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      <title>慧妙</title>
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      <language>ja</language>
      <copyright>Copyright 2007</copyright>
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         <title>E　第三章　創価学会の隠された真実師</title>
         <description><![CDATA[<strong><em>異流義めざした牧ロ氏――獄死は「誹謗の罪」</em></strong>
　さて、弾圧時の牧口氏の信仰の中身はどうであったかというと、ここに驚くべき資料が存在しています。それは、逮捕後の牧口氏に対する、特高警察の尋問調書です。その中で牧口氏は、
「私は正式の僧籍を持つことは嫌いであります。僧籍を得て寺を所有する事になれば、従って日蓮正宗の純教義的な形に嵌（はま）った行動しかできません。私の価値創造論をお寺に於て宣伝説教する訳には参りませんので、私は矢張り在家の形で日蓮正宗の信仰理念に価値論を採入れた処に私の価値がある訳で、此に創価教育学会の特異性があるのであります」
として、純然たる日蓮正宗の教義に沿った修行はしたくない（言い換えれば、日蓮正宗の教義を自分流に曲げていきたい、ということ）、また、日蓮正宗の信仰を価値論と結び付けるところにこそ学会の特異性がある、などと述べているのです。
　この牧口氏の主張には、さすがに未入信の検事すらも不審を感じたらしく、「創価教育学会の信仰理念の依拠（いきょ）するところは、日蓮正宗に相違なきや？」との質問をしています。これに対し牧口氏は、
　「会員は悉（ことごと）く日蓮正宗の信者として、常在寺、歓喜寮、砂町教会、本行寺において授戒して居りますが、創価教育学会其ものは、前に申上げた通り日蓮正宗の信仰に私の価値創造論を採入れた処の、立派な一個の在家的信仰団体であります」
などと答え、重ねて、
「学会は飽迄（あくまで）も、日蓮正宗の信仰を私の価値論と結び付ける処に、特異性があるのであります」
と強調しているのです。
　なんたることでしょうか。要するに牧口氏は、正宗の信仰を自身の価値論に結び付けるところに、日蓮正宗とは大いに異なる学会の特異性がある、として、個々の学会員は正宗寺院で御授戒を受けていても、学会そのものは一個の独自な在家宗教団体である、と意義付けていたのであります。
　これでは、日蓮正宗は学会を成立させるために利用されていただけであり、もし、この弾圧がなかったならば、行き着くところ、学会は実質的に牧口教となっていたことは間違いありません。
　また、これを見るならば、今日の池田創価学会が長い間、日蓮正宗との二重形態をとりつつ、あくまでも日蓮正宗とは異質の在家教団（池田教）を指向してきた原体質は、すでに初代会長・牧口氏の行き方の中に萌芽（ほうが）していた、と言わざるをえないのであります。
　結局、投獄された牧口氏は、一年有半を経た昭和十九年十一月十八日、獄中に死去し、その一生の幕を閉じました。そして、牧口氏の一番弟子であった戸田理事長は翌年七月、釈放されましたが、創価教育学会は半ば壊滅（かいめつ）同然の状態となっていました。
　こうして、学会に対する官憲の弾圧は終わったのです。
　が、しかし、牧口氏の中に根付いていた異流義思想の実態や、日淳上人に対する吊るし上げと背反、偏（かたよ）った布教の在り方等々を知る時、これを、純然たる日蓮正宗信仰を貫いた結果の法難、などと呼ぶことは、とうていできません。
　『佐渡御書』には、
　「善戒を笑へば国土の民となり王難に値（あ）ふ。是（これ）は常の因果の定まれる法なり。
　日蓮は此の因果にはあらず。法華経の行者を過去に軽易（きょうい）せし故に、法華経は月と月とを並べ、星と星とをつらね、華山（かざん）に華山をかさね、玉と玉とをつらねたるが如くなる御経を、或は上げ或は下（くだ）して嘲弄（ちょうろう）せし故に、此の八種の大難に値へるなり」
　　　　（御書五八二頁）
と仰せられ、投獄されたりするのは法華経を持つ人を誹謗（ひぼう）した罪、と明かされていますが、獄中にあっての戸田理事長は、この御金言の厳しさを我が身に引き当てて感じたのでしょう、
　「堀米先生に、去年堀米先生を『そしった』罰をつくづく懺悔（さんげ）しておる、と話して下さい。『法の師をそしり』し罪を懺悔しつつ『永劫の過去を現身にみる』と言っております、と」（前出「獄中書簡」）
と述べて僧誹謗の重罪を懺悔し、さらに牧口氏が獄死してしまったことについては、やや曖昧（あいまい）に、
　「牧口先生の先業の法華経誹謗の罪は深く、仏勅のほどはきびしかったのでありましょう」（『創価学会の歴史と確信』）
と述べています。
　仏法の因果の厳しさ、不思議さに、慄然（りつぜん）とさせられるではありませんか。
　また、これら獄中書簡等を見るかぎり、戸田理事長は、師たる牧口氏の謗法に気付いていたものと思われます。
　現に、出獄の二日後（二十年七月五日）、戸田理事長は
　「足を引きずりながら歓喜寮を訪ね、日淳上人に対して『申し訳ありませんでした。二年間、牢で勉強して、自分の間違っていたことがわかりました』といって平身低頭、深くお詫（わ）び申し上げ、さらに『これからは何もかも、お任（まか）せいたしますので、よろしく頼みます』」（日淳上人夫人の証言）
と、お誓いしたとのことです。
　さらに戸田理事長は、学会再建に着手するにあたり、まず牧口氏の根本的誤りを払拭（ふっしょく）する（それも、師たる牧口氏の遺徳を傷つけることなく、むしろ顕彰しながら行なう）ことから始めました。その事実は、かつて池田大作が、迂闊（うかつ）にも『人間革命」第一巻の中に、次のように描写してしまったことからも明らかです。
「牧口の価値論から入った、大善生活を思うとき、そこには、彼独特の、倫理的臭味（しゅうみ）を帯びてくる。
　さらに、大善生活の実践のために大御本尊を仰ぐ時、大御本尊は、価値論の範疇（はんちゅう）に入ることになってしまう。
――ここに摧尊入卑（さいそんにゅうひ）のきらいが影となって射して来るようだ。
　戸田は、出獄以来、ひとまず価値論を引っ込めた。
　そして、南無妙法蓮華経そのもの自体から出発したのである。それは、幾多の苦難の歳月を経て、身をもって体験した確信からであった。
　彼は、価値論を、現代哲学の最高峰であるとは思っていた。……しかし、大聖人の大生命哲理からするならば、時に『九重の劣』とすら思えた。」
　遠回しな表現ですが、要するに、牧口氏は自説の「価値論」を第一とし、「価値論」を実践証明するための手段として、日蓮正宗の大御本尊を利用する格好となっており、これが摧尊入卑（尊極な教えを摧〈くだ〉いて、低下な教えの中に取り入れ、卑〈いや〉しい教えを尊〈とうと〉く見せかける謗法行為）に当たっていた、というのであります。

<strong><em>日蓮正宗への信心を持っていた戸田二代会長</em></strong>
　かくして戸田会長は、牧口氏の「摧尊入卑」という根本的な謗法を学会の中から取り除きました。
　そして、壊滅状態であった学会を、勤行・教学・登山・折伏・御供養等の徹底指導によって再建、わずか十年のうちに七十五万世帯を突破せしめたのです。
　その戸田会長の根底には、少なくとも先代・牧口氏とは異なり、日蓮正宗の仏法を絶対とする信心があったものと思われます。
　それは、以下のような戸田会長の指導を見れば、明らかであるといえましょう。
　「良き法と、良き師と、良き檀那との三つが、そろわなければだめだ。南無妙法蓮華経、これは良き法に決まっている。大御本尊様は良き法なのです。また御法主上人は唯授一人、六十四代の間を、私どもに、もったいなくも師匠として大聖人様そのままの御内証を伝えておられるのです。ですから、御法主上人猊下を通して大御本尊様を拝しますれば、必ず功徳が出てくる。ただ良き檀那として、その代表として、その位置にすわれたことを、私は、非常に光栄とするものであります」（昭和三十年十二月十三日、関西本部入仏落慶式）
　「学会は猊座のことには、いっさい関知せぬ大精神で通してきたし、今後も、この精神で一貫する。これを破る者は、たとえ大幹部といえども即座に除名する。信者の精神はそうでなければならない。
　むかし、関西に猊座のことに意見をふりまわして没落した罰当たり者があったそうだが、仏法の尊厳を損なう者は当然そうなる。
　どなたが新しく猊座に登られようとも、学会会長として、私は水谷猊下にお仕えしてきたのと、いささかも変わりはない。新猊下を大聖人としてお仕え申しあげ、広布への大折伏にまっすぐ進んでいくだけである」（『信者の大精神に立て』昭和三十一年一月二十九日）
　「ありがたくも、本日は、御本山の猊下のお出ましを願い、畑毛の猊下のお出ましを願って、われらとしては、これ以上の名誉はない。来年の今日までの間に、本当に功徳をつかむ覚悟で、自分の悩みの心に、大御本尊様を目の前に浮かべ、両猊下を拝もうではありませんか。
　それでは、わたくしが導師となります。（題目三唱）」（昭和二十九年五月三日、創価学会第十回総会）
　「日本中にいる一般の坊主は、全然不用なものである。（中略）二十の扉の語を借りれば、『動物』という題で、陰の声が『寺に住む動物の親分』ということになる。すなわち高級乞食である。
　かかる何十万の動物の中で、同じ姿こそしておれ、厳然として人であり、人のなかでも立派な僧侶と名づくべき百数十人の小さな教団がある。この教団こそ日本の宝である。日蓮正宗の僧侶の教団こそ、これである。
　かかる、立派な教団でも、身近に住む信者はありがたいとも思わず、ふつうだと考える。これは、この教団の偉大な功績を見ないものであって、この教団の一部分観をなしたり、または、この教団存立の目的たる広宣流布において、なまけているものが、おったりするものだけを見るから、宗祖大聖人のお衣の袖にかくれ、仏飯を腹いっぱい食うことを唯一の願いであるとしている猫坊主が多い≠ﾆ攻撃して、功績の方を見ない。（中略）かかる近視眼的かつ部分観的、一時的に観察せずに、大聖入御出世の御本懐より、または仏法の大局視よりなすなら、口にも筆にも表わせぬ一大功績が、この教団にあるのである。
　わずか百数十人の僧侶が、愚僧、悪僧、邪僧充満の悪世に、よくたえるもので、大聖人の『出世の御本懐』たる弘安二年十月十二日御出現の一閻浮提総与の大御本尊を守護したてまつって、七百年間、チリもつけずに、敵にもわたさず、みなみな一同、代々不惜身命の心がけで、一瞬も身に心に身心一つに、御本尊を離れずに、今日にいたったのである。（中略）もったいないではないか。神々（こうごう）しいではないか。ありがたいではないか。……かくも、法体を守護し、かつ化儀連綿たる功績こそ、たたえねばならぬことである。この上に、大聖人の御教義は、深淵（しんえん）にして、厳博（げんぱく）であって、愚侶（ぐりょ）の伝えうべきことではないのに、賢聖時に応じてご出現あらせられ、なんら損することなく、なんら加うるなく、今日まで清純に、そのまま伝えられたということは、仏法を滅しないことであり、実に偉大なる功績ではないか」（「僧侶の大功績』昭和二十六年六月十日）
　「（戸田会長は）決然と立って、『御供養することは、信徒の務めである。もし、それが使途不明であるとか、収支決算せよとか、御供養を出しもしないうちから、はじめからそんなことを言っておるのは信徒の努めを怠（おこた）っておるものである。信徒は供養することによって利益があるのである。御利益は供養することにある。もし、そのお金を不正に使ったならば、それは使った僧侶が罪を受けるのである。地獄へ堕ちるのである。信徒は清い供養をすれば、それで御利益がある。経文に照らしても、また大聖人の仰せではないか』と叫んだのである」（昭和四十年七月十一日『大日蓮』二三四号）
　以上のように、戸田会長は、その心底においては日蓮正宗を信じ、赤誠の御奉公を貫こうとしていたものと思われます。
　しかし、
　「此の法門を申すには必ず魔出来すべし。魔競はずば正法と知るべからず」
　　　　（御書九八六頁）
との御金言のごとく、この戸田会長の志を蝕む魔の用（はたら）きが忍び寄っていました。それは、親以上に敬慕した牧口常三郎氏を獄死させてしまった、との無念の想いと、講義中にまでウィスキーを呷（あお）り続けるほどの、並外れた飲酒の弊害（へいがい）であった、といえましょう。

<strong><em>大酒の弊害か!?正見・正念を見失う</em></strong>
　ちなみに、戸田会長の飲酒がどの程度であったか、ＮＨＫの元ディレクター吉田直哉氏は、取材した時の様子を次のように記しています（※場面は、戸田会長が法華経講義に臨〈のぞ〉む定刻の直前です）。
　「想像もしなかったことばかりが起きた。
　『グイッとあけな、グイッと』
　『……いえ、これから撮影……。仕事中ですから』
　『なにィ？それを言うなら、こっちだって仕事中だぞ』
　黒ぶちの眼鏡の奥からにらまれ、これはからまれる、と確信したがコップを手にするのも勇気が要（い）った。尋常ならぬウィスキーなのだ。
　こんな荒っぽい飲みかたは見たことがない。角ビンのウィスキーを大ぶりのコップのふちまでドクドク注いで、申し訳のようにほんの少しビールを垂（た）らして割って、机の上に溢（あふ）れさせるのだ。その濡（ぬ）れた机の上を、波を立てるようにさらにコップを押してよこして、飲め！　とこんどは大声の命令である（中略）
　ひとくち飲んで不覚にもむせると、
　『グイッとあけな』
と眼がすわっている。ビールをあおりながらウィスキーをストレートでのむのを、アメリカではボイラーメーカーと呼ぶ、というのはのちに得た知識だが、ビールとウィスキーの量がこの場合逆転しているのだ。いかに教祖でどんな酒豪でも、酔わないわけがない。（中略）
　そうこうするうちに屈強な若い人が呼びにきて、戸田氏は立ち上がった。ネクタイは右の方にはね上がり、ズボンは下がってシャツの裾（すそ）が半分以上出て、みるからに酔漢（すいかん）の姿である。」
　これでは、仏道を正しく修していくための正見・正念が持（たも）てるはずがありません。
　仏経典には、飲酒による弊害が種々説かれていますが、その中に
　「瞋相（しんそう）を現ず（他に対して、むやみに怒りを顕〈あら〉わにする）」
　「闘訟（とうじょう）を増す（他に対して、諍〈いさか〉い、喧嘩〈けんか〉を吹っ掛けることが増える）」
　「智慧減少す（物事の理非曲直〈りひきょくちょく〉を分別する智慧が損〈そこ〉ねられてしまう）」
等とあります。
　まさに戸田会長は、尋常ならざる大酒を浴びるように飲む中で、智慧減少≠ｵ、「牧口会長が獄死したのは、弱腰だった日蓮正宗宗門のせいだ」「学会がこれだけ頑張っても、非協力的な僧侶が多くてけしからん」等といった瞋相≠現じ、また、その闘訟≠ﾌ思いをどんどん暴走させてしまいました。
　その結果、戸田会長率（ひき）いる創価学会は、「狸祭り事件」と呼ばれる騒乱事件（これは、立宗七百年祭の大法会の最中、総本山境内で多数の学会青年部が、一人の老僧に集団で暴行を加えた事件で、警察も出動する騒ぎとなった）を引き起こしたのをはじめ、機関紙上で宗門に対する揶揄（やゆ）・中傷を繰り返すに至ったのです。
　以下に、当時、戸田会長が自ら論述したものの一部を、紹介しておきます。
　「牧口会長のあの確信を想起せよ。絶対の確信にたたれていたではないか。あの太平洋戦争のころ、腰抜け坊主が、国家に迎合しようとしているとき、一国の隆昌（りゅうしょう）のためには国家諫暁（かんぎょう）よりないとして、『日蓮正宗をつぶしても国家諫暁をなして日本民衆を救い、宗祖の志をつがなくてはならぬ』と厳然たる命令をくだされた（略）
　折伏もせず、正法の流布に身命を捨てえない坊主は、じつに困ったものである。この考えにまかせて、学会人は身命をささげての折伏行をなしていることは、申すまでもないことである」（昭和二十六年八月十日『創価学会の歴史と確信』）
　「軍部に脅（おど）されて梵鐘（ぼんしょう）を取り上げられ、軍部が消えたら又作り出す。奥さんの前でヘイヘイして、居なくなればつまみ食いする女中のような坊主だ」（昭和二十六年七月一日『寸鉄』）
　「御山でゴシュ（御酒）は作ってもゴショ（御書）は作れぬ坊主が居るってね」（同年七月十日『寸鉄』）
　「折伏も出来ず、御衣の権威で偉ばることばかりを知っとる坊主」（同年十二月十日『寸鉄』）
　「正宗信者に信心が足りない、旧信者は特に足りない、僧侶の中に特別に足りぬ者がいる様に見える、国家の救済をどうする気だ」（昭和二十七年七月十日『寸鉄』）
　「平左衛門の後身、宗会議員と現る。仏恩広大にして、逆縁の輩（やから）、今大聖人の仏法の中に生まれて、唯一人の大信者をそねみ恨む、習性恐るべし」（同年七月二十日『寸鉄』）
　「生臭坊主」「糞坊主」「狐坊主」「乞食坊主」「化物坊主」（同）
　「仏様でもないくせに仏様のような顔をして威張る坊主が気に入らない」（同年十二月一日『寸鉄』）
　「坊主の仕事は衆生を成仏させる事だが、自分が成仏出来るかどうか考えた事があるのか」（同年十二月十日『寸鉄』）
等々――。
　これらの戸田会長の論調は、日蓮大聖人が『四恩抄』に
　「譬へば薪（たきぎ）なければ火無く、大地無ければ草木生ずべからず。仏法有りといへども僧有りて習ひ伝へずんば、正法・像法二千年過ぎて末法へも伝はるべからず。故に大集経に云はく「五箇（ごか）の五百歳の後に、無智無戒なる沙門（しゃもん）を失（とが）ありと云って是を悩ますは、この人仏法の大灯明（とうみょう）を滅（めっ）せんと思へ」と説かれたり」　　　　（御書二六八頁）
と戒められているように、正法受持の御僧侶を「失あり」と言って責め立て悩ませる、まさに、仏法の大灯明を滅せんとする重罪である、といえましょう。
　ただし、戸田会長は、大御本尊と血脈に対する根本の信≠ﾆいう一点で、何とか日蓮正宗に繋（つな）がり止まっていました（それ故、前述「狸祭り事件」においても、時の御法主・第六十四世日昇上人から誡告を受けて謝罪文を提出し、随順を誓っています）。
　そして生涯をかけて、七十五万世帯の大折伏と、日蓮正宗に対する外護を成したのです。
　以上に見てきたように、創価学会は日蓮正宗の信徒団体であったとはいえ、牧口時代には、異流義の在家教団という路線を指向し、戸田時代には、大功績を上げる一方、宗門軽視・僧侶誹謗という誤った体質を孕（はら）んでいました。
　日蓮大聖人は、
　「源にご（濁）りぬればなが（流）れきよ（浄）からず」（御書八二七頁）
との道理を御示しですが、牧口・戸田の後を継いだ第三代会長・池田大作は、牧口時代の在家教団路線や戸田時代の宗門軽視を、そのまま継承し、さらに増幅させる路線を取りました。
　これによって創価学会は、元々間違いを多く含んでいた団体でありましたが、完全な大謗法団体となり、ついに平成三年十一月、日蓮正宗から破門されるに至ったのです――。
　なお、戸田会長については、いろいろな誤りや行き過ぎがあったとはいえ、本心では命がけで日蓮正宗の仏法を護らんとした、氏の信心を想うと、真実の歴史の公表には心苦しいものがありましたが、将来に向けての教誡のため（再び日蓮正宗内に、濁流の源を発生させたりしないため）、やむなきことと決断した次第であります。
　　　　　　　（つづく）
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         <link>http://www.myokan-ko.net/menu/emyo_report/2006/06/post_11.html</link>
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         <category>新・これが創価学会の正体だ</category>
         <pubDate>Fri, 02 Jun 2006 17:29:21 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>『聖教』の悪口座談会に司法の鉄鎚下る！</title>
         <description><![CDATA[<strong>学会及び秋谷・青木らに損害賠償命令</strong>

