正法を求め行じてきた功徳は燦然と
諸問題を乗り越え歓喜横溢の日々


第40回総会より
小林 広 さん

   私の両親は、創価学会がまだ日蓮正宗の信徒団体だった昭和三十三年に、夫婦揃って創価学会に入り、父はB長、母はB担として信心に励んでいました。その両親のもとに生まれた私も、生まれてすぐに御授戒を受け、物心がつく前から家族揃って勤行し、御本尊様の有り難さを教わってきました。
 私の、幼児期から青年期にかけて、私の身の上には、事故や、病気、いじめ、道を踏み外して不良になるなど、様々な出来事が起こりましたが、常に大きな問題に至らずに解決できたのは、ひとえに、御本尊様に護られてきたお陰であると思います。
 しかし、昭和五十年代に入って、創価学会の路線が目に見えておかしくなり、かつてのような折伏も登山も行なわなくなってきたのです。


当時、私は国鉄の職員だったのですが、国鉄の民営化が間近となり、労使関係の対立が激化する中で、私はその中立ちの役割を任されたものの、結局、労使間の関係はうまく行かず、業務が進まない状況となってしまいました。また、その頃、自分の不注意で交通事故を起こしてしまうなど、様々な問題に直面しました。
この状況を学会幹部に相談したところ、「長い人生にはそういうこともあるから、悩んでも仕方がない。もっと学会活動に励むように」という、何の根拠もない、アドバイスにもならない答えが返ってきました。結局、自分なりに御本尊様に祈って対処したものの、全く良い結果にはならず、何故このようなことが起きたのか、何故祈っても良い結果にならなかったのか、その理由がわかりませんでした。


そこで私は、そうした悶々とした気持ちと、学会が折伏も登山も行なわなくなったことへの疑問を、学会幹部に質問していきました。すると学会幹部からは「学会組織が正しいのであるから、そこから出される方針に疑いをもつことは、御本尊様を疑っていることになる」「そのような態度は学会への反逆であり、恩知らずな姿である」と言われてしまいました。今、振り返って考えれば、創価学会は当時から、こうやって、学会員の御本尊様への純真な信心を利用し、学会組織があたかも信仰の対象であるかのごとくスリ替えて、学会組織を盲信するよう、学会員を洗脳し騙(だま)していたのです。       


このような学会に不信を抱いた私と友人の二人は、次第に組織から距離を置くようになり、学会を離れて二人だけで信心をするようになっていきました。しかし、具体的にどのように信仰することが正しいのかがわからないために、私は悩んだあげく、一人で何度も総本山に行き、御影堂の中でひたすら唱題して、「どうか正しい信心に励めますように」とお願いをしていきました。そうしたところ、本当にその願いが叶うこととなったのです。


当時、私と共に学会に不信を抱いていた友人から、数ヶ月ぶりに電話があり、「こんな間違った学会からは早く抜け出した方が良い」と、妙観講への移籍を勧められました。友人は、この時すでに、学会を脱会して妙観講に移籍していたのです。そして私も、昭和六十一年十月、晴れて妙観講に移籍することができました。
そして、法華講での正しい信仰を学び、お登山、折伏にと励んでいく中で、御本尊様から大変大きな功徳をいただきました。


当時私は、国鉄から民間会社へ派遣され、システム開発の仕事をしていましたが、大口のプログラム開発が続く中で、システムを驚くほど速く完成することができ、会社から特別表彰と特別給与を貰えることとなりました。


また、昭和六十二年には、国鉄の民営化が間近となったことに伴い、私は厚生労働省に転職することになりましたが、これまでに培(つちか)ったシステムエンジニアの経験を生かして、病院の情報システム構築の仕事に就くことができ、精神的にも経済的にも安定することとなりました。これまで、労使の対立のはざまで多くの悩みや問題を抱えていたことが嘘のように変わってしまい、本当に妙観講において正しい信心を教えていただけたお陰と、心から感謝いたしました。
そして、その後、私の妻や、池田大作の狂信者だった両親、兄やその家族も折伏して、家族が一緒に妙観講で信仰できるようになりました。

 

