、後藤順子さん（当時・女子部大Ｂ長）・河上雅夫さん・大渕両平さんらと共に、福島源次郎さん（元・学会副会長）のお宅を訪問したのは、平成元年のことでした。
　その当時の私は、原島嵩氏（元・学会教学部長）や山ｱ正友氏（元・学会顧問弁護士）らの内部告発によって次々と明るみに出た池田大作の女性スキャンダルを耳にし、学会幹部の言う素晴らしい池田先生≠ﾆスキャンダルまみれの池田大作≠ﾌあまりのギャップに、頭の中は混乱していました。
　すでに池田大作の本質を見抜いていた福島源次郎さんは、私達に対し、池田の誤りを真剣に話してくれました。そして、執筆中だった『蘇生への選択』の内容にも触れて、
　「池田の邪義邪説から学会員を目覚めさせる、信心覚醒の戦いをやろうと思う」
と、内部からの改革を志していることを打ち明けてくれたのです。
　私達はその場で、一緒に戦うことを決意し、その日から福島さんと行動を共にしました。この時参加した五人が、後に「蘇生の集い事務局」の中核になったのです。
　『蘇生への選択』が発売されると同時に、『月刊アサヒ』で「池田大作のウソと金」という特集が組まれました。朝日新聞編集局社会部長待遇を務め、長く池田大作と創価学会のアドバイザーを務めてきた央忠邦氏が一肌脱いでくれたのです。山手線等の中吊り広告で大々的に宣伝され、とても驚きました。
　読者からは数多くの賛同の声、批判の声が寄せられました。そうした中で、小川さんと後藤さんを中心に、賛同者に声を掛け、池袋の区民センターで池田の邪義を正す勉強会を開催することになりました。第一回目は小さな会議室で、受講者は二〇人にも満たないものでしたが、池田の邪義から解放されていくごとに、不思議と気分がすっきりと晴れるのです。
　一方、学会の妨害は激しく、会場の出入り口にはいつも学会員の車が駐車し、参加者の顔写真を撮ったり、尾行して自宅をつきとめ、嫌がらせをするなど、大変な日々でした。我が家にも、玄関先にゴミ袋が散乱した状態で置かれたり、玄関の扉には汚物が塗られたりしました。

<strong>「池田の問題発言を録音しよう！」</strong>

　こうした中で、福島さん小川さん達が大阪や北海道の勉強会に行った折、御住職様方から
　「池田は間違っています。でも証拠がありません。昭和五二年路線≠ﾌ時は、聖教新聞や大白蓮華で池田の邪義ぶりが公然と書かれていましたから、私達も攻めやすかったのです。証拠がほしいですね」
と言われました。
　「よし、じゃあ池田と学会幹部が何を話しているか、テープに録ろう！」　私達は、これこそ、私達の隠された任務だと思い、張り切りました。
　平成二年、会合のたびに池田大作の問題発言が続くなか、実際に本部幹部会での池田大作のスピーチをテープに録りに行くことにしました。
　まず機材が必要です。私達は、秋葉原に行き、高性能のテープレコーダーを買いました。
　第一回目は、私一人が会場の渋谷文化会館の中に入り、他のメンバーは外のホテルで待機していました。事の重大さを思うと、自然と緊張感が湧いてきます。
　ところが、会合を終えて意気揚々と皆の所に戻り、バックの中をふと見ると、機械の入力ランプが消えているではありませんか。スイッチが入っていないのです！
　もう頭の中が真っ白になってしまいました。会場では何度も何度も、スイッチが入っているかどうか点検したはずだったのですが、緊張感のあまり、逆にスイッチを消してしまったのです。
　次こそは、という思いで、二回目に臨みました。今度はうまくいった、と胸をなでおろしたのですが、マイクの位置で失敗しました。
　とにかく緊張していましたから、心臓がドキドキしており、せっかくの高性能の機材がまるで医者の聴診器のように心臓の音を拾ってしまい、肝心の池田のスピーチが聞こえないのです。
　落ち込むことばかりです。とにかく唱題をして頑張ろうと、次に臨みました。
　三回目は、マイクの位置を変えて録音をしました。とてもきれいに録音されたのですが、今度は、操作ミスのためか、テープの片面のみしか入っていませんでした。森田と秋谷の話だけで、肝心の池田のスピーチはほんの少ししか入っていません。