　去る三月十三日、東京地裁（原敏雄裁判長）は、創価学会が発行する『聖教新聞』に掲載された記事が、日蓮正宗御僧侶の名誉を毀損（きそん）している、と認定、宗教法人創価学会および、同会会長・秋谷栄之助、理事長・青木亨、副理事長・原田稔、副会長・奥山義朗、青年部長（事件当時）・杉山保、男子部長（事件当時）・弓谷照彦に対し、連帯して八十万円を賠償（ばいしょう）するよう命じた判決を言い渡した。
　問題の記事は、平成十六年二月十三日付『聖教新聞』四面に掲載された、創価学会最高幹部らによる紙上座談会。
　といえば、読者諸賢には、これがかの悪名高き（学会員からさえ嫌悪〈けんお〉されている）悪口座談会のことであると、すぐにお分かりになったに違いない。
　「正義と勝利の座談会」と銘（めい）打たれた一連の悪口座談会は、同年一月二十三日より連載が開始され、ほぼ連日、日蓮正宗僧俗をはじめ、創価学会が敵対者と見なす人物・政党・マスコミ等を挙（あ）げつらい、好き勝手に悪口誹謗（ひぼう）を浴びせつけてきた。
　しかして、問題となった記事においては、前に挙げた秋谷ら六名が、日蓮正宗の御僧侶を名指しして悪口誹謗を浴びせる中で、本山妙蓮寺塔中・本妙坊住職の樽澤道広尊師が、平成六年（※実際には平成七年）に葬儀の依頼を受けた際、戒名料として二百万円出せ、と高額な金員を要求した≠ﾆ断定。そして、
「杉山（青年部長）　日顕宗は末寺も大石寺も、こんなろくでなしの坊主だらけだ。本妙坊の樽沢道広も強欲のクソ坊主で有名だ」
「青木（理事長）　卑（いや）しい商売根性♀ﾛ出しのやつだな！」
「青木　（樽澤尊師が、要求を拒否され戒名料の額を下げた、との発言を受けて）バナナの叩き売りじゃあるまいし」
「原田（副理事長）　（青木の発言を受け）バカバカしい。（中略）『ボッタクリ』そのものだ」
「秋谷（会長）　要するに坊主にとって戒名や法事というものは、ただの『商売道具』にすぎない。だいたい戒名なんか、何の元手もいらない。タダじゃないか。（中略）本当にバカバカしい限りだ」
「青木　『法を食らう餓鬼』そのものだな」
等々と、樽澤尊師を指して、口汚なく罵倒（ばとう）。
　加えて、見出しにも大きく
　「樽沢道広　葬儀で開口一番戒名に200万円出せ≠ﾆ強要」
などと書き、樽澤尊師の名誉を著しく毀損したのである。
　ところが、樽澤尊師が本妙坊の住職になったのは、平成十一年五月十日のこと。つまり、樽澤尊師が、平成六年（七年）に本妙坊住職として戒名に200万円出せ≠ﾈどと発言することは、客観的事実の上からも、絶対にあり得ない。明らかに虚偽（きょぎ）のデッチ上げだったのだ。
　そもそも学会の宗門誹謗報道というのは、このように、いいかげんで嘘が多いが、余りにバカバカしく、それに多大の労力と時間を使うことの無駄を考えて、訴訟に持ち込む人は多くなかった。
　だが今回は、客観的事実に争う余地はないので、樽澤尊師は、「記事は事実無根であり、『聖教新聞』の報道により、名誉を著しく毀損された」として、平成十六年三月、創価学会ならびに前記六名を被告として、東京地裁に提訴。
　それから二年の審理を経て、東京地裁は今般、
　「被告秋谷らが本件各発言をし、被告創価学会が本件記事を新聞紙上に掲載し、同新聞を頒布（はんぷ）した行為は、原告に対する名誉毀損として不法行為を構成する」
とし、創価学会をはじめとする被告に対し、樽澤尊師に賠償金を支払うよう命じたのである。
　創価学会の最高幹部らが、発行部数五百五十万部（公称）を誇る、いわゆる「三大紙」に匹敵するほどの巨大メディアである『聖教新聞』の紙面を使い、敵対者を悪口・誹謗する。その『聖教新聞』を、学会員が全国津々浦々、一般人の家庭にまで頒布して歩く――。
　この、創価学会の組織ぐるみの行為が名誉毀損にあたる、と、司法が明確に認定した今回の判決は、非常に大きな意義があった、といえるであろう。
　しかし創価学会は、判決後においてもなお、敵対者を口汚なく罵（ののし）る、秋谷・原田ら学会最高幹部による悪口座談会を、『聖教新聞』に掲載し続けている（別掲「粉砕！『聖教』の誑惑報道」参照）。
　無慙（むざん）なり！　創価学会。]]></description>
         <link>http://www.myokan-ko.net/menu/emyo_report/2006/06/post_10.html</link>
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         <category>時局レポート</category>
         <pubDate>Fri, 02 Jun 2006 17:24:01 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>日如上人京都御親修に学会妨害部隊！</title>
         <description><![CDATA[<strong>所持品検査で「創価学会」の無線機が!?
組織ぐるみの妨害活動であった証拠</strong>


<em>　去る三月十七・十八日の両日、第六十八世御法主日如上人猊下は、京都・宣照寺新築落慶法要に御親修された。
　日如上人猊下におかれては、これが初の御親修。お迎えする北近畿布教区では、当然予想される、創価学会による種々の妨害工作に対処するため、地元信徒を中心に警備体制を敷くこととなった。
　しかして、これまで御親教警護にたびたび当たってきた理境坊所属妙観講も、教区支院長の要請により、京都在住の講員を中心にして、専（もっぱ）ら警備の任についたのである。
　すると、案の定、創価学会は組織ぐるみで、悪質かつ執拗（しつよう）な妨害工作を仕掛けてきた！</em>


　三月十七日午後五時五十三分、御法主日如上人は、京都・宣照寺新築落慶法要への御親修のため、東海道新幹線京都駅のホームに降り立たれ、改札口へと向かわれた。
　そのホームには、イヤホーンを付けた、一目で学会男子部と判る男が数名、猊下の乗られた新幹線が到着する一時間以上前から待ち伏せしていたが、これを発見した警備の講員により追い払われた。
　だが、その中の一人だけは、執拗に猊下の後を追って改札口の外まで出てくる。
　男は、猊下御一行が宿泊先のホテルの入り口に至るエスカレーターに乗られるや、先回りしようと走って階段へ。
　その時、階段付近にいたのは妙観講講員の岡野氏。
　「このまま行かせたら危険だ！」とっさに、そう判断した岡野氏は、階段を駆け上がろうとする男を取り押さえ、ホテルの外まで連れ出した。
　「学会員だろう」「何をするつもりだったんだ!?」「警察に行こう！」と詰め寄る岡野氏らの、わずかな隙（すき）を突いて、男は捕まえている手を振り払い、一目散に逃げ出した。
　その様子を周りで見ていた女性講員が、万一の時のために携帯していた警報用のホイッスルを吹き鳴らす。
　その状況に、たまたま現場に居合わせた数名の若者が機敏に反応して、この不審な男を取り押さえ、それとほぼ同時に、騒ぎを聞きつけた警察官数名が現場に駆けつけ、男の身柄を確保した。
　しかして、警察官が男のボディチェックをしようと上着をはだけさせると――なんと、男は体に無線機を固着しており、しかもその無線機には、「創価学会」と書かれたシールが貼（は）られていたのだ！
　そう、男は紛（まぎ）れもなく、創価学会が繰り出してきた、妨害部隊の一員だったのである。
　かの学会怪文書『虚報（フェイク）』は、後日、この時の模様につき、「頼まれもしないのに警備に押しかけた妙観講が、一般の通行人を詰問して顰蹙（ひんしゅく）を買った」などとデタラメを書き殴ったが、「一般の通行人」が「創価学会」のネーム入り無線機を持っていたとは、まったく、頭隠して尻隠さずの典型である。
　それにしても、「創価学会」のネーム入り無線機をストーカー行為に使うあたり、まったく危機感がないと言おうか、間抜けと言おうか、かなりの大失態である。
　その後、岡野氏と学会男子部は、警察署において事情を聞かれることになり、最寄りの七条署に移動。
　経緯を尋（たず）ねられた岡野氏は、日如上人の御親修に際し、駅の周辺を警備していたこと。それは、創価学会の最高指導者である池田大作が、日蓮正宗を敵視する発言を繰り返したうえ、「断じて戦え！」と檄を飛ばしていることから、それに挑発された学会員が、何を仕掛けてくるか判らない状況だからであること。件（くだん）の学会員は、駅構内からホテルのロビーまで、ストーカーのごとく御一行を追跡したあげく、宿泊階に先回りして待ち伏せしよう、という素振りを見せたため、何か企（たくら）んでいるものと見なして誰何（すいか）したこと――などを話した。
　一方の妨害学会員は、といえば、警察官に対し、池田先生は行く先々で日蓮正宗側から嫌がらせを受けている≠ﾆ訴えた、というからお笑いだ。
　そもそも日蓮正宗の僧俗が、いつ、どこで池田センセーに嫌がらせをしたというのか、そんな事実は一つとして挙（あ）げられまい。
　学会員にしてみれば、こう言っておけば、警察はどっちもどっちと思うだろう、との計算だったのだろうが、こんなお粗末な計略は通用しなかった。約一時間の事情聴取の後、この学会員が、首をうなだれトボトボと警察署を後にする姿を、講員に目撃されている。よほど、きついお叱（しか）りを受けたのであろう。
　しかして、こんな大失態を演じながら、懲（こ）りることを知らない学会妨害部隊は、翌日もまた、日如上人御一行を執拗につけ回した。
　ホテルの周辺に張り付いて御一行の動向を監視し、宣照寺に向かう際には、御一行の車列を何台もの自動車で猛然と追跡する。
　その異常な様子に、やむなく、警備の講員の自動車が、彼らの進路を遮（さえぎ）る形で前に入り込み、ブロックしたため事無きを得たが、彼らの行為はまさに常軌を逸（いっ）していた。
　ともあれ、学会の様々な妨害をはねのけ、午前十時三十分より始まった宣照寺新築落慶法要は、日如上人猊下大導師のもと、無事終了した。
　やはり、正法の興隆を魔鬼が阻（はば）むことなど、できなかったのである。
　その後も、学会の嫌がらせ活動は延々と続いたが、それも全て不発。「京都の学会員は、使えない℃ﾒばかりだ！」との、池田センセーのお嘆（なげ）きの声が聞こえてきそうである。
　なお、御親修妨害を阻止された京都の学会男子部は、その腹いせに、以後、様々な嫌がらせに出ている。
　学会員を折伏し、ニセ本尊を棄（す）てさせた講員を、大勢で囲んで「訴えるぞ！」と大騒ぎしたり、針小棒大な暴行事件をデッチ上げて警察を呼ぶ等々。
　とくに後者については、活動妨害してくる学会員の服の袖を、講員が軽く引っ張った（それも二本の指で！）だけで、「暴行や！」と大騒ぎし、自ら自動車を運転して講員を追い回したあげく、一一〇番通報してパトカーまで呼ぶという非常識ぶり。あげく、全治二週間の診断書まで取って、警察に被害届まで出したのである（だが、これも『京都乃餓鬼新聞』とかいう学会怪文書中で「服の袖を引っ張った」だけであることを自認しているのだから、針小棒大、というより荒唐無稽〈こうとうむけい〉な話であることは言うまでもない）。
　いかに腹いせとはいえ、あまりにお粗末で、程度の低い連中ではないか。
　ともあれ、創価学会員の、日蓮正宗に対する憎しみは、御法主上人の御代が日顕上人から日如上人に替わろうとも、薄れる気配は全くなさそうだ。
　我々は、この現実をしっかりと見据え、いかなることがあろうと宗門を外護し、広宣流布を果たすべく、決意も新たに折伏に励もうではないか。]]></description>
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         <category>時局レポート</category>
         <pubDate>Fri, 02 Jun 2006 17:08:15 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>「世襲」進める池田大作の無慙</title>
         <description><![CDATA[<strong>長男・博正を副理事長に抜擢
「学会に世襲なし」は大ウソ!!</strong>

<em>長男・博正が副理事長に
博正は今や学会のｂSに</em>

山ｱ　最近、池田大作から長男博正氏へ、世襲（せしゅう）≠ｪ着々と進められています。
原島　三月十日には、博正氏の副理事長就任が発表されました。
　創価学会では、会長・副会長・総務という役職と並んで、理事長・副理事長という役職があります。
　前者は、会の活動全般を統率する指揮系統ですが、後者は、理事長が、宗教法人≠ﾆしての創価学会の「代表役員」になります。財務と経済活動を統括するのが代表役員¢ｦ（すなわ）ち理事長です。
　このように、会長と代表役員≠ﾅある理事長を分けたのは、昭和五十一年頃だったと思います。
　妙信講や松本勝彌氏らから訴訟が起こされ、また、富士宮市の有力者から告訴される、ということが重なり、池田大作は、そうした法的責任が自分に及ぶことを避けるために、北條浩氏を理事長にし、宗教法人の代表役員の地位を譲（ゆず）ったのです。
　その手続きを進めたのは山ｱさんでしたね。
山ｱ　そうです。訴訟が起こされるたびに、責任者として「池田大作」という名前が出る。車両が事故でも起こすと、所有者にも責任が及ぶことになる。池田大作は、それで、北條浩をダミーにして、代表役員にしたのです。
　その時、池田大作は、北条氏に
　「学会の財務をお前に預けるからな。しっかり守れ!!」
と言い、北條氏から
　「創価学会はすべて池田先生のものであり、私はお預かりするのですから、全て池田先生の指示どおりにいたします」
と一札（いっさつ）取ったそうです。
　池田大作にしては、身を守るためとはいえ、形だけでも北條氏に代表権を委（ゆだ）ねるということは、悔（くや）しくて仕方がなかったみたいですね。
原島　その理事長、そして、それを補佐する副理事長という役職が、今日では、会内の序列を示す役職になりました。
　名誉会長――会長――理事長――副理事長――副会長というランクが決められたのです。博正氏は、副理事長に就任することで、副会長より一段上の地位についたわけで、その上には、理事長（青木亨）会長（秋谷栄之助）しかいません。

<em>総本山の御座替りに焦る池田
過去の発言もいっさい亡失!?</em>

山ｱ　最近、とみに秋谷栄之助会長の地位が低下しています。
　なぜなら、池田大作が、首脳や幹部の前で、事あるごとに秋谷会長を罵（ののし）り、どやしつけるからです。
　「宗門問題が片付かぬのも、山友がのさばっているのも、矢野が手向かいするのも、皆、お前の責任だ!!」
などと。（笑い）
　池田大作は日頃、目の上のコブみたいな存在により溜（た）まるストレスを、全て秋谷会長にぶつけているようです。
　親に叱（しか）られて、腹いせに犬を蹴（け）飛ばす子供みたいですね。（大笑い）
原島　その一方で、今や博正氏は、池田大作の代理として、あちこちに顔を出しまくっています。
　池田大作、妻の香峯子さんに続いて、博正氏まで勲章や名誉称号を貰（もら）うようになりました。しかし、秋谷会長が勲章や名誉称号を貰ったとは、一度も耳にしたことがありません。
山ｱ　日蓮正宗では、第六十七世日顕上人が、充分余力を残されたまま第六十八世日如上人猊下に御相承なされ、何の混乱もなく盤石（ばんじゃく）の体勢が築かれてゆくのを目の当たりにして、池田大作も、目の黒いうちに博正氏を創価学会とＳＧＩの会長にしようと、焦（あせ）っているのでしょうね。
　日顕上人は、御隠尊になられた後、何時も御当職日如上人を立てられ、謙虚に身を処しておられます。
　名誉会長になっても、いつまでも未練がましく院政を敷き、権力にしがみつく池田大作の浅ましい姿とは、本当に対照的ですね。
　創価学会の首脳達は、世襲が迫る中で、「結局、自分達は池田家の家来・下僕に過ぎなかったか」と思い、興（きょう）ざめしていることでしょう。
原島　それにしても、池田大作は、あれほど「創価学会には、世襲はありません」と、声を大にして言っていたのにね。あの人は、平気で嘘をついてきました。
山ｱ　昔の池田大作はじつに格好良かったですよ。見せかけだけだったわけですが、さっそうとしていた。
　「私は、永久に一庶民として生き、名聞名利を求めない。勲章や栄誉など一切受けない」
　「創価学会に世襲はない。息子達に創価学会を継（つ）がせる気はない」
　「創価学会は一切金は取らない。邪宗のように、賽銭や御布施を集めたりしない」
　「創価学会は、墓苑は造らない」
　「われらが政治に進出するのは、『国立戒壇建立』のためである。したがって、参議院には出るが衆議院には進出しない」
声を大にして宣言する池田大作に、私達は憧（あこが）れ、心酔（しんすい）しました。あの頃の原島さんは、話し方や身振りまで池田大作に似ていましたよ。（笑い）
　それらが皆、嘘だった。
原島　いやあ、そう言われると恥ずかしい。
　昭和五十四年から平成三年頃まで、池田大作は声を大にして、
　「日蓮正宗と御法主上人に信伏随従いたします」
　「血脈付法を正しく受けられた日顕上人の御指南に従いたてまつる」
と繰り返していました。
　『聖教新聞』の記事から拾ってみても、ざっと三百回ぐらい、そうした文字が踊っていました。それが今はどうですか。口を開けば御宗門を中傷してる。
山ｱ　池田大作は、そんなことを言ったのを忘れたみたいに、平然と、世襲を進めています。