 さて、この末法という時代に生まれてきた私達衆生は、皆、様々な不幸の宿業をもっていますが、たとえ、いかなる宿業をもっていたとしても、この御本尊様の信仰に強盛に励むならば、「祈りとして叶わざるなく、罪として滅せざるなく、福として来たらざるなく、理として顕われざるなきなり」で、全ての悩み苦しみを解決して、福徳に満ちた人生を歩んでいける、と教えられてきました。私達一家が、共に妙観講で正しい信心に励めるようになってから、本当にこのことを痛感させていただいております。


まず、平成十五年のことですが、私の妻がスキルス性の多発性胃ガンを発症してしまいました。
スキルス性胃ガンというのは、昔、アナウンサーの逸見政孝さんが亡くなった病気で有名ですが、胃の粘膜上には現われることなく、粘膜の下に急速に浸潤していって、リンパ節や血管を通じて各臓器にも転移し、ガンが表面に顕われた時には手遅れになってしまっている、という極めて死亡率の高い胃ガンです。しかも妻の場合は多発性のため、胃の数カ所にわたってガンが発生しており、最新技術を使って手術しても取り残してしまう可能性があるうえ、切除してもすぐに再発するという、ガンの中でも最も質(たち)の悪いものでした。

そして事実、妻のガンは切除しても三度も再発してしまったのです。三度目の再発の時、医師からは、ガンはおそらく粘膜下に広範囲に広がっており、他の臓器へも転移しているだろう、と告げられ、死を覚悟しなくなはならない状況となったのです。
私と妻は、これまでのゆるい信心を猛省し、すぐにお登山して、本門戒壇の大御本尊様におすがりすると共に、これまでしたことがなかったほど精いっぱいの御供養をさせていただきました。


その上で、四回目の手術に臨んだところ、ガンは予想通り粘膜下に浸潤していたものの、あと〇・〇何㎜のすれすれのところで、他の臓器へは転移しておらず、ガンを全て取り切ることができました。そして、この四回目の手術のあとは、スキルス性胃ガンの再発がピタッと止まり、現在九年が経過しましたが、妻は元気に暮らしております。医師からも、「これは今までに前例の無い、非常に希なケースです。もう心配はいらないでしょう」と告げられました。

スキルスガンの発症以来、妻と私はずっと死の恐怖におびえ、精神的に不安な毎日を送ってきましたが、今ではその恐怖から解放され、穏やかな毎日を送れるようになり、本当に心から御本尊様に感謝しております。

 次に私の父ですが、父は創価学会から妙観講に移籍してから、真面目に、折伏、御供養、登山にと励んできており、学会が日蓮正宗から破門された以降は、学会員を精力的に折伏し、それに対して時には石を投げられるなどの嫌がらせをされるほと、熱心に仏道修行を貫いてきました。


その父が、五年前の第三十五回総会の前日、急性心不全で倒れ、直ちに救命処置が施されましたが、既に呼吸不全と肝不全、腎不全となり、敗血症も起こしており、医師からは「大変厳しい状況で今夜が峠です。すぐにご親族に連絡してください」と告げられました。
私は直ぐに佐々木支部長に指導をいただき、有り難くも総本山から御秘符を頂戴することができました。

そして、支部長からは、「今夜が峠という厳しい状況で病院を離れるのは辛いでしょうが、この状況だからこそ、明日の総会に参加し戒壇の大御本尊様にご祈念してきたほうが良いと思います」との指導を受け、私と母は、周囲の反対を押し切って総会に参加しました。危篤状態の父のそばを離れるのは身を切られるほど辛い思いがありましたが、総会に参加し、大御本尊様におすがりする想いで、道中もずっと唱題を続け、「父を助けてください」と真剣に祈り続けました。


すると、御本尊様はこの願いをかなえてくださり、父は私が総本山に行っている間に急激な回復を遂げ、私が病院へ戻った時には、父は既に呼吸器がはずされ、その三日後にはICUから一般病室に出られる程、劇的な回復を遂げることができたのです。
医師は、「今まで救命医として数多くの症例を見てきたが、これほど重篤な心不全で、敗血症を起こして血液まで駄目になっている状況から、回復してしまったケースは一度も見たことがない。まさに奇跡としか言いようがない」と驚いておりました。


私はこのような現証を目の当たりにして、これは父が、長年にわたって真面目に一生懸命、信心に励んできたからこそ、御本尊様に助けていただけたのだ、と確信いたしました。
今では、父は毎日四~五キロも歩けるほど元気になり、隣近所の方や縁のない方にまでどんどん折伏をして歩いており、本日も、この総会に一緒に参加できております。