<strong>「十一・一六」の録音に成功</strong>

　そして、問題の平成二年十一月十六日、四回目の挑戦です。場所は、これまでと同じ、渋谷文化会館です。
　この時は、念のため、もう一人（男性メンバー）がテープレコーダーを持ち込むことになりました。私は、入場券を準備してもらっていましたが、万一、そこから名前が判ると危ないと思い、どさくさに紛れ、入場券なしで入ることにしました。
　私はうまくいったのですが、もう一人の男性は、受付で止められ、ちょっと問題になりました。何とかうまくその場をつくろい、大事には至らなかったそうです。今思うと、やはり魔が強かったのだと思います。この間、ずっと小川さん、後藤さんは蘇生の集い事務局で唱題をしてくださっていたそうです。
　録音テープは、両方とも、きれいに入っていました。小川さんから、「池田の音声もクリアだ。これで複数本のテープが入手できた。証拠能力としては十分だよ」と言っていただき、私は、ホッとしてその場に座り込んでしまいました。
　その夜、テープを福島さんに届け、福島さんは、録音テープと反訳文にお手紙を添えて、それを重大な覚悟で総本山に送られたそうです。
　私は、「よかった、お役に立てたんだ」と、心から御本尊様に感謝のお題目を唱えました。
　後で聞いたところによれば、他にも録音された方がいたそうですが、それらのテープの中でも、私の録音したものがいちばんクリアに録れていたそうです。
　それからは、学会の警戒がとても厳しくなりましたが、一方、渋谷文化会館の他、戸田記念講堂や杉並文化会館等の入場券も簡単に入手できるようになり、録音活動も上手になって、そのつど、小川さんから福島さん経由で提出し続けました。
　時には危ないこともありました。男性メンバーが戸田記念講堂に入った時、受付で取り囲まれて別室に連れ込まれ、数時間にわたって軟禁状態になったあげく、録音機に入っていたテープを没収されたのです。
　その男性は、「蘇生の集い」の勉強会の役員をやっていたことから、学会に写真を撮られていて、その写真が戸田記念講堂の創価班まで回されていたようです。
　それにしても、「十一・一六」のテープがこんな大きな影響を与えるとは、当初は想像もつきませんでした。ましてや、池田大作の総講頭資格喪失から創価学会の破門に至るとは思ってもいないことでした。
　今でも渋谷を通るたびに、あの時の緊張感が思い出されます。先日も仕事で付近を通りましたが、あの時の「ドキドキ感」が鮮やかに思い出されました。私にとって十一月十六日と渋谷は一生忘れられないことでしょう。

<strong>今、法華講員として</strong>

　その後、私達は創価学会を脱会して、日顕上人猊下の御慈悲により、晴れて法華講員となりました。堂々と胸を張って戒壇の大御本尊様の御開扉を受けられる身にしていただいたのです。なんとありがたいことでしょう。
　一方、私の家族のことですが、私の活動に対して狂ったように反対していた母が病で倒れ、入院中の平成二十年、やはり学会員だった姉が交通事故で亡くなりました。青信号の横断歩道を歩いている最中に、トラックに胸を轢かれて即死したのです。
　母はとてもショックを受けた様子でしたが、私は思いきって、「まじめ一方の姉ちゃんがこんな死に方をするなんておかしくない？　成仏とは程遠いよね。これは罰だと思う」と言うと、母は茫然としながらも素直にうなずきました。猛反対をし続けた母がうなずくなんて、こんなことは初めてです。
　十五年近く閉ざされていた母の心が、開かれ始めたのです。この時ほど御本尊様のお力をありがたく思ったことはありません。
　「お母さん、昔、総本山にも何度も連れて行ってくれたよね。もう一度、戒壇の大御本尊様にお目通りに行こうよ」と言うと、母は「うん」とうなづいてくれました。
　『立正安国論』正義顕揚七五〇年にあたる本年、何としてでも大御本尊様のもとに母を連れ行き、懺悔滅罪の祈りをさせたいと決意しております。
（つづく）
【慧妙平成２１年３月１日号より転載】]]></description>
         <link>http://www.myokan-ko.net/2009/05/post_103.htm</link>
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         <category>時局レポート</category>
         <pubDate>Mon, 25 May 2009 18:39:49 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>私が見た創価学会</title>
         <description><![CDATA[学会の公認通訳として見た池田の姿
　それは失望の連続だった――
理境坊所属妙観講　後呂聖子

