奉安堂ホール内は、まったくフラットな大空間となっている(写真O)。
これについても、池田教の謗徒らは、
「かまぼこ型の大空間に舞台を付けただけで、体育館のように殺風景な、がらんどうだ」 などと、罵(ののし)ることに余念がない。
しかし、これまた、信仰観の狂いを自らさらけ出したようなものだ。
そもそも、この堂宇に入る唯一無二の目的は、大御本尊を内拝し奉ることである(写真P)。全ては、その目的を根本に考えなければならない。
けっして、奇をてらった前衛(ぜんえい)的なデザインの建物や、華美な内装などを鑑賞するため、ではないのである。
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かく考えれば、奉安堂内が驚くほどシンプルな形状である理由がよく解ろう。
池田教徒らは、
「正本堂は、須弥壇(しゅみだん)を扇の要にして左右に展開し、六千人もの人達が均一に大御本尊を拝せるようになっていた。しかも、床には、前席の人の頭部が視線の妨げにならないように、傾斜がつけられていた」
などとして、奉安堂の悪口を言っているが、正本堂の時は、信徒席を扇形に広げすぎたため、結果的に両端の席からは大御本尊を拝することができなかったし、一・四番のゲートから入った左右のフロアは、信徒席の位置がかなり高いため、大導師席を上方から見下す格好となり、まともな感覚の信徒は違和感をぬぐえなかった。
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