 さて、昨年は母が亡くなりましたが、母の臨終に際しても、御本尊様の絶大な御加護が現われ、無事、母を成仏させていただくことができました。
私の母は、昭和六十三年に妙観講へ移籍しましたが、それまでずっと創価学会において池田大作を狂信し、大変重い罪障を刻んできてしまいました。
そのため、七十歳を過ぎた頃から急激に認知症が進んでしまい、私たち息子の名前さえ忘れてしまう状態となっていました。でも、大切なお題目だけは忘れることなく、養護施設の中で、いつも一生懸命にお題目を唱えておりました。そして、車イスでしたが、何度も総本山に連れてきてあげると、御開扉の後には「やっぱりお山は素晴らしいね。大御本尊様にお会いできて幸せだね。またお山に連れていってね」といつも喜んでおりました。私は、父母と三人で一緒に戒壇の大御本尊様にお参りさせていただける喜びで涙が止まりませんでした。


昨年に入り母は徐々に体力が衰え始めましたが、五月の第三十九回総会にも参加でき、五月十二日には八十五歳の誕生日を迎えることができました。
その後、にわかに衰弱が進み、五月二十一日の朝には、血圧が著しく低下してきましたので、家族四人で、母を囲み一緒にお題目を唱えて、御本尊様の御加護を祈りました。母は、意識が薄れていくなかでも、はっきりとお題目を唱え、私の名前を呼んで「ひろし、有り難う」と言ってくれました。そして午後二時、母は二回ほど大きく呼吸して息を引き取りました。


母の葬儀に際しては、先輩・同志の皆様が、葬儀の終了まで、途切れることなく、交替で夜通しお題目をあげてくださいました。お陰様で、連日三十度という真夏日が続く中で、出棺までドライアイスも使わないまま、母の体は柔らかくて死後硬直もなければ、臭いも一切なく、顔も笑っているかのような穏やかな表情でした。まさに大聖人様がおっしゃるとおりの素晴らしい成仏の相だったのです。
私は有り難くて涙が止まらず、母を成仏させてくださった御本尊様に、心から感謝申し上げました。

 

 私は、妻の多発性スキルス胃ガンの完治と、父親の奇跡的な回復、母親の成仏の相を目の当たりにして、妙観講での正しい信心の大切さを確信しました。そして、それ以来、会合・法要・登山へは欠かさず参加・参詣し、毎月最低一名の折伏を実践していったところ、御本尊様からさらなる功徳をいただきました。


私は現在、国立研究開発法人で監査の仕事と、経営戦略の仕事を行なっておりますが、その中で、毎年一億円の赤字を出し続けていた部門の経営改革に成功し、毎年一億円ずつ利益が伸びる部門にすることができました。また監査中に、何も投資しなくても一億円の増収ができる方法を発見したりと、大きな成果を出すことができました。

これらのことが大きく評価され、三年前の六月から半年ごとに六回続けて「特別業績手当」をいただいたのですが、この「特別業績手当」は十年に一度貰えればよいくらい希な表彰であるところ、半年ごとに六回続けてというのは、全く前代未聞であり、お陰で私の収入は大幅にアップしました。これにより、昨年は自ら誓願した金額を大きく上回る御供養もさせていただくことができました。


あまりの有り難さに、いっそう折伏に励んでおりますが、案に違わず、職場の上司からは、職員に信仰の無理強いをするなと注意されたり、折伏した方々からは仕事上で必要な品物を買って貰えなかったり、飲み会には一切誘われなくなる等の嫌がらせも受けました。しかし、嫌がらせを受ければ受けるほど、私自身は転重軽受の功徳として、かえってあらゆる願いが成就しており、本当に折伏をさせていただくことは、なんと有り難いことかと、日々感謝しております。


妙観講に出会い、正しい信心の在り方を教えていただくことができなかったならば、今、生きていられたかどうかもわかりませんし、このような幸せな日々は来なかったと思います。この御恩に報いるため、一人でも多くの方を御本尊様のもとへ導くべく、折伏していきたいと決意いたします。
先輩・同志の皆様にしがみつきながら、何としても猊下様にお応えできる一員になれますよう精進してまいります。
本日はありがとうございました。(大拍手)