　私は学会二世として、創価学会員の両親のもとに生まれました。両親は、学会の活動拠点として我が家を提供し、広布のためにと、より広い会場を目指して引っ越したり、家を建て替えたり、百畳敷きの会館を提供したり、熱心に活動を行なってきました。
　そうしたなかでも、私が静岡の高校にいた頃、母がある女性と大親友だったことから、その女性が池田センセーの愛人であることを知りました。
　その女性は、結婚していて夫も子供もいます。御主人は、自分の妻とセンセーとの関係を承知していて、何も言わない御褒美として、センセーから大幹部に任命されたというのです。
　多感な年頃だった私は、そのようなことにおぞましさを感じながらも、中学時代からの夢であった通訳になるために勉学に励み、第二志望の創価大学に入学することになりました。
　そして、在学中に「通訳になりたいのは、単なる自己満足ではなく、世界中に日蓮大聖人の仏法を求めている人達がいて、その人達に仏法を正しく伝えるためである」と自覚してからは、さらに一心不乱に英語の勉強と信心活動に打ち込みました。

<strong>間近に接してショック！</strong>

　当時は、池田センセーの英語の通訳として、矢倉涼子さんが活躍中でした。その矢倉さんが私の大学在学中に結婚することになり、ポスト矢倉涼子¢Iびが始まって、まだ学生だった私にも白羽の矢が立ち、私は「涼子部隊」と称される通訳のメンバーに選ばれました。
　そのグループの目的は、矢倉涼子に続く、池田センセーのお役に立てる通訳を育成する≠ﾆいうもので、英語以外の言語も含め、全部で七、八人はいたと思います。
 それまでは比較的遠い存在だった池田センセーを、私がすぐ目の前で見たのも、この涼子部隊の集まりの時でした。それまでは、池田センセーが大学に来た時に、一緒に記念写真を撮ったり、講演を聞いたり、会食会に参加したりということは数多くありましたが、私は大勢の中の一人にしかすぎませんでした。それが、私のすぐ目の前でセンセーに接する機会ができたのです。
　間近で接したセンセーに対する私の印象は、「ふんぞり返っていて、何と不遜な態度の人なんだろう」という強烈なものでした。しかし、その頃の私は池田センセーは、信心の絶対的な指導者≠ﾆ信じていましたので、すぐさま、「自分は何て信心がないんだろう！　そんなふうに思ったのは、自分の心が汚ないからだ」と思い直し、自分の直感をかき消しました。
　その席では、さらに腑に落ちないことがありました。
　涼子部隊の一人がセンセーに、「八〇歳を越えた祖母が体も弱っていて、どうしたらよいか」との質問をしたところ、センセーからは、「もう、そこまで生きたのだから、いいよ」といった返事が返ってきたのです。
　私にはどうにも納得のいかない返事でしたが、それもまた、深く考えないようにして、心の中に封印しました。
　今にして思えば、誰人たりとも、「あなたはもう充分に生きたからよい」とか「悪い」とかと判断を下す権利など、あるはずがなく、正しい仏法信仰者の言葉としては、「最後まで福徳を積ませてあげられるように、家族で助けてあげましょう」と言うべきだろう、と思います。
　いずれにせよ、これが生（なま）の池田センセーとの最初の出会いでした。

