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講員総数二万名が射程内に
着実な育成で総登山目標達成を
本日は、妙観講第二十四回総会、まことにおめでとうございます。
さて、本年は、宗旨建立七百五十年の大佳節を迎えており、総本山では慶祝(けいしゅく)記念大法要と三十万人の総登山が行なわれております。
この五十年に一度の慶祝登山に、全講員が漏(も)れることなく参詣し、大功徳を積ませていただくと共に、正法弘通を志して宗旨を建立あそばされた、宗祖日蓮大聖人に対する御報恩のため、本年の折伏はしっかりと成し遂げていかなくてはなりません。
すでに、妙観講といたしましては、この春から月間二百名以上の折伏ができるようになっており、このまま推移すれば、本年度末までの誓願であります講員総数二万名の達成は、完全に射程距離に入った、と申せましょう。
油断怠(おこた)りなく、毎月毎月の折伏誓願を必ず達成して、二万の目標を成し遂げようではありませんか。(「ハイ!」大拍手)
なお、この折伏が進展する一方、どうしても育成が忘れられがちになっている感があります。
第九世日有上人は、
「たとひ親・師匠は信心堅固(けんご)にして得道すとも、弟子等の処々に退転あらば、その師輪廻(りんね)すべきなり云々。仰せに云わく、この義(ぎ)相違なきなり」
と仰せですが、私達が自ら折伏して入信せしめた人達は、私達に育てなければならない責任があります。
それを無責任に放っておいて、次々と退転させるようなことがあるならば、その人達ばかりか、自分もその罪に引かれて悪道に堕(お)ちる、と戒められているのであります。
せっかく折伏をして、自ら与同罪を免(まぬが)れ、罪障消滅できる功徳を積んだはずが、これでは台無しになってしまいます。
そこで、今月から新たに、行事の中に家庭指導期間を組み込むことにいたしました。
この期間は、平日なら一日二件、休日なら一日四件の家庭指導を実行し、もし、どうしても相手と会えない場合は、同じ件数の、心を込めた育成の手紙を送り、もって指導・育成を進めよう、との趣旨で定めたものです。
この家庭指導期間を、講中挙(あ)げて育成に取り組むことにより、折伏しっぱなし≠ニいうような風潮をなくし、また自分自身が悪道に輪廻するのをくい止めることもできる、と思うのであります。
しかして、この育成の成果をもって、まずは三十万総登山の参詣目標六千名を必ずや達成してまいりましょう。(「ハイ!」)
さらに、来年春、総本山大石寺にて行なわれる第二十五回総会には、講員五千名を一堂に大結集し、その時にはすでに完成している新・奉安堂において、妙観講単独での御開扉を御願い申し上げ、本門戒壇の大御本尊と御法主日顕上人猊下に、本年度・宗旨建立七百五十年の年の闘いをこのように成し遂げてまいりました!≠ニ、全講員で御報告申し上げようではありませんか!!(「ハイ!」大拍手)
法難乗り越えた信仰体験と近況
会社を標的にした怪文書攻撃
なお、私事で恐縮ですが、この場をお借りして、私の体験を少々お話させていただきたいと思います。
皆さんご存知のとおり、私は、長野県下でグループ十数社の企業を経営しておりました。創業百二十年、私で四代目になるオーナー企業で、ピーク時はグループ合計三百億円に達する規模でありました。
私は、昭和五十五年の妙観講結成以来、講頭の重責に任ぜられていたものの、今は亡き父との約束や、逃(のが)れることのできない道義的・社会的責任によりまして、昭和六十一年、この企業の経営に従事いたしました。
そして、平日の日中は会社の経営に携(たずさ)わり、平日の夜や土曜・日曜には長野と東京を自動車で往復して、講中の活動に当たったのであります。
池田創価学会は、この私の状況を上辺から見て、この会社こそが私の最大の弱点であり、妙観講の活動を支(ささ)えている資金源に違いない、と思ったようでした。
そして平成五年二月より、会社の取引先や、関連の業界、長野県下の市町村役場、官公庁などに、膨大(ぼうだい)な量の怪文書をバラまき、会社に揺さぶりをかけてきたのであります。
これによって、震(ふる)え上がった私が、自分の地位と名誉と財産を守ろうとして、学会との闘いをやめるか、あるいは妙観講の講頭を辞(や)めて逃げ出すのではないか、また、あわよくば妙観講の財政も破綻(はたん)して妙観講本部の建物も維持できなくなるのではないか、と彼等は半(なか)ば本気で期待していた感があります。
思うに、彼等は、自分がそうだから他人も同じだろうと思ったのかもしれませんが、まったく、私のことも妙観講のことも解(わか)っていなかった、といえます。