<em>学会内には貪・瞋・痴が充満
忠臣を「消耗品」と見る池田</em>

山ｱ　また創価学会は、今では最も会員から金を搾（しぼ）り取る邪宗でしょう。その金に、浅ましい亡者が群がり、おべっかを使うから、いい気になっています。
　池田大作の勲章集め、名誉称号集めの異常さにしても、歴史上、類を見ません。名聞名利の塊（かたまり）です。常人にできることではない。完全な病気です。
　創価学会は、今では日本一の墓持ち教団ですし、公明党を作って衆議院に出し、天下盗り≠ﾌ妄想にうつつを抜かしています。
原島　まるで少年の頃、「酒やタバコは悪いことです。人は品行方正に生きなくてはいけません」と言っていた模範生が、大人になって、大酒飲みのヘビースモーカーになり、女遊びにうつつを抜かす詐欺（さぎ）師になったようなものですね。
山ｱ　「平和」「平和」とけたたましく叫（さけ）んでいるが、いったい、世界平和のために何をしましたか。池田大作は。
　ソ連や中国、ルーマニアやノリエガ政権下のパナマ等、独裁国に出かけては、おべっかを言い、金をばらまいてきました。
　また、金に飽（あ）かせて著名文化人と空疎な対談をし、「平和」「平和」と、莫迦（ばか）みたいに繰り返しているだけではありませんか。
　世の中には、地道に、真剣に、人道的な活動に黙々と取り組んでいる人達がたくさんいます。
　弱い者、貧しい人、虐（しいた）げられた人、悩んでいる人達を助けようと、身を投げ出して活動している、名もない人達が大勢います。そうした人達に対する冒涜（ぼうとく）ですよ。
　日蓮正宗の御本尊と教義を借りて勢力を拡大し、本来の日蓮正宗信徒である学会員を騙（だま）して私物化し、その上にあぐらをかいて贅沢三昧（ぜいたくざんまい）、女色を漁（あさ）り、洗脳した会員を選挙マシーンに仕立てて権力ごっこにうつつを抜かす。御本仏から御覧になれば、最も罰当たりな人間ではないでしょうか。
原島　そうした池田大作に付いていっておこぼれにあずかり、栄耀栄華（えいようえいが）の夢を見ようとこびへつらい、おべっかを使う幹部達も同罪でしょう。
　しかし、どんなにこびへつらっても、北條、中西、竹入、矢野氏らのように、所詮、使い捨てです。
　昔、国会議員だ、副会長だと威張っていた幹部達は、今は、影も形もありません。秋谷会長も、今まさに使い捨てにされようとしているのでしょう。
山ｱ　池田大作に、「あなたは間違っています」と言ったり、離れていった者に対しては、逆恨みして、生涯憎み続け、陰険な仕打ちを続けるのが池田です。
原島　我々は、どんな目に遭（あ）わされても、とにかく普通の人間≠ﾉ戻れて幸せです。
山ｱ　そうですね。たとえ乞食になっても、池田大作の下にいるよりはマシだと思います。
　秋谷会長も、今、心底からそう思い始めているのではないでしょうか。
　野崎勲氏も、最後の瞬間にしまった≠ﾆ思い、そのまま来世まで悔（く）い続けていることでしょう。　　　　（つづく）]]></description>
         <link>http://www.myokan-ko.net/menu/emyo_report/2006/04/post_9.html</link>
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         <category>対談：山崎正友氏×原島崇氏</category>
         <pubDate>Sat, 15 Apr 2006 01:52:28 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>2006年01月24日 第68世御法主日如上人が御登座</title>
         <description>12月16日、総本山にて厳粛に御座替り式を奉修
第68世御法主日如上人が御登座

　平成十七年十二月十六日、総本山大石寺・客殿において、第六十七世日顕上人・第六十八世日如上人の御座替り式が奉修された。
　法灯の恙ない継承を寿ぐかのように、霊峰富士が晴れわたった冬の空に、くっきりと偉容を現わしている――。
　午後二時、厳粛な空気の中、日顕上人猊下の大導師によって、方便品・寿量品の読経が始まる。そして、「而説偈言」で磬が入り、日顕上人から
　「総本山第六十八世日如上人これへ」
とのお言葉が発せられると、日如上人が学頭の座から大導師席へと移られ、日顕上人は御宝前に向かって右側にしつらえられた御隠尊の座へ。
　引き続き日如上人猊下の大導師により、自我偈を読経の後、唱題。御座替り法要は滞りなく終了した。
　この後、御盃の儀、式の部が行なわれたが、この中で日如上人猊下は、去る十二月十二日の早晨、日顕上人より大事の血脈相承を受けられた旨、御披露あそばされた。
　思えば、第六十六世日達上人・第六十七世日顕上人の御代には、顕正会問題・正信会問題・創価学会問題が相次いで惹起し、御当職は御一身に苦難を背負われ、正法正義を厳護してこられた。
　このたびの御座替りでは、御高徳の第六十八世日如上人が御当職として御登座されたことに加え、前御法主日顕上人が御隠尊としてお控えあそばされている。
　この、御当職と御隠尊の両猊下がまします体制は、古くは、第三祖日目上人と第二祖日興上人の先例に拝するごとく、本宗の理想ともいうべき盤石な体制である。
　されば我々は、「この盤石なる体制には、悪鬼魔障もつけ入る隙なし」との大確信・大歓喜をもって、新御法主日如上人猊下大導師のもと、いよいよ邪宗・異流義の者共に対する折伏法戦に挑んでまいりたい。

投稿者: myokanko 日時: 17:43 | パーマリンク | コメント (0)
2006年01月23日
御法主日如上人猊下訓諭

訓　　諭
　　　　　　　宗　内　一　般

　野衲　曩に日顕上人より平成十七年十二月十二日血脈相承を受け総本山第六十八世の法燈を嗣ぎ　次いで同月十五日管長推戴会議を経て本宗管長の職に就きました
　惟うに　今宗門は日顕上人の御英断によって　曽て宗内に在った邪智?慢なる謗法の徒輩を掃滅して日興上人以来の血脈正統の宗是を厳護し　更に奉安堂の建立等総本山を整備荘厳して 盤石なる基盤を構築しつつ凛然として広布への道を進んでいます
　然しながら　正法正義の征くところ障魔の跳梁跋扈することもまた必定であります
　されば　宗内僧俗一同　 和衷協力をもって只管に一天四海本因妙広宣流布達成の願業を目指し　以て教学の振興と布教に徹し正法の興隆に邁進することが肝要であります
　就中　三年後に控えた立正安国論正義顕揚七百五十年の大佳節へ向けては　日々の精進と猶一層の団結をもって当たらねばなりません
　野衲は素より徳薄垢重にしてその器ではありませんが　宗開両祖並びに先師の御遺訓を奉戴し　宗内僧俗一同の協力を得て広布の浄業に挺身する決意であります
　冀くは宗門の緇素　よろしく微衷を諒せられ身口意三業に亘る弛まざる努力をもって正法広布のため宗門の興隆発展に寄与せられんことを願います
　右訓諭します

　平成十八年一月一日

　日蓮正宗管長　早瀬日如</description>
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         <category>御座替り</category>
         <pubDate>Sat, 15 Apr 2006 01:38:16 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>創価学会の愚劣な離間策を粉砕す</title>
         <description><![CDATA[　現在、妙観講からの破折に耐えかねた創価学会では、奸計をめぐらせ、妙観講の宗内での孤立化（あわよくば妙観講潰し）を狙って、怪文書を使った愚劣な策略を仕掛けております。
　その内容は、第６８世御法主日如上人猊下が御登座前、法道院主管を務められていた≠ﾆいうことと、昭和５２年暮れに、大草講頭ほか２００余名が法道院から理境坊へ所属替えとなった≠ﾆいうことを絡めて、あたかも妙観講が日如上人猊下を誹謗してきたかのごとく偽装し、これを喧伝し続ける、という悪辣なものです。
　本来、日蓮正宗から破門された大謗法団体が、宗内の寺院と信徒の関係に口を挟んで云々すること自体、まったくの筋違いというものであり、反論の必要すら認められません。しかし、妙観講員とぶつかる学会員が、この疑難を持ち出しては、昔の事情に疎い講員を煙に巻こうとしていること、また、信仰の浅い短慮な講員が誑される恐れなしと言えないこと――等により、ここにあえて学会の愚劣な策略を破すことにいたします。

<strong>@まず、大草講頭ほか２００余名が理境坊へ移籍となった経緯および、それに対する非難への答えとして発刊された小冊子『離籍の真相』、同じく『暁鐘』（昭和５３年９月号・１０月号）掲載の誌上座談会「広布の波涛」については、その全てが、時の御法主・第６６世日達上人の御采配と御照覧のもとに運ばれたものである、ということです。</strong>
　そのことは、当時すでに内事部に勤められていた理境坊住職・小川只道尊師が、『離籍の真相』の序に、
　「この移籍の件は、すでに御法主上人猊下の知られるところとなり、法道院主管と私との話し合いで、双方が了解しているのである。したがって、宗制宗規に照らしてみても、何ら悖ることのない処置である。（中略）大草氏等の行動は、大御本尊を信じ奉り、御書を根幹として、御法主上人猊下へ随順せんとする赤誠の信仰心に貫かれた上でのことである」
と述べられていることや、この小冊子の作成・発送等に拘わる費用の一部を、法華講連合会の会計で負担していることからも明らかです。
　しかして、この問題は昭和５３年中に全て解決をみて、法華講法道院支部も、大草講頭等２００余名でスタートした理境坊東京支部（仮称）も、共に日達上人の御もと、日蓮正宗法華講の一員として歩むところとなりました。
　その後、折伏によって陣容拡大した仮称・理境坊東京支部は、昭和５５年８月、第６７世日顕上人より正式な講中結成の御認可を賜わって「妙観講」を結成、以後、折伏弘教を重ねて、今日２万数千の講員を擁するに至りました。
　こうした経緯から明らかなとおり、大草講頭ほか２００余名の移籍の件は、今から３０年近くも前に、日達上人の御采配によって解決済みの話であり、その後、日顕上人の御代になってから結成され、拡大してきた今日の妙観講には、関係のない出来事であるといえましょう。
　したがって、この事を取り上げ、今日、執拗に「妙観講が法道院を誹謗！」などと喧伝し続ける学会怪文書は、子供騙しのスリカエで人々を騙そうとしているのです。
　そもそも、大謗法を犯して日蓮正宗より放逐された極悪団体が、とうの昔に宗内で解決済みの事柄に、今更「ああだ、こうだ」と口を挟むこと自体、筋違いであり余計なお世話であります。
　それは、あたかも、凶悪な殺人鬼が、仲良くやっている兄弟に向かって、「お前達は３０年前に口ゲンカしたことがあるだろう！　兄弟ゲンカは悪い事やで！　原因は何か、言ってみい！　兄弟ゲンカなどという非道の行ないはワシが許さん！」などと、大声で喚き散らしているようなもので、まったく馬鹿丸出し、という他ありません。
　私共妙観講としては、こうした、極悪人の筋違いな口上に乗せられることなく、「それは３０年も前に日達上人の御采配で解決済み。しかも、それは宗内の事なのだから、破門された大謗法のお前達が心配する筋合いではない。そんな余計な心配より、自らの後生の堕獄を真剣に心配しろ」と言いきっていくのみです。

<strong>A学会怪文書『フェイク』は、この移籍に関連する事柄として、</strong>
　「『法道院は日蓮正宗ではない』と『暁鐘』（昭和５３年１０月号）に書いてあった」（Ａ）
　「早瀬日慈（尊能化）の批判記事を『妙観』（平成４年３月１５日号）に転載して法道院の恥部を宣伝した」（Ｂ）
　「小川只道（尊師）が『法道院関係者は大謗法』『早瀬日慈（尊能化）らは大謗法』と罵倒した」（Ｃ）
　「『早瀬一族から次の猊下が出るのは当然のことだ≠ﾈど、とても信じられぬ』と大草（講頭）が断定した」（Ｄ）
等と書き殴っています。
　しかしながら、呆れたことに、これらの全てが、切り文とスリカエによって原文の意をネジ曲げたものであります。
　そのため、この『フェイク』を真に受けた愚かな学会幹部が、妙観講々員に「この内容が事実そのとおりでなければ脱会する」と大見栄を切って誓約書を書き、結局、事実でなかったために遁走してしまう、という事態まで発生しています。
　以下、『フェイク』の書き殴った疑難の一々について、その誑惑を指摘しておきましょう。
　まず、（Ａ）については、『暁鐘』の誌上座談会で、「現代の広宣流布の姿ではないとの理由で、邪宗を折伏しに行かないように、という指導があった」との発言に対し、別な講員が「（邪宗を折伏してはいけない、というのは）日蓮正宗の信心じゃないですよ」と述べた、というものであり、法道院を日蓮正宗の寺院ではない、と述べたものなどではありません。
　『フェイク』は切り文により、『暁鐘』が法道院を日蓮正宗の寺院ではない（つまり他宗の寺院である）として全面否定した、との話をデッチ上げているのです。
　次に、（Ｂ）については、平成４年当時、『創価新報』および学会の御用新聞『中外日報』が、激しく宗門誹謗・僧侶誹謗を繰り返す中で、当時の法道院主管・早瀬日慈尊能化に対しても、悪質なデマ宣伝を加えてくる、という状況がありました。
　日蓮正宗御宗門を厳護せん、との想いに燃える妙観講では、他の御僧侶方についての場合と同様、早瀬日慈尊能化に対する謂われなきデマ中傷についても、『妙観』（平成４年３月１５日号）紙上で徹底的に打ち砕いたのです。
　その見出しを挙げておけば、
　「捏造だらけの正宗誹謗（７）　東京・法道院編」
　「またも邪推に基づく俗悪記事！　いまや嘘、誇張、低俗は『中外―』『―新報』の代名詞」
　「ありもしない法道院誹謗はやめよ！」
というもので、これを見ただけでも、『妙観』の破折ぶりが明らかでしょう（何なら、その記事全文を縮刷版で確認してみれば、いっそうハッキリするはずです）。
　この記事は、まず『中外日報』『創価新報』による早瀬日慈尊能化への誹謗を簡単に取り上げ、それについて、
　「何ともはや、呆れたものだ。
　まず、早瀬尊能化は、８５歳という御高齢であり、よく参詣していた信徒なら誰でも知っているように、もう何年も前から歩行に困難をきたされ、しばしば複数の御僧侶方が手を貸されて、ようやく御出仕になっておられた。
　その尊能化が、どのようにすれば、『中外―』『―新報』記事のごとき『乱行』をなしうるというのか。いかなる手品や、医学の助けを借りたとしても、まったく不可能な話である。
　念のため、古くからの法道院所属の講員達にも、何人も当たってみたが、やはり皆、誹謗されるような事実は一度として見たことも聞いたこともなく、むしろ『それほど御主管がお若く、お元気であってくれたら、本当に嬉しいのに』といって一笑に付す人や、怒りに震える人ばかりであった。
　要するに、早瀬尊能化に対する『中外―』『―新報』の誹謗記事は、無責任な邪推による特定少数の悪口を、実際に見てきてもいない記者がもっともらしく書き立てたもので、まったくの嘘だった、ということである。
　あまりの馬鹿らしさに、早瀬尊能化はこれを捨て置かれているが、『中外―』にせよ『―新報』にせよ、少しは自らの程度の低さと悪らつさを恥じたらどうか。（※まだまだ破折は続くが、長文につき後略）」
等と破折を加えたものでした。
　しかるに『フェイク』は、この部分を「何ともはや、呆れたものだ」までで切って、その後に続く破折の箇処を丸ごとカットしてしまい、あたかも『妙観』が『中外日報』や『創価新報』の早瀬日慈尊能化に対する誹謗記事を紹介だけして、悪意の宣伝をしたかのごとく、書き殴ったのです。
　そして、「『何ともはや、呆れたものだ』の結びも（※本当は結び≠ﾅはなく、後が続いているのだが）、早瀬家の乱れを指しているようだ。早瀬家を庇う素振りを見せながら、実は早瀬家の恥部を宣伝・公表しているのである」とまで言い放ったのでした。
　何という悪辣、何という根性の悪さでありましょう。
　こんなデタラメは、『妙観』の原文を検証すれば、すぐに判明することですが、『フェイク』は読者である学会員を舐めきっているが故に、このような騙しを平然と仕掛けてくるのであります。これに乗せられるような者は、よほどの迂闊者といわねばなりません。
　次に、（Ｃ）についてですが、これは、『離籍の真相』の序に、小川只道尊師が書かれた、前掲の文の次下に、
　「今、彼等（※大草講頭等、移籍した２００余名）に対し、邪心をもって悪口・誹謗を浴びせる者は、日蓮正宗の信仰を妨げ、ひいては御法主上人猊下に敵対する大謗法の者、と断ぜざるをえない」
と続く部分を改竄し、
　「小川只道（尊師）が『法道院関係者は大謗法』『早瀬日慈（尊能化）らは大謗法』と罵倒した」
などと、まったく別な内容に作り変えてしまったものです。
　一目見れば『フェイク』の文意改竄は明白、その嘘は小中学生にでも判りますから、これ以上の解説は不要でありましょう。池田狂徒というのは、これほどまでに悪逆で馬鹿、度し難い一闡提人である、という典型的な例であります。
　最後の（Ｄ）も、まったく同様の、切り文による文意の改竄です。
　原文は『離籍の真相』の中にありますが、同書の全文を読めば明らかなとおり、要は、在家の者が勝手に、「次の猊下（※日達上人の次の６７世の猊下）には誰それがなるのだ」とか「本当は、誰それこそが６６世の猊下になるはずだった御方で、日蓮正宗の中で（※当時の御法主・日達上人も含めて）一番偉いのだ」などという発言をするのは大変な誤りである、と戒めた記述と共に、
　「また『早瀬一族から次の猊下（※６７世の猊下）が出るのは当然のことだ』など、とても信じられぬ話がＡ氏よりあった」
として、在家が猊座継承の事に軽々しく口を挟むことを「とても信じられぬ話」と批判したのです。これは、血脈相承が唯仏与仏の境界において行なわれることからして、日蓮正宗の信仰上では当然の戒めであって、何ら不思議なことではありません。
　しかるに、『フェイク』はこれを改竄し、あたかも、日顕上人猊下の御代の時に、大草講頭が「早瀬一族から次の猊下（※６８世の猊下）が出るなどということは信じられぬ」と言って、猊座に容喙する発言をしたかのように、話を正反対にひっくり返してしまい、同時に、これが、早瀬日如上人への侮言であったかのごとく見せかけ、喧伝しているのであります。
　いかに怪文書とはいえ、悪辣が過ぎるではありませんか。
　同様の偽装は、前の（Ａ）についてもなされています。
　つまり、前述のように「『法道院は日蓮正宗ではない』と『暁鐘』（昭和５３年１０月号）が書いた」という話をデッチ上げておき、「その日蓮正宗でない法道院から猊下（※６８世日如上人猊下）が出たことにつき、妙観講は弁明ができなくなっている」などと言うのです。
　むろん、これは前提がデッチ上げですから、まったくお話になりませんが、もう一つ重ねて言っておけば、早瀬日如上人は昭和５３年当時、新宿・大願寺の住職を務められていました（法道院主管となられたのは、それよりずっと後の平成５年のことです）。したがって、早瀬日如上人と大草講頭等の移籍とは、何の関係もないのです。
　これを、時間的隔たりを無視して結び付け、あたかも、『暁鐘』が早瀬日如上人を邪宗寺院の住職であると書いていたかのごとく、作り上げてしまうのですから、開いた口が塞がらない、とはこの事です。
　以上のように、怪文書『フェイク』が切り文やスリカエを行なう理由は何か、といえば、御法主日如上人猊下と妙観講を何とか対立させたい、という点にあります。そして、あわよくば、宗門攻撃のために邪魔な妙観講を排除してしまいたい、というのが彼奴等の腹の内なのです。
　しかしながら、こんなミエミエの離間策が功を奏することは金輪際ありえない、と知るべきでありましょう。
<strong>
B学会怪文書『フェイク』は、
　「『慧妙』を批判する宗門の僧俗は謗法である、と『暁鐘』が書いた」
などと大騒ぎしました。</strong>
　これも、またもや文意の改竄です。すなわち、『暁鐘』（平成１８年２月号）に載ったのは、
　「ある法華講員が、仏子である創価学会と仲直りしなくては広宣流布はできない。それなのに学会を徹底的に責める『慧妙』は広宣流布破壊の謗法の新聞だ≠ﾆ書いて送ってきたそうだが、三宝破壊の学会を仏子≠ｾなどと言うのは浅識である。
　また、『慧妙』も『創価新報』もどっちもどっちだ≠ﾆ言って日顕上人から喩された人がいる。ただ強い口調で責めているから、どっちもどっちだ、などと考え違いをしてはならない。学会は三宝破壊の大謗法であり、日蓮正宗は三宝を護るべく、一歩も引かずに学会を折伏しているのである。
　それを上辺だけ見て考え違いし、宗門と学会の争いは、トップ同士の喧嘩にすぎない。宗門も学会も、どっちもどっちだ≠ﾈどという捉え方をするのは浅識謗法である」（要旨）
というものです。
　まったく正論であり、『フェイク』の言うような内容ではありません。もし、これが、文意の改竄ではなく、本当に前述のごとく読めたというなら、『フェイク（＝虚報）』などと名乗り、文字どおり正法を惑乱するための虚報を繰り返しているうちに、その深重の罪報が、まさに彼奴等の脳味噌を破壊してしまったのでありましょう。げに恐るべきは謗法であります。