<strong>異常な「恋愛禁止」のこだわり</strong>

　その後、大学を卒業した私は、池田センセーから認められた最年少の「公認通訳」に任命され、本部でも池田センセーの通訳になるべく、どんどん訓練を受けていきました。国際部長からも女子部長からも後押しを受けて、センセーのもとへ、センセーのもとへと連れていかれました。
　その間、同じようにセンセーの通訳になるべく訓練を受けていたポルトガル語の通訳者は、彼氏を作ったことで池田センセーの逆鱗（げきりん）に触れ、「目的が違う！」と怒鳴られて、通訳を降ろされました。池田センセーの通訳になるには、彼氏を作ることは御法度（ごはっと）だったのです。
　私もそれは厳重に注意を受けていました。「彼氏ができると、そちらに心が奪われて、センセーの通訳に集中できないから」というのが理由です。
　これもまた、私にはどうしても納得のいかないことの一つでした。「本物の信心というのは、周りにどんな誘惑があろうが魔の働きがあろうが、それらに影響されない強い自分を築いていくことではないのか。そうでなければ、センセーの通訳は一生結婚できないことになる」と。
 　その「恋愛禁止令」がセンセーの意志であることを、強く認識させられたのは、私が通訳の仕事でアメリカに長期出張していた時のことです。その時、たまたまセンセーも訪米してきて、数名の通訳と共にセンセーに再会する機会があったのですが、センセーは、まずは会って早々、私を指さして、「えーと、これは何だっけね、これは？」と、まるで物扱いするかのように聞いてきました。
　私は少しショックで、何も答えられずにいると、周りの人が私の立場を説明してくれました。すると、センセーは急に、「彼氏はいるのか？」と何の脈絡もなく聞いてきたのです。二、三回、畳みかけるように同じ質問をしてきましたので、私が「いいえ」とだけ答えると、センセーは「イヤー心配だ！心配だ！」と言い出し、側にいた第一庶務の女性にすぐさま何か指示を出していました。
　後でわかったのですが、その第一庶務の女性は、私がアメリカにいる間、定期的に連絡を取っていくように、と言われたのだそうで、私に彼氏ができていないかどうかの監視役として彼女を付けたようです。

<strong>「身代わり勤行」に呆然！</strong>

　私がアメリカに行く二年くらい前、学会本部でセンセーと会食を共にする機会がありました。海外から来た婦人部のメンバーも交えた、六人ほどの席でした。
　その時、第一庶務の若くて綺麗な女性にいろいろと世話を焼いてもらっているセンセーの姿を見て、私は素朴に、「どうして、ご飯を食べるくらい自分でできないのか」と不思議に思ってしまいました。
　しかも、間近でセンセーが食べる姿を見ていると、何だかとても下品なのです。平気で口を開けたままゲップはするし、音を立てて食べるし、という感じでした。
　また、センセーは、勤行もまともにしていなかったのではないでしょうか。私は、矢倉涼子さんの口から、こういうことを聞きました。
　「センセーがソ連に行く時は、共産圏で勤行ができないから、私がセンセーのために朝晩とも二回ずつ勤行するの。」
　共産圏といえども、ホテルの部屋で勤行することはできるはずです。私は、センセーが勤行をしないという事実を知った衝撃が大きくて、信じられない思いでしたが、二度にわたって矢倉涼子さんから同じことを聞きました。
　なお、身代わりで勤行するほどセンセーの信頼が厚く、近年に至るまでずっとセンセーの側に仕えていた矢倉涼子さんは、二年ほど前、大麻所持で逮捕されるという事件を起こしましたが、これが今の池田創価学会の現実を物語って余りあるような気がしてなりません。

<strong>通訳に困ったアドリブ暴言</strong>

　さて、私がセンセーの口から宗門攻撃の言葉を初めて聞いたのは、一九九〇年（平成二年）の八月頃でした。学会本部に海外メンバーが集った時に、いきなり宗門の悪口を言い始めたのです。
　しかも何の脈絡もなく、「みんな騙されちゃいけない！」という檄（げき）を何度も飛ばし、矢倉涼子さんも通訳に困っていました。
　一度、次のようなことがありました。
　センセーは、講演直前に通訳の所に原稿を届けさせました。矢倉涼子さんが一人で全てに目を通すことは不可能だったので、皆で手分けをして翻訳文を書き込みました。
　それを、センセーのスピーチに合わせて矢倉涼子さんが読み上げようとしたのですが、何人もの人の手書きで読みにくかったことに加え、センセーがアドリブで言う宗門攻撃には脈絡がないので、彼女はものすごく苦労していました。後で彼女が、「もう、泣きたかった」とこぼしていました。
　センセーの口から怨念のように宗門誹謗が繰り返され、あげくは「五座の勤行はしなくていいんだ」などと言い出したのを聞いて、私は、学会は完全におかしい、と思うようになり、平成三年の三月、ついに家族全員で脱会いたしました。
【慧妙平成２１年２月１日号より転載】]]></description>
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         <category>時局レポート</category>
         <pubDate>Mon, 25 May 2009 18:36:23 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>7･26大結集に出来する魔の障碍　信心∞唱題∞用心≠ﾅ打ち破ろう！</title>
         <description><![CDATA[<strong>徹底分析！謗法者らの妨害の手口
過去の事例から本紙はこう予測する</strong>

