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妙観講の沿革は、昭和47年の正本堂建立と前後して、大草講頭が、創価学会内に蔓延していた池田会長仏陀論≠ノ疑念を抱き、一人起(た)ったことに始まります。
ただし、大草講頭は、単なる学会批判に走るのではなくして、まず、真実の仏法を教示してくださる正師を求め、祈りに祈り、学びに学びました。
その結果、昭和48年春のある日、繙いた『日蓮正宗聖典』に、
「代々の上人悉く日蓮なりと申す意なり」
の御文を見出だし、真実の本師が、富士大石寺にまします御法主上人猊下であることを知ったのです。
この根本の師に対する信心を定め、さらに、夜を日に次ぐ激しさで、日寛上人・日淳上人・日達上人の御教示、大聖人の御書等を学びました。この時、すでに同志が2名から5名と、次第に集いはじめておりました。
こうした研鑚を通じ、大草講頭は、創価学会が日蓮正宗と異質な宗教になりつつあること、その元凶は池田大作氏にあること、そして、このまま事態が進めば、将来、正法が完全に曲げられ、それに呼応して世の中も乱れることを、察知しました。
「気づいた者が起たねばならない。将来、訪れることが予想される正法の危機に備え、大御本尊と御法主上人猊下をお護りできる人材群を、作り、育てるのだ!」この決意を、集った同志達に訴え、将来を見据えての闘いがスタートしたのです。
しかして、同年4月、たまたま知遇した方の縁により、都内正宗寺院に所属する法華講員となり、折伏・育成を急進展せしめました。
昭和49年末には30世帯、50年末には43世帯、51年末には114世帯、そして52年末には240世帯・・。
この時、いよいよ学会の教義逸脱・宗門支配路線が表面化、危惧していた事態が眼前に顕われはじめました。
「大事の御奉公に遅れてはならない。万一の時には、一身一命を賭して、大御本尊と猊座をお護りしよう!」
その一念が、ついに師のもとに達したか、我が同志達の活動状況等を、他寺院所属の信徒からお聞き及びになった六十六世日達上人は、52年12月末、大草講頭等にお目通りを許され、その場で「私のそばに来なさい」と、総本山塔中理境坊所属の御慈命を賜わったのであります。
かくて、日達上人の御もと、 理境坊御住職・小川只道御尊師を指導教師に戴き、「仮称・法華講理境坊東京支部」として、後の妙観講の基礎となる組織が築かれました。
小川御尊師は
「私は、皆さんを、日達上人から御預かりした御信徒として、守り育てていくつもりである」と仰せられ、ここに盤石な僧俗和合の体制が成ったのです。
翌53年4月には教学理論誌『暁鐘』を創刊、当時の学会の教義逸脱を誌上で徹底破折しました。 昭和54年7月、学会問題のいちおうの収束をみて、日達上人が御遷化、六十七世御法主日顕上人猊下が御登座あそばされました。
この頃より、正信会の不穏な動きが現われはじめ、新たな仏敵となるに至りました。
昭和55年8月、日顕上人猊下より「妙観講」の名称を御認可いただき、仮称・法華講理境坊東京支部から改称した我が妙観講は、眼前の仏敵である正信会の邪義を真っ向から破折、教義上からのまともな反論を不能にせしめたのであります。
しかしながら、学会の巧妙かつ不審な動向もあって、いまだ真の御奉公の時は将来にある、と感じた大草講頭は、 いよいよ護法の大講中へと陣容を整えるべく、破邪顕正の折伏と厳格な信仰の養育に力を注ぎました。
これを暖かく見守り、教導くださる指導教師 ・小川御尊師との僧俗和合のもとに、 全講員の信心は次第に深化され、
また熾烈なまでの折伏が展開されました。
その結果、妙観講は、点と点を結んで線に、そして徐々に面へと、拡大成長を続け、ほぼ全国に講員の分布する状態となったのであります。
昭和63年には、かつて本宗を破門された極悪集団・顕正会(元「妙信講」)と対決。
卑劣な悪口中傷や集団暴行を受けつつも、講中の信心を結集してこれを打ち破りました。
これにより、大量脱会者を出した顕正会では、「妙観講は痴犬だっ。汚らわしいから話をしてもいけない」などと、恥知らずな指示を会内に流し、尻尾を巻いて逃避したのであります。
そして平成2年・・。しばらく本性を隠していた池田創価学会は、ついにその仮面を脱ぎ捨て、再び日蓮正宗と対立する路線を打ち出しました。
同時期、妙観講に対し大がかりな盗聴や謀略工作が行なわれたことを通じ、いち早く学会の逸脱再燃を察知した大草講頭は、7月1日、妙観講本部幹部会において、
「真の御奉公をさせていただくべき時が、間近に迫ってきていることを痛感する。妙観講は、その全存在を賭けて、総本山のために働かせていただく。 この時のためにこそ、これまでの全てがあった。今こそ、出陣の時である」
と宣言。まず『暁鐘』誌上に、学会・正信会・顕正会という、近年の一連の不祥事の本質を体系的に解説・破折した富士の清流≠連載し、さらに同年末から平成3年始めにかけての学会の動向を慎重に見極めた上で、ついに妙観講の総力を挙げて起ったのです。
以来、仏敵と化した池田創価学会との激しい法戦は止むことなく、妙観講は、一丸となって正法厳護・破邪顕正の闘いを続けています。有り難くも御法主日顕上人猊下より賜わった、
「妙観講は、まさに、宗門一大事の時に法を護るべく現われた講中である」
「吉き教導者たる指導教師と、吉き指導者たる講頭のもと、さらなる精進を」 との御教示を胸に・・。
以上、妙観講の歴史について述べてきましたが、妙観講の底流をなしているのは、あくまでも護法≠ニ広布≠フ使命感であり、戒壇の大御本尊と血脈の尊厳を護持する信心なのであります。
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