<strong>　さて、以上のような@ABといった歪曲の積み重ねの上に、『フェイク』は次のように言います。</strong>
　「右に列記した妙観講による法道院・早瀬批判、悪行の数々は全て事実である。（略）宗務院は真相究明に乗り出し、批判者の大草らを厳正に処分するべきである。」
　彼奴等の狙いが、宗内から妙観講を排除するところにある、というのは、これで明らかでしょう。
　それにしても、大謗法の極悪団体が、日蓮正宗の宗務院に妙観講の排除を懇願するとは、莫迦も極まれり、といったところです。要は、それほどまでに妙観講の存在が邪魔であり、このまま妙観講の折伏が進展していくことに恐れを懐いている、ということなのでありましょう（もし彼奴等が、そうでない、というなら、このような薄汚い策略を巡らしたりせず、涼しい顔で見ていればよいのです）。
　ならば、いっそう創価学会に対する折伏に励むのが、正宗信徒としての心意気というものです。
　最後に、この『フェイク』の結びの言葉を、妙観講として正しく言い換えておくことにしましょう。
　「右に論証したとおり、学会による宗門・妙観講の離間策、悪辣な歪曲・捏造の数々は、もはや誰の目にも明らかである。全講員はこの真相をよく胸に入れ、謗法者である創価学会員をこれまで以上に徹底的に折伏するべきである。」
以上。]]></description>
         <link>http://www.myokan-ko.net/menu/emyo_report/2006/04/post_8.html</link>
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         <category>学会の新たな疑難を破す</category>
         <pubDate>Fri, 14 Apr 2006 19:27:51 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>2005年09月17日   師弟子の道と妙観講の在り方 ―疑問に答える―</title>
         <description>　平成十五年一月に『妙観講の基（もと）をなす信条・誠心（じょうしん）』が発刊されました。
　『誠心』は、妙観講がいかなる信条に基（もと）づいて構築・運営され、今日に至ったのかを明らかにしたもので、護法と広布の使命に挺身（ていしん）せんとする妙観講の“心”であります。
　妙観講の在（あ）り方は、一言で言えば、日蓮正宗の伝統の師弟子の道を明らかにし、これに徹することを根本として、全てが成り立っています。しかし、それは、これまでの講中の中に不文律的に活（い）きており、体系的に成文化されていませんでしたので、外部の方々や、信仰の浅い講員には、なかなか理解されることがありませんでした。
　そのため、妙観講に対しては、いろいろな無認識な批判や憶測がなされ、それは、妙観講が止どまることなく大きくなっていくのにつれて、得体の知れないものに対する不安な心理から、いっそう拡大していったものと思われます。
　しかし、それらは全て、『誠心』の「序」に指導教師・小川只道御尊師が
　「批判の根拠は明確でなく、ただ皮相的な見方の上から誤解している」
と述べられているように、“群盲（ぐんもう）象を撫（な）でる”類（たぐい）の誤解に他なりません。
　“群盲象を撫でる”というのは、大勢の盲目の人達が象に触る機会を与えられたところ、ある者は尻尾を握り、ある者は足に触り、ある者はお腹を撫で、ある者は鼻を掴（つか）んだ。そして、“象はヘビのような生き物だった”“いや、柱のようだった”“巨大な壁のような動物だった”等々と、てんでんバラバラな感想を持つに至る。自分の手に触れたのは、象の一部に過ぎないのですが、象の本当の姿を知らない盲目の人達は、それを象そのものだと思って誤解してしまったわけです。
　それと同じことで、妙観講の真の姿や信条をわかっていないが故に、外形に現われた一つ一つの相を正しく捉えることができず、妙観講そのものを誤解してしまう――、妙観講に対する多くの批判は、そうした類のものでした。
　しかし、こうした諸々の批判や憶測は、このたび発刊された『誠心』によって払拭（ふっしょく）された、といってよいでありましょう。
　『誠心』を読むなら、妙観講が、一貫して大聖人以来御歴代上人の御教示に則って構築・運営されてきたこと、その在り方は全て大聖人の教えに基づいていることが明らかとなり、同時に、今後の私達一人ひとりが、どのような規範によって信仰していったらよいか、が明確に判るでありましょう。
　この『誠心』の内容を踏まえた上で、さらに補足説明する意味で、講中の在り方に関し、Ｑ＆Ａの形で述べていくことにします。

Ｑ一、在家主導の創価学会・僧侶主導の正信会・元は法華講の一支部だった顕正会が、悉（ことごと）く異流義化したのだから、先々、誰が異流義化しないとも限らず、安心して信心していくことができない。

Ａ一、それは無用な杞憂（きゆう）です。
　まず、この創価学会・正信会・顕正会という三つのケースについて、検証してみましょう。　

創価学会の場合
　創価学会は、もともと日蓮正宗を信仰する法華講中の一つでありました。
　その創価学会が、戦後、戸田二代会長のもとに大折伏を展開し、爆発的に教勢を拡大しつつあった昭和二十六年末、独自の宗教法人の設立を宗門に願い出てきました。
　本来、「宗教法人・日蓮正宗」のもとにあるべき法華講の一つ、創価学会が、日蓮正宗とは全く別の宗教法人を在家だけで組織するということは、一歩間違えば、日蓮正宗とは異質の一宗一派となりかねない危険をはらんでいます。
　そこで、宗門におかれては、「折伏した会員は信徒として各寺院に所属させる」という条件を付して、設立を認可されたのでした。
　この約束によって、創価学会では、個々の会員を各々の地元寺院に所属させました。
しかし、ここで問題だったのは、個々の会員を最寄（もよ）りの寺院に所属させたものの、肝心の創価学会自体は寺院に所属せず、手続ぎの小師を持たない状態となってしまったことでした。
　巨大化したとはいえ、創価学会も、もともとは一つの法華講中であります。ならば、創価学会という講中として、決まった一つの寺院に所属し、手続ぎの小師の教導のもとに会員を指導していく、というのが、本宗の信仰の掟（おきて）を守った本来の姿であります。（『誠心』十一、十四項目参照）
　結局、創価学会は、本宗の教義から逸脱して異流義化する遥（はる）か以前、すでに組織の成り立ちの段階において、本宗の化儀を破り師弟子の道を破っていたのです。
　そして創価学会は、池田大作が“人生の師”“永遠の指導者”であり、会員は全て池田の弟子である、との師弟論を立てて、会員を次第に日蓮正宗とは異質の邪義邪信へと誘導していったのでした。
　しかし、もし創価学会が一つの寺院に所属し、池田大作の上位に手続ぎの小師を仰いで、会員の指導にあたっていたら、どうだったでしょう。
　たとえ、池田大作が慢心を起こしたり、一部の幹部が池田を神格化しようとしたところで、その池田の上には、手続ぎの小師がおられ、さらに、その上には本師たる御法主上人がおられるのですから、池田を押し上げることは、さらに上位の師を押し上げることになって、池田本仏論のごとき邪義が成立することはありませんし、また、池田が謗法に走って、小師・本師から打ち砕かれたときには、会員の大多数は小師・本師に随い、盲目的に池田に付き随ったりしなかったでありましょう。
　したがって、創価学会の異流義化は、宗門の組織を破って手続ぎの師を持たなかった、そこに原因があった、といえるのであります。

正信会の場合
　一方、後に正信会となっていった寺院では、個々の檀信徒（だんしんと）に対し、所属寺院の住職を手続ぎの師と仰いで信仰していくことを強調し、全て住職が指導するという形をとっていました。
　この形は、在家主導の創価学会に対し、完全な僧侶主導であり、ゆえに学会のような誤りは起きないものと言われていました。
　それなのに、約十万世帯といわれる正信会所属の檀信徒の大半は、所属寺院の住職もろとも異流義化し、大謗法の徒となってしまったのです。
　その原因は、ひとえに師弟子の本末関係を弁（わきま）えていなかったことに尽きる、といえましょう。
　『化儀抄』には、総本山の御法主上人の前では、手続ぎの小師といえども、信徒と共に弟子分の側に摂（せっ）せられることが定められています。つまり、根本はやはり本師であり、本師と小師の間には自ずと本末関係があるのです。（『誠心』八項目参照）
　したがって、もし、小師が本師に違背（いはい）して邪師になってしまった時、信徒はどうすればよいのか、といえば、本末関係の上から、邪師となった小師を捨てて、迷わず本師につかなくてはなりません。
　ところが、これを弁（わきま）えていなかった正信会の檀信徒は、“手続ぎの師に従っていかなければ成仏できない”として、本師たる御法主上人よりも末寺住職に従ってしまった。それが本師に背き異流義化する結果となってしまったのです。

顕正会の場合
　顕正会は、もともとは今日のような在家組織ではなく、日蓮正宗の末寺に所属する「妙信講」という名称の法華講支部でした。
　末寺住職を指導教師（手続ぎの小師）と仰ぎ、総本山の御法主上人を拝（はい）していた元「妙信講」こと顕正会が、なぜ、逸脱してしまったのでしょうか。
　妙信講の初代講頭・浅井甚兵衛は、大正二年、東京都品川区の妙光寺にて日蓮正宗に入信しています（現在の顕正会々長の浅井昭衛は、甚兵衛の長男で、父の跡を世襲した）。
　ところが、その後の経緯を見ますと、浅井らは、気に入らないことがあったりすると、いとも簡単に幾度も所属寺院を移り変わっているのです。
　第二祖日興上人は、自分を折伏・育成してくれた初発心（しょほっしん）の師を捨てることは、五逆罪にあたり地獄に堕（お）ちる業因（ごういん）となる、と戒められ、第九世日有上人も、信徒は手続ぎの小師との師弟子の筋目を守るべきである、その筋目を違（たが）えたなら、大不信謗法となって成仏できなくなってしまう、と戒められています。（『誠心』六、七項目参照）
　浅井らが、自分の都合で、初発心の師を捨て手続ぎの小師を乗り換えて、何度も所属寺院を移り変わった行為は、日興上人・日有上人の仰せによれば、五逆罪であり成仏の道に反する謗法だったのです。
　その信仰姿勢が、自己中心の?慢（きょうまん）をさらに増長させることとなり、結果として浅井らは総本山の指南にも従えなくなり、ついに日蓮正宗から破門されて異流義化する、という末路を招いたのです。

　以上、創価学会・正信会・顕正会が異流義となった原因は、本宗の化儀・信条に照らして、あまりに明らかであります。
　したがって、これをよく弁（わきま）えて、どこまでも本宗の師弟子の道を固く遵守（じゅんしゅ）していくならば、たとえ難しい法門が理解できず、教義解釈の是非（ぜひ）が判らなかったとしても、異流義に陥ることなどありえないのです。
　安心して信心に励んでください。

Ｑ二、教義のことはもとより、日常のこまごまとしたことまで、すべて僧侶に指導を受けて信心していきたい。

Ａ二、小川御尊師は、昭和五十三年、講中の在り方について、
　「講員の信心倍増を計るためには、一人ひとりの講員に対するきめ細かな指導・育成が必要である。しかし、講員が増えてくれば、とても一人の指導教師が全てをみていくことはできない。そこで、信徒の中でも信行学に勝れた人達を役員として立て、その人達にある程度まで委託をして、その指導にそって講を発展させていくべきである。そして、それを見ていくのが指導教師の役割である」
との方針を示されています。（『誠心』十二項目参照）
　広宣流布を目指して折伏を進め、講員が増加していくなら、入信・入講した全ての講員について、日常的に指導教師が信仰の指導をしていく、ということは不可能であります。
　したがって、講中の成長発展に伴って、信徒にもある程度、指導・育成を委ねることが必要となってくるのであり、これを抜きにしては、折伏弘教を進め、広宣流布へ大きく前進していくこともできません。
　むろん、創価学会のように講中制度を誤用した前例もありますから、講中制度の正しい運用に心を砕いていくべきことは、当然の大前提です。（『誠心』十一項目参照）
　『誠心』巻末の感想文に、
　「以前、“このまま講員が増え続け、組織が大きくなっていって、本当に大丈夫なのだろうか？”と、根拠もない不安を懐（いだ）いたことがありましたが、どんなに大きくなっても、逸脱せずに正しい信仰を貫いていけるよう、充分な配慮のもとに妙観講が成り立っていたことを知り、無用な心配だったとわかりました。
　また、人数の少ない法華講を見て、『御住職と親しくアットホームに接している。あんな講中もいいなあ』などと思ったこともありましたが、それでは、講中を成長発展させない、ということになり、広宣流布もできないことに気付かせていただきました」
との一文がありましたが、講中制度の正しい活用によって、誤りなく信仰に励み、かつ広宣流布へ向かって大きく前進していける体制こそ、まさに広宣流布を目指す法華講の在（あ）るべき姿といえましょう。

Ｑ三、妙観講では、御住職に接する機会よりも講中幹部と接するウェイトの方が大きい。これでよいのだろうか。

Ａ三、日淳上人は、
　「今日は、寺院教会より受くる影響よりも、講中より直接受くる方が、幾倍か大きいでありましょう。今日のごとく、人々が多忙の生活を営まなければならぬ時に、悠々と寺院教会の門を叩いて常に教化を受ける、ということは不可能であります。しかし講中の人々は、だいたい社会生活の上に、一集団をなすのでありますから、常に面接せる機会をもっています。これが教化にこの上もなく便宜であります」
と仰せであります。
　この御指南に明らかなように、講中制度を用いて折伏・育成を進めていくなら、日常の信仰においては、必然的に、講中の役員・幹部と接する機会の方が、御住職と接する機会より多くなります。それが講中制度を活用した場合の実際の相なのです。
　その場合、講中幹部と接するウェイトが大きいことが問題なのではなく、講中幹部から何を教えられているのか、ということこそが大切でありましょう。
　役員・幹部が、御法主上人や指導教師の御指南を誤りなく伝えているならば、何の問題もないはずですし、むしろ、その御指南を、より多くの講員に、より迅速に徹底することができます。
　また、講中幹部は、同じ在家信徒の立場において、どのような信仰をしていかなければならないか、ということを後進の人達に示す立場であります。たとえば、いかに御僧侶を敬い、御供養をし、寺院を発展させていくか、また仕事をもちながら、どのように信心や折伏を進めていったらよいのか――等々は、同じ在家信徒である講中の役員・幹部が、身をもって指し示していくべきであります。
　以上のような意味におきまして、日常の信仰の中で、役員幹部と接するウェイトが大きいことは何の問題もない、というよりも、むしろ、その中で信徒としての正しい信仰の在り方を学んでいくことが大切である、といえましょう。（『誠心』はじめにを参照）
　また、このように考えてきますと、講中の役員・幹部は、誰がなってもよいとか、持ち廻わりで、というわけにはいきません。やはり、信・行・学がきちんとしている人を、師匠の承認のもとに選任する、ということになるのは当然であります。

Ｑ四、講中組織の在り方は、信徒に上下関係を作らず、皆、住職と等距離にある平等の組織が良いと思う。

Ａ四、こういう考えを抱く人は、差別に即した平等、平等に即した差別という、仏法の道理が解っておらず、また、率直に言って、その人の信仰の中には慢心が巣くっています。
　昭和五十五年四月号の『妙観』に「講中組織の在り方」についての対談記事が掲載されていますが、その中に、小川御尊師のお言葉として、
　「世間の言葉ですが、親しき仲にも礼儀あり、といいます。仏法においても、礼儀・筋目というものが大切で、そこをきちんとせず、いい加減な組織になってしまうといけませんね。
　そうした振る舞いのなかに礼儀がきちんとしていませんと、組織も何も、滅茶苦茶になってしまうと思いますよ。
　本山においても、山法山規といった不文律の規律がありましてね、猊下に対しては必ず合掌礼をとる、ということも決まっているわけです。そういう礼儀をきちんとして、今日の宗団があるのですから。それをきちんとしなければ、結局、三宝を敬う信心というものがなくなってしまう、と思うんですね。
　また、三宝に対して、それだけの行体行儀を積み、功（く）を積んだ先輩には、それなりの礼を尽くさなければならない―。それは、日興上人の遺誡置文（ゆいかいおきもん）にもありますように、自分より行体行儀の勝れた人、また智の勝れた人、自分より信心の勝れた人を、尊敬していかなくてはいけない。尊敬するということは、やはり、そこに礼儀がなくてはできないと思いますよね。
　そうしたことが、僧侶間においても、また皆さん方の組織においても、そういう形というものが必要だと思いますね」
とあります。
　つまり、僧と俗（ぞく）に厳格な違い、立て分けがあることは判ると思いますが、それ以外に、御僧侶の間にも、修行の長短・浅深という違いがあり、それによって、御尊能化もおられれば、教師の御僧侶もおられ、僧階の違いなどがあります。
　つまり、御僧侶方も、皆、御法主上人のもとに平等同格なのかといえば、けっしてそうではないということです。
　同様に、信徒の中にも、信仰の長短、信行学の浅深という違いが、自ずからあることは当然です。
　いくら「信徒は皆、平等であるべきだ」と主張してみても、実際に、信行学の差が厳然とあるのは、否定しがたい事実であります。
　それを無視して「平等」を強調することは、むしろ悪平等であるといえましょう。
　このように、御僧侶間にも、信徒間にも、現実に差があるのですから、たとえ同じ信徒であっても、長い信仰歴の中で正しく強い信仰を培（つちか）い、信行学において抜きん出た人に対しては、礼儀をもって接し、信仰を学んでいかなければならない――その精神を、日興上人の遺誡置文に、
　「身軽法重（しんきょほうじゅう）の行者に於ては下劣の法師たりと雖（いえど）も、当如敬仏（とうにょきょうぶつ）の道理に任せて信敬を致すべき事」
　「弘通の法師に於ては下輩たりと雖も、老僧の思ひを為すべき事」
　「下劣の者たりと雖も、我より智勝れたる者をば仰いで師匠とすべき事」
　　　（御書一八八四頁）
と示されているのです。（『誠心』十五項目参照）
　そして、このような精神に徹して、謙虚に仏法を求め行じていくところに、師匠も弟子も、僧も俗も、先輩も後輩も、皆、平等に即身成仏の境界を得ることができます。これこそが、差別に即した平等の大利益であり、このような大利益は、現実の差別をよく弁えて、信敬・礼儀をもって謙虚な信仰に励んだ者だけが得られるのであります。
　これに対し、あくまでも平等のみを主張する（じつは悪平等を主張している）人というのは、結局、「同じ信徒から指導されたくない」「あんな奴に教えを受けたら、自分が低く見えてしまう」――という慢心があるから、「住職と等距離の組織が良い」とか、いろいろ、もっともそうな理屈を言うのでありましょう。
　こういう心根を、大聖人は、
　「彼に物を習はゞ人にや賤しく思はれんずらんと、不断悪念に住して悪道に堕（だ）すべしと見えて候」
　　　（御書一０四七頁）
と戒められているのであり、これが高じていきますと、最後は悪道に堕ちて成仏できなくなってしまいます。
　よくよく自戒して、謙虚な信仰に励まなくてはなりません。