<strong>大結集を阻まんとする謀略の数々
その動きを熟知し、万全の備えを！</strong>


　七月二十六日・大結集総会への気運が、盛り上がりを見せている。
　だが、
　「此の法門を申すには必ず魔出来すべし。魔競はずば正法と知るべからず」
（御書九八六頁）
との御金言に照らしても、正法興隆を阻（はば）まんとする魔≠ﾌ妨害は、昨年のプレ大会以上のものとなるのは必定である。ゆえに我々は、唱題によって、魔を打ち破る強盛な信心を育むとともに、いかなる事態にも屈せぬ万全な心構えをしておく必要がある。
　そこで本紙は、過去に起きた事例に基づき、大結集総会の当日までに起き得る事態のいくつかを想定してみた。

　まず謗法者らは、登山計画の概要や参加人員、輸送手段を把握（はあく）しようとする。
　そのために、偽装入講を試みたり、あるいは、法華講員にすり寄るなどして、言葉巧みに聞き出すなどして、内部情報を収集する。そしてそれを悪用して、さまざまな謀略（ぼうりゃく）を仕掛けてくるのである。
　その中で最も一般的なものは、怪文書を一斉に配布して登山への不安を煽（あお）り、また、不平・不満を引き出そうとしてくることだ。
　その手法は、例えば深夜に一斉にポスティングしたり、あるいは講員宅を訪問してきて直接手渡そうとしたりするなど、様々である。
　次に、地域の謗法者らが、何名もで講員宅を訪問し、硬軟取り混ぜて大石寺に行かぬよう執拗（しつよう）な説得を仕掛けてくる。そもそも、全く別な宗教団体の者共が、法華講員が大石寺へ参詣するのを妨（さまた）げようとすること自体、余計なお世話であり、魔の正体を露呈（ろてい）した行動としか言いようがない。
　さらに謗法者らは、例えば寺院の登山責任者と称して、バス会社などに連絡を入れ、輸送計画を破綻（はたん）させようと画策する。
　それがなかなか巧妙なのは、彼らは、バスなどの予約を全てキャンセルしようとはしない、ということだ。
　すなわち、全てキャンセルというような申し入れをすれば、当然のことながらバス会社は、確認のために寺院に問い合わせをしてきて、妨害工作は水泡（すいほう）に帰してしまう。
　そこで、例えば一部の人が自家用車を使うことになったから≠ﾆの理由で、申し込んであったバスのうちの一台を勝手にキャンセルしたり、また逆に、申込者が増えたので≠ﾆ、勝手に増車するなどのことを行なったり、あるいは乗車場所が変更になった∞出発時間が変更になった≠ﾈどの虚偽の連絡をして配車予定を狂わせるといった、姑息（こそく）な謀略を仕掛けてくるのだ。
　このことは同時に、法華講員に対しても、例えば、集合場所が変更になった∞集合時間が遅くなった％凾ﾌニセ情報を流して、混乱を引き起こすといった手段に出てくる、ということだ。
　しかも、気をつけねばならないのは、こうしたニセ情報は、何も組織全体に流す必要はないのである。なぜなら、たった一人でも、ニセ情報を信用させて集合場所や集合時間を取り違えさせることができたら、講中全体、とまではいかなくとも、少なくとも、その人が乗車するはずのバスの予定を大きく狂わせることができるからだ。
　では、我々はいったいどのようにして、跳梁（ちょうりょう）する魔≠ﾉ対処すべきだろうか。
　強情なる信心と唱題行を根本として、さらに、考えられるかぎりの対応策は立てておかねばなるまい。

　まず一つには、講中での報告・連絡・相談のシステムをしっかりと組み、徹底すること。
　これによって、ニセ情報の流布を食い止め、謗法者らによる切り崩しを防ぐことができる。そして、家庭訪問の際に御登山の意義をしっかりと伝え、同時に、何か問題が生じていないか確認する作業は、絶対に欠かせない。
　そして第二には、謗法者が付け入ることができないほど、綿密かつ用意周到に、登山計画を練り上げておくことだろう。もちろん、バス会社など外部との連絡・連携にも、チェック機能が働く仕組みにしておくことが欠かせまい。
　日蓮大聖人は四条金吾殿に
　「孔子は九思一言、周公旦（しゅうこうたん）は浴（よく）する時は三度にぎり、食する時は三度はかせ給ふ。古（いにしえ）の賢人（けんじん）なり、今の人のかゞみなり。されば今度はことに身をつゝしませ給ふべし」（御書一一九七頁）
と仰せになり、油断によって様々な注意・方策を忘れてしまうことを戒められている。
　我々も、正法に縁していることに安心して油断することなく、また七万五千大結集総会のその日まで、しっかりと精進して、大慶事を成功させていこうではないか。
【慧妙平成２１年５月１日号より転載】]]></description>
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         <category>時局レポート</category>
         <pubDate>Mon, 25 May 2009 17:16:26 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>集団暴行の創価学会員らを刑事告訴！ 3月24日、法華講員2名が東京地検に手続き</title>
         <description><![CDATA[<strong>政教一致＃癆ｻしたビラ配布を暴力で制圧
言論の自由を弾圧する反社会的事件</strong>