取引銀行に及んだ怪文書被害
会社守るために最終決断下す
これでもか、これでもかと、執拗(しつよう)な怪文書攻撃は七年間に及びましたが、いっこうに彼らの期待するような事態はおこってきません。
そこで今から二年前、今度は、私の経営する会社のメインバンク(取引銀行)を攻撃する怪文書―、すなわち、悪人である大草の経営する会社に支援をする銀行は、反社会的融資をしている銀行として糾弾されるべきだ―という内容の怪文書が何者かの手で作られ、長野県中にバラまかれたのであります。
これに恐怖感を感じた銀行では、怪文書による攻撃を避けるため、私共の会社への融資を直ちに中止する、と通告してきました。
今日のような経済環境下において、メインバンクが会社への融資を中止する、手を引くということは、会社の倒産を意味します。
これによって、今度こそ私が白旗を上げるか、さもなくば、会社と共に滅んで奈落の底へと沈むだろうと、悪魔の手先共は、さぞや小躍りしたことでありましょう。
しかし、私は、かつて昭和五十年に御本尊様より大功徳を戴(いただ)いた折、この一生を大御本尊様に捧げることを御約束しておりますし、また、今生(こんじょう)の生命は、池田創価学会の魔手から仏祖三宝をお護り申し上げるために使う、と決めて生きてきましたから、それを翻(ひるがえ)して白旗を上げ退(しりぞ)くことなど、あろうはずがありません。
また、私の経営していた会社には、一千社近い取引先があり、多くの従業員もいる上、地域社会の中に根をおろしておりましたから、会社を倒産させることも断じてできません。
そこにおいて、私は最終決断を下しました。
自ら会社を退任し、持ち株も手離すことによって、会社との関係を完全に断ち切り、これを条件に銀行から、従来どおり会社への支援は継続してもらう、という約束を取り付けたのです。
この決断をすることは、亡き父親の想いや、年老いた母親の心情を思えば、身を切られるほど辛(つら)いものではありましたが、法難によって過去の罪障を消滅させていただくのに、多少の辛さや痛みがあるのは当たり前である、と思い切った次第であります。
あれから二年がたちますが、私は、持ち株を手離すことで得た資金で、まったく生きていくことに困ることはありませんし、すでに東京で新しい事業もスタートしています。
また、かつては長野と東京の連日の往復により、時間的にも体力的にも、ほぼギリギリ限界に近かったものが、今は晴れて、充分な時間と健康を手に入れることができました。
法難により更賜寿命の大功徳
使命完遂に全力の御奉公誓う
私は、この闘いをスタートした昭和四十八年当時、周囲から「こんな無理を続けていけば、長生きができない」と忠告されましたが、自分としては、「せいぜい五十歳まで生きればよい、創価学会が御宗門に牙をむくであろう、昭和五十四年乃至昭和六十五年(※実際には改元して平成二年になった)に間に合うよう、短期間で護法の勢力を築くには、無理しなければならないのは覚悟の上である」と思っていました。
その「せいぜい五十歳まで生きればよい」という「五十歳」が、すでに目の前に来ておりますが、じつは昨年九月十五日、御法主日顕上人猊下にお目通りいたしました折、
「もともとどんな罪障があって短命と決まっていたとしても、これだけ御奉公して、難にも遭(あ)ったのですから、寿量品に更賜寿命(きょうしじゅみょう)とあるように、もう絶対に大丈夫ですよ」
との有り難いお言葉を賜わりました。
爾来(じらい)、日に日に気力・体力が横溢(おういつ)していくのを実感し、周りからも「顔色が良くなった」「見違えるくらい健康そうになった」と言われますが、どうやら私は、法難によって、長野県でのそれまでの社会的生命を奪われた代わりに、本物の寿命を賜わったようであります。
まさに大功徳であり、この上は、妙観講の護法の使命を全(まっと)うすべく、また将来への法礎建立のお役に立てるよう、この賜わった生命を打ち込んでまいる決意であります。
皆さん、共々に御奉公してまいりましょう!(「ハイ!」大拍手)
私事ではありますが、いろいろご心配をいただいている、ということも耳にし、一言この場を借りて、私自身の体験と決意を含め、ご挨拶を述べさせていただいた次第であります。
本日を契機に、さらに信行増進し、大前進を開始しようではありませんか。
本日は、まことにおめでとうございました。(大拍手)
(平成14年6月16日 第24回総会)
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