Ｑ五、妙観講の会合では、合唱があったり、登壇者の呼びかけに皆で「ハイ！」と返事をしたりするが、これは全体主義ではないだろうか。

Ａ五　これは、仏法が全くわかっていない批判です。
　日蓮大聖人は、
　「日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか」
　　　　（御書六六六頁）
すべての人々は大聖人に同意しなさい、と言われています。
　当然、大聖人の御入滅後には、大聖人の御代管たる時の御法主上人猊下に異体同心し、心を合わせていかなければなりません。
　さらに、御法主上人の御名代である指導教師の教え、また、それを実現していくための講中の方針に心を合わせていくことが、大聖人・御法主上人に異体同心していくことに通ずるのです。
　妙観講の会合では、合唱があったり、呼び掛けに対して皆で「ハイ」と返事をします（※とくに合唱については、日達上人の「私は、法華講の歌を作るように申しました。それを会合の時に歌って、新しく入ってきた人の心を引き締めていくことは、じつに布教の一つの手段として、大事なことと思うのであります」との御指南によって、行なうようになったものです）。
　これは、大聖人の御教えや法華講の精神を表わした歌を合唱することにより、皆で大聖人の教えに同意していこうとしているのであり、また、正しい教えや方針に随っていく、素直な心の表われとして、返事をしているのです。
　それを「全体主義だ」というのは、皆で心を合わせて仏道を修するということに馴染（なじ）めず、一人そこからはみ出したいという、一人信心の傾向の強い人が陥りやすい見解です。
　しかし、こと仏法において、「自分の考えでやっていきたい」「自分にはこういう行き方がある」という考え方は、所詮は計我（けいが）・?慢に他なりません。それを押し通していくなら、最後には一人信心になって、師にも随えず、仏道に迷う結果となってしまいます。
　また、そもそも「全体主義」とは、「個人よりも社会集団・国家のほうが大事であることを強調する主義」（三省堂・国語辞典）であり、全体主義のもとでは個人の人権も幸福も犠牲にされるものです。
　しかし、正法正師の正義に異体同心し、皆で一結して随うことにより、生ずる結果とは、一人ひとりの信心倍増・罪障消滅・即身成仏であります。けっして個人の幸福が踏みにじられるわけではありません。
　これを「全体主義だ」などと批判する人は、仏法の何たるかが全く判っていない、それどころか全体主義という意味すら判っていない人、といわざるをえないのであります。

Ｑ六、妙観講は活発で気合いが入っていすぎ、まともな感覚の自分にはついていけない。

Ａ六、まるで、ついていけない自分が正しく、活発な妙観講が間違っている、とでも思っているようですね。
　しかし、『如説修行抄』には、
　「経文に任せて権実二教のいくさを起こし、忍辱（にんにく）の鎧（よろい）を著て妙教の剣をひっさげ、一部八巻の肝心妙法五字のはたを指し上げて、未顕真実の弓をはり、正直捨権（しょうじきしゃごん）の箭（や）をはげて、大白牛車に打ち乗って権門をかっぱと破り、かしこへをしかけこゝへをしよせ、念仏・真言・禅・律等の八宗・十宗の敵人をせむるに、或はにげ、或はひきしりぞき、或は生け取りにせられし者は我が弟子となる」
　　　　　（御書六七一頁）
と仰せられています。
　すなわち大聖人は、邪教謗法への折伏を、仏敵との戦（いくさ）と呼ばれ、威勢をもって折伏戦に臨まれたのです。その、魔と戦い謗法を下していく、強き破邪顕正の大道念が、御文からほとばしり出ているではありませんか。
　この大聖人の御教えに心から信伏随従し、強き破邪顕正の精神に立って、威勢をもって謗法を摧いていく――こうした弟子檀那の相を外側から見るならば、まさに「活発」で「気合いが入っている」雰囲気に見えるでありましょう。
　それについていけない、というのは、結局、自分自身が、いまだ信心惰弱で、謗法を強く打ち破って弘通していく道念が弱い、ということなのですから、それを開き直って正当化したり、信心強盛に励んでいる人を批判すべきではありません。
　むしろ、今の自分にはできない強盛な信心・折伏に励んでいる人達を、心から讃嘆する謙虚さ、純粋さこそが必要でありましょう。（『誠心』十五項目参照）

Ｑ七、所属寺院の移籍は、希望すれば簡単にできるものだと思うが。

Ａ七、移籍が認められる事由については、以下の四つがあり、移籍する人は、必ず、このうちのいずれかに概当します。（『誠心』五十項目参照）
@御法主上人の御命である場合。
A婚姻・養子縁組等の場合。
B小師が本師に違背したとき。
C退転に至らせぬため。
　そもそも、寺院御住職や講中の幹部とそりが合わない、他の寺院に気の合う人がいて誘われた、引っ越しして遠くなった――等という個人的都合で、いとも簡単に所属寺院を移ってよい、などと思ったら、たいへんな間違いです。
　弟子の側（がわ）から師匠を変える、などということは?慢であり、小筋を正していませんから即身成仏の道に外（はず）れる謗法となり、初発心の師を捨てるが故に五逆罪を犯すことになります。
　ですから、本宗の信仰においては、前記の@からBの場合以外、簡単に所属寺院を移ってはならないのです。
　しかしながら、どうしても本人の信仰が薄弱なため、そのままそこに置いたら退転してしまう―というような人については、やむなく、指導教師が慈悲をもって他の寺院への移籍を許される、という場合があります。
　それがCの措置（そち）であり、@〜Bに概当しない移籍は、すべてCに入ります。
　このCの場合、移籍を許されたとしても、やはり、小筋を貫かなかったわけですから成仏の道から後退し、初発心の師を捨てるが故に五逆罪が形成されることになります。しかし、もし移籍させずに、そのまま退転させてしまえば、その人は大謗法者となって、勝（まさ）れる大重罪となる――それを避けるために、やむなく慈悲の上から移籍を認めるのであります。
　したがって、簡単に所属を変わる、などということは、ゆめゆめ考えてはならない、これは法華講の師弟子の道の基本である、と弁えておかなければなりません。
　また、指導教師の許可さえいただくことなく、勝手に他の寺院に移籍してしまう等に至っては、宗制宗規違反であり、論外の所行であります。
　そのようなことをして、何かの手違いで先方の寺院で受け入れられたとしても、信心の本質においては、その時点で退転であり、退転者が新たな寺院で入信して信心を最初からやり直すことにあたる、といえましょう。けっして胸を張れるようなことではありません。</description>
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         <category>師弟子の道と妙観講の在り方</category>
         <pubDate>Fri, 14 Apr 2006 18:49:27 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>池田大作が歪めた創価学会史</title>
         <description><![CDATA[<em>戸田会長の真意を曲げ自らを神格化
許せぬ！池田の悪らつな歴史改竄</em>

<strong>　「栄光の――」「誓願の――」「不滅の――」等々、様々な冠詞≠つけて語られてきた、創価学会でいうところの「広宣流布の模擬試験の日『３・16』」――。
　この日はまた、第二代戸田会長が、池田大作に実質的に後を託（たく）した日、とされてきたが、その前提となっているのが、昭和三十三年三月一日、大講堂落慶大法要の当日に、大講堂のエレベーターの中で行なわれたとされる、いわゆるエレベーター相承≠ﾌ話。
　しかし、このエレベーター相承＝A調べれば調べるほど、池田が自ら発信者となって演出したガセネタ≠ﾌ疑いが濃厚になってきた。
　戸田会長の真意を曲げ、創価学会の支配者として君臨（くんりん）し続けようとする池田大作を叱（しか）る。</strong>

<em>「戸田会長が『第三代を守り抜け』と」!?
戸田会長の意図はそれと正反対</em>

　「師弟に生き抜け！不滅の『３・16』」――。創価学会の機関誌『大白蓮華』三月号は、池田大作が、第二代会長・戸田城聖氏から創価学会の全てを引き継いだ、とされる昭和三十三年三月十六日、いわゆる「３・16」についての、延々二十八ページにもわたる特集記事（※まだ次号にも続くらしい！）を掲載、池田大作のさらなる神格化を目論（もくろ）んでいる。
　『大白蓮華』はまず、去る一月二十七日に行なわれた創価学会の「全国代表協議会」で、池田大作が次のような指導≠行なったとする。
　「戸田先生は次のようにおっしゃっていた。
　『第３代会長がいる限り、創価学会は興隆し、発展する。幹部は、だれ人たりとも、第３代を守り抜け！　これが、私のただ一つの遺言である』
　将来のために、あえて伝え残しておきたい。」
　そして、記事
　「この『ただ一つの遺言』を託す式典こそ、戸田第２代会長が亡くなる前月の、昭和３３年３月に行われた『３・16（広宣流布記念の日）』の儀式であった」
と断ずるのである。
　だが、はたして戸田城聖氏は本当に、「幹部は、だれ人たりとも、第３代を守り抜け！」と語ったのか――。
　池田大作が、その発言の根拠（というより原型、元ネタ）としたのは、戸田会長の次の指導であろう。
　「（いまの牧口門下がわたくしを支えるように）三代会長を戸田門下が支えていきなさい。わたくしは広宣流布のために、身を捨てます。その屍（しかばね）が、品川の沖に、また、どこにさらされようとも、三代会長を支えていくならば、絶対に広宣流布はできます。」（昭和二十七年二月十七日「青年部研究発表会」）
　一読して判（わか）るように、これは、先輩・同志が若い三代会長を介助していけ、という意味で「三代会長を支えろ」と指導したものである。
　しかしてその後、戸田会長は、
　「会長は会員の小使であり、支部長は支部員の小使である。（中略）会長は諸君に使われるものでしかない。」（昭和二十九年三月三十日「三月度本部幹部会」）
　「（組織論として長を守れ≠ﾆいうのは当たり前だろうが）私がきみたちに守ってもらっているか。支部長に守ってもらっているか。けっして守られていない。それより、支部長をかばってやっている。（中略）
　いま、支部長で、（後輩の）地区部長に守られているようなものは出ていきなさい。支部長は、地区部長を守ってやるのです。これを支部長に命令します。また、地区部長は（後輩の）班長に守られるようではいけない。（中略）班長は組長を、組長は組員を守りなさい。これが学会の精神です。
　学会の幹部で、支部長、地区部長、班長、組長に守られているような、だらしのない者は一人もいないと思う。もしいたら、手紙を出してください。このように学会の伝統的な精神はきまっている。だから、あまり、守る、守るといわないように。おへそが茶を沸（わ）かすから」（昭和二十九年五月三十一日「五月度本部幹部会」）
と、厳しく指導しているのである。
　その戸田会長が、「だれ人たりとも第３代を守り抜け！」という遺訓（いくん）を残した、などと平然と語ること自体、「恩師」の真意を冒涜（ぼうとく）する無慙（むざん）な行為である。
　「恩師」戸田会長の真意を曲げ、私を守れ∞私を守れ≠ﾆひっきりなしに口にする「だらしのない者」の代表・池田大作は、戸田会長の指導のとおりなら、自ら進んで学会から出ていくべきなのだ。

<em>「『３・16』は広布後継の儀式」!?
35年当時は最高幹部も揃って無視</em>

　さて、この『大白蓮華』は、かの有名なエレベーター相承≠ﾉついて、次のように書いている。
　「戸田第２代会長、青年部の室長であった池田名誉会長らが、エレベーターで６階に上がるその途次のことであった。
　戸田第２代会長は池田名誉会長に後事を託す遺言を残した。
　『三月一日、先生は、私に言われた。《大作、あとはお前だ。頼むぞ！》』（『随筆　新・人間革命』）
　また、その時の模様を池田名誉会長はこうも語っている。
　『戸田先生のお体は、非常に衰弱したご様子で、私が片腕を抱えながら、その日の式典の会場へ向かった。その大講堂の式場に向かうエレベーターの中で、先生は《これで自分の仕事は全部終わった。いつ死んでもよいと思っている。あとは大作、頼むぞ》と、ほほえみながらも厳格な口調でおっしゃったことが、胸に突きささってはなれない。この時、戸田先生五十八歳、私は三十歳となっていた。』
◆証言（山浦千鶴子さん）
　３月１日、落成法要を終えて、戸田先生は祝賀会に向かうためにエレベーターに乗られ、柏原ヤスさんと森田一哉さんと私が同乗しました。戸田先生は隣の池田先生の顔を見つめながら言われました。
　『これで俺の仕事は終わった。これからは、大作、お前が全部やるんだ』
と。
　あまりにも峻厳（しゅんげん）な師弟後継の歴史的場面でした。『そうなのだ。広布後継はきまったのだ』。その感動は忘れられません。」
　山浦千鶴子氏の主観≠ﾍひとまず置き、この証言≠ｪ事実だとすれば、いわゆるエレベーター相承≠ﾌ現場には、柏原ヤス・森田一哉の両名が同座していたことになる。
　ところが、この両名が、『大白蓮華』昭和三十五年六月号の「特集・第三代会長就任」と題する記事に寄せた文。その内容は、それぞれの言葉で戸田会長が意図したとおりに青年部の中から三代会長が生まれた≠ﾆいうことを喜び、池田へおべんちゃらを贈ったものだが、両名とも、「大作、お前が全部やるんだ」との重大発言のことどころか、「大講堂落成法要」にも、「３・16」にも触れていない。当然のことながら、「エレベーター」の「エ」の字もない。
　そればかりか、この特集記事には、総勢十名の創価学会最高幹部が名を連ね、それぞれ自分の知る、戸田会長と池田大作のエピソードを披瀝（ひれき）し、池田大作こそが戸田会長の後継者に相応（ふさわ）しい、と持ち上げているが、そうしたエピソードにおいても、「大講堂落成法要」「３・16」に関するものは皆無である。
　このことからも、「３・16」は広布後継の儀式だった≠ﾆいうのが、後から強引にコジツケたものであることが窺（うかが）われる。

<em>池田のいうエレベーター相承≠ﾍデタラメ
戸田会長は「第三代は皆で決めろ」と</em>

　また、エレベーター相承≠ﾈる話が、いかにデタラメなものであるかは、次の事実からも言えよう。
　すなわち、池田大作はこの翌年、『大白蓮華』昭和三十六年五月号の「巻頭言」に
　「昭和三十三年三月一日、大講堂落成式の日、五階から、一階に降りるエレベーターの中で、先生は申された。
　『わしの、いっさいの仕事は、これで終わったよ。あとは、おれと、お前だ。お前が、あとはしっかりするんだぞ』と」
と書いている。
　また、証言者≠ﾅある森田一哉はさらに後年、
　「『わしのいっさいの仕事はこれで終わったよ。あとはおれとお前だ、お前があとはしっかりするんだぞ』と、大講堂落成式の日、五階から一階に降りるエレベーターの中で、恩師より先生に申されたのである」（『大白蓮華』昭和四十年五月号）
と書いている。
　つまり、少なくともこの時までは、「五階から一階に降りるエレベーターの中」で相承≠ｪ行なわれたことになっていたのだ。
　ところが、これが『人間革命』では、
　「エレベーターが上昇しはじめると、戸田は、伸一の顔をのぞきこむように見すえた。そして、静かだが、力をこめて言った。
　『さあ、これで、私の仕事は終わった。私はいつ死んでもいいと思っている。伸一、あとはお前だ。頼むぞ！』（中略）
　それから戸田は、大きく頷（うなず）くと、にっこりと微笑を浮かべた。エレベーターは六階に着いた」
となっており、先に紹介したように最新の『大白蓮華』も
　「エレベーターで６階に上がるその途次のことであった」
　「（※六階で行なわれる）祝賀会に向かうためにエレベーターに乗られ」
と書いている。
　はて、「五階から降りる」途中だったのか、それとも「六階に上がる」途中だったのか。さすがエレベーター相承≠ｾけあって、降りたり上ったり、目まぐるしいことこの上ない。この目まぐるしさでは、相承≠烽ﾖったくれもなかろう。
　ともあれ、大事の相承≠ﾉついての記述の基本部分が、このように大きく変遷（へんせん）していては、池田らの言葉を信ずることなど、できようはずがない。
　ちなみに、戸田会長の真意について、戸田会長が、第三代会長候補として実際にその名を口にしたこともある石田次男氏（故人）は、その著書の中で、
　「戸田先生は、この儀式の祝宴散会後の午後四時頃、その場、その席で、理事長以下、祝宴に参加した全員に対して『次の会長は皆で相談して決めろ、皆で仲良くやっていけ』とおっしゃったではないか。そしてその席に池田氏は参加していなかったし、それでも当日のうちには耳にした筈（はず）ではないか。池田氏の言いぶりでは、戸田先生は理事長以下、理事・支部長・常任委員・婦人部長・男女青年部長・の全員を騙（だま）した事になる」（『内外一致の妙法・この在るべからざるもの』）
と、また、龍年光氏は
　「（３・16の後）、先生の体がいよいよ衰弱されたため、原島宏治、小泉隆、辻武寿、柏原ヤス、馬場勝種ら理事たちと、池田・北条・森田・龍の四参謀が、揃（そろ）って戸田先生の枕元に行き、遺言を聞こうということになった。音頭を取ったのは辻、原島、小泉らで、この際、はっきり池田を三代会長に指名してもらおうというハラづもりだったようだ。
　辻は『大久保彦左衛門』と渾名（あだな）され、どんな場面でも物怖（ものお）じせずにズバッと物をいう男だった。この時も、病の先生の枕辺で、当然のような顔をして、『先生、三代会長は誰にするんですか』と単刀直入に尋ねた。ところが先生は、はっきりした声で、『それは、お前たちが決めるんだ』と答えられた」（『日蓮正宗の敵池田創価学会を解散させよ』）
と記し、歴史の証人として、池田の主張のデタラメさを暴（あば）いている。
　前の池田らの信じ難い主張と較べ、やはり、こちらが真実のようだ。
　あらゆる手法を使って歴史を改ざんしようとする池田大作――。だが、真実の歴史は、変えようにも変えられるものではないのである。
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         <category>時局レポート</category>
         <pubDate>Sat, 01 Apr 2006 15:38:34 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title></title>
         <description></description>
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         <category></category>
         <pubDate>Sat, 04 Mar 2006 16:47:42 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>本尊模刻の経緯と結末</title>
         <description><![CDATA[<strong>池田が本尊模刻に走ったキッカケ
日達上人が会館への御下附を停止</strong>

<em>池田の無反省ぶりに批判派僧侶怒る
宗門からの糾弾が「六・三〇」へと</em>

山ｱ　昭和五十二年一月、池田大作の理不尽（りふじん）発言と僧侶吊（つる）し上げで始まった、日蓮正宗と創価学会の紛争は、同年暮れまでは、何とか関係修復できる可能性がありました。
　池田大作が日向定善寺で日達上人に謝罪したあと、日達上人に約束したことを実行し、五十二年路線≠ﾌ撤回（てっかい）と、純粋に信徒団体の道を行く≠ﾆいうことを、組織に徹底していれば、池田大作が会長を辞めるという事態もなかったはずです。
　また、そのようにしても、創価学会には、何の支障も不都合もありませんでした。
　しかし、池田大作は、自ら末法の仏≠ｽらんとする野心が捨てきれず、宗門から謗法を指弾されても、組織・末端会員には何も知らせず、内緒で片付けてウヤムヤにしようとしたばかりか、姑息（こそく）な策を弄（ろう）し続けたために、自分自身を追いつめていったのです。
原島　池田大作は、日達上人の怒りを買い、宗門との関係が険悪になると、『聖教新聞』に、昔の、日達上人とツーショットでニコニコしている写真を掲載したり、宗門行事を大きく報道したりして、会員に紛争の真相を知られないようにしてきました。
　「六・三〇」も、できるだけ目立たぬように∞会員が何のことかわからぬように∞学会が、宗門から咎（とが）められて誤りを認め、謝罪した、などと会員に受け取られないように≠ﾆの池田大作の指示により、あのようなごまかしと、目立たない新聞掲載となったのです。
　そして、その内容を末端組織に徹底しようとは全くしませんでした。
　そのことが、後に正信会となる批判派僧侶の怒りを買い、
　「学会が徹底しないなら、我々が学会員に知らせてあげ、徹底してあげよう」
という口実のもとに、さらなる批判運動≠行なう口実を与えてしまったのです。
山ｱ　実際、五十三年二月十四日にお目通りした際、池田大作は日達上人に、
　「必ず改めます。きちんと（会員に）徹底させます」
と言い、
　「どうか誤りを指摘してください」
とまで懇願（こんがん）しました。これにより、宗門から学会に五十四項目にわたる質問書が出され、「六・三〇」となったのです。
　ですが池田大作は、この約束を反故（ほご）にしました。その結果、批判派僧侶達に批判続行の口実を自ら与え、その中で、昭和五十三年九月に本尊模刻≠ｪ発覚し、収拾がつかない事態となったのです。