　三月二十四日、昨年十一月に創価学会員から集団暴行を受けて負傷した二人の法華講員が、東京地方検察庁に告訴の手続きを取った。
　その暴行事件は、十一月七日・十六日に起きたもので、「政教分離を考える会」が発行する、創価学会と公明党の政教一致を指弾したビラを配布していた二人が、創価学会青年部の屈強な男達から暴行を受け、負傷したもの。ボロボロに破られたシャツが、容赦（ようしゃ）なき暴行の凄惨（せいさん）さを物語る（本紙・昨年十二月一日号に既報）。事件の被害者二名は、四ヶ月間にわたって慎重な準備を重ね、ついに犯人の学会員を刑事告訴したのである！

<strong>凄まじい暴行事件の模様
暴行犯たちの目的は言論封殺</strong>

　昨年十一月、「政教分離を考える会」が発行する、創価学会と公明党の政教一致を指弾したビラに共鳴し、その配布活動を行なっていた二人の青年（法華講員）が、多数の創価学会員達から集団暴行を受ける、という事件が発生。その事件の被害者である二人が、去る三月二十四日、氏名の判明した暴行犯の一人と、犯行に加わった氏名不詳者らを、傷害・暴行・器物損壊（そんかい）の罪で東京地方検察庁に刑事告訴した。
　問題の事件は、昨年十一月七日および十六日に起きた。
　この両日、東京都江戸川区葛西において、二人の法華講員が「政教分離を考える会」のビラを戸別配布していたところ、そこに学会男子部の屈強な男達が現われ、ビラ配布を妨害してきた。
　だがビラ配布は、憲法二十一条でも保障された正当な言論活動である。告訴状によれば、二人は、妨害に怯（ひる）むことなく、配布を続けようとしたが、男達は、後ろから羽交（はが）い締めにしたり、力任（まか）せに地面にねじ伏せ、大勢で上にのしかかって、顔を地面に押しつけたり、衣服を掴（つか）んで振り回し、建物の壁などに叩きつけたり、車の通行のある車道に押し出す――等の暴行に及んだのである。
　これらの暴行により、二人はそれぞれ、全治一週間と全治二週間のケガを負い、また一人が着ていた衣服はビリビリに破られ、またボタンもあらかた弾（はじ）け飛んでしまった。
　この事件現場には、警視庁の警察官が駆け付け、葛西警察署に移動しての事情聴取がなされたが、被害者の二人によれば、その事情聴取は暴行事件に対して、というよりも、二人が行なったビラ配布に関して根掘り葉掘り聞き出そうとするばかりで、暴行事件については無視するような姿勢だったという。
　このことにより、警察の捜査への不信感を抱いた二人は、被害届の提出を躊躇（ちゅうちょ）した。
　また、何より犯人の住所・氏名が判（わか）らない（警察では把握していたはずだが）ため、告訴しても、相手が判らなかったとして、あいまいに終わってしまう可能性が高い。
　そこで二人は、弁護士とも相談の上、いちおう、慎重に告訴の準備だけは進めることとした。
　幸いなことに、この暴行事件の模様は、同行した友人が離れた所からビデオ撮影しており、犯人達の顔は映像に残っている。いずれ犯人を突き止めることを心に誓い、二人は現場の確認や証拠の整理等を進めたのである。
　また「政教分離を考える会」では、この暴行事件の際に撮影されたビデオから静止画を起こして、新たなビラの一面に掲載、昨年末から配布を開始した（この写真は本紙にも提供されたため、十二月一日号に掲載した）。

