「邪教の神父」云々について


 また、顕正会では、「謗法厳禁は大聖人・日興上人の固き御誡めである。しかるに池田大作は正本堂の完工式に、ローマ法王庁から2人の神父、また米国からも2人の神父を招き、祝辞まで受けている。完工式当日の写真には、これら神父が邪法の法服を着て最前列に並んでいるさまが写し出されている」と言っています。

 ところが、これも捏造でありまして、まず、正本堂完工式に出席したのは駐日バチカン外交官としての二人のみで、「米国からの2名の神父」とやらは出席などしておりません。
 また、「祝辞まで述べている」というのは、バチカンのヴェステンベルク全権大使が、完工式の翌日、池田大作宛に送った礼状、および正本堂の完工を聞き及んだ2名の米国人神父が、9月に、池田とウィリアムズ(NSA理事長=当時)宛に送った祝いの書状―これらを、あたかも完工式で述べた祝辞であるかのごとく悪用したものです。(写真参照)


(浅井が「完工式で祝辞まで述べた」と称して悪用した3枚の手紙。日付・宛名・差出人名等をとくと御覧いただきたい。)

 さらに、「神父が邪法の法服を着て参列していた」と騒いでいますが、正本堂完工式は、大御本尊を正本堂に御安置申し上げる前に、建物だけを披露する形で行なわれたもので、出席者については、建設工事関係者・地元関係者・報道陣・駐日各国外交官―等、要するに信仰上の立場を離れた社会的な立場・資格において参加を認めたものでした。その中に、バチカン大使館からの強い希望で参加した、バチカンの駐日外交官2名がいたのです。

 これを指して、 浅井等は 「キリスト教の神父が」云々 と非難しているわけですが、こうした社会的・世間一般的な意味で本宗の境域へ参詣してくる場合については、いかに謗法者とはいえ、将来の順縁に通ずるものであるから禁制すべきでない、というのが第九世日有上人の『化儀抄』(聖典993頁)や59世日亨上人の同抄『註解』(富要集1巻156頁)等にも示される、本宗の伝統的精神なのであります。
 その旨、大石寺では再三にわたって浅井等を諭しましたが、何としても自らの非を認めまいとする頑迷な浅井等は、これを、社会的立場での参加ではなく宗教上の立場での参加であった、と強弁しようとして「邪法の法服を着て」等と言い出したのです。
 これについては、その時の写真をバチカン大使館に提示して、外交官が着ていた服が何であったのか、回答を得ました。それによると、バチカン外交官が着ていたのは、単なるローマン・カラーと背広であり、いわゆる法服・祭服などではない、ということであります。
 しかも、大使館側は「何故、ローマの神父が、日本の仏教の行事に法服を着て行かなければならないのか。そのようなことをするわけがないではないか」と強く否定していました。私達の側から言っても、「何故、法服を着た神父を入れなければならないのか。御宗門として、入れるわけがないではないか」というべきであります。

 ただ、このことについては、今まであまり論議されたことがなく、顕正会が一方的に邪法の法服♂]々と宣伝し続けてきていました。学会でも、顕正会との法論はまともに行なわずに、むしろ、逃げていましたので、この点について明確に反論がなされたことがなかったのです。
 それが、昭和63年から平成元年頃にかけての、妙観講と顕正会との法義論争の過程で、前に述べたような事実が明らかになったのであります。
 こういう経過でしたから、御宗門でもこれまで、これが、単なるローマン・カラーに背広だとは思われず、顕正会が騒ぐままに、「宗門では知らなかったけれども、創価学会は、キリスト教の法服を着た者を正本堂完工式に入れたのかもしれない。今になってみれば、あの池田大作ならやりそうなことだ」と思われていたようです。ゆえに、御法主日顕上人猊下におかれても、「池田が邪法の法服を着た神父を入れたらしい」との趣旨のお言葉があったわけです。
 その日顕上人猊下お言葉を挙げて、学会や顕正会、あるいは怪文書グループまでが、「猊下が、邪法の法服を着た神父を入れた≠ニ言って、宗門が謗法を犯したことを認めている」などと騒いでいますが、まったく呆れ果てた連中です。
 実際には、 邪法の法服などではなく ローマン・カラーに背広であったわけですし、御宗門が「池田創価学会が邪法の法服を着た神父を完工式に入れたかもしれない」と思われたのも、あの、外道を礼讃する池田大作ならやりそうなことだ、と思われたからであり、これもひとえに、池田大作の不徳の致すところ、というべきであります。


戻る