<em>賞与御本尊を放り投げた池田大作
池田「俺は何をしてもよいのだ！」</em>

原島　本尊模刻≠ﾍ、池田大作が、秘密裡（り）に中西治雄氏に命じて段取りさせ、赤澤朝暘にやらせたのです。聖教新聞社の地下で御本尊の写真を撮ったそうです。
　「賞　本門事戒壇正本堂建立」の御本尊（以下、「賞与御本尊」）を勝手に模刻したのが最初ではないでしょうか。
　続いて、学会本部の「慈折広布」の御本尊も模刻されたようです。
　池田大作は「賞与御本尊」を模刻したものを、本部文化会館七階の貴賓（きひん）室に置き、幹部に拝ませました。
　池田大作は、その際、日達上人が賞　本門事戒壇正本堂建立≠ﾆ書かれた脇書きを見せ、
　「どうだ。猊下は、正本堂を本門事の戒壇≠ﾆ認められたのだ。広布達成であり、正本堂が御遺命の戒壇であるという証拠だ」
と言っていたのです。
山ｱ　それに関係することですが、じつは池田大作は、はじめ学会本部に届けられた、未表装の「賞与御本尊」を創価大学に持ってこさせ、幹部達がいる前で広げて見せた後、
　「三百五十億も御供養して、正本堂を建てたことに対して、紙切れ一枚で御苦労様≠ｾよ」
と言い捨て、御本尊をクルクルと巻いて第一庶務局員の前にポンと放り投げたのだそうです。
　そのことを、その場で見ていた幹部が不審に感じて親しい御僧侶に話し、それが日達上人のお耳に入って、たいへん御不興（ふきょう）であられた、という話が、ある宗務院関係の方より私に伝えられました。
　私は、まさかと思い、その話を池田大作にしました。
　「先生が、そんなことをされるはずがないのに、このような作り事の告げ口を猊下にして、先生を貶（おとし）めようとする者がいるとは、全くけしからんことです。私はそんなことは根も葉もないことです≠ﾆ答えておきました」
と言うと、横向きで私の話を聞いていた池田大作が、くるりと向き直って、
　「それがどうした。俺がやるんだから良いだろう。俺のやることに文句を付けるのか!!」
と強い語調で言いました。
　私は、その剣幕に慌（あわ）てて
　「いえ、先生のなさることでしたたら、何一つ異存はありません。おかしなことをお耳に入れてすみませんでした」
と謝りました。
　池田大作は、それでも腹の虫が治まらない様子で
　「俺がやることに、いちいち文句をつけるなよ。俺が何をやっても、かまわないだろう!!」
と念を押しました。
　私は思わず
　「はい、かまいません」
と言いましたが、その後、何となく気まずくなって、口実を設けて席を立ちました。
　その「賞与御本尊」を模刻して、皆に見せびらかして自慢していたのですね。
　私も、北條浩氏らと一緒に、一度拝まされたことがあります。


<em>山ｱ「本山に納めた模刻本尊は七体」
原島「実際にはその何倍もの模刻が</em>

原島　本尊模刻が発覚した時には、山ｱさんが、模刻本尊を本山に納めに行かれたのですね。その時は何体でしたか。
山ｱ　あの時は、七体です。「それで全部だ」と北條浩氏が言いました。
　昭和五十三年九月、本尊模刻が発覚して大騒ぎになったあと、日達上人は、対応に苦慮されました。
　普通なら、破門≠ﾍ必至です。
　しかし、日達上人は、二月にいちおう池田大作の謝罪を受け容（い）れ、「六・三〇」が徹底されるかを見守っておられた時でしたから、降って湧（わ）いたような本尊模刻≠ﾌ件で、いきなり破門≠ﾉされることを躊躇（ちゅうちょ）されました。
　池田大作は、私を呼んで、日達上人に「板本尊を造ったのは最近のことではなく、今年二月以前にしたことで、今は心から反省している。どうかお許しください。学会を守ってください」とお詫（わ）びして、何とか許しを得てほしい、と言いました。
　それで私は、内事部主任理事を通して、池田大作の謝罪を取り次ぎ、
　「学会はようやく改めようとしているところですから、今回だけは、何とか寛恕（かんじょ）してください」
と言上しました。
　日達上人は、
　「わかった。それなら模刻した御本尊を全て本山に持ってきなさい。御宝蔵にしまってしまうから。僧侶達にはこの問題は私が責任持ってやるので、これ以上は触れるな≠ﾆ言っておく」
と仰せられました。
　私は、それで、七体の模刻本尊を受け取って包装し、小型トラックに乗せ、中西治雄氏と二人で、学会本部から国立の大宣寺に運び、菅野慈雲御尊師（現日龍御尊能師）に引き渡し、同御尊師の手で本山に運んでいただきました。
原島　実際は、模刻は七体どころではありません。その何倍もありました。池田大作は、自分や牧口常三郎氏らの「お守り御本尊」まで模刻しています。
　それを、会館に安置した際の、池田大作の「語録」も残っています。
　池田大作は、昭和四十九年から五十二年にかけて、あちこちの会館・研修道場に、やたらと模刻本尊を置いたのです。
　なぜ、このようなことをしだしたのか、山ｱさんは御存知ですか。

<em>国際センター問題契機に模刻開始
その責任を腹心に擦り付けた池田</em>

山ｱ　昭和四十九年の春から夏にかけて、「国際センター」問題で、日達上人がお怒りになられ創価学会と手を切る≠ﾆいう方向で、宗内に根回しをされたことがありました。
　この時は、池田大作が謝り、また、妙信講問題への対処もあって、日達上人はひとまず矛（ほこ）を収められたのですが、その後、特別財務で集めた金で、あちこちに会館や研修道場が建てられ、池田大作がそれらに安置する御本尊の下附を日達上人に求めたのですが、日達上人は、すでに池田大作の本心を見抜かれており、御本尊を下附されなかったのです。
　つまり、御供養≠ﾆ称して集めた特別財務で作った会館に、御本尊を書写して下附されることは、謗法≠容認したことになるからでしょう。
　ところが池田大作は、会員や幹部達の手前、御本尊のない会館・研修道場を作るわけにはいかないので、「窮余（きゅうよ）の策」で、自前の本尊を作って安置することを思いついたのです。
　その時の恨（うら）みも、昭和五十二年に宗門攻撃をする動機の一つとなったのです。
原島　池田大作は本当に信心のカケラもない人だったのですね。
　でも、模刻をさせられた中西治雄氏は気の毒でした。
山ｱ　中西氏は、七体の模刻本尊を大宣寺に運ぶ車中で
　「こんなことばかりして、宗門にのしかかり潰（つぶ）そうとしたのだから、宗門が怒るのも当然ですよ」
と、吐き捨てるように言っていました。
原島　池田大作は、後に、第六十七世日顕上人に必死になって取り入ろうとした時、
　「池田本仏論は、福島源次郎が勝手に広めたことである」
　「本尊模刻は、中西が勝手にやったことである」
と責任転嫁しました。
　福島氏は、副会長を解任され、本部を追われ、大変厳しい生活を強いられましたが、後に、日蓮正宗に帰伏し、亡くなりました。
　中西氏は、本尊模刻≠したことを本当に悔（く）やんでいたようで、私が内部告発をしようとした昭和五十四年暮れに、副会長への昇進を断わり、本部から去りました。
山ｱ　北條・野崎・和泉・西口浩ら、側近はバタバタと倒れ、竹入・矢野・藤原行正・中西治雄、それに原島さんと、側近中の側近≠ﾆいわれた人達は、皆、池田大作から離れてしまっていますね。
原島　本当にそのとおりですね。世界の指導者≠ﾌ中では、ちょっと珍しいのじゃないですか（笑い）。

<em>池田は権謀術数に長けただけの男
講演・随想は他人の説の受け売り</em>

山ｱ　池田大作は、金を動かすことと、人を操る手練手管に関しては、じつに卓越したものがあります。戦国時代に生まれていたら、一国一城の主になっていたでしょう。それほど権謀術数（けんぼうじゅっすう）≠ﾉは長（た）けています。しかし、思想性はゼロです。
　世に名著≠ﾆ呼ばれるべきものなど何一つない。ベストセラーといっても、会員に買わせているだけのことです。
原島　池田大作は、「誰々いわく」「誰々の書いた○○によると」と言って、都合の良い他人の言葉や著書を、切り文≠ﾅ引用し、羅列（られつ）するのが得意です。最近の『聖教新聞』に掲載される池田の講演・随想は特にひどい。「○○いわく」のオンパレードです。
　しかし、世界中を見渡しても、「池田大作いわく」と、池田大作の言葉や著作を引用するような思想家や文化人は、まるで見あたりません。陳腐（ちんぷ）で軽薄で、まるで中身がないからです。
　中身がないといえば、創価学会自体、いまだに自前≠ﾌ本尊も教義もありません。
　日蓮正宗の御本尊の模造品を拝ませ、日蓮正宗の教義を都合の良いところだけ盗んで、切り接ぎして使っています。それに、権教はおろか、外道の思想まで取り入れています。
　石田次男氏は、早くから、池田大作の説くところを「内外一致の妙法」と呼んで軽蔑していました。
山ｱ　池田大作の著書が、古本屋の店頭「一山いくら」で売られている、と聞いたことがありますが（笑い）。
原島　池田大作は、「あれも俺がやった」「これも俺がやった」と自慢しますが、全て、会員から集めた金を使ってのことです。
　「宗門には寺や正本堂をやった。公明党には票をやった。大学や高校には金をやった。やるばかりで俺には何の見返りもない」
というのが口癖（くちぐせ）です。
　しかし、全て、学会員の金を使ってやったことで、池田大作がやったものなど何一つありません。
山ｱ　だいたい創価学会は、日蓮正宗の御本尊と教義を弘めることで勢力を拡大したのではありませんか。そうして増やした会員は、本来は日蓮正宗の信者です。
　それを横領し、私物化しておきながら、
　「宗門は会員を盗（と）る」
などと言うのは本末転倒ですよ。
原島　要するに、日蓮正宗の軒先を借りていたのが、いつの間にか母屋を圧倒し、ついには母屋まで乗っ取ろうとして失敗した、というのが、創価学会の歴史なんですよ。
山ｱ　昔の『折伏経典』を見れば、たいへん面白いですよ。
　「創価学会は、新興宗教ではない。大聖人以来七百年の歴史と伝統を誇る日蓮正宗の信徒団体である」
　「お山に行ってごらんなさい。大きな杉の大木がある。五年や十年で育つものか」
と書いてあります。
原島　所詮、模造品は本物には及びません。日蓮正宗があるかぎり、創価学会は模倣（もほう）教団から抜け出せない。
　だから、大聖人の仏法を我が物にしようと日蓮正宗を目の敵（かたき）にするのです。正宗があるかぎり、池田大作は枕を高くして寝られないわけです（笑い）。
（つづく）]]></description>
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         <category>対談：山崎正友氏×原島崇氏</category>
         <pubDate>Sat, 04 Mar 2006 16:29:43 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>名聞名利の塊・池田大作は非仏法者</title>
         <description><![CDATA[<strong>学会、週刊誌の暴露報道に過剰反応
それほど名聞名利が大切なのか!?</strong>

　二月八日付の『聖教新聞』に、創価学会会長・秋谷栄之助の、何とも唐突（とうとつ）な指導が掲載された。
　見出しには「池田先生に世界から185の学術称号・各学術機関が厳格、厳正な審理の上で決定」の文字。いったいなぜ、この時期に、そんなことをわざわざ強調せねばならないのか――。
　仏法者にあるまじき名聞名利にしがみつく、池田創価学会を嗤（わら）う。

<em>週刊誌の暴露報道に過剰反応
必死に守るは池田の世俗的名誉</em>

　創価学会が、週刊誌のたった一つの記事に、「過剰」なほどの反応を示した。
　それは、『週刊現代』（一月二十八日号）に掲載された、「聖教新聞の『日本人初』報道が大波紋。『池田名誉会長、その勲章は私がゆずったものです』」と題する記事。
　昨年十二月二十日に、池田が日本人で初めて受章したという「ロモノーソフ勲章」が、じつは元学会員の別の男性が受章することになっていたものを、男性が受章する前に、『聖教新聞』が池田の受章決定を「日本人で初」と報じてしまったため、その男性が池田に先を譲（ゆず）り、丸く収めた、とする内容である。
　関係者によれば、この記事に対し、創価学会は二月六日、『週刊現代』の発行元である講談社に、当該記事の内容は虚偽の事実に基づいたものであり、名誉毀損（めいよきそん）にあたる、とする抗議書を送付した、という。
　いったい、勲章を受けたのが日本人初か、どうか、などということで、「名誉毀損」だの「抗議」だのと騒ぐ方がどうかしている、と思うが、学会側はこれだけでは納まらないらしい。
　さらに、同日付の『聖教新聞』に掲載の、悪名高き紙上座談会で、あえて『週刊現代』という誌名の特定を避（さ）けつつ、
「高柳（婦人部長）　『事実』どころか『はじめからウソ』『どこを開いてもウソ』。もう読者も飽（あ）き飽きしていますよ。」　
「青木（理事長）　（スクープ狙〈ねら〉いでスキャンダルに走り）今じゃ『結論を押しつける』どころか最初から『デマを押しつけてくる』週刊誌ばっかりじゃないか。
佐藤（男子部長）　だから平然と人権蹂躙（じゅうりん）が繰り返される。
　今や週刊誌を信用する人は、なんと『１００人に１人』だ。デマに対する名誉毀損の賠償額も、バンバン上がっている。
高柳　自業自得ですよ。それだって、ごく『最近』の話じゃないの。遅すぎますよ。
秋谷（会長）　事実無根のデマ！　金儲（もう）けのウソ！　絶対に放置してはならない」
と、徹底した猛攻撃を加えたのである。
　考えてみれば、昨年、韓国ＳＢＳテレビが創価学会の実態について報じた際、創価学会が最も過敏に反応したのも、池田大作に与えられた名誉教授の称号が、じつは多額の寄附に対する見返りだった、とする部分であった。
　要するに、創価学会は、池田大作の「世俗の名誉」を守ることに必死なのである。

<em>この自語相違ぶりを読み較べよ
どこが「崇高」「峻厳」「尊貴」か!?</em>

　さらに、抗議書送付後二日を経（へ）た二月八日付の『聖教新聞』に、創価学会会長・秋谷栄之助の指導が掲載された。その指導には、
　「池田先生に世界から185の学術称号・各学術機関が厳格、厳正な審理の上で決定」
との見出しが打たれ、次のように書かれていた。
　「今や先生に贈られた名誉学術称号は、実に『１８５』。私は心底から叫びたい。
　これほどの世界的偉人が日本にいるだろうか。政治家も学識者も、先生に学ぶべきである。
　池田先生の言葉が胸に突き刺さる。
　『なぜこうした栄誉をお受けするか。それは私自身の名誉のためではない。世間的な評価など、まったく望んでいない。また、私一人の力によるものと、高ぶる気持ちも毛頭ない。それは無冠≠ﾌまま殉教（じゅんきょう）の生涯を終えられた初代会長・牧口先生、第２代会長・戸田先生から譲り受けた、師弟一体の《大福徳の遺産》の一証明となるからである』と。
　何と崇高（すうこう）な赤誠であろうか。何と峻厳（しゅんげん）な生き様であろうか。何と尊貴（そんき）な足跡であろうか。
　結局、下劣と陰湿の島国根性の輩（やから）には、そもそも分からないし、妬（ねた）ましいばかりなのである。」
　秋谷はこの後、池田に贈られた名誉称号が、いかに厳格な審査をもとに贈呈されているか、池田大作がいかに世界の識者から認められているか、を力説する。そして
　「広布の指導者なくば広布の前進はない。ゆえに私は、師をお護（まも）りするため全身全霊を捧（ささ）げ戦う。それが根本の『使命』だからである」
と結ぶ――。
　際限のない池田の勲章集め≠ｪ「崇高な赤誠」？「峻厳な生き様」？？「尊貴な足跡」？？？
　秋谷よ、汝は池田のかつての指導を忘れたか！
　「日蓮大聖人様も『愚人にほめられたるは第一の恥なり』と、また戸田先生も『大聖にほめられるは一生の名誉と思って戦え』このように申されておりますが、私ども学会員は、位もいらない名前もいらない、有名でなくともよい、大臣もいらない、また権力もいらない、私どもは大御本尊様をだきしめ『日蓮大聖人様が見てくださっている』と確信していきましょう。（中略）
　『われわれこそ革新のなかの革新であり、無冠の帝王である。仏法界の王者である。無冠の王者である』という襟度（きんど）と心意気をもって進んでいきたいと思うのであります。」（昭和三十八年七月三十日・中部第二本部幹部会）
　「（ノーベル賞のような）栄誉はほしくもありません。また、くださるといっても、受けることもありません。そのような人間が世界に一人くらい、いてもよいでしょう。」（昭和四十二年十月十三日・クーデンホーフ伯との対談）
　池田は、自ら「愚人にほめられたるは第一の恥」と明言し、戸田会長も「大聖にほめられるは一生の名誉と思って戦え」と指導していた、と語り、創価学会は「無冠の帝王」であるとの襟度をもって進んでいく、と宣言していたのである。しかも、勲章や称号のような「栄誉は欲しくもない」「くださると言っても受けない」と断言していたのである。
　それが、今ではどうだ、自分が喜んで顕彰されているのは「無冠≠ﾌまま殉教の生涯を終えられた初代会長・牧口先生、第２代会長・戸田先生から譲り受けた、師弟一体の『大福徳の遺産』の一証明となるから」だって？？？？
　普通、世間一般では、このような発言の食い違いを「自語相違」といい、それをなす者は「二枚舌」と軽蔑される。
　しかも、「私一人の力によるものと、高ぶる気持ちも毛頭ない」などと心にもないことを言っているが、池田の本音は、
　「アルゼンチンから五月の大十字勲章をもらったが、これで七つ目である。これが妙法である。信心です。たった五ヶ月の間に三つの勲章（コロンビア・ブラジル・アルゼンチン）をもらった。（中略）五ヶ月間に世界の勲章を三つもらえる人は、これまで一人もいなかった。議員でも何でもない私なのにだ」（平成二年五月三日）
というところに露骨（ろこつ）に顕（あら）われている。この池田の生のスピーチを読んで、「高ぶる気持ちも毛頭ない」などと読める者は、中学校程度の国語能力すらない、といえよう。
　ところが創価学会では、会長が自ら、そんな池田を「崇高な赤誠」「峻厳な生き様」「尊貴な足跡」と持ち上げ、「広布の指導者なくば広布の前進はない。ゆえに私は、師（※池田大作）をお護りするため全身全霊を捧げ戦う。それが根本の『使命』だ」というのである。
　つまり、二枚舌≠ﾌ?慢（きょうまん）男≠ﾌ名誉を守っていくことこそが学会員の使命だ、と指導しているのだから、呆（あき）れ果（は）てるではないか。