<strong>墓穴を掘った加害者らの傲慢
組織的犯行で責任は団体にも</strong>

　すると、何ということか、十二月二十二日、創価学会の弁護士らが、その写真に写った暴行犯（犯人達に指示を与えるなどしていたリーダー格の男）の代理人となって、男の氏名を明かした上で、肖像権侵害にあたるので、男の写真を掲載したビラを配布するな≠ﾆする内容の警告書を送り付けてきたのである。
　だが、写真では犯人の目の部分を黒くマスキングして隠してあり、その上で暴行事件について報じたビラに対し、「肖像権」も何もあったものではない。二人は大いに呆（あき）れ、氏名の判明した犯人を告訴すべく具体的準備に取りかかった。
　だが、二人から直ちに反応がないことで強気になったのか、それとも、ビラ配布を停止させることだけで頭が一杯だったのか、本年二月九日、暴行犯の男の名前で、自身が創価学会員であるという前提の上から、暴行事件の存在を否定し、自分に無断で写真撮影された上、その画像を勝手に掲載され、名誉権・肖像権を侵害された≠ﾆして、「政教分離を考える会」の代表・小川頼宣氏（世田谷・善福寺信徒）を相手取り、損害賠償を求める民事訴訟を起こしてきたのである。
　おそらく彼らは、暴行の模様は断片的にしか撮影できていないものと考え、いくらでも言い逃（のが）れはできる、と踏んだのであろうが、その判断を下した者は、後で池田から手ひどく叱責（しっせき）されることを覚悟しておいた方がよい（ついでに池田に支払う罰金の用意もしておいた方がよいのではないか）。
　ともあれ、こうして暴行した学会員のリーダー格の男が、自ら「あれは自分だ」と名乗り出てしまったことから、今般の、東京地方検察庁への告訴が実現したのである。
　三月二十四日の当日、告訴人の二人と代理人弁護士らは記者会見に臨（のぞ）んだが、席上、弁護団長は、
　「今日告訴した事件を軸に、こちらから損害賠償請求訴訟を提起していく必要があるのではないか、その際には、個人の責任はもちろんだが、団体・指導者の責任まで問うことを検討する必要があろう、と思っている」
と発表した。

<strong>池田の本性現わす本音の指導
学会員の倫理逸脱は当然</strong>

　そもそも、自らが明らかな暴行を加えておきながら、それを否定したばかりでなく、「政教分離を考える会」によって虚偽の事実を摘示され、肖像権も侵害された、などとして訴訟に及んだ神経には、呆れ返るしかないが、こうした、社会常識、否、人間としての倫理性さえ失った破廉恥（はれんち）な行為を平気でできるのは、創価学会員なればこそ、なのではないか――。
　「全員が『勝つ』と強く決めていけ！　勝つか負けるか。やられたらやりかえせ。世間などなんだ！　私は恐れなど微塵（みじん）もない。勇者は私だ。私だけ戦っている。強気でいけ！　強気で勝つんだ！　強気、強気、強気でいこう。どこまでもしぶとくいくんだ。（中略）なんでもいいから、言い返すんだ。こわがったり、ひるんだりしてはいけない。怒鳴っていけばいいんだ！（中略）反逆者には『この野郎、馬鹿野郎』でいいんだ！」（平成一年三月十二日、埼玉での池田の指導）
　「ある日、堺の選挙事務所が、酔っぱらいに荒らされた。報告を受けられた先生は『すぐ一一〇番に電話して警察に来てもらいなさい』と指示され、（中略）『いま、対立候補が、こちらの選挙事務所に殴（なぐ）り込みをかけてきました。そのため皆さんに、たいへん、ご迷惑をおかけしました≠ﾆいって御近所を全部回りなさい』と指導された。（中略）そして先生は『対立候補は悪らつな妨害をやる。選挙事務所に殴り込みをかけてきた≠ﾆいう印象を与えればよいのだ。特定の候補の名を出さず、一軒一軒手を打て』といわれた」（『前進』昭和四十一年十二月号）
　「口八丁手八丁でよ、なんでもうまくやるんだ。社会（党）だって方便を使っている。共産（党）だって目的のためならみんな謀略じゃないか。一般社会だって利益のためならあらゆる手段を使う。うちは信心のため、信心を守るため、学会を守るためだ」（昭和五十一年六月一日・扶桑研修所での池田の指導）
　永遠の指導者≠ﾅある池田大作の、こんな卑劣（ひれつ）きわまる指導を、ありがたく受け続けてきた創価学会。そこに籍を置く者の感覚が、社会常識や人間としての倫理観から大きく逸脱（いつだつ）していくのは当然であろう。
　しかも、このたびの事件が、創価学会の地域の組織を使って連携を取り、集団で行なわれた暴行事件である以上、言論妨害を受けた「政教分離を考える会」としては、創価学会ならびに池田大作の責任を追及する民事訴訟を視野に入れていることは当然のことといえる。
　今回の告訴を手始めに、池田創価学会の反社会性を、どこまで追及できるのか――。これからの行方に注目していきたい。
【慧妙　平成２１年４月１日号より転載】]]></description>
         <link>http://www.myokan-ko.net/2009/05/_3242.htm</link>
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         <category>時局レポート</category>
         <pubDate>Mon, 25 May 2009 17:10:03 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>創価学会員の皆さんへ　26</title>
         <description><![CDATA[<a href="http://www.myokan-ko.net/389%8AF%82%B3%82%F1%82%D6.pdf">創価学会員の皆さんへ　26PDF</a>