<em>池田こそ我欲の塊「裸形の個人」
我らは正法に住して折伏貫こう</em>

　ところで、この秋谷の指導の書き出しは、
　「先月25、26の両日、池田先生は第31回『ＳＧＩの日』記念提言を発表。朝日、産経など全国52紙で取り上げられた」
で始まっている。
　全国52紙が取り上げた池田提言とは、どれほど退屈で無意味なものかと一瞥（いちべつ）すると、案の定ではあったが、一点、そこに次のようなくだりがあった。
　「近代文明は、『自由な個人』の獲得めざして、人間をあらゆる束縛（そくばく）、しがらみから解き放つことに専心してきた。その結果、富や便益（べんえき）など得たものは大きいが、失ったものは更に大きい。家族、地域・職域共同体、宗教などの組織、団体、国家、そして自然……それらとの絆（きずな）、しがらみという『背景』を失った『自由な個人』とは、いかなる実態を有するのか。
　それは擬制（ぎせい＝なぞらえること）でしかなく、いきつくところは、欲望をむき出しにした『裸形（らぎょう）の個人』にすぎないのではないでしょうか。」
　池田大作は、さも聡明（そうめい）ぶって、現代の世相を嘆（なげ）いてみせたつもりであろうが、この、「背景」を失った（※捨てた）「自由な個人」、すなわち「欲望をむき出しにした『裸形の個人』」という定義にピタリと符合する人物、といえば、他ならぬ池田大作自身ではないか。
　すなわち、自らの?慢心から、本門戒壇の大御本尊を「ただの物です」と言い放ち、学会が破門されたことを「魂（たましい）の解放」と喜んだ池田大作――彼こそ「『自由な個人』の獲得めざして、人間をあらゆる束縛、しがらみから解き放つことに専心してきた」「欲望をむき出しにした『裸形の個人』」であり、かつ、自分の言動に責任を持たぬ、恥知らずの「二枚舌男」である。
　その池田大作が、「牧口会長の、戸田会長のため」などと言い訳をしながら、自らの身を飾る勲章や名誉称号を必死に漁（あさ）りまくっているのは、まさに、己れの醜（みにく）い本性を覆（おお）い隠すためであろう。
　とすれば、創価学会が、それらの顕彰の価値を疑わしむるような記事に目くじらを立て、一般学会員に向かい週刊誌の記事など信ずるな∞センセーを守れ≠ﾆ檄（げき）を飛ばした、というのもよくわかる。
　ともあれ我々は、宗祖日蓮大聖人の正法正義を受持する立場の上から、このような世俗の名聞名利（みょうもんみょうり）は仏法にあらず、と説いて、勲章や名誉称号を有り難がっている学会員の目を醒（さ）ますべく、慈悲の折伏を貫徹（かんてつ）していくのみである。]]></description>
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         <category>時局レポート</category>
         <pubDate>Sat, 04 Mar 2006 16:22:58 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>学会員10余名が法華講員を集団暴行！</title>
         <description><![CDATA[<strong>学会は「平和・文化の団体」などにあらず</strong>

<strong>　創価学会がまた、異常極まる暴力事件を起こしていたことが、このほど本紙の取材で明らかになった。昨年十二月十九日、創価学会の謀略部隊が、東京・台東区在住の法華講員を十人がかりで拉致（らち）しようとし、不可能とみるや、集団暴行を加え、重傷を負わせていた事実が判明したのだ。
　止どまるところを知らない、創価学会員による謀略や暴行――。そこから浮かび上がってくるのは、カルト（狂信集団）としての創価学会の体質である。</strong>

<em>帰宅を待ち伏せしていた学会員
衆目の中で暴力団まがいの凶行</em>


平成十七年十二月十九日午後九時四十五分頃、東京都台東区在住の法華講員・山谷一成さんが帰宅したところ、マンションの階段で、いきなり三名の創価学会員に取り囲まれた。
　彼らは口々に、「佐藤（※山谷さんの先輩講員）のところに行ったが、いなかったので、お前のところに来た」「佐藤はどこにいる！」「学会員を折伏しに回るな！」「なめんなよ！」などと山谷さんを恫喝（どうかつ）。
　「とりあえず荷物を置いてくるから」と自室に入ろうとする山谷さんに、畳みかけるように「もし出て来なければ、カギをこじ開けて家に入ってやる！」と脅（おど）した。
　言うとおりにしなければ、今後、何をされるかわからない＃ﾞらの恫喝の中に本気≠感じ取った山谷さんは、やむなく、荷物を置くとすぐに、彼らのところへ戻った。
　すると学会員らは、そこがマンションの前であることもお構いなしに、再び山谷さんに大声で罵声（ばせい）を浴びせ始めたのである。
　「ここでは近所の迷惑になる」そう判断した山谷さんは、「近くのファミリーレストランで話をしよう」と、彼らをレストランに誘導しようとした。
　学会員らは当初、この提案に従うフリをして、山谷さんの後を付いてきたが、彼らがその本性を現わしたのは、一行が人通りの少ない路地にさしかかったときだった。
　三人は、「こっちでいいよ」などと言って、強引に山谷さんを人通りの少ない路地に引っ張り込み、山谷さんの両腕を掴（つか）んで拘束しようとした。
　身の危険を感じた山谷さんは、その手をふりほどき、まだ明かりのついている商店街の方向へと逃げ出した。
　が、学会員はそれをしつこく追いかけ、罵声を浴びせ、こづき回してくる。しかも、どこに待機していたのか、学会員の人数は、十人以上にもなっているではないか。
　助けを呼ぼうと携帯電話を取り出すと、それを奪おうとして何本もの手が伸びてくる――山谷さんには、もはや、なす術（すべ）がなかった。
　そのうち、「埋め立て地まで運べ！」「車に入れろ！」等と叫びながら、学会員らは、山谷さんの手足を掴んで担（かつ）ぎ上げ、車に運び込もうとした。
　車に押し込まれたら最後だ℃R谷さんの恐怖は頂点に達し、無我夢中で暴れた。
　山谷さんが必死で暴れるため、運ぶことができなくなった学会員は、今度は、抱えていた山谷さんを路上に叩きつけ、殴る・蹴（け）るの暴行を加えてきた。
　山谷さんは、頭といわず腰といわず脇腹といわず蹴りつけられ、鉄柱に体を叩きつけられた。着ていたコートもスーツも、ボロボロにされて、顔面や頭からも出血が。
　山谷さんは、学会員らの隙（すき）をついて必死に逃げ出し、近くにあった焼肉店に転がり込んで「一一〇番してください！」と救いを求めたが、そこにいた人々は恐怖のあまり、すぐには動けなかった。
　それも無理はない。なにしろ学会員らは、山谷さんを追いかけて店の中にまで入り込み、皆の目の前で、山谷さんを店から引きずり出したのだから――。暴力団かと見まごうその行為を見せつけられれば、誰でも硬直してしまうだろう。
　とはいえ、これだけの大騒ぎであるから、当然、通行人がたくさん集まってくる。さすがにまずいと思ったのか、学会員らは、山谷さんを残し、慌（あわ）ててその場を逃げ去っていったのであった。
　生命の危機から開放され、すっかり放心状態となった山谷さんが、その場にへたり込んでいるところへ、一一〇番通報によって警察官が駆けつけた。
　その後、警察署での、五時間以上に及ぶ事情聴取にも、気丈に応じた山谷さんだったが、帰宅してからも、頭や体中の痛みが引かないため、近くの病院で受診。
　その結果、頭部裂傷・胸部挫傷・腰椎捻挫（ようついねんざ）等により全治三週間、と診断されたのであった。

<em>頻発していた学会員の組織的犯行
これが宗教団体といえるのか!?</em>

山谷さんは、平成二年に創価学会問題が勃発（ぼっぱつ）して以降、先輩講員の佐藤氏らと共に、積極的に学会員の折伏に取り組んできた。山谷さんが住む台東区、および隣接する江東区の学会幹部で「佐藤」「山谷」の名を知らぬ者はない、という。
　当然のことながら、山谷さんや佐藤氏らの、学会員折伏に対する報復≠ﾍ、年々きつくなる一方であった。
　山谷さんに対する誘拐未遂（ゆうかいみすい）・集団暴行事件が発生する五日前の、昨年十二月十四日の日中、佐藤氏の職場に「ヤマモト」と名乗る学会員から電話があり、山谷さんに対する中傷をさんざん浴びせてきた。
　さらに、十二月十八日の深夜一時半、佐藤氏の家のチャイムが激しく鳴らされ、ドアが乱打されると共に、「出てこい！」との怒号が、マンションのフロア中に響き渡った。
　佐藤氏が「何事か」とドアを開けると、そこには学会員が五〜六人、仁王立ちになっていた。その男たちは、なんと一斉に、佐藤氏宅に押し入ろうとする。
　辛（かろ）うじてこれを防ぎ、ドアを閉めた佐藤氏が、「深夜でもあり、近所迷惑だ」と退去を求めても、外の騒ぎはいっこうに収まらない。
　それどころか、応援を呼んだらしく人数が増え、騒ぎはますます大きくなる始末。十五分以上も続く激しい喧噪（けんそう）に、佐藤氏はやむなく一一〇番通報したのである。
　ところが、佐藤氏が驚いたのは、警察が駆けつけた後の学会員たちの態度。非常識な行動をたしなめる警察官に、「人を訪ねてはいけないのか！」「もう少し早い時間ならいいんだな！」と、逆に食ってかかる始末だったのである。
　こうした状況に、佐藤氏が「このままでは済まないな」と感じたその翌日、山谷さんに対する誘拐未遂・集団暴行事件が発生したのであった。
　すなわち、山谷さん襲撃事件は偶発的なものではなく、起こるべくして起きた、組織ぐるみの、用意周到なものだったのである。


<em>事件の背景に池田大作の煽動が
横暴に屈することなく折伏を</em>

このように、創価学会に対し、その非を糾（ただ）そうと活動する者に対しては、実力行使をもってでも、その動きを阻止・制圧しようとするのが、昔から変わらぬ創価学会の体質である。
　実際、創価学会は過去において、数々の暴力事件・謀略事件を起こし、そのつど、社会の厳しい批判を浴びてきた。
　記憶に新しいところでは、昨年三月六日にも、富士宮市で学会男子部幹部ら三名が法華講員宅へ押し掛け、応待した法華講員Ｎさんに頭突きをくらわすなどの暴行を働き、駆けつけた警察官に現行犯逮捕され、罰金刑となる事件が発生している（本紙二九三号既報）。
　こうした、学会員の異常行動の背景にあるのは、学会の「永遠の指導者」池田大作の
　「全員が『勝つ』と強く決めていけ！　勝つか負けるか。やられたらやりかえせ。世間などなんだ！　私は恐れなど微塵（みじん）もない。勇者は私だ。私だけ戦っている。強気でいけ！　強気で勝つんだ！　強気、強気、強気でいこう。どこまでもしぶとくいくんだ。（中略）なんでもいいから、言い返すんだ。こわがったり、ひるんだりしてはいけない。怒鳴っていけばいいんだ！（中略）反逆者には『この野郎、馬鹿野郎』でいいんだ！」（平成元年三月十二日・埼玉指導）
　「ほんな、針金（はりがね）でゆわえて、あの頭、トンカチでぶっ叩いてね。」（平成四年十二月十三日・全国青年部幹部会）
等々といった指導であることは疑いようがない。
　だが、こうした横暴な力による圧迫で、学会の非を責める声がなくなる、などと思ったら大間違いである。
　一般世間の人々はいざ知らず、日蓮大聖人の正法正義を固く信受する者は、
　「仏法と申すは道理なり。道理と申すは主に勝つ物なり」（御書一一七九頁）
　「火にたぎゞ（薪）を加ふる時はさか（盛）んなり。大風吹けば求羅（ぐら）は倍増するなり。松は万年のよはひ（齢）を持つ故に枝をま（曲）げらる。法華経の行者は火とぐら（求羅）との如し。薪と風とは大難の如し。法華経の行者は久遠長寿の如来なり。修行の枝をき（切）られま（曲）げられん事疑ひなかるべし」（御書七七六頁）
　「災（わざわ）ひ来たるも変じて幸ひと為らん。（中略）薪（たきぎ）の火を熾（さか）んにし風の求羅（ぐら）を益（ま）すとは是なり」（御書一〇五三頁）
等の御金言を信ずるが故に、いかに暴力による難を受けたとしても、創価学会の大謗法に対する折伏を放棄することなど、ありえない。
　むしろ、暴力という非合法手段を使うことによって、カルト教団・創価学会の危険性が社会にも認知され、総体革命の自壊にもつながっていくことは必至である。
　されば我々は、大御本尊への絶対信に立ち、転重軽受・変毒為薬等の法門を胸に、倦（う）まず弛（たゆ）まず、創価学会に対する折伏を続けていこうではないか。]]></description>
         <link>http://www.myokan-ko.net/menu/emyo_report/2006/02/10.html</link>
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         <category>時局レポート</category>
         <pubDate>Thu, 23 Feb 2006 15:11:06 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>第二章　魔仏・池田大作の実像</title>
         <description><![CDATA[<strong>謀略教団と化した池田創価学会</strong>

　日蓮大聖人は、
　「仏法は体（たい）のごとし、世間はかげのごとし、体曲れば影なゝめなり」
　　　（御書一四六九頁）
と仰せですが、体であるべき信心が根本から狂ってしまっていたために、池田創価学会は、一般常識では考えられぬような、幾多（いくた）の反社会的事件や組織ぐるみの犯罪を引き起こしてきました。
　よく学会内では、悪い事をしたのは不心得な中間幹部であって、池田先生には責任はない（無謬〈むびゅう〉である）≠ﾆいわれますが、とんでもない話で、一切の元凶がセンセーにあることは、次の例を見ても明白です。
　「ある日、堺の選挙事務所が、酔っぱらいに荒された。報告を受けられた先生は『すぐ一一〇番に電話して警察に来てもらいなさい』と指示され、（中略）『いま、対立候補が、こちらの選挙事務所になぐり込みをかけてきました。そのため皆さんに、たいへん、ご迷惑をおかけしました≠ﾆいって御近所を全部回りなさい』と指導された。（中略）そして先生は『対立候補は悪らつな妨害をやる。選挙事務所になぐりこみをかけてきた≠ﾆいう印象を与えればよいのだ。特定の候補の名を出さず、一軒一軒手を打て』といわれた」（『前進』昭和四十一年十二月号所載将軍学を学ぶ＝j
　たかが酔っぱらいのイタズラを、対立候補の殴（なぐ）り込みにデッチ上げ、巧妙に選挙妨害を図（はか）るとは、なんとも恐ろしい将軍学≠ｪあったものですが、池田は、こうした目的のためなら手段を選ばぬ＊d略（ぼうりゃく）思想を幹部達にも叩き込みました。
　「口八丁手八丁でよ、なんでもうまくやるんだ。社会（党）だって方便を使っている。共産（党）だって目的のためならみんな謀略じゃないか。一般社会だって利益のためならあらゆる手段をつかう。うちは信心のため、信心を守るため、学会を守るためだ」（於扶桑研修所での指導・昭和五十一年六月一日）
　むろん、ここで池田が「信心を守るため、学会を守るため」などと言っているのは、本音に訳せば「学会の勢力を伸ばし、自分の野望を達成するため」ということに他なりませんが、池田に盲従（もうじゅう）する狂信的幹部達は、この池田流将軍学≠忠実に実行に移していきました。
　その結果、学会は、今日の民主社会で類例を見ない奇怪な謀略教団と化し（しかも、一般会員は、情報操作により、そうした学会の実態に気付けないでいる）、以下のごとき事件を次々と引き起こしたのです。
○替え玉投票事件
　昭和四十三年の参議院選挙の際、組織ぐるみで他人の投票入場券を盗み集め、本人になりすまして公明党に投票した事件で、なんと新宿区を中心に十万通もの投票入場券が消えていたことで大騒ぎになりました。
　この事件では、学会学生部の北林芳典、宮本孝、砂川昭夫ら八人が有罪判決を受けています。
○言論出版妨害事件
　昭和四十四年の暮れに表面化した事件で、創価学会・公明党の実態に疑問を投げかけた多くの出版物を闇（やみ）に葬（ほうむ）ろうとして、金や、政治家、右翼関係者まで使って、出版社に圧力をかけたり、組織力を動員して脅迫まがいの電話をかけたりしたもの。
　この妨害を受けた書籍の主なものを挙（あ）げてみますと、『創価学会を斬（き）る』『公明党の素顔』『これが創価学会だ』『創価学会・公明党の破滅』『創価学会・公明党の解明』『創価学会』等々。
　およそ、宗教者たる者、加えられた批判に対しては、堂々と言論をもって答えるべきが当然ですが、権力・財力・暴力にモノを言わせて弾圧する手口は、日蓮大聖人の教えと大きくかけ離れています。
　この事件は、国会でも大きく取り上げられ、一時は池田大作の国会喚問まで噂（うわさ）される事態となり、やむなく池田大作は世間に向けて陳謝（ちんしゃ）しました。
○電話盗聴事件
　昭和四十五年、共産党の宮本委員長宅の電話を盗聴した事件で、後の裁判では、故・北條浩氏（四代会長）の資金提供のもと、学会の組織ぐるみで行なわれた犯罪であることが確定しました。
　なお、学会の盗聴は、その後、日蓮正宗寺院（保田妙本寺・妙縁寺・常泉寺等）に対しても行なわれていたことが判明しています。
○『月刊ペン』事件
　昭和五十一年、『月刊ペン』誌が、池田の女性関係――記事中では「お手付き情婦Ｔ子（故・多田時子総合婦人部長）」をはじめ六件の関係が挙がりました――を大々的に報じ、池田らは月刊ペン社を名誉毀損（きそん）で告訴。裁判では、報道内容の真実性の立証が不十分であるとしてペン社が有罪となりましたが、しかし判決は、池田らの行動もそうとうに関係を疑わしむるものであり、かつ、学会側がこの裁判の最中、奇怪にも、名誉を毀損した側であるはずのペン社に二千万円もの裏工作金を渡していること等から、求刑を大幅に下回る微罪となりました。
　なお、裁判の続いていた同年十一月十六日、池田は、関西文化会館において、公明党議員らに池田出廷回避の工作を命じ、
「もしものことがあれば?（公明党のこと）を血まつりにする。……渡部（一郎議員）はフザケ半分ではいけない。たたき出すぞ！渡部、矢野（絢也元委員長）はふざけ半分では許さない」
などと獅子吼（ししく）しており、この一連の経過は、会員の浄財の使い途（みち）と公明党の存在目的について、大いに考えさせられるものとなりました。
○公明党議員汚職収賄事件
　昭和六十三年のリクルート事件で、池田克也衆院議員が五千株の譲渡を受けていたことから、議員辞職、起訴され、同年の砂利船舶汚職事件では、田代富士男参院議員が受託収賄（じゅたくしゅうわい）罪となって、離党、議員辞職となった他、翌・平成元年には矢野絢也委員長までもが、明電工事件に関与していたことが発覚して辞任しています。
○暴行・吊るし上げ事件
　池田創価学会の暴力性を表わす事件は数多くあります。
　昭和四十四年七月、東京・練馬区の選挙投票所（第四投票所＝豊玉第二小）において、投票終了時間後に訪れた学会員二人が投票できなかったことを理由に、百数十人の学会員が投票所を取り囲んで襲撃、女性・高齢者を含む投票立会人四人に集団暴行を加えて流血させた事件。
　昭和五十二年、学会の誤りに批判的だった宗門僧侶を次々と学会本部に呼びつけ、野崎勲副会長らが大勢で軟禁、恫喝（どうかつ）した上、土下座させたり詫（わ）び状を書かせた事件。
　昭和六十三年七月、創価学園正門前で、池田を取材しようとした『フライデー』誌はじめマスコミの記者・カメラマンに対し、警備の学会員五、六十人が、いきなり、殴る、蹴（け）る、壊すの集団暴行を加えた事件。
　平成三年、各地の日蓮正宗寺院や脱会者に対して引き起こした、脅迫・暴行事件等々……。
○巨額の脱税疑惑
　平成三年三月に発覚した、ルノワール絵画をめぐる三菱商事の架空取引事件で、八尋副会長および学会の富士美術館が深く関与していることが判明、使途不明の十五億円が学会の裏金になったのではないか、との疑惑がもたれました。
　また、同年五月には、学会の墓苑事業に巨額の申告漏（も）れのあることが国税局より指摘され、約二十四億円にものぼる修正申告をし、法人税約六億四千万を追徴（ついちょう）金として納付することとなりました。
　さらには同年七月、証券会社が公表した損失補填（ほてん）リストにより、学会が四億五千万円もの補填を受けていたことが判明。補填があるかないかはともかく、これにより、学会が会員から集めた浄財を、七十億円も株取引に運用していたことが明るみに出ました。
　このようにして得た灰色の利益がまた、学会の謀略・反社会活動の資金として使われるのです。
○会員・議員による幾多の凶悪事件
　この他、創価学会員や公明党議員が起こした重大犯罪は、枚挙に暇（いとま）ないほどあります。
　長野母子バラバラ殺人事件（平成元年）、原野商法詐欺（さぎ）事件（平成元年）、正宗僧侶誘拐事件（平成元年）、現職市議による覚醒（かくせい）剤取締法違反（平成五年）、学会員検事による暴行事件（平成五年）、参議院議員による秘書セクハラ事件（平成七年）、ホームレス殺害事件（平成七年）、学会員プロデューサーの麻薬取締法違反（平成十年）、トリカブト保険金殺人事件（平成十二年）、区議の少女買春事件（平成十二年）、児童八人刺殺事件（平成十三年）、ＮＴＴドコモ通話記録盗み出し事件（平成十四年）等々。この他にも、数えきれない程の事件が学会員によって起こされているのです。

<strong>会員と宗門からダブル搾取</strong>

　さて、ここで金銭に関する疑惑が出たところで、池田創価学会の金権体質について触れておきましょう。
　かつて、池田は
　「いままでの宗教は、ぜんぶ企業であります。法盗人、法を盗んで、そして信者を、どれいのごとく扱い、金もうけ専門であります。だから邪教というのです」（『聖教』昭和三十八年八月十七日）
と述べ、他教団の金権体質を突いて攻撃することを、布教の最大手段としてきました（日蓮大聖人の折伏の本義とはずいぶん違いますが）。そして、
　「日蓮正宗を守っていくことは私どもの役目です。（中略）創価学会としては、永久に皆さん方から、ただの一銭も寄付を願ったり、供養を願うような事はありません」（『聖教』昭和三十七年六月九日）
と言って、学会がお金を集めるのは日蓮正宗に寺院を寄進したり御供養するためで、学会としては一銭も受けていない（ならば、あの三千名からの膨大〈ぼうだい〉な職員・職業幹部達は、カスミでも食べて生きているというのでしょうか）、と宣伝してきたのです。
　しかし、これらの池田発言は、全て会員を欺（あざむ）くための嘘（うそ）でした。たとえば、
　「正本堂の御供養。五年間であれだけ。十年間はあの倍。あの発表の外に百億はやった。又、かせぐよ」（第四十四回社長会・昭和四十六年一月二十六日）
等の発言からも明らかなとおり、池田は、正本堂建立御供養（学会では、三百五十五億円が集まったと発表していました）においても、公式発表した以外に百億円を稼いだばかりか、宗門を恫喝して、納めた御供養の中からも十三億七千万円を拠出（きょしゅつ）せしめています。
　さらには、今や年間二千億円以上を集金する狂乱財務（昭和五十六年には百五十億円だったものが、今では十倍以上。平成二年などは三千九百億円集めたといわれます）で会員の生活を圧迫する一方、学会の系列企業に、
　「本山の全Ｔ・Ｖ報告。東洋（東洋物産）でやらせようね、いいね。どれ位儲（もう）かる。一〇％かそれでは少ない、一五％位儲けなさい。かまわないよ」（第五十三回社長会・昭和四十六年十月十三日）
　「本山のＣＡＴＶ予算はいくらだ。二億一千万か。その見積はそれとして、一千七百五十万技術料として加算しなさい」（第五十六回社長会・昭和四十六年十二月三十一日）
と命じ、あらゆる機会を通じて日蓮正宗からも不当な搾取（さくしゅ）を続けてきました。
　また、会員から巨額の金銭を拠出させる大義名分となっていた「日蓮正宗を守っていく役目」すなわち寺院の建立寄進≠ﾆいう点についても、当時の学会が日本最大の宗教法人であるにも拘（かか）わらず、日蓮正宗の寺院数は日蓮宗のそれに比して僅（わず）か一割程度、それも近年寄進の寺院は小さくて安普請（やすぶしん）、一方、学会の会館は規模建築費ともに「超」がつくほど――という実態を冷静に考えてみれば、虚偽（きょぎ）は明白です。
　要するに池田は、「日蓮正宗のため」と称して会員から徹底的に搾取し尽くし、それで本当に日蓮正宗を守るわけでもなく、かえって日蓮正宗をも搾取する対象としていたのです。
　かくして集金された金銭は、いったい、どこへ消えて行ったのでしょうか。いみじくも、池田は次のように言いました。
　「皆んなは公私混同、公私混同と云うが、私は公私混同で全部公だよ。仏法に私はないよ」（第二十回社長会・昭和四十四年一月二十二日）
　全国の学会施設のうち約百か所に池田専用施設が設けられ、国家元首も及ばぬような、贅（ぜい）を尽くした風呂、トイレ、ぶ厚いジュータン、壮大なシャンデリア等々が用意されたことは、すでに多くの証言、証拠写真によって明らかといえましょう。それぞれの専用施設が、数億から数十億かけて作られ（しかも、土地代を除いて、です）、調査を受けそうになれば一夜にして取り壊し、また作る――まさに池田発言のごとく、池田は「公私混同で全部公だ」との信念（？）のもと、学会に集まる巨額の金を好き放題に使ってきたのであります。
　かの一億七千万円入り金庫が捨てられていた事件（平成元年七月）にしてもしかり。中西治雄総務（当時）が犠牲となり、全てをかぶって記者会見しましたが、中西氏個人の商売で得た金が、金庫に入って聖教新聞社の地下にあり、それも昭和四十六年当時で現在の六億円にもあたる大金を、二十年近く忘れていた≠ﾈどという釈明を、いったい、誰が信じるというのでしょうか。
　この事件発覚の際、『聖教新聞』は、「今度は廃品金庫から一億七千万円。ゴミの中から。欲ボケ社会の戯画（ぎが）・縮図か」（「寸鉄」欄）などと酷評（こくひょう）していましたが、捕えてみれば我が子なり≠ﾅ、まさに「欲ボケ」池田学会の「縮図」ともいうべき事件でありました。

<strong>人々の「福運」奪う暗黒の魔王</strong>

　さて、池田大作の野望と正体について言及してきましたが、この現代の天魔は、自ら次のごとく豪語しました。
　「なんだかんだ云っても、私とつながりがあるから福運がつく」（第四十回社長会・昭和四十五年十一月十九日）
　「タクシーに先生（池田のこと）が乗って降りると、良い客がつく。私が乗ると、今日はもう心配ない」（第五十五回社長会・昭和四十六年十二月十五日）
　「私の頭の中にある事は全部事件をまぬがれる。頭を通るだけで良くなる。（だから）何でも話しておかねばならないのだ」（第十五回社長会・昭和四十三年八月三日）
　「太陽にあわなければしおれるよ。社長会に入っていのちびろいしたな」（第五十九回社長会・昭和四十七年三月三十一日）
　この言葉のとおりなら、池田の弟子となって一生懸命に活動している学会員は皆、福運に満ちて、商売繁盛、事件を免（まぬが）れ、命を長らえているはずです。
　が、しかし、事実は全く正反対といわざるをえません。
　会員に財務を競い合わせて、やれ「自分は百万円出した」「いや、自分は一千万」などと発表させ、生活保護家庭にまで財務を強行推進した結果、学会員において、金策に行き詰まっての犯罪、サラ金苦による自殺、心中、夜逃げ――が多発し、随所で家庭崩壊の悲劇が起こりました。
　現に、『週刊朝日』（昭和五十八年四月二十二日号）のグラビアには、東京都住宅局が管理する、夜逃げした人々の残していった仏壇が報じられていましたが、その大半が、鶴丸のついた学会員の仏壇でした。
　また、『アサヒグラフ』（同年九月二日号）の特集「サラ金地獄蒸発≠ﾌ現場」でも、写真の大半に鶴丸のついた仏具や経本が写っています。
　こうした悲劇は、非活動会員の身の上に起こったことではなく、歴とした第一線の幹部や市議・県議といった人々をも巻き込んで、広く発生してきたのであります。
　さらには、学会員として活動する中で、人格が破綻（はたん）したり、ノイローゼとなって、凶悪犯罪に走ったケースもじつに数多く見られます。学会幹部による詐欺・窃盗・放火・殺人・麻薬・密輸・連続婦女暴行等々、なんと重大犯の三割近くが学会員といわれているほどです。
　なおまた、幸せを願い、真面目に生活していながら、謗法の果報として悲惨な末路となった気の毒な学会員のケースも、数えきれないほどあります（これについては、あらためて紹介することにしましょう）。
　しかして、不可思議なことに、池田が会談し絶讃した各国の指導者達――ルーマニアのチャウシェスク大統領、パナマのノリエガ将軍、ソ連のゴルバチョフ大統領等々までもが、「福運がつく」どころか、相次ぎ崩れ落ちていってしまいました。
　ちなみに、仏法でいう「魔」、とは「奪命者」「奪功徳者」の意であり、第六天魔王（天魔）とは、その一切の魔を司（つかさど）る者です。その意味からすれば、まさに池田大作こそ天魔、「太陽」どころか、関わる者すべてを滅ぼし尽くしていく暗黒の魔王という他はありません。　（つづく）]]></description>
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         <category>新・これが創価学会の正体だ</category>
         <pubDate>Thu, 02 Feb 2006 12:52:13 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>「52年路線」序盤の攻防 その舞台裏</title>
         <description><![CDATA[<strong>大慈悲で慰撫された日達上人
池田は得意の絶頂、しかし厳罰が!!</strong>

<em>宗門支配に向けた池田の謗法路線
「悪役レスラーのように立ち回れ」と</em>

山ｱ　最近、創価学会は、
　「学会と宗門の間は何事もなかったのに、山ｱが画策して両者の間を引き裂（さ）いた。山ｱは、宗門の権威を背景に、創価学会を支配しようとしたのだ。
　その山ｱの奸策（かんさく）に乗せられて、宗門は、何も悪くない創価学会を破門した」
などと喧伝（けんでん）しています。（笑い）
　今の学会幹部達は、八割方、昭和五十二年から五十五年の経緯の真相を知らない連中です。会員もそうです。だから、そんな戯言（きょげん）を信じている学会員も少なくないようです。
原島　本当に、創価学会は見え透（す）いたウソをつきますね。
　宗門との紛争は、すべて、池田大作氏が引き起こしたものです。
　昭和四十五年以降の妙信講問題は、池田大作が、
　「正本堂こそ、大聖人御遺命の本門事の戒壇≠ﾅある」
と言い、「俺がそれを建立して三大秘法を完結させた。」だから、自分は大聖人の再誕、否、大聖人すら超える本仏≠ﾅある、との慢心に取り憑（つ）かれたことが根本原因なのです。
　それに、国立戒壇≠ﾉ固執する妙信講が目をつけ、宗門内外を激しく揺さぶったのです。
　ですから、妙信講問題も、元は池田大作から起きた、といえます。
　昭和四十九年には、池田大作は「国際センター」を作り、その傘下に日蓮正宗をも入れることで、日蓮正宗に対する支配権を確立しようとしました。それが日達上人から拒絶され、摩擦（まさつ）が生じたのです。
　そして、昭和五十二年から本格的に始まった紛争は、池田大作が
「創価学会中心主義」
「寺院・僧侶無用論」
「在家も供養を受ける資格がある」
といった方針を公然と打ち出し、会員に、
　「寺に行かずに会館に来い。結婚式も葬儀も七・五・三も、すべて学会の会館でやる。塔婆供養に替えて『慧光照無量』と書いた色紙を学会が作る。墓も学会で作る」
と言い出したことが引き金となりました。
　要するに、日蓮正宗はもはや無用の長物であり、創価学会が大聖人からすべてを受け継いだ団体である≠ﾆ宣言し、会員に、
　「寺へは行くな。御供養するな。大石寺登山も必要ない。かわりに、創価学会に御供養し、現代の寺院である『会館』に来い」
と指示したのです。
　そして、幹部が寺を見張って会員を近づけないようにしたり、御僧侶の身辺を調査したり、総代に寺を監視せよ≠ﾆ命令しました。
　一方では、また、創価学会に批判的な僧侶達を片っ端から吊し上げ、詫（わ）び状を書かせました。
　それも、日達上人の御弟子達を狙い撃ちにし、日達上人の追い落としを謀（はか）ったのです。
　こうして学会は、宗門に対し完全なる支配権を獲得し、一方で、まったくのフリーハンドを獲得しようとしたのです。
山ｱ　日達上人としては、そんなことを認められるわけにはいきません。それを認めたら、日蓮正宗は自ら存在意義を否定することになります。
原島　池田大作は、こうした策略に長（た）けた男です。
　会員達に見えないところで、さんざん圧力をかけ、反撃されると一方的にやられた≠ﾆ大騒ぎし、会員をけしかける。
山ｱ　池田大作はプロレスが大好きでした。悪役がレフェリーの目を盗んで凶器を取り出し、凶器攻撃を行ない、レフェリーが見ているときは凶器を隠して素知らぬ振りをするのを見て、手を打って喜び、
　「学会はあれでなくてはだめだ。うまくやれ。うまく立ち回れ」
と私達に言いました。そのとおりのことを、宗門に対して繰り返してきたのです。
　日達上人が、うんざりされて
　「それなら、もう創価学会とは手を切ろう。宗門は小さくなっても一からやり直そう」
と決意されると、慌てて日達上人に受けの良かった私を使い、その場凌（しの）ぎのウソの約束をして騙（だま）す、ということを繰り返しました。
　私は、そうした騙しの道具≠ﾉ使われ、心ならずも日達上人を欺（あざむ）くことに我慢できなくなり、日達上人には、いつも、ありのままを申し上げるようになったのです。
原島　山ｱさんが学会を支配しようとした≠ﾈどというのは、荒唐無稽（こうとうむけい）な作りごとです。
　昭和五十二年は、年初から、池田大作の直々の指揮のもと、宗門攻撃が始まりました。
　「徹底的にやる。宗門が悪かった。どうか赦（ゆる）してくれ≠ﾆいうまでやる。猊下を引退に追い込む」
池田大作はこう息巻いていました。そして、
　「創価学会は、永遠に存続させる。戸田先生は、創価学会を宗教法人にするとき、広宣流布したら学会を解散する≠ﾆ宗門に約束したが、学会なくして仏法はありえない。党や大学を作った責任もある。創価学会は万代にわたって存続させる。創価学会こそ大聖人の正統である。寺も坊主も不用だ。そのことをはっきりさせるのだ」
そう言って、私達に「仏教史観を語る」の原稿を作らせました。
　一方、僧侶吊し上げや寺院封鎖、その他の実力行使は、「伸一会」のメンバーを使って、原田稔・野崎勲の両氏が担当しました。
　「伸一会」メンバーに対しては、野崎が、絶対に、親兄弟にも洩らすな。極秘の作戦だ。皆、生命を預けてもらいたい≠ﾆクギを刺して使いました。すべて池田大作がそうさせたのです。
　ところが、五十二年二月末頃だったか、山ｱさんが北條理事長に対し、これ以上やると宗門も開き直って全面戦争になる。そうなったら、何が起こるかわからない。『月刊ペン』事件も、「妙信講」「松本勝彌裁判」も責任が持てない≠ﾆ強く言ってきたので、池田大作は
　「充分やったから、ちょうど頃合いだろう。向こうに謝らせて、矛（ほこ）を収めよう」
と言って、日達上人に、
　「悪いのはあなたです。弟子は、あなたの教えに従って学会を批判しているのです」
と申し入れました。
　畏（おそ）れ多くも日達上人が、何とか学会の暴走を食い止めようとの御心によって、
　「私が悪かった」
と頭を下げられたので、宗門攻撃は止まりました。
　池田大作は勝ち誇っていました。
山ｱ　本当に、あの頃の池田大作は、得意の絶頂だったですね。

<em>青天の霹靂!!民社党の「質問趣意書」
違法行為の糊塗に忙殺された学会</em>

山ｱ　その頃、私は、宗門との関係がこのまま収まるわけはない、と思っていましたから、抱えていた事件をできるだけ早く片付けて、身軽になろうと思いました。
　三月中旬、「妙信講」との裁判を和解で片付け、『月刊ペン』事件の裏工作も相手に二千万円の買収金を渡したことで、ひとまず終えました。そのことでも、池田大作は気を良くしていたのです。その得意の絶頂に、四月の末、民社党からの「質問趣意書」が出たのです。
　これは、昭和五十一年から池田大作が密（ひそ）かに特別財務≠ﾆして集めた六百億円もの金で、全国にやたらと会館や研修所を建てた件を、問題にしたものでした。
　あの頃、池田大作は御供養≠ﾆ称して、会員から特別財務≠集めていました。
原島　だから、池田大作は「仏教史観を語る」の中で、わざわざ
　「在家も供養を受けられる」
と書くよう、私達に指示したのですね。
　しかし、供養は、僧以外は受けられないというのが仏教の常識です。
山ｱ　そうして集めた金で建てまくった会館や研修所に、数多くの違法行為がありました。また、六百億円のうち半分くらいは、その中の豪華な池田専用施設≠作るために使われたのです。
　池田大作は、これに味を占（し）めて、さらに千億単位で特別財務≠集めるつもりでした。
　ところが、民社党が秘書を動員して、こうして作られた会館や研修所の違法行為を洗い出し、「池田専用施設」の実態も把握（はあく）した上で、これを国会に「質問趣意書」として提出する≠ﾆいって、竹入委員長（当時） に文案を送り付けてきました。
　これを見て、北條理事長は真っ青になり、さっそく私を呼びつけて、　「どうしたらよいか」と相談しました。五月初め、創価大学でのことです。
　私は、まさに厳罰が下ったのだ≠ﾆ思いました。
原島　五月初めは、池田大作は創価大学で、幹部を集めてお祭り騒ぎをしていました。ですから、私達は全く知りませんでした。
山ｱ　本部に帰って、私はすぐ、民社党の「質問趣意書」に基づいて、全国の会館・研修所を総点検しました。また、特別財務≠ﾌ集金経路も点検しました。
　その結果、民社党の「質問趣意書」は極めて正確に問題点を把握しており、これが国会で取り上げられたら、創価学会はとうてい無傷では済まないことが明らかとなりました。刑事事件になり、また脱税で追及されることは必至でした。
　民社党がそのようなことをしたのは、「言論問題」の時、池田大作が、当時の西村委員長に、
　「公明党は民社党と合併させる。政治には私は一切口を出さず、公明党のことは全てそちらにお任せする。創価学会は、選挙で、民社と公明党が合併した党を全面的に応援する」
と約束して、国会での追及を止めてもらったのに、その後、約束を一向に果たそうとせず、選挙協力すらしないので、業を煮やして揺さぶりに出たのです。
　池田大作