<strong>御登山の功徳を思い出しましょう！</strong>

　学会員の皆さんが、かつては「魂のふるさと」と称して恋い慕っていた総本山富士大石寺。学会員が登山参詣をしなくなって、早くも二十年近い年月が経ちますが、それでもなお、桜の季節を迎える頃には、お山の思い出が蘇り、「昔はよく行ったなあ」と懐かしそうに語る学会員がたくさんいます。
創価学会では、会員の心を総本山から引き離すために、「桜を全部切った」とか「お山は荒れ放題」とか「登山すると、何十万円もの請求書が来る」等とデマ宣伝を繰り返し、あげく、「大石寺にペンペン草を生やして荒れ寺にしてやる」（平成十三年三月一日付『聖教新聞』）などと憎しみの標的とする、恐ろしい指導が出されました。
しかしながら御安心ください。総本山は今も、大御本尊おわします清涼なる地として、凛(りん)とした空気に包まれ、春の桜をはじめ、ツツジ、ハス、木犀、紅葉など四季折々の花木が咲き誇り、美しく、清浄なたたずまいを守り続けています。
　さらに、平成十四年には、我が国最大の日本式仏教建築である荘厳な奉安堂が建立され、そして本年の『立正安国論』正義顕揚七百五十年を慶祝して、境内地や塔中坊なども整備されて、総本山は以前よりもいっそう立派に美しくなっています。
　このような宗門の繁栄を妬む創価学会は、一般学会員が総本山を渇仰する心を起こさないように、「登山地獄」「目当ては御開扉料」などと讒言を繰り返しており、まことに哀れという他ありません。
　そのような悪口誹謗をする人々は、日蓮大聖人が示された登山の大功徳を片鱗もわかっていないのでしょう。大聖人は、
　「かゝる不思議なる法華経の行者の住処なれば、いかでか霊山浄土に劣るべき。法妙なるが故に人貴し、人貴きが故に所尊しと申すは是なり。（中略）此の砌に望まん輩は無始の罪障忽ちに消滅し、三業の悪転じて三徳を成ぜん」（御書一五六九頁）
と仰せられ、大聖人（戒壇の大御本尊）のおわします処がすなわち霊山浄土であり、そこに参詣することによって無始以来の謗法の罪障が消滅し、福徳を積むことが出来ると約束せられています。
　だからこそ、池田大作サン自身もかつては
　「我々が登山して、大御本尊を拝することは、そのまま日蓮大聖人様にお目通りすることであり、偉大なる功徳を享受できることは言うまでもないのである」（昭和三十八年十月一日）
　「霊鷲山への参詣、月一回。先生の直弟子としてこれを歓び、これを実行できぬようでは、正信の人とはいいきれない」（『若き日の日記U』一五九ページ）
とまで述べていたのです。
　破門されたとたんに全く正反対の指導をして憚らない、こんな無節操男に振り回されて、大聖人の御教えに逆行していく学会員の皆さん、早くその誤りに気付いて、総本山根本の信心に立ち返りましょう。
【慧妙平成２１年３月１６日号より転載】]]></description>
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         <category>時局レポート</category>
         <pubDate>Thu, 21 May 2009 15:22:00 +0900</pubDate>
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